おやじの○○ギャラリー

見て、聞いて、参加して、楽しんで、苦労して栽培して今日も盛りだくさん。

お正月を迎え

2022-01-01 | 伝統行事

2022年新年を迎えました、今年は例年より寒さの厳しいお正月です昨年末からの寒波で積雪もあります。

我が家は例年変わることなく年末にお正月の準備を行い新年を迎えました・・・・・・

蔵の中から新年を迎えるための道具や「天神様」そしてお飾り等を運び出し準備をしました・・・・・・

 


今日は「ひな祭り」

2021-03-03 | 伝統行事

                                      

      

今日は「ひな祭り」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ひな祭りの由来は「五節句」のひとつ「上巳」

ひな祭りの由来は中国から伝わった「五節句」という行事のひとつ「上巳」。

季節の節目を意味する「節」のころは、昔から邪気が入りやすいとされていました。

五節句のひとつ上巳には、中国では川で身を清める習慣がありましたが、日本では紙などで作った人形で自分の体を撫でて穢れを移し川に流すことで邪気祓いをする行事として広がっていきました。人形を流して邪気をはらうこの風習が、現在でも残るひな祭りの行事「流し雛」のルーツと言われています。

《五節句》

  • ・1月7日の「人日(七草がゆ)」
  • ・3月3日の「上巳(桃の節句)」
  • ・5月5日の「端午(菖蒲の節句)」
  • ・7月7日の「七夕(星祭)」
  • ・9月9日の「重陽(菊の節句)」

                  

 


我が家の雛人形

2021-02-28 | 伝統行事

          

我が家でも「ひな祭り」に向け雛人形を飾りました、例年ですと2月の初旬に飾りますが今年は遅れて蔵から出して来ました。

お正月の「天神様」、3月の節句ひな祭りの「雛人形」、5月の節句こどもの日の「五月人形」季節ごとの書く人形の飾りつけ、昔ながらの行事・・・・・・・・・・・・

【七段飾り】        
一段目:男雛と女雛        
二段目:三人官女        
三段目:五人囃子(ごにんばやし)        
四段目:随身(ずいじん、ずいしん)        
五段目:仕丁(しちょう)        
六段目・七段目:お化粧箱や御所車、駕籠などの嫁入り道具        
        
もっとも豪華な飾り方です。全部で15人いるので十五人飾りとも呼ばれます。        
        
【五段飾り】        
三段目までは七段飾りと同じで、四段目に随身と仕丁、五段目に嫁入り道具を並べるのが一般的。これも十五人飾りのひとつです。        
        
【三段飾り】        
三段目の五人囃子までのタイプ。嫁入り道具も付いていて、五人囃子の周囲に並べられるようになっています。十人飾りとも呼ばれます。        
        
【親王飾り(二人飾り、二人雛)】        
男雛と女雛一対だけのもので、室町時代まではこれが普通だったとか。現代では飾るスペースの関係もあってニーズが高く、種類も豊富だそうです。        

平安時代、無病息災を願う行事を3月の初めの巳の日(みのひ)に行っていましたことから、ひな祭りは「上巳(じょうし)の節句」と呼ばれています。        
その頃、病気や災いから守るためのおまじないが、多く知れ渡っていました。そのひとつとして、「流し雛」があります。        
紙や草木などで人の形をしたものを作り、これで体を撫でることで、病気や災いをそれに移し、川に流す「巳の日の祓(みのひのはらい)」という儀式が3月3日に行われていました。これが「流し雛」と呼ばれる風習になり、お雛様の先祖になったと言われています。        
一方その頃、貴族のお姫様たちの間で、「ひいな遊び」と呼ばれるお人形遊びが流行していました。「ひいな」とは「小さくて可愛い」という意味です。雛鳥、ヒナギクなど可愛いものに使われます。ひいな遊びは、紙などで作った人形(ひとがた)と、身の回りの道具を模した玩具で遊んでいたようです。現代で言うところの「おままごと」のことでしょう。        
この遊びは、「源氏物語」や「枕草子」にも見られているので、興味がある方はチェックしてみてください。        
その後、「ひいな遊び」から「ひな遊び」に変わり、そして「ひな祭り」になったと言われています。        
「無病息災の儀式」と、「ひいな遊び」が長い間に結びつき、現代の「ひな祭り」になったのではないかと言われています。        
しかし、江戸時代になるまでは、現代のような華やかな人形を飾る行事ではなく、あくまでも祓いの行事でした。江戸時代初期に京都御所で雛祭りが催されたことをきっかけに、幕府の大奥で雛祭りを行うようになり、町民、地方へ広まったと言われています。        


