It loves such me. 

等身大の來伊羅☆に触れてほしくて・・・  

影響力

2009年01月18日 | Weblog


飯島愛さんのお別れ会を、引退するまで所属していたナベプロが

開催することなったらしい。

そんなところからのスタートで、ネットサーフィンしてたら

泣く子も黙るデヴィ夫人のブログに行き着いた。

この方は普段マスコミに、自分の気持ちを思ったままに表現する。

良く言えば裏表がない。悪く言えば何でもズバズバ言い過ぎる。

自分のブログとなると、更にそれが増すものだと想像できる。

思った通り・・すご・・・(゜A゜)

亡くなった彼女とは、深い交流もあった様で

発見された24日にブログでも、悲しい気持ちが書かれていた。

未だに死因説は明らかにされてない。

引退がささやかれる頃から、週刊誌やネットでは彼女の良からぬ噂をピックアップ

死因の真相なんて、今更明らかにもする必要もないし、

彼女の噂を明らかにする必要もない。

この世にいない彼女が、謝罪や真相も語れる訳もない。まさに死人に口無し。

なのにデヴィさん、噂についてや彼女が悩んでた事をブログで公表してる。

いつも正直で生きてきた方なのかもしれない。

ですが夫人は芸能人・有名人、

あの人が語ったことでどれだけの影響力があるか、考えての事でしょうか。

私も等身大のブログとして、ずっとやってきてるけど、

規模が違うでしょ・・・影響力が違い過ぎるでしょ。(´Д`)

某外人タレントと、仲たがいして揉めてる最中でもある様で、

そのタレントの方のことも、今になって暴露されてる裏話が書かれてた。

揉めてるとは言え、裏切られたからと言え、

ネット上で公表しちゃうのが凄い。

恐るべしデヴィさま。( ・`д・´)

正直に表現されてるブログなのだろうけど、

私は、あまり良い気持ちになれなかったし、共感もできなかった。

亡くなった彼女と深い交流があったなら、墓場までそれを持って行ってほしい。

それでも、世の中は色々な考えの人間がいる。

共感できるとされてるコメもいくつか書かれていた。

距離感がなくなると、強~い味方であるが、

敵になったら、とんでもない強敵キャラだなぁ。(´゜'ω゜`)

でも、あれだけ凄いこと言っても、どうして夫人の場合、

マスコミは取り上げないし、騒がないのでしょうか。

夫人と言うより、取り巻く人材を取り上げたら・・・

この先はご自身のご想像にお任せいたします。(^ω^)


さて、本日もからスタートです。

一緒にあったまろ


薄れてゆく

2009年01月17日 | life


人は事件や事故、目を伏せたくなる様な出来事を、

教訓として深く心に刻んでおこうと思う時がある。

その筈なのに・・・

阪神淡路大震災が起きた日から、今日で14年になる。

去年まで、その時間に起きていたり必ず忘れずにいた。

14年目にして、すっかり忘れてしまってる自分が悲しかったなぁ。

父の弟が六甲に住んでいて家は半壊したけど、家族全員は無事だった。

それでも連絡がついたのは、一週間も過ぎてからだった。

毎朝学校に行く前に、NHKで親族の名前が読み上げられるか、

不安であり、毎日が息苦しくていたたまれなかった。

それなのに、今日はカレンダーを見ても気がつかなかった。

ニュースで追悼の映像を見て、はっとした。

どんなに辛い思いをしても、その気持ち・記憶って和らいだり薄れたりするんだね。

和らいだりすることで前向きになれるし、それは素晴らしいことだとも思う。

思うんだけど・・・

ちょっとなぁ。

嫌なことを一刻も忘れたいと思う時は、

経過がゆっくりに感じ辛く思えたりするのに、

忘れたくない事は時によって、すっかり忘れてしまったりする。

なんでだろうねぇ。



あんな出来事が起こらない事を、心から願います。


腹筋

2009年01月16日 | 


腹筋が痛いです。(´Д`)

そして声が、まるで酒焼けしたスナックのママみたいな声です。('A`)

