平和津梁の鐘

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ジハード

2020-07-28 18:40:37 | 9 耀魄宝

ジハード

2010年6月2日のYahoo!ブログ記事から再掲載。

ジハードと聞くと、多くの人は武器をもって戦争するとか、敵と戦うこととかイメージすると思います。
ジハード=聖戦と訳されて、マスコミなどによって誤解と偏見で伝えられ恐れられていますが、ジハードという言葉、本来は奮闘し努力を意味するアラビア語です。

イスラーム教の創始者となった預言者ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフのメッカ時代には、ジハードという言葉に戦闘、戦争の意味はなく、自分の心の中の悪と戦うこと、あるいは社会的な善行を行うことを指していました。

では、戦争や防衛、治安維持などのための戦いは何というのか?これは「キタール」といわれていました。

≪慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において≫
聖典 第29章「蜘蛛章」6節
「信仰のために奮闘努力(ジハード)する者は、自分自身のために奮闘努力(ジハード)しているのである。」

ジハードには二つあります。
一、小さなジハード(外へのジハード)とは、受動的なジハード「物質的な戦い」であります。
二、大きなジハード(内へのジハード)とは、能動的なジハードであり「精神的な戦い」であります。

小さなジハードとはアッラーのために努力する事は、すべて小さなジハードです。

例えば、布教することも小さなジハード。募金をしたとか、誰かに笑顔で接しただとか、皆と一緒に喜んだ、誰かの為に祈った、人に親切にしたとか、誰かの為に怒ったとか。神の意思、教えに基づいた行動や神の為に行われたムスリムのあらゆる行動、喜怒哀楽の表情などすべてが、小さなジハード。

大きなジハードとは能動的なジハード「精神的な戦い」であります。

人間の生命、魂、精神というのはどうしても悪に傾いていく傾向があります。また、善を行い徳を積むことを忘れたり、目標、目的を忘れたり、ただ惰性に流されがちです。人間誰しも惰性に流されずに生きていくのは難しいと思います。でも、少しでも前進しよう、向上しよう、また善に向かおうと、自分自身を自ら律していく内面での戦い、努力が大きなジハードというのです。

ジハードというのは、奮闘。努力。それが本来の、本当の意味なのです。
戦争とか、あるいは人を殺すとか、主義主張が違うものを倒すとか、というような意味は一切無いのが真実です。しかし、一部のムスリム(イスラーム教徒)や非ムスリムがジハード=聖戦=宗教戦争というような間違った見方をするようになったのかというと、私が思うのにはおそらく、次の事柄が原因だと思います。

一、歴史のうえから、また一部の権力者、支配者が戦争を正当化したり、戦争遂行の大義名分の為に宗教を利用しまたはジハードの言葉を利用した結果として、

一、欧州で、イスラーム教徒は「コーランか剣か」と二者択一をせまり、イスラームに改宗するか、死ぬかなどと相手を脅迫、殺害し勢力拡大していると悪意をもった宣伝、イメージがつくられ、そして誤解した結果として、

一、テロ集団がイスラームの名を騙り無差別殺人を繰り返し行っている結果として、

一、誤翻訳、誤解釈などによる結果として。。

その他いろいろとあると思いますが、大きく分けて四つの理由から、ジハードという言葉に戦争という意味が加わって、誤解されていったものと思われます。本来のイスラームの教えから見たなら、戦争をすることや殺人などは絶対にありえません。

≪慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において≫
聖典  第5章「食卓」32節
《人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の 生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである(と定めた)》

第4章「婦人」29節
《またあなたがた自身を、殺し(たり害し)てはならない。》

とあります。アッラーを信仰し、イスラームを生活の規範とするならば、殺人行為(自殺、他殺)は本来やってもならないし出来ないはずです。

思真鶴金o(^▽^)o