たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 山辺皇女10

2019-06-20 09:38:29 | 日記
大津さまが伊勢から戻られた夜、私たちは本当の夫婦となった。

大津さまはためらいもなく私の腕を引き寄せられた。

私は、大津さまのあの広い胸と逞しい腕の中に身を委ねた。

幸せだった。

夜が明けないことを祈りつつ。

紫水晶の勾玉を大津さまがくださった。

「姉上がそなたに翡翠か紅珊瑚が良いのではないかと仰言ったが、我はこの儚い紫がそなたに似合うと思った。白い肌に映えるのが見たかった。」
大津さまが紫水晶の勾玉を眺め仰言った。

「伊勢でも私のことを。」

「心配をかけ申し訳なかった。そなたを大切にしていく。」

思わず涙が溢れてしまった。

「また、そなたを泣かしてしまったか。」と大津さまは抱きしめてくださった。

「しあわせで、どうしていいのかわからないのでございます。本当です。」と大津さまの肩に顔を乗せ言うと、大津さまは「我のことでいっぱい不安にさせいっぱい我慢させた涙だな。許せ。」と大津さまは仰言うせになり唇で涙を拭ってくださった。

大津さまは、斎宮である大伯さまが一番大切なのは愚かな私でもわかる。

でも私は、大津さまのこの愛情を頼りに生きていく、私は大津さまを愛し生きていく。

私の心は本当に満たされていたわ。

本当にしあわせな日々が過ぎていった。

そんなおり、皇后さまが倒れると言う一大事が起こった。

異母姉でもあり、大津さまの叔母であり義母さま。

いつも気にかけてくださるお優しい皇后さま。
多くの妃をもつ大津さまの父さまで天武天皇さまの第一妃。

お見舞いに行くと苦しそうな息遣いでよう参られた、と仰言って下さったわ。

隣には狼狽した天武天皇さまがおられた。飛鳥浄御原の政治にならなくてはならない無二の皇后さま。

皇后さまの善快を祈願にと天武天皇さまは薬師寺を建立を発願された。

また何を思われたのか、草壁皇子さまが病気平癒祈願に伊勢に降られたわ。

本当に行きたいのは大津さまではなかったのかしら。

我が背子 大津皇子 山辺皇女9

2019-06-15 20:20:11 | 日記
モトとフキとで斎宮さまのお加減が少しでも早く良くなることを祈り白い絹糸で布を織っていた。

雨の音と織り機の音だけが部屋にひびく。

雨の日は出かける用事もなくなるため女官達も手伝ってくれる。

大津さまが早くお戻りになるよう…太陽の光の我が皇祖神に嫁がれた大津さまの姉上斎王さまに雨の降るなか私は回復を祈り斎宮さまのために祈り布を織っている。

モトが「もう少しです、山辺皇女さま。」と可愛らしい笑顔で答えた。フキも横で満足そうに頷いていた。

「ありがとう、モト。フキ。これで大津さまの大切な姉上さまも喜ばれると思うわ。」

西の空を見上げるときれいな夕暮れが広がっていた。

「明日は晴れると、お百姓らも喜ぶわ。」と言うと女官達が笑い「山辺皇女さまも大津さまのようなことを仰言っておられますね。さすが大津妃さまですわ。いつも民をお気にかけておられる。」と言った。

知らずに大津さまのお考え、お思い、念が一緒なら嬉しいと思ったわ。

「早く逢いたい、大津さま。」と東の空に念じたの。

すると信じられないことに道作らを率いて騎馬された大津さまが三輪山を背にお戻りになられたの。

「山辺、戻ったぞ。姉上は善快されたぞ。」とそう仰言って下馬されて私を抱きしめられたの。

あの大津さまが。

「明日参内する。腹が減った。湯浴みもしたい。頼む。」いつにない大津さまの笑顔、朗らかなご気性を語るような奔放なお願いを申されたの。

このお方は何かを吹っ切られた…私は単純にそう感じたの。

私に素直な思いを伝えてくださることが私への愛情…そう思っていたわ。

我が背子 大津皇子 山辺皇女8

2019-06-06 21:07:44 | 日記
「山辺、喜ぶがよい大津から伊勢より天皇へ言伝があった。斎王は快復に向かっていると。ただ油断は禁物としてもうしばらく大津は滞在するそうじゃ。」と皇后さまは仰言った。

