平和津梁の鐘

海は母 生物を生み育み豊かな資源を恵む母  海は道 遥かなる国々より文化と友誼を運ぶ道

沖縄戦の証言について

2020-07-31 23:50:33 | 52 沖縄戦の証言・軍人

沖縄戦の証言について

以下の点について、ご理解・ご了承くださるようお願いいたします。

カテゴリー・『沖縄戦の証言・軍人』は、沖縄に派遣された軍人の沖縄戦体験の証言を中心に掲載します。また現地で招集された兵士及び他国出身者の軍人の証言も含みます。

ここのブログで掲載する、沖縄戦証言・軍人に関して、いくつか留意する点があります。

1、沖縄戦の体験者の証言について、

一、証言は、沖縄戦体験者が戦争終結して長い年月が経って語ったものです。そのため、あいまいなところや記憶違いが含まれている可能性があります。また証言の中には、現在において、適切ではない言葉・表現が含まれている場合もありますが、そのまま掲載しています。

二、証言は、長い話やまた断片的に語ったものもあります。文字にして数行程度のものもそのまま掲載しています。

2、沖縄戦の体験者の証言収集について、

一、私が戦争体験者から、直接に伺った話。

ゆっくりと時間をかけて、戦争中の出来事を話して頂いたものや、又その何気ない話の中で、時折戦争の事を語ったもの、ちょっとした待ち時間などで、話して下さったものなど、様々な場面で聴いた話です。

二、体験者の遺族や、関係者から間接に伺った話。

戦争体験した方は高齢者となっています。病気などで直接話する事が出来ない方もいます。また又既に亡くなられた方も多数います。その戦争体験の話を、両親や祖父母から受け継いだ家族や関係者から、間接的に聴いた話です。

三、出版物やネットなどで公開されている証言の収集。

沖縄戦を体験した方から、聞き取りなどで証言を集めた証言集。個人的に出版した書籍。各自治体が発表した証言。公共団体などがインターネット上で公開している証言など(無許可掲載も数多くあるm(__)m)。

3、証言者の氏名や体験場所などについて、

一、証言者の氏名の扱いなど。

ここのブログでは証言者の氏名などは、出来る限り実名で掲載しますが、匿名の場合もあります。見知らぬ人と、袖が触れ合う程度のちょっとした出会いのなかで、相手の名前も知らない方からの話で、氏名は不明と言うこともあります。また氏名を公表したくない方もいますし、無許可掲載もある為に匿名の場合もあります。或いは氏名を公表しても所属や部隊名を公表したくないという方もいます。

二、証言者の体験場所の扱いなど。

体験場所や現在の地名が分かる事で、証言者の現住所や個人情報等が特定される恐れがある場合は伏せて掲載します。また、不慣れな土地で激戦に巻き込まれて詳細な場所は知らないという方もいます。

4、その他の注意事項。

ここのブログに掲載する、沖縄戦の証言について、政治的意図や補償問題など、全く関係ありません。又、イデオロギー論争や歴史認識の問題、左右分かれての不毛の論争、当ブログは全くする気は有りません。沖縄地上戦経験者の貴重な話に対して、誹謗中傷や嫌がらせ、当ブログに対しての誹謗中傷、荒らしなどの迷惑行為はしないで下さい。

 


沖縄戦の証言について

2020-07-31 23:42:23 | 50 沖縄戦の証言・住民

沖縄戦の証言について

以下の点について、ご理解・ご了承くださるようお願いいたします。

カテゴリー・『沖縄戦の証言・住民』は、沖縄住民の地上戦体験の証言を中心に掲載します。また他府県出身者及び他国出身者の沖縄地上戦体験の証言も含みます。

ここのブログで掲載する、沖縄戦証言・住民に関して、いくつか留意する点があります。

1、沖縄戦の体験者の証言について、

一、証言は、沖縄戦体験者が戦争終結して長い年月が経って語ったものです。そのため、あいまいなところや記憶違いが含まれている可能性があります。また証言の中には、現在において、適切ではない言葉・表現が含まれている場合もありますが、そのまま掲載しています。

