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サヨコの独り言

興味のあるものを「コンデジ」で撮影しに行ったり、
街で偶然に見かけたものを「スマホ」で撮っています。

《 しあわせなときくらぶ「ソラフラ和~作品展」》 

2025年06月11日 | 展覧会
6月11日(水)、銀行に行った序でに「なごみの米屋」の「成田生涯学習市民ギャラリー」に行って来ました。「ソラフラワー」の作品展示と体験が行なわれていました。観た時は「ペーパーフラワー」かと思いました。訊いたら「ソラ」という自然素材で作られているとの事。初めて見る素材でした。時間が無かったので、ほんの一部の作品しか撮れませんでした。

「ソラ」は「タイ」などの水田地帯や湿地で育つ豆科の植物で、草丈が1~3mまで成長する1年草です。その茎を天日乾燥させ、薄く桂剥きのように剥いてシート状にして使用します。外側は茶色ですが、中の方は真っ白です。吸水性にすぐれて香りとの相性が良いので、「アロマオイル」を染み込ませたり、専用の染色化粧水を使って好きな色に染める事も出来るそうです。

他に行く所があったので、体験は出来ませんでした。天然素材の花は優しくて優雅な気持ちになりました。素敵な作品に出合えて良かったです。

 「ソラ」の茎とシート状に剥いた物                マグノリア            


 芍薬                つばき            優美華      

 soraに魅せられて                     あじさい

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《 ミロ展 》 -東京都美術館にて-

2025年05月26日 | 展覧会
5月20日(火)の続きです。御茶ノ水の「画廊喫茶ミロ」 から神田須田町の「竹むら」 に行き、秋葉原駅まで歩いて上野駅の「東京都美術館」に行きました。この日の東京は30度越えの真夏日のとても暑い日でした。ペットボトルのお茶を飲みながら行きました。「ミロ展」は混んでいなかったので、ゆっくり観る事が出来ました。

「ミロ展」は1966年にも「東京国立近代美術館」で開催されました。その時は子どもだったので観には行かなかったのですが、家で購読していた「毎日新聞」(共催)に度々掲載されていて目にしていました。子どもの落書きの様な絵に何となく心惹かれるものを感じていました。大人になってから「画廊喫茶ミロ」に出会いました。

「ミロ」の【自画像】は「ピカソ」が生涯持っていたそうです。「ミロ」の母と「ピカソ」の母は友人で、2人は幼い頃から深い縁で結ばれていたようです。「ジュアン・ミロ」(1893年~1983年)、「パブロ・ピカソ」(1881年~1973年)。「ピカソ」の方が年上で、いろいろと影響を受けたみたいです。

傑作<星座シリーズ>は23点の内、3点が展示されていました。「スペイン内戦」や「第二次世界大戦」の戦禍を逃れて転々としながら描いたので、縦横40cm位の紙に描かれていました。掲載した<星座シリーズ>はパンフレットの【明けの明星】と美術館の入口の掲示板の【カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち】です。

初期の絵画や晩年の着色ブロンズ作品・ポスターなど、初めて観る作品もたくさんあって見応えがありました。【オランダの室内】はパリで「シュルレアリスム」の芸術家たちと交流していた頃の作品です。撮影可能なコーナーがあったので、その作品を載せました。特に【焼かれたカンヴァス2】は衝撃的でした。カンヴァスに絵具を垂らして、踏みつけて、ナイフで切って、最後にはガソリンを染み込ませて火を点けた作品です。裏からも観てみました。130✖196cmの大作で、80歳で描いたエネルギーにビックリしました。

帰りに1階の「佐藤慶太郎記念アートラウンジ」に寄って来ました。日本で初めての公立美術館である「東京府美術館」(後の東京都美術館)の建設にあたり、「佐藤慶太郎」氏が全額を投じて実現しました。この功績を讃え、「朝倉文夫」氏による胸像が設置してあります。

            ━━━━パンフレットより(左から)━━━━
【自画像】<1919年>  【オランダの室内】<1928年>  【明けの明星】<1940年>

【白地の歌】<1966年>     【逃避する少女】<1967年> 【女と鳥】<1967年>

【太陽の前の女と鳥】<1943年>           【にぎやかな風景】<1970年>

【頭部】<1973年>              【涙の微笑】<1973年>
 
【焼かれたカンヴァス2】<1973年>       切られて焼かれたカンヴァスの裏側

【マーグ財団の夕べ】<1966年>     【バルサ FCバルセロナ75周年】<1974年>

 
撮影ポイント(2階出口) -マヨルカ島のアトリエ-      「東京都美術館」の入口


「佐藤慶太郎」の胸像<朝倉文夫・作>  -佐藤慶太郎記念アートラウンジ(東京都美術館1階)にて-


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《 明治大学と山の上ホテル 》 -パネル展より-

2025年03月04日 | 展覧会
2024年11月、学校法人「明治大学」は「山の上ホテル」の土地・建物を取得しました。このことを記念し、《 明治大学と山の上ホテル 》のパネル展が「明治大学」駿河台キャンパス・アカデミーコモン1階のエントランスホールで開催されていました<2025.1.8~2025.3.22>。「山の上ホテル」は1937年(昭和12年)、「明治大学」の校友・「佐藤慶太郎」氏の私財によって建設されました。当初は「佐藤新興生活館」本部ビルとして利用され、1954年(昭和29年)より「山の上ホテル」として営業されました。「明治大学」 前の表通りから路地を80m程入った所にあります。

