おやじの○○ギャラリー

見て、聞いて、参加して、楽しんで、苦労して栽培して今日も盛りだくさん。

初詣

2020-01-01 | 伝統行事

昨夜のテレビ放送「紅白歌合戦」も終わり、近所のお寺の「除夜の鐘」が聞こえてくるころに、我が地元の氏神様「福町神明宮」に新年を迎えお参りに行ってきました、お天気が心配でしたが12時すぎには雨も雪も降らず徒歩で行ってきました。


大晦日の仕事

2019-12-31 | 伝統行事

一年の終わり大晦日、明日はお正月・・令和二年の年明け、我が家でもお正月を迎える準備をしました。

毎年同じ準備をしますが私的には何時も新鮮な感じを受けながら準備をしています。

お正月の飾り、富山県だけの「天神様」福井県にもあると聞いています、神棚、仏壇、お店、事務所等に「おもち」のお飾りをします。

我が家は準備完了、これでお正月を迎えます。


バレンタイン

2019-02-17 | 伝統行事

 13日、朝から宅急便が数回我が家の玄関に・・・・・・子供たちや家族からの贈り物「バレンタイン」チョコレートだ!

最近は梱包やラッピングの豪華なこと オドロキ でも嬉しくなりました、ゆっくりと味わいたいと思います。


小矢部市の獅子祭り

2018-05-27 | 伝統行事

富山県小矢部市に伝わる「獅子舞」・・・福三新橋祇園獅子の一日の様子。

26~27日の2日間、富山県小矢部市の旧石動町の「獅子祭り」でした、私の住む町内も

参加しておりました。

威徳天神獅子舞祭りは富山県小矢部市(旧石動町)に400年以上の伝統を持ち、今も保存・伝承されている貴重な民族芸能である獅子舞です。旧石動町に各町内に32の獅子舞が伝わっています、各町内には独特のバラエティに富んだ特異な形の獅子舞が舞います。小矢部市の獅子は「百足獅子」で大きく重い獅子頭、弓形の竹を張った長い胴幕(かや)、それは百足のように見える勇壮な獅子です。5月の獅子舞祭り(獅子舞盆)には各町内の獅子が繰り出し、観音寺(小矢部市観音町)・福町神明宮(小矢部市西福町)に演舞を奉納し、その後旧石動各町内に繰り出し獅子の囃子が響きわたり、それとともに勇壮な舞が見られます。獅子舞祭り当日にこれだけ多くの獅子舞が見られるのは小矢部市(旧石動町)が日本一だと思います。

町内巡行前に地元「福町神明宮」に巡行の安全祈願し出発します。


福三新橋祇園獅子

2018-05-27 | 伝統行事

26~27日の2日間、富山県小矢部市の旧石動町の「獅子祭り」でした、私の住む町内も

参加しておりました。

威徳天神獅子舞祭りは富山県小矢部市(旧石動町)に400年以上の伝統を持ち、今も保存・伝承されている貴重な民族芸能である獅子舞です。旧石動町に各町内に32の獅子舞が伝わっています、各町内には独特のバラエティに富んだ特異な形の獅子舞が舞います。小矢部市の獅子は「百足獅子」で大きく重い獅子頭、弓形の竹を張った長い胴幕(かや)、それは百足のように見える勇壮な獅子です。5月の獅子舞祭り(獅子舞盆)には各町内の獅子が繰り出し、観音寺(小矢部市観音町)・福町神明宮(小矢部市西福町)に演舞を奉納し、その後旧石動各町内に繰り出し獅子の囃子が響きわたり、それとともに勇壮な舞が見られます。獅子舞祭り当日にこれだけ多くの獅子舞が見られるのは小矢部市(旧石動町)が日本一だと思います。

町内巡行前に地元「福町神明宮」に巡行の安全祈願し出発します。

 

 


ひな祭り

2018-02-23 | 伝統行事

 ひな祭りの歴史 

 ひな祭りは、古くは「上巳の節句」「弥生の節句」などの呼び名があり、五節句(「人日」「上巳」「端午」「七夕」)の一つにあたります。女の子がいる家ではこの時期にひな人形を飾り、白酒や桃の花を供えてお祝いします。