昨夜の新年会で笑った笑った。三年分くらいまとめて笑った感じ。

1次会は居酒屋、社長とAちゃんのまるで、つっこみ漫才の様な会話が

かみ合ってないんだけど、それが見てる側は可笑しくて。( *´艸`)クスッ

とても上司と部下の間柄に思えない言い合い。

どこまで無礼講なんだぉ。わはは゜( ゜^∀^゜)゜。

勿論、普段からではな・・ぃ・・・と思う。(´^ё^`) プ

食べて飲んで、でもまだまだ終わらない。

2次会はカラオケへ。

カラオケで歌って声が嗄れたんじゃなくて、笑いすぎて嗄れたって凄くね

深夜4時過ぎにして、やっとエンジンがかかったよNちゃん。(≧∇≦ )

あそこまでやってくれるとは、想像外でしたが(^ω^

芋荒坂課長の様に、軽快に尚且つ壊れてしまったかの様なダンスに脱帽。

とにかく盛り上げる場所には、彼女は不可欠な存在と認識 

(*´σー`)エヘヘ  優しい表情で飲むYさん。

また、もっともっと石亭が大好きになった。

厳しい時期に差し掛かろうと、なんだか乗り切そうな気がする~

帰りの電車、朝の通勤の人々が行き交う中、思い出し笑いをこらえながら

のん気に揺られて家路に着きました。

お休みじゃないのに、朝まで付き合ってくれた方々、
本当にありがとうございました。m(_ _)m

明日までに、嗄れた声を美声に戻しておきますね。

:からスタートです

いか~ん。

2009年01月15日 | 


今日こそは、のんびり優雅に身支度をして、

一日が始まる予定な筈が見事に大寝坊。(´Д`)

出掛ける時間に目が覚めた。 

しかも今日は、事もあろうに電車で出かける日。

オーマイガッ(>'A`)>

身が凍る程、焦りまくって布団から這い出て

店に正直に連絡して、大急ぎで支度していたら、(゜Д゜゜д゜)

母も何やら出掛ける支度をしてる。

私「どうしたの

「昨日からメールで、あれ持ってこいこれ持ってこいだの

今朝も早くからメール攻撃なのよ。」と母。

父よ・・・あんたは泰葉か・・・(・`д・´)

もぅ本当に寂しがり屋さんで、そんな風にしか甘えを表現できんのかい。

自分の父でありながら、母に対する愛情表現が本当に下手だと痛感。

まぁ、古い感覚の人間だしなぁ。(´瓜`)

まだ昨日、入院したばっかなのに。(o´Å`)

風が冷たい中、母は大きい鞄を抱えて出掛けて行った。

つーか、それどころじゃないてば私、ヽ(´Д`´Д`)ノ

急いで着替えて外に出た。ε=ε=ε=ε=\(´□`)/                                   

いつも車で気がつかなかったけど、

顔がさぶーい。(x ω x) 手袋しないと手がちべたい・・・(´^`)

電車通勤の方、改めて御苦労さまでございます。(*´ェ`*)

駅に着き、きっぷ売り場のボードとにらめっこ。

田舎から出てきた人か、齢年寄りみたいに立ち尽くす。ボ━━(´。` )━━ッ

いくらかわからん・・・ ( ノω-、)

どこのお嬢様って感じ。┐(´д`)┌

西川口まで電車で行ったことなかったんだも~ん。(・ω・`)

なんとか切符を買い電車に乗りました。

ふぅ・・・ε-(-ω-`A)

駅からお店まで近かったんだね。

周りのお店を改めて知る。

へぇ・・・車で来ちゃうと気がつかない事が沢山あるんだな。(^ω^)


いくら最近忙しかったと言え、遅れるのはいかんね。(-"-)

気を引き締め直さなきゃ。(ー`´ー)


なんで今日は電車かって

仕事終えた後に、待望の新年会だからでぇ~す。ヽ(*´∀`)ノ゜

お店の人達とのイベントは初めてなので、凄く嬉しいです。ギザ(*´∀`*)ウレシス

車じゃ飲めないですからね~。朝まで騒ぐつもりd(≧∀≦)

って浮かれて寝坊した訳じゃないですよぉ。(´-ω-`)ゞ

一応言い訳しておきますが・・・

こんな日だからこそ、ちゃんとしたかったのにぃ。

自分のばかぁ・・ ヾ(#`Д´)σ[ノ ヽ``┼┐]


