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東京銭湯フェスティバルで見た二つの銭湯アート

2021年08月07日 | 銭湯・居酒屋

「コロナ禍の銭湯巡り・十思湯」の記事(6月1日)末尾に東京銭湯フェスティバル2020銭湯アートプロジェクトのことを書いた。都内4つの銭湯で実施しているこのイベントには各銭湯に1日だけ観覧開放日がある。銭湯には週1日休業日があるが、その日を利用しているようだ。
8月1日(日)午後、銀座の金春湯に行った。コロナ禍かつ日曜ということもあり、銭湯の周りを歩く人はきわめて少なく、このイベントをみにきた人だけの様子だった。

プロジェクションマッピングの作品そのものについては6/1の記事に書いた。ただ、今回作品解説をみて「日光や風、雲、さざ波、空気などが動いている」と書いたのは勘違いだったことがわかった。作者のグラフィックデザイナー大原大次郎さんは「言葉や文字の知覚を探る」プロジェクトを展開している方で、線や光は、「海、山、風呂、線、わ、ぬ」の「文字」を象形文字のように崩したイメージだったのだそうだ。
プロジェクションマッピングを投影し、それに合わせて銭湯ペンキ絵師・田中みずきさんがこの5月に壁に絵を描きあげたそうだ。女湯は普通の富士だが、男湯は海外の山で、聞くとエベレスト、回りの湖などは作者のイメージで描いたとのこと。
余談だが、NHKの朝ドラ「おかえりモネ」のヒロインは、勤務先に近い築地の銭湯に下宿していることになっている。しかし築地に銭湯はない。2016年5月までは存在したが残念ながら廃業した。いまロケで使われているのは大田区南雪谷の銭湯らしい。

金春湯の観覧開放日の前に、じつは7月9日(金)午後、代々木八幡の八幡湯でヤマザキマリさんの古代バラネイオンの湯を見た。解説によれば、バラネイオンとは運動施設とリラクゼーション施設が一体となった古代ギリシアの風呂施設のことで、この絵柄はオリュンポスの山からギリシアの女神たちが、地上でレスリングや円盤投げの運動をする男たちを眺めている光景だそうだ、ヤマザキさんのカラー原画をもとに、田中さんがモノクロで銭湯画を描き、目だけはヤマザキさんが来場して脚立に上がり、自分で入れたそうだ。男湯の右下隅にサインがある。

左端の男性は田中さんが書き足したもの。右端にヤマザキさんのサインがある
ヤマザキマリさんの「テルマエ・ロマエ」は映画でみたことがあるが、それ以上にラジオ深夜便のゲストで出演したことがあり、「この母にしてこの娘あり」と波乱万丈の人生を送っておられることを知り、興味をもった。本当は観覧開放日にヤマザキさんのライブ・イベントが企画されていたが、コロナのため中止になったそうだ。残念!

じつはこの八幡湯には1999年9月ごろから15年くらい月1で入らせていただいていた。ここに来るときは代々木公園の外周ジョギングとセットだった。
なつかしい店だが、普段見られないものをいろいろみることができた。まず一番は「女湯」である。ピンクのタイル貼りなので暖かく、かつ気のせいだとは思うが、小ぎれいに感じた。金春湯では、女性脱衣場にお釜型ドライヤーが置いてあることを知った。現役で稼働しているが、すでに製造はストップしているそうだ。それはそうだろう。
また牛乳石鹸のポスターはいろんな銭湯でみかけるが、通常、銭湯の室内は撮影禁止なので、はじめて撮ることができた。

金春湯のお釜型ドライヤ(左)と牛乳石鹸のポスター
ちょうどMXテレビの取材が入っていた。そのときは番組名もわからなかったが、「東京インフォメーション」という東京都提供の番組で「東京の大衆文化「銭湯」を世界へ発信」というテーマで7月17日ごろ放映されたようだ。
撮影中、すこしフロントで待つ必要があり、その間浴場組合のスタッフの方と短時間だがお話できた。
銭湯絵は湿気の多い過酷な環境での展示なので、数年に一度描き替える必要があるそうだ。そのせいかペンキ絵でなくタイル絵や陶板画にしているところや、そもそも絵がない銭湯も増えつつある。
銭湯絵は富士山ばかりではない。たしか八幡湯も、富山の県人会に頼まれたとかで、わたくしが通っていたころはトロッコ列車が手前を走る立山の絵だった。軍艦島の絵の銭湯もあるそうだ。いまはタイル絵も結構あり、たとえば銀座湯は和光や不二家など銀座の絵、入船湯は永代橋の浮世絵だと思う。
なお「東京銭湯三国志」の著者、落合の銭湯「松の湯」のご主人・笠原五男さんはもう亡くなられたことを知った。

八幡湯の近辺
☆八幡湯は休業日だったので、店の方にはお目にかかれなかったが、前日お母さんと息子さんに電話だけだがお話することができた。元気な声が聞けてよかった。またこの日の帰りに昔走ったコースを見に、少し歩いた。途中、覚えている店もあればすでに建て替わった建物もありで、時の流れを肌で感じた。

絵師・田中みずきさんは、日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師のうちの1人だそうだ。たまたま7月31日東京新聞夕刊「土曜訪問」で著書「わたしは銭湯ペンキ絵師」のインタビュー記事が出ていた。インタビューの場は神田の稲荷湯、そう皇居1周ジョギングのベース基地として有名な銭湯だ。記事によると父は新聞社の美術担当記者、本人は明治学院大学で美術史を学び「アートには展覧会で見る絵だけでなく、生活の場で楽しまれてきた絵がある」と考え、「近代の富士山のモチーフの銭湯ペンキ絵」という卒論を書いた。「自分も描いてみたい」と中島盛夫さんに弟子入り、修行しつつ大学院を修了、出版社社員やライターを経て8年前に独立とある。現在38歳。会社員時代に仕事帰りの銭湯で「大きな富士山に、怒られたり慰められたりしている気持ちになった」とあった。

☆アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。



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