私とは何か?と問うことに気付いている「私」とは何か?

私とは何か?意識の起源とは何か?悟りとは何か?般若心経とは何か?これらの問いの答えを考える。

縁起縁滅の法

2020年06月27日 | 意識と悟りの構造

こんにちは、領です。

私は、縁起縁滅の法=物理学の万物の理論としています。万物の理論は、完成するのかは分かりませんが、未完でも参考になります。
縁起縁滅の法は、波の性質の方程式ということです。万物の理論にかぎらず、縁起縁滅の法の性質を理解したいとき、シュレディンガー方程式やマクスウェル方程式、電磁誘導の仕組みなど参考にすると理解が深まると思います。サイエンスライターの方が、解説してくれたレベルの理解です

縁起縁滅の法は、振動循環と全時空の相依相関という構造を持ちます。
振動循環とは波の性質をもつことであって、諸行無常が導かれます。何も確定しない事すら確定しない事すら確定しない・・・という構造です。ここのブログに書かれていることも独立自存の絶対の真理ではないという構造です。
また、波の性質を持つということは、相反する波形の波が重なり合って潜在する構造と同様に、この世の一切も重なり合えば消えてしまう実体のないものであって、諸法無我が導かれます。一切が無に潜在する地点は業の解消の一点であり、照見五蘊皆空となります。
空の次元は一切を一度に観るという構造であって、全知の境地が可能です。「この世」と「反この世」で全知は可能です。全知とは最上位の概念以外は潜在し無の状態をとります。最上位の概念とは無次元の点に割り当てられたむき出しの自己感です。
自己感とは「自分が存在し観ている」という志向性のことで、気づきとか如実知とか真の自己などと表現されます。このむき出しの自己感も仮象虚妄の最後の一雫と捉える方が良さそうです。実在は徹底的にないということです。
波の性質ということにより、この世の一切は、両極に振動することが避けられないということです。快と苦、受容と拒否など、両極に振動することが存在の物理的構造です。その快が存在しなくて良いと思うほどの苦が存在します。禍福あざなえる縄のごとしは、物理的事実です。どんなに努力してもしがみついても、快だけを常(じょう)とすることはできません、快と苦に振動し続けるということは、一切皆苦といえます。

縁起縁滅の法から、無常、苦、無我が導かれます。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます

 

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認識について思ったこと

2020年06月23日 | 意識と悟りの構造

こんにちは、領です。

仏教の教えは、仏陀の説いたことのみであり、それが仏教の正理である。と、このような思考は、何だか違うと思いました。

縁起縁滅の法は、万物の方程式であって、この世の一切が縁起縁滅の法の解であってどんな思考も出来事もどんな人間も、包み込んでしまうイメージがします。

仏教の教えとして以下の方向性があります。
自己の解体による消滅:無我
自己の統一による消滅:普遍的自己
自己の維持     :個人的自己

全てに共通なのは、その状態を認識しているということです。
無我であることを認識している。
普遍的自己そのものとしての認識。
個人的自己の認識。

観ている自己が存在するという志向性は存在します。略して観自在。この観自在を実在として重宝してしまうのは顛倒夢想になります。
最上位の概念である観自在は、無次元の点に割り当てられていて時空に遍在する構造を持ちます。この世の存在は、無次元の点の組み合わせなので、この世は観自在から作られているという思考が存在します。観自在とは、普段私たちが使用する「私」のことです。「私」がこの世の存在全てに含まれるので、実在は「私」という思考が存在します。「私」が遍在するという構造により、宇宙と私自身が同じものだという思考が存在します。
感動するようなものではなく物理的な構造としてそうあるだけです。縁起縁滅の法=物理学で言うところの万物の方程式なので、万物の方程式により、「私」は唯一として存在し、時空に遍在する構造だと解明される日が来てほしいです。物理的構造として、私たちは、たった今、同一人物です。それが可能な構造です。

私が、全ての人が同一人物だと領解したとき思ったのは、犯罪史上最悪の事件のことです。加害者も被害者も自分だということです。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

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最近思ったこと

2020年06月05日 | 意識と悟りの構造

こんにちは、領です。

最近思ったことを書きます。

縁起縁滅の法は、物理学の言うところの万物の方程式です。
自己を解体する
自己を統一する
自己を維持する
この大まかな3つの考えによって仏教はいろいろな形を見せます。

「あなたの思想は、仏教である必要がありますか?」とお互いにとげのあることを言うこともあります。

よくよく考えると、この三つは縁起縁滅の法を満たす解です。ただの解であって存在するべくして存在します。
以前は、仏教によって「より良く生きる」と語られることにチクリとしていましたが、見当違いでした。

アインシュタイン方程式の解と似ています。

ブッダがどの方向性で語ったかは、もう重ね合わせで良いような気がします。

後日、詳しく書きます。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます

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