佛山寺の歴史
今より約一千年前の一条天皇の御代、性空上人、九州巡錫中霧島神社に参籠するに御神宣あり、その御つげによって由布岳の山腹にて誦経したらば、「具一切功徳慈眼視衆生」(観音経の一説)と鳴動する岩あり。その岩にて観音像を刻して祀ったのが始めと伝えられる。以来、全盛時には由布院内に末寺十数ヶ寺を有する由布の修行霊場の本拠地とされてきたが慶長元年の大地震により打撃を被ったため麓の地(現在の地)に伽藍を移し、新たに臨済宗妙心寺派(禅宗)の寺院として再出発した。
性空上人の刻した由布霊山観世音菩薩は今も観音堂に安置され、秘仏として三十三年に一度ご開帳される。
(龍峩山 佛山寺さんホームページより)
(近くの竹林にて)
今より約一千年前の一条天皇の御代、性空上人、九州巡錫中霧島神社に参籠するに御神宣あり、その御つげによって由布岳の山腹にて誦経したらば、「具一切功徳慈眼視衆生」(観音経の一説)と鳴動する岩あり。その岩にて観音像を刻して祀ったのが始めと伝えられる。以来、全盛時には由布院内に末寺十数ヶ寺を有する由布の修行霊場の本拠地とされてきたが慶長元年の大地震により打撃を被ったため麓の地(現在の地)に伽藍を移し、新たに臨済宗妙心寺派(禅宗)の寺院として再出発した。
性空上人の刻した由布霊山観世音菩薩は今も観音堂に安置され、秘仏として三十三年に一度ご開帳される。
(龍峩山 佛山寺さんホームページより)
(近くの竹林にて)