「佐藤慶太郎」氏は1868年(明治元年)、現在の北九州市に生まれました。1887年に「明治法律学校」に入学。病気がちだったこともあって司法試験への挑戦は断念し、石炭商「山本商店」に入社。「山本俊子」と結婚し、「佐藤商店」を創業して炭鉱経営に乗り出し、「石炭の神様」と呼ばれ大成功しました。【金持ちとして死ぬことほど不名誉なことはない】と言った 「アンドリュー・カーネギー」を尊敬し、【自分の財産は社会からの預かりもの、世に返すのは当たり前】という信念で慈善事業に取り組みました。

日本で初めての公立美術館である「東京府美術館」(後の東京都美術館)の建設にあたり、「佐藤慶太郎」氏が全額を投じて実現しました。この功績を讃え、「朝倉文夫」による胸像が設置してあります。「明治大学専門部女子部」の建設や「佐藤新興生活館」(後の山の上ホテル)の建設など慈善事業に尽力しました。死後の遺産は「別府市美術館」の建設や財団法人「佐藤育英財団」の創設に充てられました。

「佐藤新興生活館」本部ビルは「アールデコ様式」の建物で「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」による設計。敗戦後に使用したGHQがこの建物を「HILLTOP HOUSE」と呼んでいたと言われています。1952年に返還され、1954年に「山の上ホテル」の創業者の「吉田俊男」氏が借り受ける形でホテルとして営業を始めました。名称は「HILLTOP」にちなんで名付けられました。「山の上ホテル」は出版社や古書店が集まる神田神保町に近いこともあって、 「川端康成」・「三島由紀夫」や「池波正太郎」などの多数の作家や文化人が定宿として愛しました。

「山の上ホテル」は昨年、ホテルの創業70周年を迎え、建設からは86年が経ちました。老朽化への対応を検討する為、2024年2月13日より当面の間、休館する事に。休館期間については未定との事でした。ニュースでその事を知りビックリしました。ずっと気になっていたホテルだったので、残念な気持ちもあって2月20日に行って来ました。2024年11月15日付で学校法人「明治大学」が「山の上ホテル」の土地・建物を取得した事を知りました。青天の霹靂 でした。でも、パネル展で「佐藤慶太郎」氏との関係を知って納得しました。外観は残すそうですが、どのような施設になるか楽しみです。

余談ですが、映画『私にふさわしいホテル』[主演:のん、監督:堤幸彦、原作:柚木麻子]が2024年12月27日に公開されました。本作は主人公の加代子が憧れるホテルとして、2024年2月に全面休館となった「山の上ホテル」で最後に撮影された貴重な作品でもあります。 

「山の上ホテル」の外観(2000年代)        宴会場 / 天ぷら山の上 / バー / レストラン

「佐藤新興生活館」竣工時の内観           理事在職時の駿河台キャンパス

佐藤慶太郎氏              「佐藤慶太郎」在学時の「明治法律学校」南甲賀町校舎

休館後の「山の上ホテル」(下の方には囲いが)<2024.2.20>    ホテル脇のサボテンの案内看板

表通りの看板(今は金属ネットが掛かっています)    写真左:客室 / 写真右:結婚式場

映画『私にふさわしいホテル』[主演:のん、監督:堤幸彦、原作:柚木麻子]    2024.12.27公開

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《 寄席文字作品展『寅さん語録』 》 ~観る・読む・笑う・和む~

2025年02月25日 | 展覧会
2月25日(火)は前日までの寒さが嘘のような暖かな一日でした。快晴で風も無かったので、「成田山新勝寺」に出掛けて来ました。まず最初に表参道にある「なごみの米屋」の「成田生涯学習市民ギャラリー」に行きました。《 寄席文字作品展『寅さん語録』》が開催されていました。

「寄席文字勉強会」の6名の皆様方による作品でした。永遠の旅人「フーテンの寅さん」の発する言葉は、時として世の中の出来事や人生の真理を突くように聞こえます。今を生きる私たちにとって教訓や励ましとして心に響いてきます。そんな『寅さん語録』を縁起の良い「寄席文字」で作品にしましたとの事。 参考文献 :『寅さん語録』ぴあ株式会社 /『寅さん大全』筑摩書房 /『男はつらいよ、寅さんの人生語録』PHP文庫 /『渥美清 我がフーテン人生』毎日新聞社・・・他

「寄席文字」とは「江戸文字」に属し、通称は「橘流」と言います。少しでも多くの客が寄席に集まって大入りになるように縁起を担ぎ、字を詰まり気味に配して隙間が最小限になるよう(空席がなるべく少なくなるよう)にします。また、なるべく右肩上がりになるように書かれるのを特徴としているそうです。 

梅を見に「成田山新勝寺」に行きました。「光明堂」付近の梅の花はほぼ満開でした。因みに、「開山堂」・「光明堂」・「平和大塔」と写っている梅は同じ梅の木です。「成田山公園」内の梅は老木が多いのですが、派手さはなくても趣がありました。公園の入口付近の梅は満開を過ぎていました。