「よろしゅうございました。」と申し上げると「寂しいか。」と皇后はお尋ねになられた。

「確かに寂しゅうはございますが、大津さまが安堵なされているのならそれも嬉しゅうことでありますに。」

皇后さまは私と異母姉。こうして訳語田の舎にお訪ねくださった。どうしてこの方は堂々とされておられるのだろう…夫、天武天皇が妃をいくら娶ろうとも泰然としておられる。

「山辺にも息災で留守を頼むと、あるぞ。伊勢からも大津はそなたを案じておる。そなたは幸せものじゃな。」皇后は涼やかな眼差しで私を見つめられた。

「ありがとう存じます。」叩頭した。

「そなたは采女の石川の娘大名児を存じておるか。」と皇后が突如仰言った。

どこまで話して良いか計りかねてしまった。

「噂はかねがね…」

「草壁の独り相撲じゃ。ただ想いびとはいるそうじゃ。」

皇后さまは草壁皇子がここに参られたのをもうご存知なのかしらと不思議に思った。

「山辺、大津は夫天武と違いそなたしか妃がおらぬ。皇統を守るよう…そなたには不本意かもしれぬが他に妃を娶っても毅然とな…その覚悟は必要ぞ。」私を見つめ仰言った。

皇后さまにはあの草壁皇子がおられるのに。父、天智天皇であれば政敵は容赦なく…なのに。私たちに気遣ってくださる。

それにしても皇后さまは寂しさの中にも凛と立っておいでなのだ。
夫と朝政を進めていくことで無二の存在であり続けるから私は泰然としておいでだと感じたのかもしれない。

私は大津さまを想うだけで満足であるし、大津さまも、我が妃よと仰言ってくださった。

それで充分だったわ。

我が背子 大津皇子 山辺皇女7

2019-06-02 21:48:43 | 日記
訳語田の舎で私は待っているだけなのと悲しくて、寂しくてやっと大津さまと心で繋がっているように思えたのに、また大きな力に私は抗えないまま大津さまのお心の繋がりを断たれたように感じて…今までにないわがままを初めて言ったわ。


「私も伊勢に連れて行ってくださいませんか。斎王…大伯皇女さまは私の憧れでございました。近江の宮でも一番美しい女性になると皆口を揃え申しておりました。あなた様の姉上…一度でいい、お会いしたいと思っておりました。」と。

「今回は急ぎ参らなくてはならぬ。勅使でもある。今生で姉上に会えるかどうかの状況なのだ。
道なき道を精錬した舎人らと参る。聞き分けておくれ。」大津さまは心の動揺を抑え私を説得なさったけれど私は大津さまとの繋がりがなくなってしまうと必死だった。

「嫌です。あなたさまは伊勢から戻られぬ気がいたします。私のようなものでも感じています。私を忘れ…いえ、いまでもあなたさまにとって私など必要とされてない。」

「必要と思うておる。わかってほしい。」と大津さまは苦渋に満ちた表情で仰言った。

私は激情のまま「先日、あなたさまの留守に草壁皇子がこの訳語田の舎に立ち寄られました。あなたさまが采女の石川の娘女、大名児に声をかけている、私に夫を大切にしていただかないと草壁皇子は困ると仰せになりました。草壁皇子はその采女をたいそう気にされておりいずれ自分の妃の一人にされたいそうなのです。ですから…」と今思えば恥ずかしいことを言ったわ。