ひとまず終結

2009年01月14日 | 家族


今朝、10時過ぎに父は母に付き添ってもらい、紹介された病院へ

私は11時前に鍼灸院へ。

お昼少し過ぎた頃に終わり自宅に戻ろうと車へ乗り、

携帯を見ると母からの不在着信。

留守録が入ってる。聞いてみると「これ聞いたら大至急連絡して

いや~な悪寒(゛゜'ω゜')  なんだろうと恐る恐る母の携帯にかけてみる。

2コールくらいで直ぐ出た。

「お父さん入院しちゃった。」と母

「うん、それは予定してたことだし・・」と切り返す私。

「入院手続きして、荷物取りに一旦自宅に車で戻ると言ったら

車の運転はいけませんって強制的に入院させられちゃったの・・・

車で来ちゃってるし、病院の駐車場に入ってるんだけど、

有料だから・・」と母。

もうどこまで人騒がせな親だこと。('A`)

自宅の前からタクシーを拾い病院まで行き、父の車で母を乗せて自宅に戻り、

そして荷物を持って病院の前で母を降ろし、_| ̄|○”ハァハァハァ

また自宅に戻って仕事へ行く支度をしました。ε=(-ω-`A) フゥ…

父も入院したし、もぅこれでひとまず大丈夫だろう・・・( ̄ω ̄)

母に聞いたら胆のうが炎症起こして、かなりヤバかった状態らしい。

破裂寸前だったと言う。(*゜Д`)

そりゃ、医者も即入院させるし、車の運転なんてさせるわきゃーなぃ。( ̄Д ̄)

石も大きいの三個だって。

さっさと摘出すれば、こんな大騒ぎにならなかったろうに。(A´・ω・)

今まで全く症状が無かったから、摘出する気にならなかったんだろうけど。

麻酔も掛かりにくい体質な上に、心臓が弱いんだから

大事になりかねないの、自分で解ってる筈なのにぃ~(o´_`o)

食事の休憩に母に連絡したら、帰ってきたばかりだと言ってた。

先週末から色々あり過ぎて、かなりへとへとに違いない。

「今晩、とにかくゆっくりしなよ。」と言うと

疲れた声で返事がかえってきた。

本当にお疲れさま・・・お母さんまで倒れないでよ。 (・д・`*)

続くときは続くもんだねぇ。(-A-)

ひとまず、騒動終結・・・と願うょ。(っ´ω`c)



一夜明けて

2009年01月13日 | 家族


昨夜、仕事を終えて自宅に戻った時には、

両親は休んでいました。

昼前に目が覚めて父の様子を聞くと、じっとしていると痛みがないけど

動くと痛みが響くんだって。('・c_・` )ソッカー

午後になり、行きつけの病院に連れていきました。

診断は胆のう結石、もう30年も前から持ってる病気でしたが、

ずっと無症状であった為、放置状態にしていたらしい。(´д`)

血尿も出てるので、担当医は、「今すぐにでも入院」と福島と同じ様な返事。

行きつけの病院には、入院設備がないので、

自宅に近い病院を選んでもらい、紹介所を書いていただきました。

父は明日、紹介された病院に行って手続きをした後に、

一度自宅に荷物を取りに戻って入院するからと言いました。

「そんな面倒くさいから、荷物も一緒に持っていって、手続き終わったら

そのまま入院すりゃいいじゃん」と私

「部屋が空いてるか、その日に入院できるかわからないから」と父

でも直ぐにでも入院と言われてるくらいなのに、

そんな事気にしなくてもいいんじゃないかと思うけどなぁ・・・(´ε`)

とりあえず、また極度の痛みが出る様だったら、

真夜中でも救急で行こうねと言いました。

「いつでも病院に行けるように準備しておいて」と付け加えたら

持っていくバックに、薬や保険証を何度も出したり入れたり確認してた。(´∀`)

まぁ、私はまだ年齢的に若いけど、

母は精神的にも肉体的にも、かなり来てるみたいだ。(´д`)ママン…

そりゃそーだよね・・・自分の兄弟の告別式の日に旦那が入院して、

知らない病院で入院させられた父は、不安でパニックになったのか、

「帰る!帰る!」と看護師に何度も言っていたそう。ハァ━(-д-)━ァ...