パンフレット             入口のポスター

「寅さん」の口上              「寅さん」と言えば鞄と帽子/『寅さん語録』の参考文献

「寄席文字」で書かれた『寅さん語録』  ~作品の一部です~


「開山堂」(開山の祖・「寛朝大僧正」の像を安置)  「光明堂」(後ろには「奥の院」があります)と「平和大塔」

梅と「平和大塔」                    梅の花が青空に映えています

公園の入口付近の白梅                  公園の入口付近の紅梅

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《 伊藤哲作品展 》 -江戸琳派雅号「雨華庵」継承-

2024年12月11日 | 展覧会
《 伊藤哲作品展 》を観に「成田スカイタウンギャラリー」に行って来ました。「伊藤哲(さとし)」氏は1962年に成田市で生まれ、「東京芸術大学」大学院美術研究科版画専攻修士課程修了後、「(株)電通」でアートディレクターとして勤務しました。4年後に日本画家を志して退社しました。

「琳派芸術」は「俵屋宗達」から始まり、「尾形光琳 」・「酒井抱一」と「私淑」(ししゅく)という形で継承されて発展して来ました。「私淑」とは、時間や場所が遠く離れた人々によって受け継がれ、直接学ぶことは出来ないが、その人を模範として学ぶ事です。「伊藤哲」氏は2016年に酒井家七代目「酒井抱美(ほうび)」氏から雅号「雨華庵」(うげあん)を襲名しました。 

「雨華庵」は現在の台東区根岸にあり、「酒井抱一」が終の棲家として晩年を過ごしました。「夏秋草図屏風」も此処で描かれました。弟子たちを指導する画塾でもあったそうです。残念ながら焼失してしまいましたが、弟子の「田中抱二」が記憶を頼りに「見取図」を描きました。それを基に「伊藤哲」氏が2023年に「復元ジオラマ」を制作しました。

「尾形光琳」の「風神雷神図屏風」(重要文化財)の裏には、依頼を受けた「酒井抱一」の「夏秋草図屏風」(重要文化財)が描かれていました。「雷神図」の裏には雨にうたれて生気を戻した夏草」と俄かに増水した川の流れを、「風神図」に対しては強風にあおられる秋草」と舞い上がる野葡萄の紅葉が・・・。 近年、画面を損傷から守るべく、両作品を分離してそれぞれを別作品として一双の屏風に改められました(東京国立博物館・蔵)。それを合成して描いたのが「伊藤哲」氏の【降臨せし風雷神のために】(パンフレット・部分)になります。

1998年~2010年の12年間、沈んだ世相を背景に『明るく元気よく』という依頼を受け、「金刀比羅宮」の「干支絵馬」を制作しました。

撮影不可の作品の中には「四季胡蝶絵巻」(春・夏・秋・冬)や「仏涅槃図」(千葉県・長徳寺・蔵)などがありました。絵巻はそれぞれ60m位の大作でした。

尚、「酒井抱美」氏は、日本美術の貴重な財産である「江戸琳派」を継承・発展させ、ひいては日本文化の発展に寄与することを目的として、2013年1月に「NPO法人江戸琳派継承会」を立ち上げました。 「伊藤哲」氏も参加しています。

【降臨せし風雷神のために】(二曲一双)  上:【風神雷神図屏風】(模写) 下:【夏秋草図屏風】(写真)

【伏龍図】

【誕生】              【助六】

左上より・・・  【深見草】    【日食】    【紅蓮】    【雪月花】

【讃岐・金刀比羅宮干支絵馬】



プレミアム H2 ウォーター【水素水】のパッケージデザイン

「田中抱二」が残した見取り図(模写)    【雨華庵憧憬】(復元ジオラマ) 約35分の1の縮尺

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《 連続テレビ小説「虎に翼」展とゆかりの地 》 -御茶ノ水界隈にて-

2024年10月29日 | 展覧会
連続テレビ小説「虎に翼」が9月27日(金)で放送が終わりました。10月22日(火)、「明治大学博物館」で開催されていた《 連続テレビ小説「虎に翼」展 》を観に行って来ました。番組小道具・劇中衣装・出演者全身パネル・セット再現など、そして「三淵嘉子」氏に関する資料が展示されていました。 ついでに、ゆかりの地を巡って来ました。題名の「虎に翼」は「鬼に金棒」と同義語になります。

主人公のモデルの「三淵嘉子」氏は日本初の女性弁護士で後に裁判官となった女性。「明治大学」は、いち早く法学を志す女性に門戸を開き、1929年(昭和4年)に専門部の一部門として女子部を設置。1931年(昭和6年)には「明治大学」が設置する学部への入学を認めました。その結果、「三淵嘉子」(ドラマでは猪爪寅子)「中田正子」(ドラマでは久保田先輩)、「久米愛」(ドラマでは中山先輩)という3名の日本初の女性弁護士が誕生しました。

「三淵嘉子」氏(1914年~1984年)は武藤家の長女として生まれ、弟が4いました。書生だった「和田芳夫」(戦病死)と結婚し、長男の「和田芳武」(寄生虫研究者)が生まれました。恩師の喜寿の祝いの寄せ書きには「和田嘉子」の横に「ヨシタケ」(当時5歳位)と名前が書かれていました。1956年に「三淵乾太郎」氏(裁判官)と再婚しました。ドラマの設定とは多少違いがありますね。同級生たちは殆ど創作ですが、朝鮮から来た留学生がいたことは確かだそうです。 

