3月11日午後2時46分、未曾有の大地震が起きた。
俺はその日仕事で山形市内の某ビル内にいて、お客様と別れ報告書作成のデスクワークを始めたとこだった。
携帯の緊急の警告音がけたたましく鳴った。
数秒後にもの凄い横揺れ。
こんなに揺れる地震にあったことあるんかってくらい揺れた。
一瞬どうしたらいいのかわからず、暫くは何かサーフボードにでものっかってるような感覚で
揺れに身をまかせていた。
暫くという時間は本当はほんの少しだったのかもしれないが、
凄く長く感じた。
このままじゃやばい、と気を取り直し階下へ行き建物の外へ出た。
ビル内の他の人たちも皆出ていた。
揺れが止まり建物内へ入って作業を続けようとするが、次々と断続的に大きな揺れがくる。
そのたびにこの建物が倒壊するんじゃないだろうかという恐怖に襲われた。
そのくらい揺れた。
なんとか仕事を完了し帰途へ。
市内の信号はすべて停まっている。どうやら停電らしい。
車内でラジオ・テレビの音声を聞きながら走った。
その時は被害の程度がどのくらいなのか分からなかったが、車で走っていても異常事態であることがわかった。
交差点がかなりやばい。
携帯で会社や自宅に連絡し無事を確認した。
南陽市に入ると、13号線のアスファルトが一部隆起していた。
こういうのを見るのは初めてだ。
南陽市も全部停電だ。
ふとコンビニを見ると駐車場が満車になり薄暗い店内は人で溢れていた。
「あっ、そうか。停電では今晩夕食を作れないんだ」と気付いた。
俺もその列に加わりおにぎり数個とサラダ・パンなどを買い家路を急いだ。
車で走っている時も凄い揺れを感じた。
でかい。余震なんだろうが、とにかくでかい。
地元に戻ると電気がついてる。
コンビにもクルマ屋さんも電気がついてる。
交差点の信号も大丈夫だ。
全貌はわからないが、とにかく普通じゃなさそうだと感じた。
何があるかわからない。とにかくクルマのガソリンだけは満タンにしとこうっということで、
そのとき満タンにした。
その時点ではスタンドは混むこともなくごく普通だった。
仙台にいる姉には連絡がつかない。
その後メールで無事を確認出来たが、子供が行方不明だと・・・
それっきり通信は途絶えた。まったくつながらないし、いくらメールしようが返信が来ない。
テレビでは悲惨な被災地の状況を伝える。
安否確認が出来ない。
追い討ちをかけるように犬がチェーンを切ってどっかに行ってしまった。
探したが、もう大喜びで自由を満喫してるのだろう、見つからない。
一応警察へ届けを出してきた。
その後その日の午後に無事で戻って来た。よかった、よかった。
仙台の姉からも固定電話に連絡が入った。
子供が、一晩だけ避難所で過ごし、帰宅したとのこと。ほんとに良かった。
でも、多くの被災者の方々。
いったいどのくらいの方の命が失われるのか・・・
どうか、助かって欲しい。
辛すぎる。
子供の「おかあさん」と呼ぶ姿が痛々しい。
自分でやれることは何か・・
やらなくてはならない。