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☆素顔のままで☆

☆こころのままに自由にまたもや、テンプレ変更☆・・・

グロリア

2005-02-27 | CINEMA
グロリア・・・
1980年
見られたかたも多いんだろうけど

レオンの元ネタ映画にもなった秀作映画
レオンより最高って・・・思う(レオンも好きだけど群を抜いてる

これほどタフで優しい映画は見たことがないほど・・・


裏道の一本一本、壁のシミ、路上のゴミ、鳩、ネオン
もう一つの主役はニューヨークの雑多な街並み
冷たいアスファルトに響く銃撃音。あぁ、明け方の、
あの街角の匂いが画面から伝わってくる

一番最初は、単なるくたびれた不良のおばさんにしか見えなかったジーナ・ローランズ
話が進むにつれ、もうこれでもかっていうくらい格好よくなって
クールでセクシーでホットなジーナはマジ!やばい!!!
子供との掛け合いも、洒落と皮肉のバランスが絶妙

「今まで寝た男のなかで最高なのよ」

この台詞が効いている
ジーナの母性が言わせる彼女の最高の愛情のこもったクールな表現に脱帽


子供を守るために迷わず引き金を引くタフな女
いきなり路上で発砲する姿に鳥肌がたつ

カッコ良過ぎるよ・・・


何度も言うけど、もう~とにかく鳥肌がたつほどかっこいいジーナ
ヒールの高いサンダルで銃をぶっ放すのはこの人にしか似合わない
決して子どもにベタベタと甘くなく、それどころかいちいちキツイ
そこがまたよいです。男が惚れる男がジョン・カサヴェテスなら
女が惚れる女はジーナ・ローランズ

全編に流れる切ないメロディ
サックスだったりギターだったり
音が濡れていた・・・

最後の墓場の出会うシーンで
心が締め付けられ
思わず潤んでしまう

初めて少年を抱きしめる、KISSする
この笑顔が画面いっぱいに・・・
美しい・・・綺麗だ

マジに胸が熱くなる

そんな映画です

やっと、DVDゲットしました!

因みにリメイク版1998年・・・シャロンストーン版は、話になりませんでした!


夫婦善哉

2005-02-23 | CINEMA
友達と話題になって
何を・・・?

それはたった一枚のDVDを買うとしたら
何にするかって・・・?

迷いまくった挙句決めたのが

【夫婦善哉】に決定!

見たことありますか?

そうあの有名な織田作之助原作のあのフル~イ映画です
当然、出演者は、森繁久弥に淡島千景

今はビデオに録画して何度も何度もあの時代に触れたくて
見てしまう映画なんですよ・・・何故???かな

あたしが愛してる法善寺が舞台だからかもしれないし
焼けてしまったときには、心がほんと痛んだ
でも今は綺麗に復興されてるので、ホッとする

主人公の柳吉(森繁)と蝶子(淡島)


小説『夫婦善哉』の中に以下のくだりがあって

柳吉は二十歳の蝶子のことを「おばはん」と呼ぶようになる
(蝶子は憤慨するのですが・・・)

脚本家の八住利雄は小説のこの一行に
自分より十一歳も年下の二十歳の芸者を「おばはん」と呼んでいるんです

そんな「おばはん」が出てくる小説の中のセリフは

「おばはん小遣い足らんぜ」「おばはん、何すんねん、無茶しな」
「く、く、く、るしい、苦しい、おばはん、何すんねん」
「おばはん、せせ殺生やぜ」
「ああ、お、お、お、おばはんか、親爺は今死んだぜ」

のたったの5箇所

しかし映画では、事あるごとに柳吉は蝶子のことを「おばはん」
と呼ぶように脚色されている
森繁久弥と淡島千景が絡むシーンは、この「おばはん」がポイントになっていて
丁々発止、とても活動的なシーンの連続で
見るものをストーリーに引き込ませているよう

「そんなに怒らんときイな、おばはん!」「おばはん、あけてエな」
「何すんのや、おばはん! わい腹が減っているのや」
「おいおばはんわいが大事か親が大事か?」

そして、なんといっても映画のラスト近くに出てくる名セリフ


「たよりにしてまっせ、おばはん」


小説のラストは、座蒲団という小道具を使って、
柳吉が蝶子の尻に敷かれて行くだろうことを暗示して終わるのだけれど

映画ではこの「たよりにしてまっせ、おばはん」のセリフ
そして
蝶子の「あんた、どうするねん、これから?」
という問いに
柳吉の「任せるがな! たよりにしてまっせ」というセリフ


