忠岑とよみ人しらずの秋の田の歌。その清げな姿の帯を解けば、ひとの飽きのありさまが顕れる。併せて、万葉集の秋の水田の歌を聞く。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
306~308
306
これさだのみこの家の歌合のうた
忠 岑
山田もる秋のかりいほにおく露は いなおほせどりの涙なりけり
是貞親王家歌合の歌
山田を守る秋のかり庵に、おく露は、稲負背鳥の涙だったのだ……山ばの多盛る、飽きのかりいほに、おくつゆは、否仰せひとの涙だったのだ。
「山田…山ば多」「田…多…女」「かり…刈り…仮…借り…めとり…むさぼり…まぐあい」「いほ…庵…屋…女」「露…つゆ…おとこの涙…をみなの涙」「いなおほせ鳥…鳥の名、戯れる。稲を背に負う鳥、労働するひと、否と仰せのひと」「鳥…女」「涙…稲背負う労働の汗と涙…飽き果てはいやという女の涙」。
307
題しらず
よみ人しらず
ほにもいでぬ山田をもると藤衣 いなばの露にぬれぬ日はなし
穂も出ない山田を守ると、粗末な衣、稲葉の露に濡れない日はない……ほにも出ぬ、山多のひとを盛りあげようと、不二の身と心、い根端のつゆに濡れない日はない。
「ほにもでぬ…穂も出ない…ほにほが咲かない」「山田…山ばの多…山ばの女」「田…女」「藤衣…粗末な衣…不二の身と心…一過性のおとこの心身」「衣…心身を包む物…心身の比喩」「いなば…稲葉…い根端…井な端」「露…涙…つゆ」。男の歌。
308
かれる田におふるひづちの穂にいでぬは 世を今更に秋はてぬとか
刈った田に、生える稲株の芽に穂の出ぬは、世を今更と飽き果てたのか……かりした田に極まれる、ひこばえの穂に出ぬは、夜を今更と飽き果てたとね。
「かる…刈る…めとる…まぐあう」「田…女」「おふる…生える…極まる…感極まる」「ひつち…稲株の芽…ひこばえ…再び生えるおとこ」「ほにでぬ…穂に出ない…秀でたものでない…ほにほが咲かない」「とか…疑問・感嘆」。女の歌。
上三首。田の稲に寄せて、飽きの果ての思いを詠んだ歌。
水田に寄せて思いを詠んだ歌
万葉集巻第十、秋相聞「寄水田」より二首。
秋の田の穂の上に置ける白露の 消ぬべく我はおもほゆるかも
秋の田の穂の上に置いた白露のように、消えてしまいそうに我は思えるよ……飽きの多の、ほの上に置いた白つゆのように消えるだろうと、我はおも、ほゆることよなあ。
「水…女」。「秋…飽き」「田…多…女」「穂…抜きん出たもの…おとこ」「の…比喩を表わす」「おもほゆる…思える…感覚する…おも吠える…おとこも音立てて泣く」「お…おとこ」「かも…感嘆・詠嘆を表わす」。男の歌。
秋田刈る借庵作りいほりして あるらん君を見むよしもかも
秋田刈る仮屋を作り、庵して居る君に、逢い見るてだてがあればなあ……飽き田借る、仮偉お作り井堀りして、なお在る君お、見れる良しであればなあ。
「かる…借る…刈る…採る…娶る…まぐあう」「ある…居る…在る…健在」「見…目でみること…覯…まぐあい」「よし…方法…てだて…良し…すぐれている」。女の歌。
やまと言葉の歌は、俊頼も言うように昔から戯れ遊びよ。余りの情を聞き取り楽しみたまえ。字義通り聞いて清げな姿しか見ていない愚かさに気付き給え。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず