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平和津梁の鐘

海は母 生物を生み育み豊かな資源を恵む母  海は道 遥かなる国々より文化と友誼を運ぶ道

沖縄戦の証言について

2020-07-31 23:42:23 | 50 沖縄戦の証言・住民

沖縄戦の証言について

以下の点について、ご理解・ご了承くださるようお願いいたします。

カテゴリー・『沖縄戦の証言・住民』は、沖縄住民の地上戦体験の証言を中心に掲載します。また他府県出身者及び他国出身者の沖縄地上戦体験の証言も含みます。

ここのブログで掲載する、沖縄戦証言・住民に関して、いくつか留意する点があります。

1、沖縄戦の体験者の証言について、

一、証言は、沖縄戦体験者が戦争終結して長い年月が経って語ったものです。そのため、あいまいなところや記憶違いが含まれている可能性があります。また証言の中には、現在において、適切ではない言葉・表現が含まれている場合もありますが、そのまま掲載しています。

二、証言は、長い話やまた断片的に語ったものもあります。文字にして数行程度のものもそのまま掲載しています。

2、沖縄戦の体験者の証言収集について、

一、私が戦争体験者から、直接に伺った話。
ゆっくりと時間をかけて、戦争中の出来事を話して頂いたものや、又その何気ない話の中で、時折戦争の事を語ったもの、ちょっとした待ち時間などで、話して下さったものなど、様々な場面で聴いた話です。


二、体験者の遺族や、関係者から間接に伺った話。

戦争体験した方は高齢者となっています。病気などで直接話する事が出来ない方もいます。また又既に亡くなられた方も多数います。その戦争体験の話を、両親や祖父母から受け継いだ家族や関係者から、間接的に聴いた話です。

三、出版物やネットなどで公開されている証言の収集。

沖縄戦を体験した方から、聞き取りなどで証言を集めた証言集。個人的に出版した書籍。各自治体が発表した証言。公共団体などがインターネット上で公開している証言など(無許可掲載も数多くあるm(__)m)。

3、証言者の氏名や体験場所などについて、

一、証言者の氏名の扱いなど。

ここのブログでは証言者の氏名などは、出来る限り実名で掲載しますが、匿名の場合もあります。見知らぬ人と、袖が触れ合う程度のちょっとした出会いのなかで、相手の名前も知らない方からの話で、氏名は不明と言うこともあります。また、氏名を公表したくない方もいますし、無許可掲載もある為に匿名の場合もあります。

二、証言者の体験場所の扱いなど。

体験場所や現在の地名が分かる事で、証言者の現住所や個人情報等が特定される恐れがある場合は伏せて掲載します。また沖縄戦を体験した方は、敵兵から身を守る為、逃げるのに必死で、詳細な場所は知らないという方も数多くいます。

4、その他の注意事項。

ここのブログに掲載する、沖縄戦の証言について、政治的意図や補償問題など、全く関係ありません。又、イデオロギー論争や歴史認識の問題、左右分かれての不毛の論争、当ブログは全くする気は有りません。沖縄地上戦経験者の貴重な話に対して、誹謗中傷や嫌がらせ、当ブログに対しての誹謗中傷、荒らしなどの迷惑行為はしないで下さい。

 

 


ジハード

2020-07-28 18:40:37 | 9 耀魄宝

ジハード

2010年6月2日のYahoo!ブログ記事から再掲載。

ジハードと聞くと、多くの人は武器をもって戦争するとか、敵と戦うこととかイメージすると思います。
ジハード=聖戦と訳されて、マスコミなどによって誤解と偏見で伝えられ恐れられていますが、ジハードという言葉、本来は奮闘し努力を意味するアラビア語です。

イスラーム教の創始者となった預言者ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフのメッカ時代には、ジハードという言葉に戦闘、戦争の意味はなく、自分の心の中の悪と戦うこと、あるいは社会的な善行を行うことを指していました。