「三淵乾太郎」氏は初代最高裁長官「三淵忠彦」の長男として生まれました。忠彦の伯父の「萱野長修」(通称・権兵衛/会津藩家老)は、「戊辰戦争」に敗れた会津藩の責任者として主君の「松平容保」を命がけでかばって処刑されました。忠彦が建て、晩年を家族と共に過ごしたのが小田原市板橋の「甘柑荘」です。 

話は変わりますが、「中田正子」氏は昭和20年から夫の実家の鳥取県に疎開し、昭和23年に「鳥取県弁護士会」に登録しました。会長として「日本弁護士連合会理事」も歴任し、62年余り弁護士活動を続けました。2016年には「鳥取県弁護士会」がマスコットキャラクター「まさこ先生」を作成しました。

「桂場」や「寅子」たちが度々訪れていた「竹もと」のモデルとなった神田須田町にある「竹むら」 (創業1930年/昭和5年)に行って来ました。昭和の面影が残った木造3階建で、「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。ドラマが終わってから1ヶ月近く経っていたのに30人程並んでいました。甘味が好きなので、入ってみたかったのですが諦めました。この辺りは戦災を逃れた古いお店が多く残っている地域だそうで、道路の反対側にはあんこう鍋の「いせ源」 (創業1830年/天保元年)がありました。関東大震災を経て、昭和5年に店舗を再建。同じく「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。別の機会にまた来ようと思いました。

「明治大学」の裏手、神田猿楽町にある「錦華公園」と隣接した所にあった「錦華小学校」は、明治6年の開校で「夏目漱石」も学んだ歴史のある学校です。現在は「お茶の水小学校・幼稚園」となっています。公園は昭和4年の開園で、「明治大学」の学生たちが憩いの場所としていた写真が残っています。「階段」と「自然池」と「滝」などは当時の面影が残っているそうです。小学校・幼稚園が近く遊具もあるので、子ども達がいて賑やかでした。

パンフレットの法服には寅子の人生や物語にちなんだイラストが描かれています

「めいじろう」も法服を着ています          「猪爪はる」と「桂場等一郎」の全身パネル

法服とガウン       「明律大学」・「同女子部」の看板    「明治大学女子部」の制帽(資料)


「明律大学」の校旗   女子部の階段踊り場のステンドグラス     「花岡」と「寅子」の着用衣装  


「島田鉄吉」(3代目女子部長)の喜寿祝の寄せ書き  「三淵乾太郎」と「三淵嘉子」 -「甘柑荘」にて-

おしるこ屋「竹もと」のモデルとなった「竹むら」       道沿いには30人程並んでいました

「錦華坂」        「錦華公園」の案内板           「錦華公園」の自然池と滝

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《 第7回飛行機模型展 in NARITA 》-成田生涯学習市民ギャラリーにて-

2024年07月28日 | 展覧会
《 第7回飛行機模型展 in NARITA 》が「なごみの米屋」の「成田生涯学習市民ギャラリー」で開催されていました(7月16日~21日)。飛行機の模型を作り続けて60年以上になる「山田晴男」さんが主催の展覧会です。仲間達13人による作品は100点近くもありました。それぞれ得意なアイテムがあるそうで、ジェット機や自衛隊機・ドイツ機・複葉機・ジオラマ模型など様々で、バラエティーに富んでいて楽しかったです。7月16日(火)に行きました。

今回のメインテーマは『ビンテージ、レトロ&ノスタルジー』。「ノスタルジー」のコーナーには、子どもの頃に弟と一緒に作った事のある様な懐かしい「プラモデル」がたくさん展示してありました。

帰りに参道にある「成田参道房の駅」さんの前を通ったらビラが貼ってありました。4月23・24日に行なわれた「第82期名人戦」の時の「なりた勝負おやつ」の「妖精のお芋モンブラン団子」でした。まだ食べた事はありませんが、食べてみたいです。

成田駅の改札口に「JR東日本 ポケモンスタンプラリー2024」のポスターがあり、その上に「駅長犬」が運転する「山車」のような電車が飾ってありました。 尚、成田駅はスタンプの設置駅ではありません。

成田駅の連絡通路に「ツバメ」の巣がありました。巣立ちが間近のようです。今頃に巣を見るのは珍しいです。毎年4~5月頃に巣を作っていて今年も見ましたが、はて?2回目の産卵なのでしょうか。

【モンローが来た】      -妄想のジオラマ模型です-


飛行機から降りて来たマリリンモンロー         撮影のスタッフの様子

作者のコメントより   -サルは撮影の機器の上、鳥は警備の人達の上にいます-

【米国義勇航空隊 P-40B】    -上と横から見たところ-

【日本海軍 零式三座水偵】  -上と横から見たところ-

【ソッピース キャメル&ブラウニー】     【フォッカーDR.1&レッドバロン】    【スパッドXⅢ&リッケンバッカー】

「成田参道房の駅」さんのビラ   改札口の「山車」の様な電車      ツバメの巣

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《 関東の山車人形と成田祇園祭展 》 -成田スカイタウンギャラリーにて-

