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さくらのユーホ

住吉さくらと申します。
音楽が大好きです。

私の夢になった演奏

2021年01月30日 08時28分45秒 | 想った事
皆さんおはようございます。住吉さくらです。 先日、私は中学校の時に吹奏楽コンクールの全国大会に出場した時の事をお話しさせていただきました。 日本には吹奏楽をやっている人がたくさんいます。そしてその中の多くの人が全国大会に出場する事を夢観ています。そしてその人たちには全国大会を目指すきっかけになった演奏があるかもしれません。 私にも全国大会を、普門館を目指すきっかけとなった演奏、私に全国大会に出場 . . . 本文を読む
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短歌(5) 夢をのせて

2021年01月28日 07時37分19秒 | 短歌
夢に観た 黒いステージ 永遠に みんなの夢を 心の音に 私たちが中学、高校の時、吹奏楽コンクールの中学の部、高校の部の全国大会は東京の普門館でおこなわれていました。 普門館は立正佼成会のホールでした。普通のホールは多くても1200人位しか観客が入れませんが、普門館は5000人もの観客が入れる超巨大ホールでした。また、ステージが真っ黒でした。これはステージの上で顔が映えるようにするため . . . 本文を読む
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失敗が意味する事

2021年01月27日 06時00分00秒 | 想った事
皆さんおはようございます。住吉さくらです。 私は先ほど「デッドボール」について調べていました。 「デッドボール」は日本語では「死球」です。なぜ「デッドボール」、「死球」というかというと、過去にデッドボールで亡くなった人がいるからです。ちなみに今では日本のプロ野球では、デッドボールのうち、「投手の投球が打者の顔面、頭部、ヘルメット等に当たり、審判員がその投球を危険球と判断したとき」の球が「危険球」 . . . 本文を読む
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自分にしかできない事(2)

2021年01月26日 17時00分01秒 | 想った事
皆さんこんにちは。住吉さくらです。 今回はアニメのお話しをさせていただきたいと思います。 私が好きな作品に「とある科学の超電磁砲(レールガン)」があります。これは超能力者たちの物語です。原作は漫画ですが、アニメ版には漫画版では創られなかったストーリーが追加されていて一つの物語が完成させられています。今回はアニメ版のお話しをさせていただきます。 この作品の舞台は「学園都市」です。これは神戸市にある . . . 本文を読む
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応援団?

2021年01月25日 21時33分47秒 | 想った事
皆さんこんばんは。住吉さくらです。 今回は私の想い出に残っている試合のお話しをさせていただきたいと思います。 2000年のJリーグの1stステージに大阪市の長居スタジアムでセレッソ大阪対柏レイソルの試合がおこなわれました。 サッカーに限らないと思いますが、ホーム側の観客席の方が広く確保されていて、お客さんがたくさん入ります。それに対してアウェー側は狭く、それでも空席がたくさんできます。 私は空席 . . . 本文を読む
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自分にしかできない事

2021年01月24日 09時19分11秒 | 想った事
皆さんおはようございます。住吉さくらです。 前回利き足についてお話しさせていただきましたが、今回はある2人のサッカー選手を比較してお話しさせていただきたいと思います。今回紹介させていただく選手は2人とも左利きの選手です。 このお話しは私がまさに今お話しさせていただきたいと思った事なので頭の中で全く整理できていませんが、内容が正確に伝われば嬉しいです。 皆さんは中村俊輔選手はご存じでしょうか?。多 . . . 本文を読む
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「なぜ、レフティーは右足を捨てたのか」を読んで

2021年01月22日 04時18分05秒 | 想った事
皆さんこんばんは。 先日、久しぶりに記事を投稿させていただきました。たくさんの応援などをいただきました。皆さん、ありがとうございます。 今回はある記事を読んで私が想った事をお話しさせていただきたいと想います。その記事のタイトルは、「なぜ、レフティーは右足を捨てたのか」です。元の記事はこちらです。( https://ncode.syosetu.com/n5781o/ 私はこの記事の所に感想を書き込も . . . 本文を読む
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あの日から26年

2021年01月17日 01時36分35秒 | 想った事
皆さんこんばんは。 先ほど日付が変わって今は1月17日。1995年の阪神淡路大震災から26年です。 私は今、私の出身地で、私が子供の時に自分が住んでいた街で、あの震災で壊滅した西宮市とそこにいた友達を想い出しています。 あの震災でたくさんの人が亡くなり、私の友達もどうなったか分かりません。 でもあの震災で亡くなられた多くの方も私の友達も確かにあの街にいました。 私はみんなの事を忘れません。 あの . . . 本文を読む
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