私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

自由と悔い         不条理 と 嘘 で ・・・

2014-11-20 17:23:21 | 日記
私達の子供は育てられない
戦後から日本の文化と道徳そして治安を失って来た今ですが血と骨は消して忘れる事は出来ない農耕民族と武士道

今 女性自衛官の志願が増えている日本で増して尖閣諸島や沖縄の近くの基地をあえて希望する自衛官達が多いそうです
今 日本の女性達が何処かで犯され金品を奪われている世の中で日本のご先祖様達が大虐殺をしたり婦女暴行をしまくり山賊や盗賊の汚名を記せられて居る世の中で日本の興した戦争は侵略戦争だなんて言われている不条理と嘘の中で日本の子供達に日教組が間違った教育をしている今 私は70代や50代の年の人達に今日本はもう危ないんだよ沖縄や九州は何時 侵略されても可笑しくはない時に来ているんだよと言っても薄ら笑いを去れて終いには危ない奴だなんて眼付を去れて危機感の無い大人と歳よりばかりで挙げ句の果ては中国や朝鮮が攻めて来る前に私俺は死んでしまうから関係ないなんて言われますジャ可愛い子供や孫は如何する殺されるのを承知で良いのかと聞くと黙って終わりですチベットやモンゴルの様に成って良いのか・・・

大正11年(1922)のコミンテルン共産党世界大会で「君主制の廃止」が決議された
コミンテルン22年テーゼ(1922年)
大正11年(1922)7月、「コミンテルンの日本支部」として日本共産党が発足したとき、日本革命のための綱領素案が作られた 
それが「22年テーゼ」といわれているものであります
•天皇制の廃止
•貴族院の廃止
•現在の軍隊、警察、憲兵、秘密警察の廃止
•労働者の武装
•朝鮮、支那、台湾、樺太からの軍隊の撤退
•天皇および大地主の土地の没収とその国有化

一瞥しただけで まったく日本の現実を見ていないものであるかわかる
これらのことが貧弱な一組織である共産党にできるわけがない
しかも、当時は、天皇および皇族に対する罪は死刑だった それなのにコミンテルンは、こんな綱領を押し付けてきたわけだ
コミンテルン(ソ連)の意図は「天皇打倒」などが実現したら ソ連がそれに代わって日本を支配することだった
ソ連自身は軍隊も警察も拡大しながら 日本にはそれらの解体を求めているわけだから 自分たちの軍隊
警察が日本に乗り込んでくるつもりだったのは明白である

この発想法は現在の支那(中華人民共和国)とまったく同じである 支那は毎年10%以上の幅でどんどん軍拡を続けながら 
日本に対してはことあるごとに「軍国主義復活の兆しが見える」とほざいているのだから コミンテルンとまったく
同じパターンであり

 27年テーゼ
 32年テーゼ
 人民戦線テーゼ

これにより共産主義の脅威はいっそう高まった ロシア革命ではロマノフ王朝の王族が全員惨殺された
このため日本人は皇室の廃止と皇族の虐殺を恐れた
大正9年(1920)の尼港事件の影響もあり、暴力的なテロ行為の流入を防ぐために大正14年(1925)治安維持法が制定された
目的はあくまで暴力や大量殺人を伴う「共産主義」の取締りであり、左翼分子を摘発するための法律だった
労働運動」や「社会運動」を取り締まるものではなかった
それは「治安維持法」と同時に公布された「普通選挙法」により、社会民主党・労働農民党・日本労農党などの無産政党が
議席を獲得していることからわかる

日本の子供達に幸あれ・・・
s10683726@ybb.ne.jp

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