■■■■■
文屋康秀、紀利貞、平篤行の物の名をおりこんだ歌。清げな姿の内にどのような心情がつつまれてあるのか。併せて、仮名序を読み返し、「歌のひじり」柿本人麻呂の歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第十 物名
445~447
445
二条の后、春宮のみやすん所と申しける時に、めどにけづりばなさせりけるをよませたまひける
文屋康秀
花の木にあらざらめどもさきにけり ふりにしこのみなる時もがな
二条の后、春宮の御息所と申されていた時に、馬道に削り花挿してあったのを詠ませられた歌
花の木でありはしないけど咲きました、古びた木の実、成る時もあって欲しいものです……お花の木ではなのに咲いたことよ、ふりにしこの身、成る時があって欲しいもので。
「めど…馬道…うまの通路…めと」「め…女」「と…門…女」「けづり花…丸木を剥ぐように削ってちぢらせ花のように作ったもの、邪気を祓い福を招くものという…白木造りのおとこ木」。「ふり…古り…振り」「木…男」「実…身」「なる…為る…生る…成る」。
上一首。つくり花に寄せて、みの成る時を思って詠んだ歌。
446
しのぶぐさ
紀 利貞
山たかみつねにあらしのふくさとは にほひもあへず花ぞちりける
忍ぶ草
山高くて常に嵐の吹く里は、色麗しく咲ききることなく、花が散ることよ……山ば高くて、常に心に嵐吹くさ門は、色艶の満ちきることなく、お花散るなあ。
しのぶひと
「しのぶ草…草の名…忍ぶ草…堪え忍ぶ女…偲ぶ女」「草…女」。「あらし…荒らし…嵐……山ばで心に吹く激しい風…山風を嵐といふらむ(文屋康秀)」「さと…さ門…女」「花…木の花…おとこ花」。
447
やまし
平 篤行
ほとゝぎす峯の雲にやまじりにし ありとはきけどみるよしもなき
山菅
ほととぎす、峰の雲にでも入ったか、ありとは鳴く声、聞こえるけれど、見る手立てなし……且つ乞うひとよ、峯の浮き雲に交じったか、在りとは泣き声、聞こえるけれど、みる手立てなし。
やまじ
「やまし…山菅…花菅…草花の名。止まじ、止まない、やましい、うしろめたい」。「ほととぎす…郭公…かつこうと鳴く鳥…且つ乞うと泣く女」「鳥…女」「峰…絶頂」「雲…心に湧き立つもの…情欲など」「まじる…入る…心地浮天の雲に入る」「あり…存在…健在」「見…看…覯…合う…まぐあう」。
上二首。草木に寄せて、おとこの山ばでのやましさと、ひとのやまじについて詠んだ歌。
歌の聖の歌を聞く
紀貫之は仮名序で、「文屋のやすひでは、言葉は巧みにて、そのさま身に負わず、言わば、商人の良き衣着たらむがごとし」と批判した。
言葉巧みに詠まれた歌の、清げな衣を剥ぎ取れば、内容は清げな姿に相応しくないという。これは康秀だけの所為ではなく、歌が最も色好みに尽きていた時代の歌だから。
色に尽きていた歌を仮名序では、次のように述べる。
今の世の中、色に尽き、人の心、花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好みの家に埋もれ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花すすき穂に出だすべきことにもあらずなりにたり。そのはじめを思えば、かかるべくなむあらぬ。
仮名序は、人麻呂を「歌のひじり」といい、赤人を同等に賞賛した。このことは、この人たちの歌に返れと、文芸の復古を宣言したにひとしい。
人麻呂の歌を聞きましょう。万葉集巻第七雑歌、巻頭の一首。
詠天
天の海に雲の波立ち月の船 星の林にこぎ隠る見ゆ
右一首、柿本朝臣人麻呂の歌集出
天を詠む
あめのうみに、心のくもの波が立ち、月人のふね、欲しの早しにこぎ隠る見ゆ
あめをよむ
「天…あま…あめ…女」「海…女」「雲…煩わしくも心にわきたつもの…煩悩」「月…月人壮士…をとこ」「星…欲し」「林…早し…はげしい」「隠る…なくなる」「見…覯」。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず