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完璧にサボりモード。。

22番のおもひで

2006-01-26 14:57:00 | アルビ徒然
前々から書いているが、レプユニに22番を付けている。
ほっかもが入団してから買ったユニだが、ほっかもメインで付けた訳ではない。
そりゃ“貴之”繋がりって事も若干は汲んではいますけどね。
メインは“田淵幸一”からです。
田淵幸一の詳しい事は、そのうちにネタ切れ企画『虎戦士列伝』にでも書きますわ。
そんな関係で、学生時代のソフトボール部のユニも22番でした。
しかし、私はソフトボール部としてソフトボールの試合をしたことが無い。
野球はしたけどね。
ちなみに、剣道部・日本酒文化研究会・二輪サークル『ぶれいく・うぃんど~』にも所属していました。
てな事で、22番にはアルビ抜きでも愛着が有るのよん。
野球では昔はキャッチャー番号だったのに、最近はピッチャー番号になっていて少し違和感が有るっす。

過去のアルビの22番で一番思い出に残っているのは地域リーグ時代のGK、“玉田真人”だったりする。
当時はスタジアム(市陸って言うよりサンスポーツランド新津のイメージが強い)に行く事も無かったので、実際のプレーどころか本人自体を見た事が無いんですけどね。

玉田真人(GK)
97年(北信越リーグ)
大宮東高校出身。サンフレッチェ広島からのレンタル。
広島には日本代表の前川や下田といったGKが居た為に修行に出される。
しかし、新潟にも浜野という絶対的な守護神が居た為に控えに甘んじ、数試合に出場しただけで御返却となる。
返却を受けた広島は即解雇。
当時は今以上に新潟は育成下手だったのよん。
新潟に来る時に『将来、日の丸を付ける事が出来る素質』と言われ期待したものだ。
しかし、どうもピークは高校時代だったらしい。
決勝大会か何かに出場した時の映像を見て 、『ダメだコリャ!』と思ってしまったのを覚えている。
ハッキリとは覚えていないのだが、たしかハイボールの処理に難があり、そのおかげで安定感に欠てたんだと思ったけど、違ったかな?
昨年5月まで関東リーグのルミノッソ狭山に居たのは判明したんだが、その後はどうなったんだろう?
今年30歳なので、まだまだ現役でやれる年齢なんですけど。

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