二、証言は、長い話やまた断片的に語ったものもあります。文字にして数行程度のものもそのまま掲載しています。

2、沖縄戦の体験者の証言収集について、

一、私が戦争体験者から、直接に伺った話。
ゆっくりと時間をかけて、戦争中の出来事を話して頂いたものや、又その何気ない話の中で、時折戦争の事を語ったもの、ちょっとした待ち時間などで、話して下さったものなど、様々な場面で聴いた話です。


二、体験者の遺族や、関係者から間接に伺った話。

戦争体験した方は高齢者となっています。病気などで直接話する事が出来ない方もいます。また又既に亡くなられた方も多数います。その戦争体験の話を、両親や祖父母から受け継いだ家族や関係者から、間接的に聴いた話です。

三、出版物やネットなどで公開されている証言の収集。

沖縄戦を体験した方から、聞き取りなどで証言を集めた証言集。個人的に出版した書籍。各自治体が発表した証言。公共団体などがインターネット上で公開している証言など(無許可掲載も数多くあるm(__)m)。

3、証言者の氏名や体験場所などについて、

一、証言者の氏名の扱いなど。

ここのブログでは証言者の氏名などは、出来る限り実名で掲載しますが、匿名の場合もあります。見知らぬ人と、袖が触れ合う程度のちょっとした出会いのなかで、相手の名前も知らない方からの話で、氏名は不明と言うこともあります。また、氏名を公表したくない方もいますし、無許可掲載もある為に匿名の場合もあります。

二、証言者の体験場所の扱いなど。

体験場所や現在の地名が分かる事で、証言者の現住所や個人情報等が特定される恐れがある場合は伏せて掲載します。また沖縄戦を体験した方は、敵兵から身を守る為、逃げるのに必死で、詳細な場所は知らないという方も数多くいます。

4、その他の注意事項。

ここのブログに掲載する、沖縄戦の証言について、政治的意図や補償問題など、全く関係ありません。又、イデオロギー論争や歴史認識の問題、左右分かれての不毛の論争、当ブログは全くする気は有りません。沖縄地上戦経験者の貴重な話に対して、誹謗中傷や嫌がらせ、当ブログに対しての誹謗中傷、荒らしなどの迷惑行為はしないで下さい。

 

 


ジハード

2020-07-28 18:40:37 | 9 耀魄宝

ジハード

2010年6月2日のYahoo!ブログ記事から再掲載。

ジハードと聞くと、多くの人は武器をもって戦争するとか、敵と戦うこととかイメージすると思います。
ジハード=聖戦と訳されて、マスコミなどによって誤解と偏見で伝えられ恐れられていますが、ジハードという言葉、本来は奮闘し努力を意味するアラビア語です。

イスラーム教の創始者となった預言者ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフのメッカ時代には、ジハードという言葉に戦闘、戦争の意味はなく、自分の心の中の悪と戦うこと、あるいは社会的な善行を行うことを指していました。

では、戦争や防衛、治安維持などのための戦いは何というのか?これは「キタール」といわれていました。

≪慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において≫
聖典 第29章「蜘蛛章」6節
「信仰のために奮闘努力(ジハード)する者は、自分自身のために奮闘努力(ジハード)しているのである。」

ジハードには二つあります。
一、小さなジハード(外へのジハード)とは、受動的なジハード「物質的な戦い」であります。
二、大きなジハード(内へのジハード)とは、能動的なジハードであり「精神的な戦い」であります。

小さなジハードとはアッラーのために努力する事は、すべて小さなジハードです。

例えば、布教することも小さなジハード。募金をしたとか、誰かに笑顔で接しただとか、皆と一緒に喜んだ、誰かの為に祈った、人に親切にしたとか、誰かの為に怒ったとか。神の意思、教えに基づいた行動や神の為に行われたムスリムのあらゆる行動、喜怒哀楽の表情などすべてが、小さなジハード。

大きなジハードとは能動的なジハード「精神的な戦い」であります。

人間の生命、魂、精神というのはどうしても悪に傾いていく傾向があります。また、善を行い徳を積むことを忘れたり、目標、目的を忘れたり、ただ惰性に流されがちです。人間誰しも惰性に流されずに生きていくのは難しいと思います。でも、少しでも前進しよう、向上しよう、また善に向かおうと、自分自身を自ら律していく内面での戦い、努力が大きなジハードというのです。