その度に母の携帯に連絡を入れるが、出れる訳もない。

あまりに連絡が入るので、親族は納骨はこっちで済ますから

病院に行っていいよと言われたらしいが、

最後の最後だもの。はいそーですかとはいかないと思う。(o´_`o)

全てを終えて病院に向かったのは夕方6時過ぎ。

本当は母は残って、父だけ電車に乗って当初帰ってくる予定だったが、

余韻に浸る間もなく、連れて一緒に電車で帰った来た訳である。

今回は母が少し気の毒になってしまった。(´‐ω‐) 

勿論、父の体が心配であるけど・・・

時折、子供みたいに周りを顧みることができなくなる。

困ったもんだ。(´-ω-`)ゞポリポリ

まぁ、今始ったことではないですが・・・

とにかく我がままでもなんでも親は親。

元気に長生きはしてほしい。(*´-ω-`)


今回、改めて伯父さんが凄い人だと思いました。

お通夜で300人、告別式で600人、弔問に訪れてくれた方の人数。

ちょっとした著名人並みだ~ (=゜ω゜=)

お焼香が足りなくなったなんて、聞いた事もないっす。( ̄Д ̄)


ここのところ、バタついていますけど、

私の方は元気ですから、みんな心配しないでね。(´ω`*)

ちゃんと睡眠、こんな時でもたっぷり取ってるから大丈夫ぉ。(*・∀-)

心配のメールありがとう(*´▽`*)

嬉しい気持ちを抱きしめながら、眠りにつきたいと思います。(*´ー`)


明日も元気に出勤するお(゜▽^*)ノ⌒


気が気じゃない日

2009年01月12日 | 家族


昨夜の帰路の途中、父に何度か連絡して繋がらなかったけど、

何かあれば連絡があると思い、

私も自宅につくと、どっと張りつめた気持ちが緩んでか、

すぐに眠りにつき、ぎりぎりの時間まで目が覚めなかった。

支度しながら連絡しても、また出ない。

マナーモードで気がつかないのかな・・

12時から告別式と聞いていたので、

自宅を出る2時30分、まだ電話に出られる状態じゃないだろうと思い車に乗った。

あと2,3㌔で到着する頃、姉から連絡が入った。

「お父さん倒れて、福島の病院に入院したんだって

「え・・・」(゛゜'ω゜') 頭が真っ白になってしまった。

流石に私も後で掛け直すとは言えず、

片手運転で携帯を持っていたところに、

道路の真ん中を、警官が得意げに登場。

ガ━━il||li(-д-)il||li|||━━ン

警官と話ししてる時も、手が震えてパニクっていた。

状況を聞かれたので、とりあえず焦りながら説明した。

おそらくいつもと変わらないペースで、淡々とした様子で、

私に反則金納付書と、サインをするようにと青切符を渡した。

なんかやり切れないのと、気持ちが凍った彼らをみていたら

ポロっと(*´;ェ;`*) 涙が出てしまった。
       
違反は違反ですから、それは仕方ないと理解できます。

見て見ぬふりして、何の言葉もないのが泣けた。.。.:*・゜(´^`)゜・*:.。.