結局、柳吉が年下の蝶子のことを「おばはん」と呼ぶのは
相手を頼りきっているからで
この「おばはん」というセリフこそがこの映画の
小説においても映画においても全体の意味なのかもしれない・・・

「ええ・・・道行きや・・・」

この言葉が最後に沁みてくるんです・・・

それに柳吉が言うところの大阪うまいもん・・またがいいんですね
あたしも、映画に出てくるお店へも足を伸ばしてみました

法善寺の「夫婦善哉」ぜんざい
千日前の「自由軒」のライスカレー
法善寺の「正弁丹吾亭」や「たこ梅」のおでん
千日前の「出雲屋」のまむし

「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、
こ、こ、こ、こんなにうまいもんどこイ行ったかて食べられへんぜ」

そんな柳吉の声が聞こえてきそうな気がした!


身近でそれでいて暖かくて明るくて大好きな映画です

まだの方は、一度鑑賞してみてください!



アシュレイ・ジャッド

2005-02-22 | CINEMA
TWISTED(ツイステッド)

アシュレイ・ジャッドの映画は何本見たんだろう?
と思い出して



「評決のとき」・・・・・・・・・☆。.:*.☆。.:*.☆。.:*.☆。.☆。.:*.☆。.:*.☆。
「氷の接吻」・・・・・・・・・・☆。.:*.☆。.:*.☆。.:*.☆。.
「ダブル・ジョパティ」・・・・☆。.:*.☆。.:*.☆。.:*.☆。.
「恋する遺伝子」・・・・・・・☆。.:*.☆。.:*.☆。
「ノーマジーンとマリリン」・☆。
「あなたのために」・・・・・・☆。
そして
「ツイステッド」・・・・・・・・・☆

                    ↑☆評価です

重い題材の「評価のとき」
この映画で初めて、マシュー・マコノヒーに出会った
はっきり言って、アシュレイの存在感じなかったけど
豪華ゲストに驚いた
白人と黒人の人種差別は日本人には今ひとつ
実感としては感じないけど
アメリカ社会では深く根付いてるから
こういう映画が作られるんだな
最終弁論での最後の言葉、「彼女は白人です」
相手を人間ではなく黒人と見ている陪審員にとってこの言葉は
有罪を無罪にするほど衝撃的だったということが衝撃的すぎる
陪審員の立場でこの映画を見るとまた違った映画になる

「氷の接吻」
ストーカーのようなユアンの情報部員がいまいち
どうしてあのように彼女(アシュレイ殺人者)を愛するのかが
少し理解しにくい感じもあったけど
あたし的にはこの映画でアシュレイファンになった映画
純愛を見てしまったのはあたしだけだろうか・・・?
’死への逃避行’のリメイクだと思うんだけど・・・
イザベル・アジャーニーの美しさと
アシュレイ・ジャッドの美しさの対決!
イザベルVSアシュレイ・・・か

「ダブル・ジョパティ」
同じ罪では二度と裁かれない・・・ふ~ん知らなかったな・・・って
それにしても彼女は美しい!
復讐する元妻、どんどん強くなる元妻
この人は夫に裏切られた強い人妻が似合い過ぎ!!
最後、息子に会って抱き合ったシーンはよかったよなぁ~
この映画好きですね♪


後の映画は・・・次回ってことで・・・(長くなるし・・・

このアシュレイって、あたしの中では
一押しのアンジェリーナ・ジョリーに似てるんだけどなぁ・・・

次回は「五線譜のラブレター」見てみようっと!