では、戦争や防衛、治安維持などのための戦いは何というのか?これは「キタール」といわれていました。

≪慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において≫
聖典 第29章「蜘蛛章」6節
「信仰のために奮闘努力(ジハード)する者は、自分自身のために奮闘努力(ジハード)しているのである。」

ジハードには二つあります。
一、小さなジハード(外へのジハード)とは、受動的なジハード「物質的な戦い」であります。
二、大きなジハード(内へのジハード)とは、能動的なジハードであり「精神的な戦い」であります。

小さなジハードとはアッラーのために努力する事は、すべて小さなジハードです。

例えば、布教することも小さなジハード。募金をしたとか、誰かに笑顔で接しただとか、皆と一緒に喜んだ、誰かの為に祈った、人に親切にしたとか、誰かの為に怒ったとか。神の意思、教えに基づいた行動や神の為に行われたムスリムのあらゆる行動、喜怒哀楽の表情などすべてが、小さなジハード。

大きなジハードとは能動的なジハード「精神的な戦い」であります。

人間の生命、魂、精神というのはどうしても悪に傾いていく傾向があります。また、善を行い徳を積むことを忘れたり、目標、目的を忘れたり、ただ惰性に流されがちです。人間誰しも惰性に流されずに生きていくのは難しいと思います。でも、少しでも前進しよう、向上しよう、また善に向かおうと、自分自身を自ら律していく内面での戦い、努力が大きなジハードというのです。

ジハードというのは、奮闘。努力。それが本来の、本当の意味なのです。
戦争とか、あるいは人を殺すとか、主義主張が違うものを倒すとか、というような意味は一切無いのが真実です。しかし、一部のムスリム(イスラーム教徒)や非ムスリムがジハード=聖戦=宗教戦争というような間違った見方をするようになったのかというと、私が思うのにはおそらく、次の事柄が原因だと思います。

一、歴史のうえから、また一部の権力者、支配者が戦争を正当化したり、戦争遂行の大義名分の為に宗教を利用しまたはジハードの言葉を利用した結果として、

一、欧州で、イスラーム教徒は「コーランか剣か」と二者択一をせまり、イスラームに改宗するか、死ぬかなどと相手を脅迫、殺害し勢力拡大していると悪意をもった宣伝、イメージがつくられ、そして誤解した結果として、

一、テロ集団がイスラームの名を騙り無差別殺人を繰り返し行っている結果として、

一、誤翻訳、誤解釈などによる結果として。。

その他いろいろとあると思いますが、大きく分けて四つの理由から、ジハードという言葉に戦争という意味が加わって、誤解されていったものと思われます。本来のイスラームの教えから見たなら、戦争をすることや殺人などは絶対にありえません。

≪慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において≫
聖典  第5章「食卓」32節
《人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の 生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである(と定めた)》

第4章「婦人」29節
《またあなたがた自身を、殺し(たり害し)てはならない。》

とあります。アッラーを信仰し、イスラームを生活の規範とするならば、殺人行為(自殺、他殺)は本来やってもならないし出来ないはずです。

思真鶴金o(^▽^)o


肝苦りさん

2020-07-27 17:57:09 | 3 琉球黄金言葉
琉球黄金言葉(るーちゅーくがにくとぅば)・ことわざ・格言・名言など。。
 
肝苦りさん
 
沖縄には、『肝苦りさん(ちむぐりさん)』という言葉があります。
 
“かわいそう”とか“同情”とかいう風に訳されているのをよく聞いたりしますが、そうではありません。
『肝苦りさん』には“かわいそう”って言う見下ろしたような言葉でもなく、“気の毒”っていう他人事な言葉でも、“同情”や“心苦しい”って言う、ある意味いい気な、微温的なものでもありません。
 
では、『肝苦りさん』とは何か?
 