余計に彼らに対して不信感が募りました。

状況によって、もう少し配慮はないのか・・・

うかつだった私にも勿論落ち度はある。しかし・・・

さっさとサインでもなんでもして、その場所から立ち去りたかった。


出勤してから時間が空いた時、姉に折り返し連絡をして詳しく状況を聞いた。

昨夜、親戚に送ってもらい10時にはホテルに戻ったそう。

戻ってから、激しく胃の痛みが強くなり嘔吐してしまい、

朝まで七転八倒していたそうです。

朝、フロントの方から斎場に居る母に連絡があり、

部屋に胃薬を持って行き飲ませたが、それでも落ち着かず、

病院に連れて行き、そのまま入院。

父は告別式に出れず、母は告別式→出棺→納骨を終えてから

病院に戻ったそう。

原因は、極度のストレスじゃないかと。

足を怪我してから、遠出することもなかったし、

歩きにくそうに移動して、周りにかなり気を使っていたのでしょう。

伯父に対面して、想像以上に打撃が強かったんではないでしょうか。

自分にも置き換えて考えたり・・・

人よりナイーブな面が強いので、昨夜、そんな予感が私の中にあったのかも。

朝より落ち着いたのことで、母は無理やり退院させて、

一緒に電車に乗り、こちらに戻ってる最中だそうです。

心配なので上野まで姉に迎えに出てもらうことにしました。


とにかく今日は柄にもなく、パニクったり気が気がじゃなく、

ご迷惑をおかけした部分もあったんではないかと。

この場をお借りして、お詫び申し上げます。

明日は公休なので、父を病院に連れていったら、

私も慌ただしかった気持ちをリセットして、少し気持ちも休ませたいと思います。

ご心配をおかけして、すみませ~ん。ヾ(´▽`A

水曜には、いつもの私でお出迎え出来ると思いますから(ゝω・)キャピ

まぁ、大丈夫と聞いて安心したけど、

マジ、もう勘弁してよ~~il||li(つд-。)il||li ってくらい焦った日でした。


ただいま・・・

2009年01月11日 | life


ただいま・・

今さっきお家に着きました。

片道300キロの道のりでしたが、

義理兄の超ハイレベルの運転技術で、 無謀な日帰りを決行できました。

これだけの大勢の親類が再会したのは、本当に久しぶりのこと。

「いくつになったんだ」「結婚は」と耳の痛い質問攻めに遭いました。

「こんな時にしか顔出さなくて、ごめんなさい。」と10数年ぶりの姉が言うと

容赦なく「本当よ~」とやつれたけど、笑顔で返す伯母さん。


伯父さん 「入れもの」的にしか どうしても見えなくて・・・

まるで蝋人形館のお人形。表情が生前と結びつかなくて、

遺影はメタボ気味だった10年前の写真なので、余計に実感が湧きません。

会うまで気丈に振舞っていた母が、

「もう苦しまなくていいんだね・・」と涙声で話しかけていました。

温かく胸が切なくなる会の始まりです。

一年半の闘病生活の上の他界。

親族にとっては、大変であった一年でもあり・・・

覚悟をしていた矢先でもあるけど、肉親となるといつの別れでも辛い。

必ずやってくると理解はしている筈だけど、その日が出来るだけ

遅れて来てほしいのと、体も限界になりそうになる気持ちが混ざった気持ちなのでしょう。

会を終えてからも思い出話しが募り、後ろ髪引かれる思いで

姉と義理兄と私で斎場を後にしました。

母は親族と伯父と一緒の部屋に泊まり、父は駅のビジネスホテルへ。

もう少し斎場にみんなといると言っていたので、

独りでホテルの部屋に戻るのは、寂しいと感じたのかな・・・

慣れない長距離の移動などで父の事も気がかりでしたが、

みんなと一緒なら大丈夫だと思い、自宅につきました。

朝から行動して、長い一日だったと思うけど、

私は、それ程長い時間には感じなかった。

あっと言う間の慌ただしい一日だった。

帰りの車で、街灯が殆どない真っ暗な のどかな風景が、

優しく照らす月明かりが綺麗だった。

自宅に帰るまで、まるで見守る様に照らしてくれてた。


伯父の件で、やはり自分の両親に対する思いが更に強くなりました。

虚弱でも、普通の生活ができる二人、

現在がそうでも、伯父の様に1年先、2年先・・

予期せぬ出来事が起こるかもしれない。

医者嫌いでなかったら、もう少し、もっと長生きできたと思うよ。伯父ちゃん。

ここを読んでる方で、医者は怖い、痛いと思う人いるかもしれませんが、

定期的な健診を進んで受けてれば、痛い思いも軽いうちで済むし、

親族は悲しい思いをしなくて済むのです。

自分の体を大切にしてくださいね。

健康じゃないと、心配でも仕事出来なくなっちゃうから

私の心からの願いです。


義理兄さん、長い距離の往復を本当にありがとう。助かりました。

でも安全運転してよ

久しぶりのアトラクションに乗った様な乗り心地でしたぞ。


さて明日からまた元気に働くぞ~

からのスタートです。お待ちしておりまぁす。


{{{{(+ω+)}}}} 寒ぃぃぃ

2009年01月10日 | life


昨日と打って変って良い天気ですが、風が冷たくて

さぶぃ。(+_+)