心中天網島・・・近松の検証

2005-02-21 | CINEMA
先日、「心中天網島」
SKY PerfecTV ! Ch.707
日本映画専門チャンネルで見た

最近、あの浄瑠璃を見て以来
歌舞伎・浄瑠璃とかなり興味を持ってるあたしは
近松門左衛門をもっと知りたくて・・・見た

1969年篠田監督
主演:岩下志麻/中村吉右衛門/小松方正/滝田裕介

あらすじ
紙屋治兵衛(中村)は、妻・おさん(岩下)と2人の子供がありながら、
遊郭に通いつめ、遊女・小春(岩下・二役)と深い仲になる。
彼女に身請けを迫っていた成金の太兵衛(小松)に先んじて小春を身請けした治兵衛だったが、
身請金を工面した妻に去られ、財産も底をつき、残された道は心中しかなかった…。
近松門左衛門の浄瑠璃を、画面に黒子を登場させるなどの実験的な手法と
既に少なかったモノクロ映像で映画化

際物の、実説の紙屋冶兵衛と遊女きいの国小春が網島大長寺で情死
(享保5年10月14日と伝えられる)してまだ二ヶ月も経っていないのでした
したがって、観客の事件の記憶は生々しいわけです
事件のヒロインが舞台上で蘇って・心中への経緯をなぞっていくのです




大長寺での心中場面などは死にゆく者たちを美化するようなところがまったくなく
ふたりの心中が冷徹なリアリズムで描かれています。
でも、その突き放したような・冷徹な表現なのです

「紙屋商売をないがしろにした冶兵衛が因果の果てに心中する」
というイメージを近松は文中に何度も繰り返し書き込んでいることを考えた場合
もしそれだけで終るならば、
おさんも冶兵衛も小春も・因果の律にただ操られているだけなのかもしれません

でも、近松は木偶のドラマを書いたのではなく
人間のドラマを書いたのです。
因果の律に縛られる構造を描き出しながら、
その枠組みのなかで懸命に
「自分を立てようと(つまり自分のアイデンティティーを守ろうと)」
する人間の必死のあがき・能動的なドラマを近松は描きたかったのでは・・・

それは

「義理が立つ・立たぬ」という心情を当時の男も女も同じように持っていたと言うこと
太兵衛に小春が請け出されると聞いて「ええ口惜しい無念な熱い涙血の涙。」
と言って冶兵衛が口惜し泣きするのは、
大坂商人としての冶兵衛の面目が立たないということでした。
金がなくてライバルに身請けされるということは個人の面子であるというより
大坂商人としての冶兵衛の面子なのでした

これは今のあたしたちには、理解できないことなのでしょうが
あの時代の大坂商人には何よりも大切にしてきたものなのでしょう

そこでおさんは一生言うまいと思った秘密を夫に打ち明けるのです
このままでは冶兵衛が死ぬと見たおさんは小春に手紙を書いて、
「女は相身互いごとだから・思い切れないところを思い切って・夫の命を助けてくれ」
と訴えたのです。
その手紙を読んだ小春が
「身にも命でも代えられない大事の人だか・引くに引かれぬ義理から思い切る」
と返事をよこしたのです
その小春が金づくで太兵衛に請け出されようとされているなら
きっと小春は死ぬに違いない、とおさんは直感したわけです

女同士の義理がたたないと
ありったけのお金を用意し
箪笥の中の着物を質屋に入れても
小春を見受けしようとするおさんは
もう、妻と遊女の域を超えて
対等の関係になるところが驚きでした

なのに、因果のせいか・・・
心中に追い込まれていくのです

心中することが・死ぬことが、観客には大事だったのではなく
その発端も遊女狂いであったり・不倫であったりするわけですが
それも大事なことではないのです
心中したふたりには何か大切なものがあって
それを大事にして
一生懸命に・ひたむきに生きたらしい、ということが重要なのです
観客は、かれらの惨たらしい人生に救いようのない絶対の孤独
生きることの厳しさを見ているのです
そして、彼らの人生に涙して・それを弔うことで自らも癒されるのです

こういう時代背景を知りながら
この映画を見てみることが
受け手の問題なのかもしれませんね

PS: ”歌舞伎・文楽などの伝承芸術を通して
  「日本のこころ・芸のこころ」を
   さまざまな角度から、より深く鋭く考えていくための
  「エンタテイメント・サイト」です”より、感じたことを
   抜粋させて頂きました!


