さくらのユーホ

住吉さくらと申します。
音楽が大好きです。

ポエム(18) ノート

2023年06月04日 05時00分00秒 | ポエム
そこには司令官がいた

その司令官は侍たちの司令官だった 彼はノートを手にしていた 彼はノートに何かを書いている

ノートに何が書かれているのかは分からない しかし 彼の周りにいた者たちはその後 そのノートに宿った力を知る事になる


侍たちの空母が被弾した 敵の魚雷のうちの1発が命中した

しかし侍たちは諦めなかった 炎を上げ、浸水し続ける空母と共に侍たちは戦い続けた


侍たちが魚雷が発射した

魚雷が進んでいく 速く 正確にコントロールされたその魚雷は敵の精密なディフェンスをかいくぐり 敵空母の目標ポイントに寸分違わず命中した


巨大な爆発音が鳴り響く 巨大空母が炎に包まれる 浸水が広がる 敵は焦り始める 冷静さを失っていく


そしてついにその時は来た


艦隊の一部の艦が敵を引きつけ 敵の防御に隙を作った そしてそこに仲間の艦が侵入した 侵入した艦は絶好の魚雷発射ポイントへの突入コースに入った 標的は敵の大将たるあの巨大な空母だった

艦は魚雷発射ポイントに突入した 艦は巨大空母を目指し 凄まじい速さで駆け抜けた 艦は追いすがる敵を振り切り 敵空母の目の前に突入 魚雷を放った 魚雷は迎撃も追いつかない凄まじい速さで巨大空母に命中した


敵は形勢を逆転させようと凄まじい勢いで攻めてきた

侍たちは死にもの狂いで守り続けた 敵空母に 敵艦隊にはもはや形勢を逆転させるだけの力は残っていなかった 2発の魚雷を受けた巨大空母は深海に沈んでいった


凄まじい大歓声が起こった みんな自分の目を疑った しかしそれは夢ではなかった それは「弟子」が「師匠」に勝った瞬間だった そしてそれはみんなが夢にまで観た歓喜の瞬間だった 多くの人がその勝利を「奇蹟」と言った しかしその後 侍たちはその勝利が「奇蹟」ではない事を自ら証明した


侍たちの戦いがまた始まった

侍たちは青い制服を そして敵たちは赤い制服を身に纏っていた 相手は「無敵艦隊」と呼ばれた最強軍団だった 小さな侍たちは大男たちを相手に果敢に戦いを挑んだ

侍たちの司令官の手にはあのノートがあった 彼はそのノートにまた何かを書いていた

そしてみんなはそのノート そして彼の真の力を知る事になる


「無敵艦隊」が1本の魚雷を発射した それは侍たちの空母に命中した

空母は炎に包まれた しかし侍たちは諦めなかった 炎を上げ 浸水する空母と共に侍たちは戦い続けた

「無敵艦隊」は怒り狂うライオンの如く凄まじい勢いで攻めてきた 侍たちの艦隊に「無敵艦隊」の魚雷が雨あられと向かってくる しかし侍たちは一歩も引かなかった


侍たちは魚雷を発射した 魚雷は巨大空母に正確に命中した

「無敵艦隊」は焦り始めた つい数日前 自分たちと「最強」を争う最強艦隊の一つが海の藻屑となった記憶が甦る そして「無敵艦隊」は次第に冷静さを失っていく

侍たちが魚雷を発射した 水雷員は優先誘導で魚雷をコントロールし 敵のディフェンスを避けた しかしケーブルの長さはもう限界 魚雷はもはや水雷員のコントロールの域から離脱しそうだった 
しかしその瞬間 水雷員は魚雷に面舵をとらせた ギリギリの距離からだった 魚雷は敵のディフェンスのほんのわずかな隙間を抜け ついに命中コースの起点に到達した 水雷員は決断した 「今だ!今しか無い!」
水雷員は魚雷に取り舵をかけた 魚雷は信じられないような鋭い軌道を描き 巨大空母に命中した

巨大空母は大爆発を起こした 巨大空母は大火災を起こした 艦内には凄まじい浸水が起こり 敵空母はどんどん浮力を失っていく 神がかった侍たちを倒せるだけの力はもはや「無敵艦隊」には残っていなかった

「無敵艦隊」の巨大空母は深海へと消えていった それは「無敵艦隊」に憧れ 無敵艦隊から多くの事を学んだ「弟子」が夢のフィールドでの真剣勝負で「師匠」に勝った瞬間だった


凄まじい大歓声が起こった そしてその中にはノートを手にした司令官もいた 侍たちはみな凄まじく厳しい戦をした そして侍たちは激しい戦を制した 強き侍たちはみな笑顔だった

侍たちが勝ち取った勝利 それは「奇蹟」ではなかった それは侍たちが本物の実力で勝ち取った勝利だった


司令官が手にしていたノート 最強の艦隊2つを深海に沈めたノート それは多くの人から「デスノート」と呼ばれた

しかしそれはただの「デスノート」ではなかった それは自軍の弱点を直し 自軍を更に強くする事ができる「カルテ」でもあった。そしてその「カルテ」はかつて「師匠」から多くの事を学んだ「弟子」が作り上げた「教科書」でもあり、「手本」でもあった その「カルテ」は多くの人が多くの事を学ぶ事ができる最高の「教科書」だった


やがて侍たちにも来た 「戦場」から祖国に帰る時が

司令官は「戦場」から去る時 頭を下げた 「戦場」に そしてそこに来てくれたみんなに

そして司令官も「戦場」から去った あの「カルテ」を持って

司令官はまた新たなる戦いで勝つための「修練」をおこなうための「道場」へと帰っていった あの「カルテ」が多くの人を幸せへと導く事を願いながら



                              



この作品は2022年におこなわれたサッカーのW杯カタール大会での日本代表のドイツ戦とスペイン戦をメインに描いた作品です。

日本代表の森保監督は現役の時、ボランチ(守備的ミッドフィルダー)の選手でした。森保監督が高校を卒業した時にはまだJリーグは影も形も無く、森保監督もマツダの子会社である「マツダ運輸(現マツダロジスティクス)」のチームである「マツダSC東洋」の選手としてプレーしていました。ちなみに森保監督は最初はマツダの本社に入る事が決まっていたものの、入社直前にマツダがいきなり勝手に採用枠を1人減らし、森保監督が落とされてしまい、それでマツダ運輸に入社したそうです。また、選手としての能力も当時は「最悪」と言われていたそうですが、その後本社のチームとの合同練習の時に当時マツダのコーチをされていたハンス・オフトさんにその才能を絶賛され、オフトさんが直接重点的に指導したそうです。
そして1992年の4月にオフトさんが日本代表の監督に就任すると、森保監督は最初のメンバー選考で代表に選出されました。当時はまだマツダ以外の選手は誰も森保監督を知らず、森保監督が無名選手である事を理由に森保監督の悪口を平気でほざく気違い選手もいたそうですが、翌月の5月に世界最強の国の一つであるアルゼンチンと試合をした後、アルゼンチンの選手と監督が口を揃えて「日本の選手で一番良かったのは17番の選手だった。」と言いました。特にアルゼンチンのエースストライカーのカニージャの言葉は日本中に凄まじい衝撃を与えました。カニージャは日本のメディアに対してこう言いました。「僕にとって一番嫌だったのは17番の動きだった。スペースが空いたので突っ込もうとするといつも17番がそこにいるんだ。それが1度や2度ではなかった。」。そしてこ「17番の選手」こそ森保監督だったのです。
この試合、日本は負けましたが得点は0-1でした。世界最強チームの一つであるアルゼンチンが1点しか獲れなかったのは森保監督がいたからです。森保監督のこの活躍で日本でも「ボランチ」というポジションの存在とその重要性が知られるようになりました。
「ボランチ」というポジションは1つの試合で1回もボールを自分で相手から取ったりしないように監督から言われる事もある程のポジションなので元々はサッカーのポジションで一番目立たないポジションですが、ボランチがいなかったらセンターバックの選手がボランチの役割を重点的にやらないといけなくなり、更にゴールキーパーがセンターバックの役割をボランチがいる時より多くこなさないといけなくなってしまいます。なのでボランチの選手がいなかったら大量失点してしまう可能性がかなり高くなってしまいます。ちなみにサッカー強国では「ボランチの実力でチームの実力が分かる。」とまで言われています。
森保監督は現役の時、オフト監督がいつも選手たちに「タスク(本来のポジションでの役割と試合中にポジションチェンジした場合の役割。)を守れ。」と言っていたそうです。なので私はあの2022年のW杯でも森保監督が指揮を執れば大崩れする事は無いと思っていました。なぜなら森保監督は「タスク」をもの凄くよく理解しているからです。なので私はあのドイツ戦でのスタメンの発表を見た時に「もしかしたら勝てるかもしれない。」と思いました。実際にあの試合で森保監督が採用したフォーメーションは今主流になっている「プレッシングサッカー」をやる上で最も理想的なフォーメーションだったからです。森保監督はご自身が監督になってもオフト監督から教えてもらった「タスク」をよく理解し、それを守り続けているんですよね。そしてその上で森保監督独自のサッカーを創り上げた。だからあの2022年のW杯で日本はドイツにもスペインにも勝てたんですよね。ちなみにこの事はドイツ戦の直後にテレビにゲスト出演された中村憲剛さんも言っていました。中村憲剛さんはドイツ戦の後、「後半にフォーメーションを変えて役割を明確にした事が勝因の一つ。」という事を言っていました。森保監督は最初は相手がどんなフォーメーションで来てもある程度対応できるようにプレッシングサッカーの標準的なフォーメーションを使い、前半で相手の状態と後半での相手の動きを予想し、後半の最初からフォーメーションを変えたのだと思います。