こんな日は目が覚めてからも、

布団でぬくぬくうだうだやってる時が至福のひととき。(*´∀`*)ウットリ

・・・・時計を見て、血の気が引き(゛゜'ω゜') 

一瞬にして、天国から地獄。(>'A`)>イヤアァァァ

布団から飛び起きて慌てて支度。アワ((゜゜дд゜゜ ))ワワ

冬は、本当に苦手です。寒いの嫌ぃ・・('A`)

ライラは布団で丸くなる 正月で体が丸くなるって言うバージョンもあったりする。

なのにその癖、靴下嫌いでいつでも素足。(´-ω-`)ゞポリポリ

矛盾してると、よく言われます。 (´・ω・`)ショボボン

今日も寒いけど張り切って行ってきます。(・∀・)

みなさまも体調にお気をつけくださいね。


※昨日もお話ししましたが、

明日11日(日)お通夜の為にお休みいただくことになりました。

遊びに行こうと予定立てていた方には、ご迷惑をおかけしますが

どうかご了承下さい。

12日(月)は通常通りから出勤いたします。




おつかれさま

2009年01月09日 | life


伯父が夕方6時過ぎに、この世を去りました。

急な温度の変化には勝てなかったのでしょう。

長い看病で身内もくたくたになっていたらしく、

まだ生きたいと頑張っていた伯父も、そんなみんなのことを考えて

もういいかな・・と思ったのかもしれません。

辛い・寒い・悲しい思いなく、楽になってくれるかな。

お疲れさま。

最後のお別れに行きます。

あなたの中にはあなたはいないけど、どこからか見ていてくれるよね。

よく喧嘩していたお婆ちゃんと、今度は同じ気持ちでお話できるでしょ。

お母さんのこと見守っててよ。頼むよ~




伯父さんとのお別れをしに、11日に行きたいと思ってます。

まだ正式にお通夜の日時など決定していないのですが、

連休中に行われると思います。

明日には、お休みの日程のご報告できると思いますので、宜しくお願いします。


☆明日は通常通りからスタートです。


お土産

2009年01月08日 | 


お正月休みに、毎年北海道に行かれるお客さまから、

お土産をいただきました。(´∇`)

クリスタル製の天使のくまのメモスタンド。

最近は停滞していましたが、

ちゃ~んとクリスタルコレクションしていたの覚えていてくれた。(人´∀`)

もう一つは、天使のオーナメント これは振ると可愛い音がする。

二つとも天使って言うのも、嬉しいポイントです。(*´∀`*)

それと北海道のお菓子の定番 「白い恋人」

可愛い&美味しいお土産 Thank you

今年で3度目になるけど、去年いただいたグラスも

冷蔵庫で冷やして、お休みの日にビールいただいてます。

いつも素敵なお土産をありがとう Oさん

大切にします。



危篤の伯父、今のところ持ち直して落ち着いてるとのこと。

とりあえず良かった~~



昭和が終わった日

2009年01月07日 | マスコミ


20年前の今日、「昭和が終わった日」だとワイドショーで知りました。

平成になって20年だもんなぁ。(´・ω・`)

小学低学年だった私、

学校が急にお休みになって、どこのチャンネルを回しても報道番組で

見たかった番組が無くなり、ぶーたれてた様な記憶が・・・(^ω^)

19歳から即位されて64年、歴代の中で最も長かった天皇だったんじゃないでしょうか。

昭和64年の500円硬貨、一枚持ってますょ。( ^ν^)

7日間しかなかった64年だから、記念に手元に残しておきました。(*´∀`*)

平成は何年の歴史を刻むのでしょう。

平成生まれからは、昭和は古い人間のイメージでなりつつあるのに、

平成の次の時代になったら、明治世代の様な印象になるのかしらん。( ・`д・´)