Lost in Translation

2005-02-07 | CINEMA
遠く海外で孤独を感じる2人の男女が心を通わす様が情緒的に描かれていて、
さすがゴールデングローブ賞主要3部門、
アカデミー賞オリジナル脚本賞受賞だけあります

仕事で来日した中年のハリウッドスターと、夫の仕事に同行した若妻。
それぞれが東京という異国の地で、
訪れた異邦人だけが体験する独特な孤独感にさいなまれていた。

たまたま同じホテルに滞在していた2人は、顔を合わせる内に心を通わせるようになる。
ホームシックの寂しさから結婚生活の問題など語り合い、
昼はスシ屋やシャブシャブ屋でランチを共にし、
夜はホテルのバーや繁華街へ繰り出してみたり…
しかしそれはほんの少しの滞在先での出会い。
芽生えた友情は出発の日を迎えてどうなるのか---
ストーリーはソフィア・コッポラらしい一歩引いた目線で綴られて行く

見終わったときの
なんとも言えず
心が熱くなるような

何故か・・・涙がこぼれた
この涙は何から来てるんだろう・・・か

とても好きな作品のひとつになりました

男と女の友情・・・素敵でした
さすが・・・コッポラの娘!!

アレックス

2005-02-06 | CINEMA
「時はすべてを破壊する」

 映画の冒頭で流れる台詞

 昨日の自分は失せてなくなっているけど
今日の新しい自分が生まれているのではないのか・・・。
それがポジティブにでもネガティブにでも、
変化すると言う事は今あるものがなくなり、
なかったものがあらわれるということの繰り返しではないのか・・・と。

モニカ・ベルッチが強姦された赤い壁の地下道・・・

彼女らがパーティー会場へ行くのに利用したメトロが紛れもない一本の管を連想させる

ドキドキしながら見た・・・

決して偶然でなく
この映画に於ける大胆な「時間の逆行」は、

地下道で強姦されたモニカ・ベルッチが実際それを強要された
強姦!!
無理やり放出される・・・
直腸に・・・やりきれない
声をふさがれ
彼女の辛さが・・・人間として
静止できなくなる・・・

「出口のある愛」の
逆順に倣ったものであり、
さらに言えば、彼女の消化器官を逆行する精液の流れなのか・・・

最後には口から・・・放出される・・・

入り口と出口

男と女の性の・・・違いのせいなのか・・・

しかし辛い・・・

強姦されバイオレンスが
心を乱す

あり得ない・・・

一瞬にして崩れてく世界そこにあり

最後の幸せ感が
壊されていく・・・逆行・・・

もう、やはり・・・・見れない


21グラム

2005-02-04 | CINEMA


21g

ハチドリの重さ
角砂糖8個の重さ
100円ライターの重さ
口紅の重さ
キャラメル3個の重さ
ポケットティッシュの重さ
空になったマニュキュアの重さ
・・・・・

“人は死んだら21グラムだけ軽くなる”という言葉からついたタイトルですが、
この21グラムというのは身体から抜けていく魂の重さだとも、
天使が身体を持ち上げるからだとも言われています。

とは言っても
この言葉の重さは
なんだか、ほとんど
映画の中には反映されず
いささか、拍子抜けですが・・

監督はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。
主演は、オスカー俳優ショーン・ペン、『ザ・リング』のナオミ・ワッツ、
『ザ・ファン』『ラスベガスをやっつけろ』『誘拐犯』
『トラフィック』のオスカー俳優ベニチオ・デル・トロ



ベニチオ・デル・トロがただただ、素晴らしい!!
『トラフィック』で彼に魅せられ、やはり注目してたけど
今回も魅せられました。これが、泣けてくるほど素晴らしいと言うのでしょうか・・・
主人公は、彼?っていうくらい!!

回想シーンと現在とが、相当こまぎれに切り替わるので、
時間軸がもうハチャメチャ、もうついて行くのが大変だった。
この細切れパズル効果は緊迫感を出してたし、
映画が終わってみれば疑問はほとんど残らないので
納得です

イニャリトゥ監督は、
「死すべき者は死せよ。生きるべき者は生き続けよ」
というメッセージを観客に送ってくる映画

ナオミ・ワッツの演技も良かった
子供と夫を失う場面では胸が詰まる・・・
あたしも彼女のようになってしまうだろうと
重ね合わせてしまったりもした

ショーン・ペンは大学教授役なんだけど
大学教授には見えなくて・・・困った・・・
なんだか、キャラ・・・違う?

重い映画・・・だけど

でも

もう一度見てみたい・・・