ジハードというのは、奮闘。努力。それが本来の、本当の意味なのです。
戦争とか、あるいは人を殺すとか、主義主張が違うものを倒すとか、というような意味は一切無いのが真実です。しかし、一部のムスリム(イスラーム教徒)や非ムスリムがジハード=聖戦=宗教戦争というような間違った見方をするようになったのかというと、私が思うのにはおそらく、次の事柄が原因だと思います。

一、歴史のうえから、また一部の権力者、支配者が戦争を正当化したり、戦争遂行の大義名分の為に宗教を利用しまたはジハードの言葉を利用した結果として、

一、欧州で、イスラーム教徒は「コーランか剣か」と二者択一をせまり、イスラームに改宗するか、死ぬかなどと相手を脅迫、殺害し勢力拡大していると悪意をもった宣伝、イメージがつくられ、そして誤解した結果として、

一、テロ集団がイスラームの名を騙り無差別殺人を繰り返し行っている結果として、

一、誤翻訳、誤解釈などによる結果として。。

その他いろいろとあると思いますが、大きく分けて四つの理由から、ジハードという言葉に戦争という意味が加わって、誤解されていったものと思われます。本来のイスラームの教えから見たなら、戦争をすることや殺人などは絶対にありえません。

≪慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において≫
聖典  第5章「食卓」32節
《人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の 生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである(と定めた)》

第4章「婦人」29節
《またあなたがた自身を、殺し(たり害し)てはならない。》

とあります。アッラーを信仰し、イスラームを生活の規範とするならば、殺人行為(自殺、他殺)は本来やってもならないし出来ないはずです。

思真鶴金o(^▽^)o


肝苦りさん

2020-07-27 17:57:09 | 3 琉球黄金言葉
琉球黄金言葉(るーちゅーくがにくとぅば)・ことわざ・格言・名言など。。
 
肝苦りさん
 
沖縄には、『肝苦りさん(ちむぐりさん)』という言葉があります。
 
“かわいそう”とか“同情”とかいう風に訳されているのをよく聞いたりしますが、そうではありません。
『肝苦りさん』には“かわいそう”って言う見下ろしたような言葉でもなく、“気の毒”っていう他人事な言葉でも、“同情”や“心苦しい”って言う、ある意味いい気な、微温的なものでもありません。
 
では、『肝苦りさん』とは何か?
 
『肝苦りさん』を説明する前に、沖縄の人がよく使う、『肝心(ちむぐくる)』を少し説明します。
日本語でも肝心(かんじん)とか、肝要とか使われているように、人体にとって欠くことのできない内臓に例えて、最も重要なことをいいあらわします。
 
沖縄の『肝心(ちむぐくる)』とは、 
『心』は嬉しいとか、悲しいとかの喜怒哀楽、好嫌いや。快・不快、同情など・・・移ろいやすく、変容しやすいものです。
『肝』は誰にでもあり、肉体そのものであり、普遍のものに譬えます。
 
では、『肝苦りさん』はというと、
他者の痛み、苦しみは、自分の内蔵がかき回されているような激痛であり、苦しみを感じるというのです。
人の苦しみや悲しみは、けっして他人事ではなく、その痛み苦しみが我が事として感じる、という激しい表現なのです。人の痛みを自分のものとして胸を痛めること。
口先だけの「かわいそう」とは、全く異なる沖縄の言葉なのです。
 
人がつらい目にあっているときに、うわべだけで「かわいそう」といっても意味はない、あなたが苦しんでいると、私も本当に苦しい・・・と、ですから、“心苦しい”との表現ではなく、“肝苦しい”なのです。そうしたのが沖縄のちむぐくるなのです。
 
本土にない言葉が、なぜ沖縄にはあるのか? 
ある本土作家の先生が、
『遠い昔から異民族支配下におかれてきた沖縄の人たちが、気の遠くなるようなかなしみの果てに身につけてきたものが「肝苦りさん」の思想なのではないか、』と。思惟した結果を述べています。。
 
思真鶴金o(^▽^)o