嫌な身支度

2009年01月06日 | life


前々から重い病気で入退院を繰り返していた伯父、

暮れから思わしくない状態になり、明日が峠ではないかと伯母から連絡が入った。

大人になると心配しながら、もしもの身支度など

相手が危篤な状況で色々段取りを考えなきゃいけないことが辛い。

逝くのを待ってるみたいで、凄く嫌だ。

仕方がないのは解ってる。でも嫌だ。

子供の頃、夏休みになると福島にいる伯父のところへ一か月は預けられていた。

自宅の目の前は海、同じ年頃の親戚も多くいたので

寂しさは全くなかったけど、

何かを心に閉ざした幼少時代の私を、伯父は知ってる。

余計なことを語る人じゃなかったけど、時折ぼそっと一言・・・

とても重みがあった事を、今でもよく覚えてる。

意識があるうちに会いに行ってれば良かったなぁ。

誰にでも、いつかは必ず来る別れなんだけど、どうしてか考えられなくて

考えたくなくて・・・

避けていた現実を無理やり突きつけられて、胸がざわざわしつつ

嫌な準備や身支度をしてる。

あぁ~~~嫌だ。



ココロザシ

2009年01月05日 | 


石亭の事務所や控室には、明言や格言的なことが額で飾られたり、

貼られたりしています。

相田みつをの名言であったり、志であったり、ラジバンダリ・・←もう飽きたって。(´Д`)

社長が抜粋して貼られてるのですが、

事務所に貼られてるものが 「自分はどうだろう?」

見てみると、「挨拶が出来ない人間程、自分に自信がない。

笑顔が作れない人間は、社会で通用しない・・」

ふんふん・・(´ε` ) 良いことが書いてある。(´ー`)

「慌てる人間程、他人のせいにする」 あ~自分にも思い当たるトコだぁ~(´瓜`)

いいトコ突かれちゃったなぁ。(´-ω-`)ゞポリポリ

「回りが見えないない人間は、自分も見えない」 うんうん(-_-)・・・  うぇ(。´-ω・)



(-Ⅱ-)  



見えないない(´・艸・`)ぁぁぁ


なぁ~にぃ~ ( ゜Å゜) 

やっちまったな ( ・`д・´)

あ~社長、素晴らしいお言葉が続いてるのに、

誤字のままプリントアウト、その上に事務所にバェ~ンと貼っちゃった。(ノ∀`)アチャー

社長ご自身も、貼った直後に気がついたらしいのですが、あえてそのまま。

男は黙ってスルー    かっくいい( ^ω^)~ 

いやお茶目(*´∀`*)

こりゃブログにUPするしかないでそ。Ψ(`∀´)Ψ

もちろん社長本人の許可を得ての事。

最初は照れ笑いしながら「ダメだよ~」と言われましたが、

ブログのネタがつきてきて・・(ノД`)シクシク と半分泣き落としの汚い手を使い~のヾ(・∀・)オイオイ

UPさせていただきました。(^ω^) 社長ゴメンチャイ

私自身こそ、今一度「自分はどうだろう?」を見直すべきじゃないだろうか。




_| ̄|○ il||li


季節の便り

2009年01月04日 | 


初出勤だった本日、

控室で準備してる所に、

「ちゃんと元旦に届いていたよ。」と主任が葉書を渡してくれました。

差出人の名前がないけど一目見て、いえ・・

見なくてもすぐ解りました。(´∇`)

それは季節の便りを必ず送ってくれる方がいるので。(ゝω・)キャピ

西川口に移動した現在も、ちゃんと住所を調べて送っていただいた様です。

内容を拝見してから、またまた感激

だって銀魂年賀だもん(人´∀`)

干支は全く関係ないけど嬉しい\(^o^)/

メールで済ます方も多い昨今、エコじゃないかもしれないけど、

やっぱり葉書の便りって嬉しいですね。(*´∀`*)

その人の個性が詰まってたりするから・・・

ありがとう。(´ー`)

大変な時だったりするのに、気にしてくれる気持ちに感謝。

初出勤早々、銀ちゃん年賀に萌え~させてくれてあにがと '`ァ,、ァ(*´Д`*)'`ァ,、ァ


うし今年も去年同様頑張りまぁ~す。(´∀`)9

別に干支を意識してないじょ。(;^ω^)


※明日から通常のからのスタートになります。