『肝苦りさん』を説明する前に、沖縄の人がよく使う、『肝心(ちむぐくる)』を少し説明します。
日本語でも肝心(かんじん)とか、肝要とか使われているように、人体にとって欠くことのできない内臓に例えて、最も重要なことをいいあらわします。
 
沖縄の『肝心(ちむぐくる)』とは、 
『心』は嬉しいとか、悲しいとかの喜怒哀楽、好嫌いや。快・不快、同情など・・・移ろいやすく、変容しやすいものです。
『肝』は誰にでもあり、肉体そのものであり、普遍のものに譬えます。
 
では、『肝苦りさん』はというと、
他者の痛み、苦しみは、自分の内蔵がかき回されているような激痛であり、苦しみを感じるというのです。
人の苦しみや悲しみは、けっして他人事ではなく、その痛み苦しみが我が事として感じる、という激しい表現なのです。人の痛みを自分のものとして胸を痛めること。
口先だけの「かわいそう」とは、全く異なる沖縄の言葉なのです。
 
人がつらい目にあっているときに、うわべだけで「かわいそう」といっても意味はない、あなたが苦しんでいると、私も本当に苦しい・・・と、ですから、“心苦しい”との表現ではなく、“肝苦しい”なのです。そうしたのが沖縄のちむぐくるなのです。
 
本土にない言葉が、なぜ沖縄にはあるのか? 
ある本土作家の先生が、
『遠い昔から異民族支配下におかれてきた沖縄の人たちが、気の遠くなるようなかなしみの果てに身につけてきたものが「肝苦りさん」の思想なのではないか、』と。思惟した結果を述べています。。
 
思真鶴金o(^▽^)o

2020年、沖縄慰霊の日

2020-06-23 12:00:39 | 10 綸言・諛言・諫言

平和宣言

沖縄全戦没者追悼式

 戦争終結75年の節目を迎えようとする今日、私たちは、忌まわしい戦争の記憶を風化させない、再び同じ過ちを繰り返さない、繰り返させないため、沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝え、平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信し、共有することを呼びかけます。

 戦後、沖縄県民は人権と自治が抑圧された米軍占領下にある中、先人から大切に受け継がれてきた文化を守り、チムグクルを育みながら、復興と発展の道を力強く歩んできました。

 しかしながら戦後75年を経た現在もなお、国土面積の約0.6パーセントに米軍専用施設の約70.3パーセントが集中し、米軍人・軍属等による事件・事故や航空機騒音、PFOS(ピーフォス)による水質汚染等の環境問題は、県民生活に多大な影響を及ぼし続けています。

 名護市辺野古で進められている新基地建設の場所である辺野古・大浦湾周辺の海は、絶滅危惧種262種を含む5,300種以上の生物が生息しているホープスポットです。世界自然遺産への登録が待たれるヤンバルの森も生物多様性の宝庫であり、陸と海が連環するこの沖縄の自然体系そのものが私たちウチナーンチュのかけがえのない財産です。この自然豊かな海や森を次の世代、またその次の世代に残していくために、今を生きる我々世代が未来を見据え、責任を持って考えることが重要です。

 県民の平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に発信し、国際平和の創造に貢献することを目的として、2001年に創設した沖縄平和賞の第1回受賞者であるペシャワール会の中村哲医師が、昨年の末、アフガニスタンで凶弾に倒れるという突然の悲報がありました。中村先生は人の幸せを「三度のご飯が食べられ、家族が一緒に穏やかに暮らせること」と説き、現地の人々が生きるために河を引き、干からびた大地を緑に変え、武器を農具に持ち換える喜びを身をもって示されました。私たちは、中村先生の「非暴力と無私の奉仕」に共鳴し、その姿から人々が平和に生きることとは何かを学ばせていただきました。

 しかし、依然として世界では、地域紛争やテロの脅威にさらされている国や地域があり、貧困、飢餓、差別、人権の抑圧、環境の破壊などの構造的な暴力が横行しています。

 さらに、全世界で新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、人々の命と生活が脅かされる未曾有の事態にあり、経済活動にも甚大な影響が生じています。この感染症は、病気への恐れが不安を呼び、その不安が差別や偏見を生み出し、社会を分断させるという怖さを秘めています。

