たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子59

2019-04-22 21:10:12 | 日記
大津から何の連絡もなく大伯は焦燥感が増し乳母に「こちらも飛鳥浄御原に参らぬか。」と相談した。

乳母は大伯の苛立ちに驚き斎宮様ゆえの勘の鋭さかとも感じ「大津さまは3日待って欲しいと仰せになられましたが斎宮さまが是非にと仰言っるのであれば斎宮で腕の立つ舎人と話しましょう。」と準備を整えた。

大伯は乳母と5人ほどの舎人を従え飛鳥浄御原に向かった。関に向かい一気に飛鳥浄御原を目指すという大津よりは少々遠回りも正規な道であった。

夕刻に差し掛かり近くの国司の邸で休むことになったと乳母が伝えてきた。
「明日、陽が明るいうちに飛鳥に着きます。今宵はゆっくりして明日に備えましょう。」

明日か…「我ももう伊勢には戻れない…長かったのか短かったのかはわからぬ。大津が伊勢に来て無色な世界が生きとし生ける世界の色になった。飛鳥浄御原で我は何を見るのであろう。大津の妻としてたち振る舞えるのであろうか。大津…無事なのであろうか。何故そんな気持ちに襲われるのであろう。」と暗澹たる思いをし馬の鬣を撫ぜていた。
風が西から吹いた。「姉上」と大津の声がした。
風の方向を見たが誰もいなかった。何故…あまりに大津を思い過ぎて空耳を聞くなど気でも狂うたかとふと冷静になって大伯は自嘲していた。

国司が丁重に迎え部屋に通された。一人きりになったが先ほどの大津の声がまた聞こえてきた。
「大伯…我は大伯を想い幸せだった。ただ想う…それでよかった。背伸びをしてしまった。」
大津…どうしたの。我は何故そなたの声を近くに感じるの。今までになかったこと…どうしてなの。
眠れない不安な一夜を過ごし飛鳥浄御原を目指し出立した。

石上神宮のそばを通り過ぎ三輪山が遠くに見えた。

「大伯さま!」乳母が息石しながら大伯に近寄った。

不吉な予感がした。「大津の身に何かあったのですか。」咄嗟にに口にしてしまった。

乳母は取り乱し「大津さまが謀反を企てた…と。昨日死を賜わったと。」と大伯に伝えた。
大伯は激しく馬の手綱を叩きつけ馬を走らせた。

乳母は舎人に「早く、斎宮さまを追いかけて!」と言うと舎人が大伯の後を追いかけた。

大伯の馬が途中でいなび声を出して止まってしまった。
この時の様子を大伯は詠んでいる。

見まく欲(ほ)りわがする君もあらなくに なにしか来けむ馬疲るるに

万葉集に収められている。