「根も葉もない…嘘だ。そなたしか我は必要ではない。そなたが我を信用してくれないと困る。」


大津さまは私を引き寄せ「必ず戻る。」と抱きしめてくださった。またこの広い胸に帰れたことが嬉しかった。

大津さまは私の髪に鼻孔、唇を当て「我が妃ぞ。」と仰っ言った。

「誠にございますか。」

「大名児のことは知ってはいる。しかし草壁のやっかみだ。そなたを迎えたのだ。我は姉上とこの大和と伊勢で引き離され我はそなたがいることで孤独からようやく解き放たれていたのだぞ。戻らぬわけがない。心の繋がりがないのに我の寵愛を得て功名心を望む女人と戯れたとて虚しいことがわかった。

そなたは夫婦の契りがないことに不安を感じているが、我の母大田皇女は若くして姉上を産み、産後の肥立ちも良くないまま我を生み若くして亡くなった。そなたが万が一我の子を身籠り母のような運命を辿るとしたら我はどうすれば良いのだ。また我は我が産まれたことを悔やまねばならぬのか。正直言う。怖いのじゃ。今度は姉上か…そなたか…我は我の生があることで周りを不幸にしているのではないかと…」

「申し訳ございません。唯一の姉上さまが苦しんでおられ、あなたさまがどんなにご心配されているかを今見ているというのに。」と言った。

「この訳語田の舎の留守は引き受けてくれるな。そなたの香具山の邸もここのところ留守にさせているが…草壁などの戯言に惑わされず。我が妃よ。」と大津さまはにっこり笑われえくぼが愛おしく「あなたさましか信じませぬ。私は身体だけが丈夫なのが取り柄。あなたさまを不幸になどいたしませぬ。」と私もつられて笑顔で答えたわ。

すぐ大津さまは礪杵道作と腕のたつ舎人3人で伊勢へと旅立たれた。
大津さまは一度振り返られ私に手を振ってくださった。
私は大津さまたちの姿が見えなくなるまで手を振り大津さまと義姉上の無事を祈ったわ。

我が背子 大津皇子 山辺皇女 6

2019-06-02 14:15:53 | 日記
児たちのことを私が受け入れると無邪気に大津さまは私を抱きしめてくださったけれど、大津さまの大きな胸に安心と不安を感じてしまった。

私にはこの胸に抱かれ安穏が約束されているという未来への希望が安心であり、不安は大津さまの得体の知れないお気持ちなのかもしれない。私が感じる大津さまの孤独。

今宵も、大津さまと同じ部屋で眠る…大津さまは、いろんな女人と浮名を流したと義兄の川嶋皇子から聞いたこともあったけれど本当かしら…

川嶋の義兄や高市皇子さまと狩りにお出かけになるくらい。

ほとんどは朝政に関わっておられる。

時に不安な表情で東の空を見上げられる。

しばらくしてモト、フキという女児に機織りを私が教えるようになると、大津さまはとても嬉しそうな表情でその様子をご覧になっていたわ。

「そなたの活き活きとした表情は本当に安心する。」そう大津さまは仰言った。

嬉しくもあったけれど、大津さまの妻として妃としてこれでいいのかしらという複雑な想いもした。
私が大津さまを必要としているように大津さまは私を必要としてくださっているのかしら。

モトとフキは物覚えもよく丁寧な作業をしてびっくりしたわ。

まるで砂が水を吸うように、素直なの。

こんなにも可愛いらしい児らが飢えて死んでしまうことが隣り合わせだったなんて…私はとんだ世間知らずだった。
大津さまが与えてくださったしあわせ。
女官たちとも薬草や野花摘みに行ったり、女官たちにも可愛がられ、そのなかでモトとフキは序列も学んでいた。

そんなある日、大津さまが血相を変え「今から伊勢に行く。勅使だ。姉上が肺の臓の病で高熱を出し病んでいる…見舞って来いと…急ぎ道作と行く。ここの留守を守っておくれ。」と仰言った。