こひのうた
よみ人しらず、紀 友則、清原深養父の恋歌。併せて、恋歌ではなく、柿本朝臣人麻呂が公の場で詠んだ歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第十四恋歌四
683~685
683
題しらず
よみ人しらず
伊勢のあまのあさな夕なにかづくてふ みるめに人をあくよしもがな
伊勢の海人が朝な夕なに潜り採るという海草のように、見る目に、人を飽き満ち足りる手立てがあればねえ……いせのあまの、朝な夕なにもぐるという、見る女に、人お、飽き満ち足りる手立てがあればねえ。
「あま…海人…海士…男」「かづく…水中に潜る…をみなを分け入る」「みるめ…海藻…見飽きるほどあるもの…見るめ…見る女」「見…覯…合」「人を…男を…人のおを」「を…おとこ」「あく…飽き満ち足りる…満足する」「よしもがな…方法がほしいな…手法があればねえ、いつもあきたりないから」「がな…欲しい…願望を表わす」。女の歌。
684
友 則
春霞たなびく山の桜花 みれどもあかぬきみにもあるかな
春霞たなびく山の桜花、花見してもなお満ち足りない、きみなのだなあ……はるが済み、たなびく山ばのさくらのお花、みても飽き足りぬこの君だなあ。
「春霞…春が済み…張るがすみ」「たなびく…よこになびく」「山…山ば」「桜花…男花…おとこ花」「さく…咲く…放つ」「見れど…花見すれど…覯すれど…合えど」「あかぬ…飽き満ち足りることのない…満足することのない」「きみ…女君…おとこ君」。
685
深養父
心をぞわりなき物と思ひぬる みる物からやこひしかるべき
我が心をだ、理性の無いものと思ったよ、顔見てて、どうしてきみが恋しいのだろう……ひとの心を、難義なものと思ったよ、みているものを乞いしがるべきか。
「わりなき…道理のない…分別の無い…どうしょうもない…困った」「見る…目で見る…顔を合わせる…覯…身を合わせる」「恋い…乞い」。
見れど飽かぬかも
歌のひじり人麻呂の歌を聞きましょう。吉野の宮へ幸行の時に柿本朝臣人麻呂の作る歌
八隅知し、あが大王の、聞こしめす、天の下に国はしも沢に有れども、山川の清き河内と御心を、吉野の国の花散らふ秋津の野辺に、宮柱太しきませば、百しきの大宮人は、舟並べて朝川渡り、舟競ひ夕川渡る、この川の絶ゆる事なく、この山のいや高知らす、水たぎつ滝の宮こは、見れど飽かぬかも。
反歌
見れど飽かぬ吉野の川の常滑の 絶ゆる事なくまたかへり見む
「川…女」「山…山ば」「吉野…吉し野…好しの」「舟…男…おとこ」「水…をみな…女」「滝…多気…多情」「宮こ…極まり至ったところ…京」「見…覯…合」「常滑…常になめらか…常に潤滑」「復還見…またかへり見む…再び還り見る…くり返し合う」。
歌は三度聞く。一度目聞けば、離宮の景色を愛で、幸い呼ぶ深い心があると感じ、二度目聞けば、清げな情景を思い、三度目、言の心で聞けば、艶なるかなと感じ、聞く人の心を楽しませる。そのような歌に聞こえるならば、人麻呂は「歌のひじり」という貫之に同感できたのでしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず