還暦おやじの洋楽日記

中国語のK音の変化について

以下は自分用のおぼえがき程度の話だが、もしかしたら誰かの役に立つことがあるかも知れないので掲載してみた。

このブログを開設した十数年前は中国に赴任していた。正確に言うと香港に住んで深圳で仕事をしていたのだが、そのときに生まれて初めて中国語と向き合うことになった。と言っても、職場には通訳兼任の現地スタッフがいたため仕事で中国語を使う必要は殆どなく、もっぱら日常生活で用を足すための必要最低限の中国語しか身に付かなかった。だから中国語のレベルはせいぜい幼稚園児程度。そのまま日本に帰任して現在に至る。
ちょうど中国にいた頃、高島俊男の本をよく読んでいた。高島俊男は「水滸伝と日本人」「本が好き、悪口言うのはもっと好き」「お言葉ですが…」「漢字と日本人」等、中国文学や漢字または日本語に関する数多くの著作がある中国文学者。残念ながら昨年亡くなってしまったが。
で、そういう書物を読んでいたせいもあり、現代中国の漢字(簡体字・繁体字)と日本の漢字との違いにとても興味を覚えた。そんなことに拘泥せず、聞くことと話すことにもっと集中して学習していれば、もう少し中国語のレベルは上がったろうに。

日本人にとって中国語を学ぶ最大のアドバンテージは漢字という共通の文字が使われていることであるが、同じ漢字でも日本語と現代中国語では発音(字音)がかなり違うことが最初の困惑だった。いや、そもそも日本語の漢字の音読みは千年以上昔の中国語の発音を日本語の発音に当てはめたもの。細かく言うと、仏教伝来期に華南地方から百済経由で伝わった呉音と、遣隋使・遣唐使の時代に長安から伝わった漢音に分かれるが、そのような古い時代から現代に至るまでの長い時間を経て、日本語も中国語もそれぞれ字音が変化していったのは当然だろう。特に中国の場合は文字は統一されていても喋る言葉は地方によってバラバラだから(それこそ香港の公用語である広東語と中国語の字音が全然違うように)、王朝の変遷とともに変化の度合いが激しかっただろうことは想像がつく。

そうやって困惑しながらも漢字ひとつひとつの字音を覚えていったのだが、日本語の音読みでK音(カ行)で始まる漢字の多くが中国語の字音と甚だしく異なることに気が付いた。たとえばこんな具合(カッコ内のカタカナ読みはわりといい加減です)。

 華 hua(ホア) 加 jia(ジャー) 夏 xia(シャー)
 海 hai(ハイ) 会 hui(ホイ) 回 hui(ホイ)
 解 jie(ジェ) 確 que(チュエ) 間 jian(ジェン) 漢 han(ハン)
 気 qi(チ) 機 ji(ジ) 記 ji(ジ) 期 qi(チ)
 器 qi(チ) 奇 qi(チ) 基 ji(ジ) 希 xi(シ)
 九 jiu(ジュー) 急 ji(ジ) 球 qiu(チュー)
 教 jiao(ジャオ) 強 qiang(チャン) 金 jin(ジン) 近 jin(ジン)
 区 qu(チュ) 軽 qing(チン) 景 jing(ジン) 系 xi(シ)
 決 jue(ジェ) 結 jie(ジェ) 健 jien(ジェン) 見 jian(ジェン)
 湖 hu(フ) 交 jiao(ジャオ)

逆に、日本語のK音で始まる漢字で、中国語もK音で始まる漢字は
 開 kai(カイ) 看 kan(カン) 考 kao(カオ)
 科 ke(カ) 可 ke(カ) 口 kou(コウ) 苦 ku(ク) 快 kuai(クヮイ)
ぐらいで、なにしろK音で始まる中国語の漢字自体が日本語に比べて非常に少ない。

どうしてこのような変化が生じたのかずっと不思議だったが、それまで読んだ高島俊男の本のどれかに「数百年前にK音が変化した」みたいなことは書かれていたものの、それがどういう原因でどのように起きたのかまでは書かれていなかった(全ての著作を読んだ訳ではなく、自分が読んだ範囲での話です)。
ところが先日、司馬遼太郎の本を読んでいたら、以下の記述を見つけた。

「清は北京に都し、三百年ちかくつづいた。この王朝の主体は異民族で、東北地方(満洲)の満洲ツングース民族(女真族)であり、その言葉は中国語とまったく異なるアルタイ語族に属する。このため、その発音癖が、中国語(とくに北京語)におよぼした影響は、深刻だったはずである。日本の東北地方で『今日』というのを『チョウ』といったりする地方があるが、満洲ツングース族もK発音ができなかった。」(「街道をゆく第25巻 中国・閩のみち」より)

嗚呼、目からウロコ。なるほどK音をうまく発音できない満洲族が天下を取ったために、朝廷で使われる言葉が変化したのだ。おそらく上記リストのうち、Q音(チ)J音(ジ)X音(シ)に変化した原因はきっとこれだろうな。H音に変化するのはちょっと飛躍がありそうなので、これはまた別の原因に拠るのかも知れない(韓国語のK音もH音に変化しているので、もっと古い時代に変化したのではないか)。
中国語のことを「マンダリン」とも呼ぶが、マンダリンとは官僚のこと(”満洲里”からの転訛とも聞いた)。清朝廷で満州族の官僚が使っていた言葉が外国人から見た中国語となり、それが標準語とされた。そしてラジオ・テレビの普及と並行して国家が統一的な教育を行なった結果、現代の中国語が出来上がったのであろう。長年の胸のつかえが少し取れたような気がする。

でもK音に関する不思議なことはまだ残っていて、それは地名。外国の名前は基本的に当て字なのだが、
 カナダ 加拿大 jianada(ジャーナダ)
 シンガポール 新加坡 xinjiapo(シンジャーポー)
 ギリシャ 希腊 xila(シラ)
なんてのは明らかにK音が変化する前に当て字がなされたと思われる。それは明代以前の話なのか(でも明代にカナダやシンガポールはまだなかったよね)、それとも貿易港があった広州か福州あたりの言葉で命名されたのか。

こういうのを音韻学というそうで、きっとこういう疑問に答える学術論文とか専門書は既に存在するのだろうな。でも素人にも読み下せるような書物は出ていないのかしらん。もしあったら是非買って読みたい。碩学の高島俊男氏なら知っていただろうから、存命ならば書いてほしかったのだが。

(かみ)
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