2020東京オリ・パラがやっと終わった。オリ・パラ開催については、早くから反対運動があった。新国立競技場建設の余波で住み家を追い出された野宿者や有志たちの団体は、2018年3月14日JSC(日本スポーツ振興センター)と国、東京都を相手取り提訴した。思えば2012年のロンドン大会のころから開催都市でのオリンピック反対運動は始まっていた。
7月16日のオリンピック反対デモ
今回のオリンピック災害の最大のものは新型コロナ感染者の激増だった。7月半ばに1000人超えへと増加に転じ、7月23日開会式の日の東京の新型コロナの新規感染者数は1359人だったが、8日の閉会日には4066人、その間5日には5042人と急増した(ピークは8月13日の5773人)。たしかに無観客オリンピックと東京の新規感染者数激増との因果関係は証明されていないが、世間一般では驚き「それみたことか」と思うと同時に、恐怖を味合わされた。
オリンピック運営者周辺では、世間一般よりも感染防止を徹底していたはずだ。選手は「バブル方式」でしか移動しないと説明されていた。しかし現実には、オリンピックの選手、関係者(マスメディア、組織委員会職員、委託業者、ボランティアなど)の合計で547人もの人が感染した(パラリンピックでは316人)。
感染者激増により、中等症でも入院できず自宅療養を余儀なくされたり救急車に乗っても搬送先病院がみつからないという事態まで生まれ、人知れず自宅で死亡する事例も出現した。まさに医療が崩壊してしまった。それも東京など首都圏だけでなく、全国で同じ状況が生まれたことに注目すべきである。
機動隊車両で閉鎖された246号青山通り
コロナ感染者や住み家をなくした野宿者ほどではないが、交通規制による被害もある。6時~22時の首都高料金1000円上乗せ、開会式・閉会式・パラマラソン時の道路閉鎖はよく知られているが、環2の新大橋通から有明アリーナの一般車両通行止めは6月23日から9月12日まで、3カ月近くに及んだ。この区間は豊洲市場から都心へのルートを含み、登録ずみのトラックは、帰りだけ通行できたようだが、これだけの長期間、業務に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。
もう少し小さいが、わたくしが気づいたことをひとつ。オリンピック開会式は欧米のテレビ優先で、20時スタートで聖火台点火が23時過ぎになった。宮城・福島・岩手の小中学生6人が大坂なおみに聖火を渡したり、郡山高校と豊島岡女子学園高校の生徒20人の「オリンピック賛歌」合唱も23時過ぎだった。緊急事態宣言下、18歳以下の青少年をこんな深夜に仕事をさせてよいのかと思う。郡山高校の生徒たちはもちろん近くのホテルに宿泊したのだろうが、豊島岡の生徒でもし都内の自宅に帰宅する生徒がいたのなら、かなり危ない。
8月24日夜の外苑前パラリンピック開催抗議行動
被害とは性格を異にするが、いったい何のためにオリパラを開催するのか、という根本的な意義がまったくわからなくなったのが2020東京オリだった。IOC総会での安倍の「アンダーコントロール」の大ウソで大会招致に成功した2013年ころは「東日本大震災からの復興を世界に発信」と「復興五輪」をキャッチフレーズにしていた。
1年延期を発表した20年3月には「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証し」としてのオリパラと表明していた。どちらも達成できず、菅総理がパラリンピック閉会2日前の9月3日に辞任表明し「コロナに打ち倒された」大会になったのが2020東京オリパラだった。
車両基地をスタートするオリパラ専用車
それだけでなく、7項目から成る「オリンピズムの根本原則」との関係でも問題がある。「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指す」とあるが、「生き方」の基礎や「人間の尊厳」の前提に生命維持があるのは当然だ。緊急事態宣言発令中の都市で開催してよいものか。まして小中高校生を動員してよいものなのかどうか。都教委の発表では、パラに都内の120校9568人の生徒が参加した。また「偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会に世界中の選手を集めるとき、頂点に達する。そのシンボルは5つの結び合う輪である」で、たしかに選手は集まったが、観客なし、もちろん海外からの観客もなしという状況では、前提条件が壊れているのではないか。
また今後、この大会の決算問題が出てくるはずだ。カネの面で国民と都民に莫大な「負のレガシー」だけ残した大会にならないとよいのだが・・・。
わたくしは57年前の1964東京オリのときは地方の小学生だった。オリンピックを自分の目で見られるのは一度だけだろうと、内心少し楽しみにしていた。またオリはともかく障がい者のパラは開催の意義があるのではないかとも思っていた。テレビで観戦していて、車いすラグビー、バスケット、テニスなどで(従来のパラ以上に)ヒーロー、ヒロインがうまれた。
しかし4年に1度の国際的大イベントをなぜ続けるのか、立ち止まって考える時期にきていると思う。まさかIOCのためのIOCによるIOCのイベントではないはずだ。今回の大会でいえば、電通による電通のための電通とIOCの一大イベントであった感が強い。
幻のチケット(左・オリンピック、右パラリンピック)
☆新型コロナについて一言。国内累計死者はすでに1万6909人に及び(9月14日現在)、東日本大震災の死者1万5900人、行方不明者2525人を上回るのは時間の問題だろう。震災では災害関連死が3774人(21年3月末)だが、コロナ関連死はいったい何人になるのか考えるのも恐ろしい。大災害であることは間違いない。
幸い9月15日現在新規感染者数は減少を続けている。しかし感染症なので、今後も何度も波が襲うことが考えられる。20世紀初頭のスペイン風邪のときは日本では1918年8月から3波に分かれ収束したのは2年半後の21年3月だった。わたしは100年間の医学・薬学の発達があるので、それよりは早く収束するだろうと考えていた。しかし、いま問題になっているデルタ株が収束したとしても、ラムダやミューもあるらしいのでいつまで続くか見通せない。
そうすると、やはり医療体制整備が問題になる。いまは社会全体の推移を予測するためのPCR検査実施体制にはなっていないし、主として結核、インフルエンザなどの感染症を念頭にした保健所の体制はコロナには適合していないのではないかと考えられる。また発症者が激増したときの医療関係者確保や施設の体制もできていない。
やや飛躍するが、与党の「安全保障」というとミサイルや艦船、航空機ばかり配慮されているが、病気や自然災害(地震・津波、気候変動による台風、洪水、異常気象など)、水道・道路・トンネルなどインフラ老朽化など生命と生活を守る安全保障への対策にもっと真剣に取り組むべきではないだろうか。
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