2024年07月08日 | 展覧会
「成田祇園祭」が7月5日~7日まで行なわれました。合わせて《 関東の山車人形と成田祇園祭展 》が開催されていました。6月1日~7月7日まで前期と後期に分かれていました。歴代のポスターや古写真に加え、「ミニチュア山車・屋台」の模型なども展示されていました。関東の「山車人形」は全部で27体(対)、前期14・後期13と見応えがありました。同じ人物(神様)を扱った人形が多かったので、まとめてみました。

一番多かったのは【素戔嗚尊(すさのおのみこと)】でした。私の思っているイメージに近いのは桐生市の【素戔嗚尊】です。【楠木正成】と【日本武尊】も複数ありました。佐倉市の【日本武尊】はイケメンで、見上げるような大きさ(3m位)で存在感がありました。人形師によって顔がだいぶ違っていて興味深かったです。私は人形師の三代目「原舟月」が好きなので、合わせて載せました(印)。

鎌倉市の「極楽寺・八雲神社」では例祭の期間中、「導地蔵堂」に「八幡太郎義家」と「鎌倉権五郎景政」の山車武者人形が置かれ、「垂れ幕」が後ろに飾られます。人形は「後三年の役」の折、「義家」が弓で岩石を砕き湧き出させた清水を、「景政」が兜で受けている場面を表しています。 

「ミニチュア山車・屋台」の模型は成田市の「岡崎典利」 さんが制作した作品です。1/10サイズで骨組みから細部の装飾まで再現し、車輪や仕掛けは本物同様に動かせるように拘って作ってあるとの事。最後の「土屋」の「山車」が仕上がり、「成田祇園祭」の10台全ての「山車」と「屋台」が揃いました。

パンフレットより:幸町の山車の様子/仲之町の山車人形【神武天皇】/本町の山車人形【藤原秀郷】

昭島市の【須佐之男命】     本庄市の【素戔嗚尊】       久喜市の【素戔嗚尊】

栃木市の【素戔嗚尊】                 桐生市の【素戔嗚尊】

さいたま市の【楠木正成】     深谷市の【楠木正成】      下仁田町の【楠木正成】

佐倉市の【日本武尊】                栃木市の【日本武尊】

栃木市の【天照大神】               佐倉市の【関羽雲長】

鎌倉市 極楽寺・八雲神社祭典部の垂れ幕 -立体的な刺繍が施されていました-

土屋のミニチュア山車 人形は「大穴牟遅神」(おおなむじのかみ)大国主神 / 制作中の山車のパーツ  

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《 春の花便り④ 》 -水彩画展より-

2024年06月25日 | 展覧会
《 第5回「粋彩会」水彩画展 》が「なごみの米屋」の「成田生涯学習市民ギャラリー」で開催されていました(6月25日~30日)。油彩画の展覧会ばかり観ていたので、水彩画が新鮮に感じられました。講師と会員7名、全36点の作品から花の絵を中心に撮りました(春の花でない物も含みます)。同じテーマで描かれた絵があったので、並べてみました。

1枚目の【ミモザ】と【実りの秋】は講師の「岩澤秋弘」氏の絵です。【実りの秋】は板に描かれていました。【ゆり根の花】は「コオニユリ(小鬼百合)」でしょうか、初めて見ました。【相馬野馬追】は迫力があって躍動感があふれています。【夕暮れどき】は後ろに「公津の杜」の駅が見えています。【夏の日①】は子どもの様子と水の透明感が素敵でした。

【ミモザ】                     【ミモザ】

【柘榴】                        【柘榴】     

【私の好きな花】             【ひまわり】           【クレマチス】

【さくら】                      【優雅な気持ち】

【ゆり根の花】                 【ブランケットと果物】

【窓辺の花】             【花菖蒲】          【実りの秋】

【相馬野馬追】           【夕暮れどき】         【夏の日①】


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《 服部正一郎先生 没後30年記念回顧展 》 -成田山新勝寺にて-

2024年06月12日 | 展覧会
「成田山新勝寺」の「大本堂第二講堂」にて《 服部正一郎先生 没後30年記念回顧展 》が開催されていました。私は今回の展覧会で初めて名前を知りました。「服部正一郎」氏は「成田山光輪閣」のステンドグラスの原画制作や成田山だより『智光』の表紙絵として数々の作品を提供して下さっていました。54点の作品は1996年に令室「美代」氏から奉納されたものです。

先生は「日本芸術院会員」に就任し、「勲四等旭日小綬章」・「勲三等瑞宝章」等を受章。1995年の没後に「従四位」を授かりました。山を描いた風景画が多く、豊かな緑色で表現された自然は暖かさを感じました。「光輪閣」にも行って「ステンドグラス」の実物を観て来ました。「ステンドグラス」は作品名が書かれていなかったので、名前はパンフレットから推測したものです。

帰りに参道にある「國之家」さんの前を通ったらビラが貼ってありました。4月23・24日に行なわれた「第82期名人戦」7番勝負の第2局の時の「勝負めし」のものでした。2日間の昼食を提供しました。「おしながき」6点の中から1日目は上段の2点、2日目は下段の2点が選ばれました。お二人がそれぞれ何を選んだかは分かりません。全てに「千葉のみそピーナッツ」と成田名物の「瓜の鉄砲漬」が付け合わされていました。

