うちの職場、携帯の伝言板サービスへ登録が強制。
家族を登録しておくことが、半強制。
と、まぁ、災害への意識レベルが高いわけで……
携帯を職場に持ち込んだあと、上司Yが伝言板利用しとけと言ってたのですが……
「ねぇ、Y氏、Y氏」
「なんだ?」
「モード自体に繋がらないんだけど……」
「………」
「………」
「使えねぇなっ!!」
「そうですね……」
たまたま上司Yのそばにいたので、不毛な会話をしてました。
うん、せっかくのサービスですが、携帯が全く使えない状態では意味がなかったです。
せっかくなので、いっときますが、私は伝言サービスに登録してあるので、検索していただければ、確認できます。
今回も一応、”無事報告”はしておきました。
お友達のみなさん、よろしく~。
さて、話は戻りまして。
放置されてた3時間近く、とにかく心配だったのは、妹2の卒業式の為に来ていた母と妹1のこと。
同居してる妹2は比較的冷静なので、大丈夫だと思ってたのですが、問題は足の不自由な妹1と心配性でパニックになりやすい母。
もう、本当、ソレだけが心配でした。
特に母は、自分では全く移動できない人なので、妹2と離れていたらどうしよう……とそればっかり。
がしかし、携帯は繋がらない。
本当やきもきしてました。
奇跡的に受信できた妹2からのメールで母と妹2は一緒にいつことが判明し、一安心したものの、妹1の行方が分からない状態。
会社に拘束された身では何もできず、本当、それだけは泣きそうでした。
最大の地震から3時間ほどたちやっと、今度の話が。
帰宅もよし、職場に残ってもよしということに。
その時初めて、外が停電なこと、乗り物は一切動いてないことを知りました。
私は家族のことがあったし、歩いても30~40分程度の距離のため、家に帰る事に。
職場の半数が帰宅、半数が残るって感じでした。
帰りたいけど、帰る”アシ”がない、とか、一人暮らしなので余震が恐いとかで、意外と会社に残った人は多かったです。
まぁ、職場は電気つくし、寒くないし、トイレあるし…私も一人だったら残ったかも。
職場に泊まった人も多かったみたいです。
夕方から仕事したりとか、結構、地震当日から頑張ってる人もいました。
同じ方向の同僚と帰宅の徒に。
外はまだ明るいものの雪が……。
私は、仕事のあと母たちと合流して食事する予定だったので、たまたま地下鉄でしたが、一緒に帰る同僚の1人が自転車だったので、駐輪所に寄ることに。
……びっくり。
当たり前といえば、当たり前なのですが、地下にある駐輪場なので、停電で真っ暗。
不謹慎にも探検者気分を味わってしまいました。
多分、皆さんがすご~~~く心配してくださってる時間、津波の被害も知らなかった私は、けっこう、のんきにしてました。すみません。
せっかく、駐輪所についたものの、柵が降りており、中に入れない状態。
同僚はあきらめ切れないようでしたが、どうしようもありません。
自転車は回収せず、歩くことに。
街中停電していて、なんか、不思議でした。
いつもは人でごった返しているのに、人はまだらで、シャッターもおりてて……ああ、天災にあてるんだなぁって、ぼんやり思ってました。
いつ余震があるかわかりませんし、ビルの崩壊や、窓ガラスも恐いので、近道の細い道路よりは、できるだけ大通りを…と帰りましたが、本当、不思議な感じでした。
あの非日常間をどう説明していいものか…。
道路は渋滞MAX。
車線はすべて車で埋め尽くされ、ほとんど動かない状態。
明らかに歩きの方が早い。
歩いてる人もヘルメット着用の人が多くて、ビックリしました。
あれは会社からの配給なんでしょうか?
家路へ急ぐ社会人の姿ばかりで、子供の姿はほとんどなかったですね。
途中でビルの窓ガラスにかなり広域に散らばって、立ち入り禁止テープが張られているところもありました。
てか、2、3時間でもう、そういう対応されていることに驚きました。
すげーな。
ちょっと公務員を見直しました(←おい)
途中で同僚とは別れ、一人で家路へ。
その途中で妹2から行方不明だった妹1を確保し、避難所にいるとメールが。
この頃になるとある程度メール連絡だけは可能な状態に。
これで、心配がとりあえず、なくなり、本当に一安心。
あとは会社を出るときから決めていた”買い物”をするだけ。
上司から長期戦と言われていたので……ぶっちゃけ、最低でも2~3日はどうにもならないと聞いて会社をあとにしていたので、最初から1週間くらいはなにもない生活を覚悟してました。
となれば、まだ明るいうちに食料確保しなければデス!
お店は軒並みシャッターを閉めてる中、コンビニが頑張ってました!!
家から割合近所のコンビニがまだ開いていたので、迷わず入りました。
そこで……
続く。