4月15日、88歳で亡くなった、
日銀・三重野元総裁のその後を追う
デフレ、株価の低迷をつくった元・日銀総裁―三重野康氏への
ファイナル・ジャッジメント
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=757
ザ・リバティweb
抜粋
『平成の鬼平へのファイナル・ジャッジメント』
─日銀・三重野元総裁のその後を追う─
1989年末に「バブル潰し」政策を行って、日本を長期不況へ
と追いやったことで知られる三重野康・元日銀総裁が4月15日、
88歳で亡くなった。それを受けて5月1日、
大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁が同氏の霊言を収録した。
三重野氏霊の言葉を紹介しつつ、バブル潰し政策の問題点を改めて整理する。
中略
日本銀行とは
日本銀行とは、日本で一つしかない発券銀行だ。
つまり、1万円札などのお札を発行しているところだ。
お札を発行する量を増減したり、お金を貸し出す時の金利を
上げたり下げたりして、世の中に出回るお金の量を調節している
(これを金融政策といい、金融政策を行う銀行を中央銀行という)。
世の中に出回るお金の量が増えれば、景気がよくなるが、
やりすぎると景気が過熱してインフレになってしまう。
その場合は、世の中に出回るお金の量を逆に減らすことで、
過熱した景気を沈静化させるわけだ。
三重野元総裁はいかにして日本を不況に陥れたか
三重野氏が日銀総裁として、この金融政策の指揮を執ったのは、
1989年末から94年末までの5年間だ。
その間、3・75%だった公定歩合(日銀が銀行に貸し出す時の金利)
をわずか半年あまりで6%にまで引き上げた。
いわゆる「バブル潰し」政策だ。
この急激な利上げをきっかけに、当時、絶好調だった日本経済に
急ブレーキがかかった。大蔵省による不動産向けの融資を抑える
規制も同時期に行われたため、株価や地価が大きく下落した。
当時は、株や不動産投資で儲けた人を〝やっかむ〟空気が
マスコミ報道で醸成されており、三重野氏の政策は、濡れ手に
粟で儲けた人を〝退治〟したと喝采を浴びた。評論家の佐高信氏などは
三重野氏を「平成の鬼平」などと持ち上げた。
繁栄を否定する心が長期不況の真因
しかし、このバブル潰し政策をきっかけに、日本は「失われた20年」
と言われる長期不況に突入してしまった。
一時は4万円台に近づいた株価は4分の1以下に、地価も4分の1以下に暴落。
株価と地価の下落は、金融機関の経営も直撃した
(銀行は不動産を担保に企業にお金を貸していた)。
さらに、金融機関の不振は、一般企業への「貸し渋り」となって、
日本の経済活動全体を収縮させることになった。
かくて三重野氏は、長期不況の〝主犯〟として糾弾される
ことになったわけだ。
その背景にあるのは、霊言を見ても分かるように、インフレや
資本主義を否定するメンタリティだ。この繁栄を否定する考えは、
今なお日本を覆っている。この貧乏発想から抜け出さない限り、
日本の本格的な景気回復は望めない。
詳細は http://www.the-liberty.com/topics/2012/12.html
(`・ω・´)
この時期に増税すること以外、考えることがない
政治家も、、もう辞めてくださいね
。