 だからこそ命(ぬち)どぅ宝、生きることの尊さを、世界中の人々がそれぞれの立場や違いを認め合い、協力し、信頼し合うことにより、心穏やかで真に豊かな生活を送ることができるよう、国連が提唱するSDGsの推進をはじめとした人間の安全保障の実現に向け、国際社会が一体となって取り組んでいくことが今こそ重要ではないでしょうか。

 ここ平和祈念公園には、国籍や人種の別なく戦争で亡くなられた全ての方々の名前を刻む「平和の礎(いしじ)」があります。礎の前で、刻まれた名前をなぞりながら生きていた証を感じ、いつまでも忘れないとの祈りを寄せる御遺族の姿は、私たちの心に深々と染み入ってきます。

 平和の広場の中央には、被爆地広島市の「平和の灯(ともしび)」と長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火と、沖縄戦最初の米軍の上陸地である座間味村阿嘉島で採取した火を合わせた「平和の火」がともされております。私たちは、人類史上他に類を見ない惨禍を経験されたヒロシマ・ナガサキと平和を願う心を共有し、人類が二度と「黒い雨」や「鉄の暴風」を経験することがないよう、心に「平和の火」をともし、尊い誓いを守り続ける決意を新たにします。

 そして今こそ全人類の英知を結集して、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため総力をあげてまい進しなければなりません。

 此(く)りまでぃに有(あ)てーならん戦争(いくさ)因(ゆゐ)に可惜命(あたらぬち)、失(うしな)みそーちゃる人々(かたがた)ぬ魂(たましー)が穏々(などぅなどぅー)とぅなみしぇーる如(ぐとぅ) 御祈(うにげー)っし、此(く)りから未来(さちじゃち)ぬ世(ゆー)ねー 戦争(いくさ)ぬ無(ねー)らん弥勒世(みるくゆー)(平和)招(まに)ち、御万人(うまんちゅ)ぬ喜(ゆるく)びぬ満(みっ)ち溢(あ)んでぃぬなみしぇーし心底(しんてぃー)から念願(にんぐゎん)っし、行(い)ちゅる所存(うむい)やいびーん。

I pray that the souls of those who lost their lives in past wars may rest in peace. I will continue to pray for peace and happiness in the future of mankind.

 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての み霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、私たちは、戦争を風化させないための道のりを真摯に探り、我が国が非核平和国家としての矜持を持ち、世界の人々と手を取り合い、この島が平和交流の拠点となるべく国際平和の実現に貢献する役割を果たしていくために、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

 令和2年6月23日 
           沖縄県知事 玉城 デニー

うちなーぐち・英語の訳
 これまでの戦争による犠牲になった人々の魂が安らぎあらんことを祈り、これからの人類の未来には平和と喜びあらんことを祈り続けます。

※玉城デニー知事の発言そのまま掲載しています。

沖縄県の公式ホームページの平和宣言文では、8段落目の「命(ぬち)どぅ宝、生きることの尊さを」の部分は削除されています。

 


2019年、全国戦没者追悼式首相式辞

2019-08-15 15:50:48 | 10 綸言・諛言・諫言

令和元年度全国戦没者追悼式

総理大臣式辞

令和元年、2019年8月15日(木) 於 日本武道館


 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表、多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、すべての御霊の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。

 今、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは決して忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。

 未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。ご遺骨が一日も早くふるさとに戻られるよう、私たちの使命として全力を尽くしてまいります。

 我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。

 戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この誓いは、昭和、平成、そして、令和の時代においても決して変わることはありません。平和で、希望に満ち溢れる新たな時代を創り上げていくため、世界が直面している様々な課題の解決に向け、国際社会と力を合わせて全力で取り組んでまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。

 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。

令和元年八月十五日
内閣総理大臣 安倍 晋三