先日他のブログを見学させて頂いていたら、『玄倉川の岸辺』さんに「どんと来い、批判トラックバック」とのエントリーを見つけました。
確かに、私も(サイト宣伝等の)無関係なコメント・トラックバックは困るし論外と思うのですが、批判的なトラックバックをされるのは(トラックバックされずに自分が気付かないうちに引用されたり「アホな事を抜かす」等と陰口を叩かれたりする事に比べれば遥かに)良い事だと思っています。
それでも私には批判トラックバックに対して「どんと来い」とまでは(度量が狭いのか)思えません。
理論的に正しい批判であれば有難く指摘を頂くのですが、嘘を書かれたエントリーからのトラックバックは困ります。
嘘に基いて批判・中傷される場合にはその嘘を検証して反論する必要がありますが、批判の為の批判には対応する時間も惜しいものです。
その嘘も、明らかに嘘と判る嘘であれば信じる人も無く害は少ないのでしょう。
しかし事実を改変したような一見しただけでは嘘と判り難いものでは、信じてしまったり誤解してしまったりする人がいるかも知れません。
そうなれば誤解の連鎖が起きてしまう事も考えられます。
更には、批判トラックバックを頂いたブログに反論を書いても、それが削除される事や対話にならない事もあります。
そのような対話を望まない人からのトラックバックには、「“それなりに”応じるしかない」と言うのが私の考えです。
当ブログに関しては、コメントやトラックバックを残すも削除するもブログ主の判断の内として、ブログを評価する基準にして頂きたいものです。
確かに、私も(サイト宣伝等の)無関係なコメント・トラックバックは困るし論外と思うのですが、批判的なトラックバックをされるのは(トラックバックされずに自分が気付かないうちに引用されたり「アホな事を抜かす」等と陰口を叩かれたりする事に比べれば遥かに)良い事だと思っています。
それでも私には批判トラックバックに対して「どんと来い」とまでは(度量が狭いのか)思えません。
理論的に正しい批判であれば有難く指摘を頂くのですが、嘘を書かれたエントリーからのトラックバックは困ります。
嘘に基いて批判・中傷される場合にはその嘘を検証して反論する必要がありますが、批判の為の批判には対応する時間も惜しいものです。
その嘘も、明らかに嘘と判る嘘であれば信じる人も無く害は少ないのでしょう。
しかし事実を改変したような一見しただけでは嘘と判り難いものでは、信じてしまったり誤解してしまったりする人がいるかも知れません。
そうなれば誤解の連鎖が起きてしまう事も考えられます。
更には、批判トラックバックを頂いたブログに反論を書いても、それが削除される事や対話にならない事もあります。
そのような対話を望まない人からのトラックバックには、「“それなりに”応じるしかない」と言うのが私の考えです。
当ブログに関しては、コメントやトラックバックを残すも削除するもブログ主の判断の内として、ブログを評価する基準にして頂きたいものです。
「どんとこい」というのは、「Don't 来い」という二重の意味が掛かっているので(私がタイトルを頂いた上田次郎先生のご著書も多分そうです)、「堂々と受けて立つ」というよりも「へっぴり腰になりながら虚勢を張っている」という程度に見ていただけるとありがたいです。
私とて批判されてうれしいわけではありませんが、陰口を言われるよりはまだしもマシですから、あえて「批判トラックバック歓迎」のスタンスを表に出しております。
「コメントやトラックバックを残すも削除するもブログ主の判断の内」というご判断には私も同意します。
ただし、やりすぎると副作用のほうが大きくなる諸刃の剣ですね。
>「どんとこい」というのは、「Don't 来い」という
>二重の意味が掛かっている
そうだったんですか・・・、そこまでは考えていませんでした。(何せ私の住む田舎では、幸か不幸か、テレビ朝日系列の局が無い為に「TRICK」は深夜の放送で、私は殆ど見ていないんです。)
そう考えると何とも間抜けなエントリーになってしまいました。
>ただし、やりすぎると副作用のほうが大きくなる諸刃の剣ですね。
それは私も感じています。
コメントやトラックバックを削除した後で、「ちょっと削除し過ぎたかも・・・」と反省する事もあり、今後も注意致します。
御指摘ありがとうございました。
それでも(相手は違うものの)何度か同じような誤解・誤読に基づく批判を頂くと、対応の時間が惜しくなったり面倒に思えたりしてしまいます。
過去にコメントした事について、改めて他の人から「○○であれば、私の言い分が間違っている事になりますが、」等と前置きした上で、本当に間違った指摘をされた時には「またか・・・」と思ってしまいました。