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帯とけの古今和歌集

鶴のよわいを賜ったというおうなの古今伝授。鎌倉時代に秘伝となって埋もれた和歌の艶なる情がよみがえる。

帯とけの古今和歌集 巻第十 物名 445~447

2009-06-16 07:15:06 | 和歌

  



 文屋康秀、紀利貞、平篤行の物の名をおりこんだ歌。清げな姿の内にどのような心情がつつまれてあるのか。併せて、仮名序を読み返し、「歌のひじり」柿本人麻呂の歌を聞きましょう。


   古今和歌集 巻第十 物名
        445~447


445
 二条の后、春宮のみやすん所と申しける時に、めどにけづりばなさせりけるをよませたまひける
              文屋康秀
 花の木にあらざらめどもさきにけり ふりにしこのみなる時もがな 
 
 二条の后、春宮の御息所と申されていた時に、馬道に削り花挿してあったのを詠ませられた歌
 花の木でありはしないけど咲きました、古びた木の実、成る時もあって欲しいものです……お花の木ではなのに咲いたことよ、ふりにしこの身、成る時があって欲しいもので。

 「めど…馬道…うまの通路…めと」「め…女」「と…門…女」「けづり花…丸木を剥ぐように削ってちぢらせ花のように作ったもの、邪気を祓い福を招くものという…白木造りのおとこ木」。「ふり…古り…振り」「木…男」「実…身」「なる…為る…生る…成る」。

 上一首。つくり花に寄せて、みの成る時を思って詠んだ歌。



446
 しのぶぐさ
              紀 利貞
 山たかみつねにあらしのふくさとは にほひもあへず花ぞちりける

 忍ぶ草
 山高くて常に嵐の吹く里は、色麗しく咲ききることなく、花が散ることよ……山ば高くて、常に心に嵐吹くさ門は、色艶の満ちきることなく、お花散るなあ。
 しのぶひと

 「しのぶ草…草の名…忍ぶ草…堪え忍ぶ女…偲ぶ女」「草…女」。「あらし…荒らし…嵐……山ばで心に吹く激しい風…山風を嵐といふらむ(文屋康秀)」「さと…さ門…女」「花…木の花…おとこ花」。



447
 やまし
              平 篤行
 ほとゝぎす峯の雲にやまじりにし ありとはきけどみるよしもなき

 山菅
 ほととぎす、峰の雲にでも入ったか、ありとは鳴く声、聞こえるけれど、見る手立てなし……且つ乞うひとよ、峯の浮き雲に交じったか、在りとは泣き声、聞こえるけれど、みる手立てなし。
 やまじ

 「やまし…山菅…花菅…草花の名。止まじ、止まない、やましい、うしろめたい」。「ほととぎす…郭公…かつこうと鳴く鳥…且つ乞うと泣く女」「鳥…女」「峰…絶頂」「雲…心に湧き立つもの…情欲など」「まじる…入る…心地浮天の雲に入る」「あり…存在…健在」「見…看…覯…合う…まぐあう」。

 上二首。草木に寄せて、おとこの山ばでのやましさと、ひとのやまじについて詠んだ歌。



 歌の聖の歌を聞く

 紀貫之は仮名序で、「文屋のやすひでは、言葉は巧みにて、そのさま身に負わず、言わば、商人の良き衣着たらむがごとし」と批判した。
 言葉巧みに詠まれた歌の、清げな衣を剥ぎ取れば、内容は清げな姿に相応しくないという。これは康秀だけの所為ではなく、歌が最も色好みに尽きていた時代の歌だから。

 色に尽きていた歌を仮名序では、次のように述べる。
 今の世の中、色に尽き、人の心、花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好みの家に埋もれ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花すすき穂に出だすべきことにもあらずなりにたり。そのはじめを思えば、かかるべくなむあらぬ。

 仮名序は、人麻呂を「歌のひじり」といい、赤人を同等に賞賛した。このことは、この人たちの歌に返れと、文芸の復古を宣言したにひとしい。

 人麻呂の歌を聞きましょう。万葉集巻第七雑歌、巻頭の一首。

 詠天
 天の海に雲の波立ち月の船 星の林にこぎ隠る見ゆ
    右一首、柿本朝臣人麻呂の歌集出

 天を詠む
 あめのうみに、心のくもの波が立ち、月人のふね、欲しの早しにこぎ隠る見ゆ
 あめをよむ

 「天…あま…あめ…女」「海…女」「雲…煩わしくも心にわきたつもの…煩悩」「月…月人壮士…をとこ」「星…欲し」「林…早し…はげしい」「隠る…なくなる」「見…覯」。

          伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
          聞書 かき人しらず