私とは何か?と問うことに気付いている「私」とは何か?

私とは何か?意識の起源とは何か?悟りとは何か?般若心経とは何か?これらの問いの答えを考える。

天動説地動説

2021年02月19日 | 意識と悟りの構造

こんにちは、領です。

以前、「意識」という言葉は、人間中心的な言葉ということを書きました。

その時、ふとコペルニクスの地動説のことを考えました。
天動説とは、人間の住む特別な天体である地球は、宇宙の中心としてふさわしい。地球は宇宙の中心に静止していて、太陽を始め全ての天体が地球の周りを回っているという考えです。地球を中心としたときの惑星の軌道を表した周転円の図は、花の模様みたいで好きです。
地動説は、宇宙の中心は太陽であり、地球は他の惑星も含めて太陽の周りを自転しながら公転しているという考えです。
中心に静止しているのは、そこで見る人を基準にするという意味で、宇宙には絶対的な基準は存在しません。天動説地動説どちらでも惑星の動きは予測できるのでどちらでもかまわないけれど、地動説の方が使いやすく理解しやすくシンプルです。太陽は、より統一的な存在に感じます。

宇宙には絶対的な基準は存在しないのか?と問われれば、私は「観」が唯一不生不滅不動不変として存在すると考えます。「観」は、この世に遍在しますが、最高次の情報で唯一として存在します。

物質に過ぎない脳に意識が生じるのはなぜかという問いは、人間中心的です。
真の自己という思考は、人間中心的です。
人間は、悟りの境地に至ることができるという思考は、人間中的です。
人間は、全知に至ることができるという思考は、人間中心的です。
意識や悟りを奇跡や神秘とする思考は、人間中心的です。

縁起縁滅の法によって、無次元の点の可能な関係性の組み合わせは全て展開されます。
無次元の点の関係性が高次化すると必ず、人間のような振る舞いの構造が現われます。
素粒子、原子、分子、RNA、DNA、原核生物、真核生物、多細胞生物・・・魚類、両生類、哺乳類、人間・・・「個体発生は系統発生を繰り返す」という言葉を思い出しました。

人として振る舞う構造に、無次元の点に割り当てられた「観」という情報が不可分に存在するだけです。自分の顔かたち、思考パターン、記憶を個人の範囲に統一して「観る」という構造をもたらします。

縁起縁滅の法は、波の性質を持つので避けようがなく情報が重なり合って無に潜在してしまう位置が存在します。自分の顔かたち、思考パターン、記憶が、無に潜在します。そこを悟り、梵我一如、神人合一、即心即仏、真の自己、意識の起源、如実知自心などと理解します。

人のために、意識や悟り、真の自己が存在するわけではありません。

「人間は、自立的に思考し、理解することができる」という思考が存在します。

私は、人間は何も理解していないと思います。

見るを観る
匂いを嗅ぐを観る
味わうを観る
聴くを観る
行動するを観る
個人的自己を観る
理解するを観る
自由意志を観る
自己責任を観る

「人は自由意志を持ち、意識が決定を下す」を観る。
「人は、自立的に思考し、理解することができる」を観る。
「時空に対し独立自存で能動的に自由自在に思考することができる」を観る。
「私とは何か?と問うことができる」を観る。

無次元の点の可能な組み合わせによる構造が縁起縁滅の法に従って無限に展開する構造を持つとき、「私とは何か?」と世界や自己に対して一段高次の視点から問うことでさえパターンの内に存在します。
「私とは何か?」と問う自己を観る。
「観」という物理構造が、人において最上級に活かされています。最上級という見方は、人間中心的です。

人は、可能な全てのパターンが存在し、「観」という構造を持ちます。
一人の人間から見れば、膨大ですが、人工知能は、限られたパターンで学習します。
人の可能な全てのパターンは、振動して存在するという違いはありますが、人工知能が理解を持たないというとき、人間も本質的に理解を持たない存在と言えます。

自分の内に「観」という構造が働くので、自分の本性が自分の内に存在するという思考を持ちますが、正確にどう表現すればいいのか言葉が見つかりませんが、自己の内に存在すると言えるものでもないです。

地動説の方がよりシンプルに世界観を説明できたとしても、太陽が東から昇り西に沈むと日常の中では考えます。

「人は、自立的に思考し、理解することができる」と日常の中では考えます。

 

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます

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