 ひな祭りの起源は中国までさかのぼれるとされています。昔、漢の時代の徐肇(じょちょう)という男おり、3人の女児をもうけたにも関わらず、3人とも3日以内に死んでしまいました。その嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされています。それが平安時代になると、「上巳の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、自分の身に降りかかる災難を自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川に流しました。この厄払い様子は今でも下鴨神社で行われる「流しびな」の行事に再現されています。

 この紙のひな人形が発展し、現在の豪華なひな人形になったとされています。また、ひな壇を設けるようになったのは、江戸中期からだそうで、それまでは畳に直にじゅうたんを敷き、人形や調度を飾っていたとか。

以上引用

我が家の雛人形

 


天神様

2018-01-30 | 伝統行事

25日は天神様が山にお帰りになる日と昔から言い伝えてきました、昨夜はごちそうとお酒をお供えしてお送りしました。天神様は富山、福井などに伝えられている風習です。

平安時代から鎌倉時代にかけては王城鎮護の役割を果たすほか、慈悲の神、正直の神として信仰を受けるようになりました。
江戸時代に入ると道真公が優れた学者、歌人であり、弓の腕前も百発百中と文武両道の人であったことから「習い事の神」「学問の神」として広く知られるよう になり、当時町人などが通う学習塾のようなものであった「寺子屋」で盛んに信仰されるようになりました。
当時、寺子屋では正月の初天神には天神講の行事が行われ、毎月25日には寺子と親が
師匠(先生)の家で会食し近くの天神社へお参りをするのが習わしであったともいわれます。
一説には道真公は6月25日のお生まれ、2月25日が命日とされ、25日は天神様の縁日として例祭を行う神社が多く、特に1月25日の「始め天神」、12月25日の「終い天神」が有名です。
ちなみに富山の天神様としては富山市の於保多神社(柳町天満宮)の例祭が、やはり5月25日に行われています。
もともとの天神、火雷神は天候をつかさどる農耕の守護神であったことから、全国に数多く祀られており、しだいにその多くが道真公を祀る神社となっていきました。
天満宮、天満神社、北野神社、菅原神社、天神社等の名称で九州から西日本を中心にその数は一万社を数えるとも言われます。
全国各所に天神様をお祀りする風習があり、その中でも富山県、福井県では男子が生まれると天神像(掛軸や木彫)などを贈り、正月に床の間に飾り天神様をお迎えする。
各地の風習については諸説ありますが、富山県、福井県の風習については幕末の福井藩主、松平春嶽(慶永)が教育熱心であり天神信仰を領民に推奨し、それを富山の売薬が地元へ持ち帰って広めたとする説が有力とされています。
両県とも、天神信仰が地域に根付き大切にされてきたことが、現在でも教育熱心な県として知られるその礎になってきたとも考えられています。

 


初詣

2018-01-01 | 伝統行事

午前0時、小雨の降る中地元の「福町神明宮」へ初詣に行ってきました、例年同じ時刻に御参りしその後家に帰って「今夜もさだまさし」を見て夜を明かします。

地元及び近郊の消防団の皆様がお参りに来ておられ大賑わいでした。、

午前10時に再度訪れて祝詞をあげて頂き「家内安全」「商売繁盛」を祈願しお参りします。

 


天神様

2018-01-01 | 伝統行事

我が家では、お正月を迎えるのに「天神様」を飾ります。「天神様」の風習はずーと昔からあるもので我が家では私の天神様は軸で、息子の天神様は彫刻の町井波で作られた木彫りの「天神様」です。以下引用・・・・・

北陸福井県富山県では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛軸)を飾る。福井の一部地域では1月25日カレイを供える風習がある。この掛軸などは、母方の実家から送られる。これは幕末の頃に教育に熱心であった福井藩藩主松平春嶽が領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山の薬売りが広めたという説がある。また、富山藩加賀藩石川県)など前田氏の他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった。金沢市には正月に天神と複数の従者の木像を飾る風習が昭和30年代まで見られた。前田家菅原氏の出を称しており、その領内には天神社・天満宮が他地域に比べて大変多い。前田家の家紋が天神の神紋と同じ梅鉢紋であるのも、先祖が菅原氏であるためとされる。ちなみに前田家の家紋は「剣梅鉢」(加賀梅鉢)と呼ばれている。

我が家では床の間に「天神様」を飾ってようやくお正月を迎えます、この飾りは1月の25日までつづけ25日にはお料理の御膳を用意し「天神様」を山へ送ると昔から聞いております。