森保監督は現役の時、あの「ドーハの悲劇」を経験しました。そして選手としてはW杯に出場する事はできませんでした。ですが森保監督はその後、日本代表の監督になり、日本をドイツとスペインに勝たせ、日本を決勝トーナメントに進出させました。「ドーハの悲劇」を選手として経験した森保監督はもう二度と、誰にもあの辛い経験をさせたくなかったでしょう。「ドーハの悲劇」を選手として経験した森保監督はあの2022年のW杯で「ドーハの奇蹟」を起こしてくれました。それも2回も。森保監督は世界最高の監督の一人ですね。

私はこれからもずっと森保監督が活躍されるのを心から願っています。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ミソラ)
2023-06-04 09:02:43
さくらさん、おはようございます。森保ジャパンのドイツ戦、楽しみですね。

潜水艦といえば、上映中の名探偵コナンも、潜水艦の話みたいですよ。
(映画.com)
https://eiga.com/movie/98326/
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コナンの宣伝観ました。壮大なスケールですね。 (住吉さくら)
2023-06-04 10:52:16
ミソラさんおはようございます。
森保ジャパンはこれからも楽しみですね。私は森保監督が日本代表の監督になった時、「やっと選ばれたか。」って思いました。私は昔からずっと森保監督に日本代表の監督をやってもらいたかったです。私は森保監督の凄さを多くの人が知ってくれて嬉しいです。

あとコナンの作品の宣伝観ました。「黒鉄の魚影」では海に造られた施設の事が描かれているそうですね。興味深いですね。この「黒鉄の魚影」という言葉は潜水艦の事を表していますが、実際に日本では潜水艦を「鉄の鯨」と言い表したりもします。なので広島県の呉市にある海上自衛隊呉資料館に横付けされているゆうしお級潜水艦は「てつのくじら館」と呼ばれています。私も一回行きました。
この「ゆうしお級」はかわぐちかいじ氏の「沈黙の艦隊」に登場する「たつなみ」のモデルになった艦で、外観も中もたつなみそのものでした。私はあの艦に乗った時、もの凄く感激しました。ちなみに「てつのくじら館」のゆうしお級は7番艦の「あきしお」です。ちなみに海上自衛隊呉資料館のレストランでは毎日かどうかは覚えていませんが数量限定で「あきしおカレー」が販売されていました。私も食べました。美味しかったです。
あと私が行った時はちょうど私で最後で、次に来た人が食べられませんでした。あきしおカレーは早い時間に行かないと食べられないと思います。ちなみにこの「あきしおカレー」はあきしおが現役だった時に実際にあきしおの艦内で出されていたカレーを当時のレシピ通りに再現した物です。日本の潜水艦の料理には決まったレシピは無く、メニューだけが決められていて味付けやトッピングはそれぞれの艦ごとに違うそうです。海上自衛隊の隊員で艦に乗っている人たちにとってはそれも楽しみの一つだそうです。乗組員にとって食事は数少ない楽しみの一つだそうですし、「美味しい物を食べたい」という想いは他の仕事をしている隊員より強いでしょうね。乗組員の皆さんにも美味しい物をたくさん食べてほしいですよね。
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