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還暦おやじの洋楽日記

海辺の昼下がり / 渡辺真知子

70年代後半は歌謡曲とニューミュージック(この言葉は好きではないので、以降はロック/ポップスと称する)との垣根が取り払われていった時代だった。歌謡曲のアイドルがロック/ポップス系ミュージシャンの提供した曲を歌ったり、ロック/ポップス系の歌手がテレビの歌番組に出演し始めたのはこの頃からだ。渡辺真知子やサザンなんかもデビュー当初から「ザ・ベストテン」とかに積極的に出ていたが、歌謡曲とロック/ポップスのちょうど中間を狙ったような楽曲と歌唱を携えての渡辺真知子のデビューは、サザンに負けず劣らず鮮烈だった。

ほどなくリリースされたファーストアルバムの出来も良かった。但し、僕は明るく熱唱する渡辺真知子よりも、少し陰翳があってアンニュイな渡辺真知子のほうが好きだったのだが、アルバム収録曲のいくつかの歌詞やアレンジに如何にも歌謡曲然としたものがあって、その点はちょっと不満だった。けれども、その後の路線は益々歌謡曲寄りになってしまった感があり、徐々に興味をなくしてしまった。
この曲は70年代末に発表された4枚目のアルバム「メモリーズ」に収録。

 まどろみの中 心委ねて 冬の入り江にひとり
 海を見てる 午後の昼下り
 淡い光に くすぐる風に 思わず目を細めて
 時の中を遊ぶ私

 打ち寄せる波に 素足からませて
 少女の私が 波間を駆けぬけてゆく
 キラリキラキラキラ 思い出のかけらが
 海の彼方に きらりと消えた

 海の蒼さと 空の蒼さが お互いに溶け合って
 水平線 わすれた絵のよう
 白いヨットが ちりばめられた光にかくれながら
 海鳥たちと たわむれる

 やわらかな陽ざし 背中で受けとめて
 いつしか私は ちがう世界夢見てる
 ゆらりゆらゆらゆら うつろなひとときに
 近く訪れる 春を感じる

絵画的な歌詞と叙情的なメロディがとても良い。静寂な海の情景を描いた歌としてユーミンの「海を見ていた午後」に匹敵する名曲じゃないかと思う。
アルバム自体はシングルとなった「季節の翳りに」をはじめブンチャカした歌謡曲調の曲が多くて、ちょっと趣味じゃなかった。アレンジに拠るところが大きいのだろうけど、今それらの曲を聴くと見事に陳腐化している。だから、渡辺真知子もこういう曲のような路線を続けていてくれたらなあ、と勝手に惜しむのだ。ただ、以前に読んだ新聞だか雑誌のインタビュー記事によると、ご本人は「ガハハ」という感じの底抜けに明るいキャラクターらしいので、これはきっと独りよがりの感想なんだろうけど。

(かみ)

コメント一覧

牢屋壮一(評論家)。
ここで取り上げられている渡辺真知子の『海辺の昼下り』について。
 評論家の『宇屋壮一』です。ここで取り上げられている渡辺真知子の『海辺の昼下り』と言う曲ですが、実は私(牢屋壮一)もこの曲(海辺の昼下り)が大好きです。
 この文章(本文)にも書いてある通り、改めて言うまでもなくこの曲(海辺の昼下り)は彼女(渡辺真知子)の『メモリーズ』と言う3枚目か4枚目のオリジナルアルバムに収録されている曲であり彼女の大ヒット曲である『唇よ、熱く君を語れ』のB面に収録されている曲です。
 私(牢屋壮一)がこの曲(海辺の昼下り)の存在を初めて知ったのは彼女のアルバムである『メモリーズ』のCDを聴いてからです。それまでは全く知りませんでした。
 この曲(海辺の昼下り)の魅力は何と言ってもその幻想的なサウンドと言うかアレンジ(編曲)にあると私は思っています。CDプレーヤーを『リピートモード』にして何度も何回も繰り返し聴いても本当に飽きない幻想的なサウンドだと私(牢屋壮一)は思っています。彼女の大ヒットシングル曲であるA面の『唇よ、熱く君を語れ』とB面に収録されていたこの『海辺の昼下り』のどちらを評価するか、と問われたら私は躊躇する事なくこの『海辺の昼下り』に軍配を上げます。
(因みに蛇足ながらこの『海辺の昼下り』のアレンジは船山基紀である事は言うまでもありません)。
 以上です。
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