また、「なりた勝負おやつ」は応募された中から投票で10点が決められました。1日目の午前中は③「黒平まんじゅう」、午後は⑤「成田産さつまいものショートケーキ」と⑩「妖精のお芋モンブラン団子」。2日目の午前中は⑨「やきだんご」、午後は⑨「やきだんご」と⑦「ぴーなっつ最中」でした。「黒平まんじゅう」・「やきだんご」・「ぴーなっつ最中」は私も食べた事がありますが、とても美味しいです。

【海鹿島燈台】/ ステンドグラス【山茶花】     【黒部】/【山野】/【水郷】/ ステンドグラス【不動】

【山気(黒部ダム)】30号              【松並木】50号

【犬山城】30号                       【船】30号

【母子像】50号             【葦の風景(川と葦)】50号

ステンドグラス【牡丹】              ステンドグラス【輪宝】/【不動】

天婦羅と川魚料理の店「國之家」       昼食に提供された「勝負めし」

投票で決まった「なりた勝負おやつ一覧」       お店のビラ・「黒平まんじゅう」/「やきだんご」

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《 春の花便り③ 》 -2つの写真展と絵画展より-

2024年05月28日 | 展覧会
最近は雨の日も多く、晴れると暑くて爽やかな日が少ないです。3つの展覧会から花の作品を中心に集めました。写真展はパネルが光っていた為、周りの物が映り込んで撮るのが難しかったです。工夫しながら撮りましたが、元の画像を損ねてしまっているかもしれません。「春の花」でない物も含みます。

《 フォトグループ アングル展 》は「なごみの米屋」の「成田生涯学習市民ギャラリー」で開催されていました (5月14日~5月19日)。【風車と虹】は「佐倉チューリップフェスタ」の時の偶然の出来事。【春色日和】は「坂田城跡天空の梅まつり」の時のものです。 【又兵衛桜】は戦国武将「後藤又兵衛」にちなんで名付けられたそうです。奈良県の屋敷跡に位置しています。【大久保駅夕景】は正確には「上総大久保駅」の事です。千葉県に住んでいながら、「小湊鉄道」は行った事がありません。一度は行ってみたいと思っています。

《 第38回 印旛写真愛好団体展 》は「なごみの米屋」の「成田生涯学習市民ギャラリー」で開催されていました (5月28日~6月2日)。3つのサークルの合同の展覧会でした。【小湊線の春】は「桜」と列車との共演が素敵でしたが、「菜の花」のも観たかったです。【さくら・サクラ】の「桜」と「芝桜」の共演は「桜」の開花のタイミングが大事なのでしょうね。【人 ・・・ 人】は「ひたち海浜公園」の「ネモフィラ」が空と一体化した感じが美しいです。

《 青木貴次 自選展 》は「成田市文化芸術センター・スカイタウンギャラリー」で開催されていました。「青木貴次」氏は成田市に生まれ、18歳の時に「篠崎輝夫」氏(日展評議員・光風会常務理事などを歴任)に師事しました。「足尾銅山」を取材した作品を数多く制作しました。100号以上の大きな作品が多く、イーゼルは手作りだそうです。花などの作品は少なかったので、「春の花」ではありませんが載せました。現在は日展会友・光風会会員・千葉県美術会理事・風土舎主催など。

《 フォトグループ アングル展 》

【鷺の楽園】野生の藤  【風車と虹】チューリップ    【春色日和】梅と菜の花

【又兵衛桜】樹齢約300年の瀧桜 (奈良県宇陀市にて)       【大久保駅夕景】小湊鉄道と桜

【咲き誇る】都忘れ(香取市の群生地にて)       【早春】サンシュユ(房総のむらにて)

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《 第38回 印旛写真愛好団体展 》

【小湊線の春】小湊鉄道と桜         【さくら・サクラ】桜と芝桜の共演(東京ドイツ村にて)

【人 ・・・ 人】ネモフィラ(ひたち海浜公園 にて)      【バラ美しく】(京成バラ園にて)

【ぼたん】(茂原牡丹園にて)             【曼珠沙華】(山武市にて)

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《 青木貴次 自選展 》-絵画と共に60年の歩み-

【足尾本山】F100号                   【反射炉の丘】P100号

【山百合の道】          【彼岸花と栗】         【暁】F120号


【銅山回想】P100号               【銅山雪景】F100号

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《 元陽会 千葉支部展 》と《 第42回 青樹会展 》 -2つの展覧会-

2024年03月13日 | 展覧会

最近、寒暖の差が大きくて体がついていきません。前日は雨と風でとても寒い一日でした。13日(水)は晴れて暖かくなったので、成田駅まで展覧会を観に行って来ました。17日(日)まで、展覧会が2ヶ所で開催されていたので両方共観ました。

《 元陽会 千葉支部展 》は「成田市文化芸術センター・スカイタウンギャラリー」で開催されていました。50号から100号位の大きな作品が多かったです。【一夜の輝き サガリバナ】の「サガリバナ」(下がりばな科)という花を初めて知りました。夏の夜に花が咲き、朝になったら萎むそうです。まるで「月下美人」みたいですね。花の形は「ねむの木」(まめ科)に似ていますが、葉や実はぜんぜん違います。