今日は節分

2021-02-02 | 伝統行事

         

今日は節分、我が家も「豆まき」・・・・美味しい甘納豆を準備しました・・・・・・・・・

家の部屋から玄関まで「鬼は外」「福は内」・・・・・・・

         

    

「節分はいつかと聞かれたら、2月3日と答える人も多いでしょう。しかし、この日は固定ではなく、2021年には2月2日となります。3日でなくなるのは1984(昭和59)年2月4日以来37年ぶり、2日になるのは1897(明治30)年2月2日以来124年ぶりのことです。

節分は季節を分けるという意味の雑節(ざっせつ)で、本来は各季節の始まりである立春・立夏・立秋・立冬の前日それぞれを指すはずです。いまでいう『節分』は、そのうち立春の前日だけが残ったものとされています。つまり、立春が定まれば節分もその前日として定まるわけです」(国立天文台暦計算室)

         

    

 


天神講、我が家の思い出記録

2021-01-26 | 伝統行事

                  

我が家の天神講の思い出記録

昨日25日は「天神講」全国でも珍しい風習の行事です、近くでは福井県でも良く似た風習があり行われていると聞きます。

「天神講」「天神様」とは・・・・・・・

菅原道真は学識が高かったことから、学問の神様として信仰されています。      
天神様を飾り、お正月を迎えるのが富山の風習です。      
12月25日には、お鏡餅や御神酒を供えて飾ります。      
1月1日には、お雑煮とおせち等をお供えし、一家そろって二礼・二拍手・一礼し、      
無事に新年を迎えられたことに感謝し、今年も良い年でありますようにと祈り、      
子供は賢くなりますようにとお願いします。      
※1月2日には、天神様の前で書初めをすると、字が上手になるという言い伝えがあります。      
1月25日には、帰って頂きます。帰り道が混んでいると気の毒だからとか、      
早くかたづけないと席がなくなるとか言って、早朝にかたづけられる家もあります。      
帰られるときには尾頭付の魚や、かになどを添え、お供えします。      
天神様があることで、たくさんの人に愛されたんだと生い立ちに気づくこともあるでしょう。

 

我が家では昨夜「天神様」に料理とお酒をお供えし「天神様」をお送りしました。

2008. 1.25

2009. 1.25

2010/ 1.25

2011. 125

2012. 1.25

2013. 1.25

2014. 1.25

2015,. 1.25

2016. 1.25

2017. 1.25

2018. 1.25

2019. 1.25

                  

 


天 神 講

2021-01-26 | 伝統行事

              

        

昨日の25日は天神様が山にお帰りになる日と昔から言い伝えてきました、

我が家でも昨夜はごちそうとお酒をお供えしてお送りしました。

天神様は富山、福井などに伝えられている風習です。

平安時代から鎌倉時代にかけては王城鎮護の役割を果たすほか、慈悲の神、正直の神として信仰を受けるようになりました。
江戸時代に入ると道真公が優れた学者、歌人であり、弓の腕前も百発百中と文武両道の人であったことから「習い事の神」「学問の神」として広く知られるよう になり、当時町人などが通う学習塾のようなものであった「寺子屋」で盛んに信仰されるようになりました。
当時、寺子屋では正月の初天神には天神講の行事が行われ、毎月25日には寺子と親が
師匠(先生)の家で会食し近くの天神社へお参りをするのが習わしであったともいわれます。
一説には道真公は6月25日のお生まれ、2月25日が命日とされ、25日は天神様の縁日として例祭を行う神社が多く、特に1月25日の「始め天神」、12月25日の「終い天神」が有名です。
ちなみに富山の天神様としては富山市の於保多神社(柳町天満宮)の例祭が、やはり5月25日に行われています。
もともとの天神、火雷神は天候をつかさどる農耕の守護神であったことから、全国に数多く祀られており、しだいにその多くが道真公を祀る神社となっていきました。
天満宮、天満神社、北野神社、菅原神社、天神社等の名称で九州から西日本を中心にその数は一万社を数えるとも言われます。
全国各所に天神様をお祀りする風習があり、その中でも富山県、福井県では男子が生まれると天神像(掛軸や木彫)などを贈り、正月に床の間に飾り天神様をお迎えする。
各地の風習については諸説ありますが、富山県、福井県の風習については幕末の福井藩主、松平春嶽(慶永)が教育熱心であり天神信仰を領民に推奨し、それを富山の売薬が地元へ持ち帰って広めたとする説が有力とされています。
両県とも、天神信仰が地域に根付き大切にされてきたことが、現在でも教育熱心な県として知られるその礎になってきたとも考えられています。

          

      

    ビール、冷酒「山田錦」、おすし、富山湾の新鮮なお刺身・・・・・・

               

 


初  詣

2021-01-01 | 伝統行事

            

                     

昨夜、NHK『紅白歌合戦」終了後、屋外は猛吹雪、除夜の鐘が鳴り始めたころ私は例年と同じく初詣に出かける・・・・・・

深夜の雪道を地元の氏神様「福町神明宮」にむけて、吹雪の中御参りに・・・・・・

例年ですと深夜でも人の出があるのに、昨夜はお天気が悪いせいかお宮に行き着くまでに出会いがありませんでした・・・・・・・・・

お宮さんには、地元や近隣の消防団の方々が消防自動車とともに大勢の方々がお参りしておられ・・・・・・・・・・・・

お参りをすませて、寒いので早々に家に帰って来ました・・・・・・・・・・・・

朝、改めて『福町神明宮』に御参りに行ってきました・・・・・・・・・・・・・・・

「家内安全」「商売繁盛」等を祈願しお参りしてきました・・・・・・・・・・・・

       

       

 

 


お正月の準備

2020-12-31 | 伝統行事

 

お正月を迎える準備を朝からしました、富山県は天神様を飾る風習があり我が家でも毎年飾っています。

天神様とは・・・・・・・・・・・・・・・・

菅原道真は学識が高かったことから、学問の神様として信仰されています。

天神様を飾り、お正月を迎えるのが富山の風習です。

12月25日には、お鏡餅や御神酒を供えて飾ります。

1月1日には、お雑煮とおせち等をお供えし、一家そろって二礼・二拍手・一礼し、
無事に新年を迎えられたことに感謝し、今年も良い年でありますようにと祈り、
子供は賢くなりますようにとお願いします。
※1月2日には、天神様の前で書初めをすると、字が上手になるという言い伝えがあります。

1月25日には、帰って頂きます。帰り道が混んでいると気の毒だからとか、
早くかたづけないと席がなくなるとか言って、早朝にかたづけられる家もあります。

帰られるときには尾頭付の魚や、かになどを添え、お供えします。
天神様があることで、たくさんの人に愛されたんだと生い立ちに気づくこともあるでしょう。

干支の牛の置物、高岡銅器の置物を飾りました・・・・・・・・・・・・・・・

神棚もお掃除し、お神酒やお正月のお飾りをしました・・・・・・・・・・・・・・・

別のお座敷のお飾り・・・・・・・・・・

内玄関には門松を準備しました・・・・・・・・・・・・

お店にもお正月のお飾りをしました・・・・・・・・・・・・・・

 


七夕まつり(懐かしい風景)

2020-07-07 | 伝統行事

          

今日は「七夕」私の住む小矢部市では、今では見ることがない「七夕」の風景です・・・・・・・・・・・

今から10年以上前の様子です、当時は各地区、各町内の児童クラブで子供たちが中心になり「七夕」まつりをしていました。

夕方になると、みんなで「七夕」飾りをかつぎ近所の大きい川辺まで運びます・・・・

50年位前は川に流してていました・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近は子供たちの人数が少なくなり自然にこの行事もなくなりつつあります・・・・・・・

                 

  

           

    

                    

        


雛人形

2020-01-27 | 伝統行事

              

昨日の日曜日に「天神様」を蔵に収納して、同時に「お雛様」の人形を出し飾りました、普段は2月に入ってから飾るのですが、蔵を出入りしているうちに思いつき出してきました、雛人形は全部で7段飾りですがその一部だけを出して飾りました。

「ひな祭りについて」・・・・・・・・

ひな祭りの由来は諸説ありますが、中国でおこなわれていた「上巳(じょうし)の節句」が日本に伝わってきたという説が有力です。

もともとは邪気や厄を払うための行事で、人形に自分の邪気をうつして川に流すという「流し雛」が行われていました。この行事は長らく行われていましたが、時代とともに流し雛に使用する人形が立派になり、川に流すのではなく家に飾るようになりました。これがやがてひな人形となり、貴族の中で流行っていたおままごと遊びのような「ひひな遊び」と合わさって、ひな祭りになったといわれています。

    また、ひな祭りが3月3日に定められ、女の子の健やかな成長と幸せを願う日として定着したのは江戸時代の頃だといわれています。       

↓ 7段全部飾るとこんなんになります。