《 第42回 青樹会展 》は「なごみの米屋」の「成田生涯学習市民ギャラリー」で開催されていました。小さな会場なので、50号以下の小さめの作品30点でした。【船溜まり】(F50号)を描いた方は、やはり船をテーマに100号で描き、「日展」にも出品して入選したそうです。

《 元陽会 千葉支部展 》

 【節理】                          【小春日和】

 【波濤Ⅰ】                        【美しい距離】

 【一夜の輝き サガリバナ】                  【光と影】

 

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《 第42回 青樹会展 》

 【花】                           【船溜まり】

 【漁港】                             【秋の日の協奏曲】

 【蟹】                             【かすみが浦】

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《 いわむらかずお絵本原画展 》 -愛らしい14ひきの野ねずみたち-

2024年02月27日 | 展覧会

用事で成田駅に行ったついでに、「成田市文化芸術センター・スカイタウンギャラリー」で《 いわむらかずお絵本原画展 》を観て来ました。「成田市制施行70周年記念」の事業として開催されたものです。残念ながら作品は撮影は不可となっていました。仕方がないので、パンフレットの表と、裏は画像のみコラージュして載せました。私は参加しませんでしたが、「子どものための読み聞かせ会」のイベントとサイン会が会期中に2回行なわれていました。

【 14ひきのさむいふゆ 】は「14ひきのシリーズ」で、野ねずみの家族がテーブルを囲んで「とんがりぼうしゲーム」をしているところです。/【 かんがえるカエルくん 】は子どものための哲学入門です。「カエルくん」は栗の気持ちを考えています。/【 もりのあかちゃん 】は「こりすのシリーズ」で、こりすの3兄弟の話。/他に「トガリネズミ」の若者「トガリィ」が「トガリ山」のてっぺんを目指して登る「トガリ山のぼうけんシリーズ」も展示されていました。

「合作絵本」は【はらぺこあおむし】でお馴染みの「エリック・カール」氏との合作で、【 どこへいくの?To See My Friend!】です。『どこへいくの?』と動物たちが次々と仲間を増やしながら歩いて行くお話です。「エリック・カール」氏が左の表紙から描き始め、「いわむらかずお」氏が右の表紙から描きます。そして、真ん中のページが観音開きになっていて、大画面で二人の絵が出会うというユニークで楽しい絵本です。合作のきっかけは2000年1月に「いわむらかずお絵本の丘美術館」で開催された二人の原画展になります。その時に意気投合し、「エリック・カール」氏の提案で「合作絵本」づくりが始まりました。2001年に出版されました。

代表作の「14ひきのシリーズ」は、豊かな自然を背景に3世代家族の14ひきの野ねずみの日常生活が描かれています。それぞれが個性豊かに生き生きと愛らしく描かれていました。背景の花・昆虫・鳥などの生物や四季折々の自然は、実体験を基にリアルに丁寧に表現されていました。私は子どもの頃は都内に住んでいました。まだ田んぼや溜め池・林などが周りにあって、そこで遊んだのを思い出して懐かしさを感じました。

「いわむらかずお」氏は1939年に東京都足立区に生まれました。5歳の時に秋田県に疎開し、戦後は杉並区に住みました。「東京芸術大学・美術学部」を卒業後、36歳の時に里山を求めて栃木県の益子町に移り住み、畑を耕しながら創作活動を続けました。1998年(平成10年)には栃木県那珂川町に「いわむらかずお絵本の丘美術館」を開設しました。

作品の多くは国内だけでなく、フランス・ドイツ・台湾などでも翻訳され、ロングセラーとなりました。国内では出版の各賞を数多く受賞し、2014年には「フランス芸術文化勲章シュヴァリエ」を受賞しました。84歳の今でも絵本・自然・子どもをテーマに活動を続けています。

  左より【14ひきのさむいふゆ】 【かんがえるカエルくん】/【もりのあかちゃん】/「合作絵本」

 ポスターより:14ひきが成田にやってくる!   入口の撮影のスポットより:顔出しパネル

 会場入口と廊下の壁のタペストリーより:「14ひきのシリーズ」の野ねずみ

 壁に貼られた切り抜きより:「14ひきのシリーズ」の野ねずみと【かんがえるカエルくん】

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《 徳川公爵家のバックヤード 》 -最後の家令の見た半世紀-

2023年11月14日 | 展覧会

「松戸市戸定歴史館」の企画展を観に行って来ました。11月4日(土)~12月17日(日)の9時30分~16時 、「戸定が丘歴史公園」と「千葉大学園芸学部」の間の「回廊門」が開放されていました。申請なしで庭園見学できるチャンスなので、まずは「千葉大学園芸学部」に行くことにしました。尚、「牧野富太郎博士」は明治44年から3年間、「千葉県立園芸専門学校」(千葉大学園芸学部の前身)で教鞭をとっていました。その「牧野イズム」は「牧野植物同好会」に引き継がれています。

「フランス式庭園」は「ヴェルサイユ宮殿」をモデルに造られ、「千葉大学園芸学部」のシンボルとなっています。左右対称性・幾何学的な配置の植栽を特徴としています。

「イタリア式庭園」センターサークルと一段ずつ高さが異なるテラス式の構造で、腰植えの混垣が特徴です。

「イギリス式庭園」は柏物産国際交流会館「洗心倶楽部」の前の庭園で、自然を主役にした「風景式庭園」です。自然の景観美を大切にしながら庭造りを行うのが特徴。

また、歌人の「与謝野晶子」は、この地に咲き乱れる「ヒナゲシ」を見に訪れ、60首もの短歌を詠んでいます。「戸定が丘歴史公園」にも句碑が多くあります。

「松戸市戸定歴史館」では企画展《 徳川公爵家のバックヤード 》が開催されていました。「古澤秀彌」氏は幼少時から「徳川慶喜」の屋敷で息子たちの御相手を勤め、15歳からは「家丁」となって52年間の徳川家職員としての歩みが始まりました。「徳川慶喜」から「慶久」・「慶光」と3代に亘って仕え、「家令心得」まで上りつめて14年間その重責を果たしました。「家令」とは職員をまとめて家政を任される責任者の事で、職員には「家扶」・「家従」・「家丁」などがあります。歴代の当主から譲られた品を核とする「古澤秀彌」氏の旧蔵資料で貴重な物が多くありました。

「古澤秀彌」氏は幼少時から「徳川慶久」の御相手を勤めていました。4歳年上の兄の様な関係で、主従関係を超えた信頼関係と深い絆がありました。「慶久」から「古澤」氏への書簡には自らを「KQ」と親しみを込めて書いています。「徳川慶喜」が仲の良かった弟の「昭武」への電報に【フツカ ニバン ニテ マイル サシツカエ ナキヤ ヘンジ マツ  トクガワ ケイキ】(たびたび「戸定邸」を訪れていました) と記していたのと似ているような気がしました。

この日は「戸定が丘歴史公園」の「東屋」から「ダイヤモンド富士」が見える日だったので、楽しみにしていました。時間も閉館前だったので助かりました。私を含めて5人程が見に来ていました。人気スポットなの? 太陽の位置が少し左側寄りだったので、あっという間に「富士山」の後ろに隠れてしまいました。ここから見るのは初めてだったので嬉しかったです。「昭武」も同じ景色を見ていたのかと思うと感慨深いものがありました。もちろん当時はビルや高速道路もなく、遠くに「江戸川」が見えていましたが・・・。

「千葉大学園芸学部」のシンボルとなっているフランス式庭園

イタリア式庭園          イギリス式庭園          与謝野晶子の句碑

「古澤秀彌」氏と「小日向邸」の庭と玄関      徳川慶喜【紅白花卉図】・ 銀三ツ組賜盃ほか

うっすらと富士山が見えています<14時6分頃>  -手前に見えるのは東京外環自動車道-

頂上の左端に太陽がかかりました<16時24分頃>   左寄の上に太陽が・・・<16時25分頃>

かなり下がりました<16時25分頃>      少しだけ光が見えています<16時26分頃>

富士山の後ろに太陽が隠れた直後<16時27分頃>  -太陽が雲を照らしています-

日没(16時35分)後 <16時45分頃>

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《 風景写真の仲間達・写真展 》 -成田生涯学習市民ギャラリーにて-

2023年10月10日 | 展覧会

10月10日(火)、「なごみの米屋」にある「成田生涯学習市民ギャラリー」に行って来ました。《 風景写真の仲間達・写真展 》が開催されていました。全部で9人、31点の作品でした。「富士山」が好きなので、気が付いたら「富士山」の作品を多く撮っていました。

【空駅へ行く】:「弘海和良」さんの作品で『第70回記念・新美術展』の写真部門で「大賞」になったものです。2枚の写真の合成で、光が当たって青く輝く線路の軌跡が、偶然に空に向かっている様な感じになったそうです。

【幻景】:2時間に亘って撮った光の点を繋げたものだそうです。明るい内にピントを合わせて三脚にセットし、暗くなってからシャッターを何回も押し続けたとのこと。

【妖艶 しだれ栗】:「しだれ栗」は初めて見ましたが、力強くて存在感がありました。夕焼けに浮かぶシルエットが素敵です。

【地霧に包まれる】:「落花生ぼっち」(収穫した落花生を乾燥させる為のもの)が地霧に包まれ、畑に浮かび上がっていて幻想的でした。

【愛しの霧幻列車】:「東日本大震災」と2011年7月の「新潟・福島豪雨」によって甚大な被害を受けた「只見線」。2022年10月1日に全線運転再開したそうです。川沿いを走る「只見線」、冬の雪景色の中を走る列車の風景はとても幻想的です。

【空駅へ行く】                 【月光】 -静岡県富士宮市・田貫湖-

【幻景】 -茨城県霞ケ浦-             【妖艶 しだれ栗】 -群馬県旧六合村-

【霧幻峡~神秘の夏】 -福島県三島町-    【地霧に包まれる】 -千葉県成田市-

【夜明けの神秘】 -茨城県大洗-         【茜焼け】 -山梨県忍野村-

【桟橋夜景】 -千葉県南房総市-  【ダイヤモンド富士】 -山梨県山中湖村-

【波踊る】 -千葉県南房総市-          【愛しの霧幻列車】 -福島県金山町-

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