自分の悪い癖のひとつに、
メディアが「○○が流行の兆しを…」という謳い文句に対して
「誰が流行らせようとしているのか?」を最初に考えてしまうというものがあります。
卑近では「冬ソナ」に端を発する「韓流(最近まで「かんりゅう」だと思っていた)」ブーム。
なんだか「韓流」と言われると、韓国のあらゆる物が日本でありがたがられているような
印象を受けるんですが、実際はただの「冬ソナ」ブーム以上のものでは
なかったのではないかと思うことがしばしば。
一部では電通がこの流行の片棒を担いでいたなどと言う
風の噂も聞いたりして、
「ああ、流行ってのは作られるものなんだなぁ」としみじみ思います。
あと、「手品ブーム」とか。
自分の近辺で流行している空気を感じないのですが、誰が言い出したんでしょうね。
誰かが騒いでいると言うことは、おそらくどこかで流行しているんでしょうけれど、
最近はテレビが騒ぐ「流行」の渦中に居る(熱中している)人の数は減り続け、
逆に無関心な人の数は多くなっているような気がしてなりません。
自分のような、ネットにかなり依存している人間でさえ最近まで「
電車男」の存在すら知りませんでしたし。
情報化が進むと言うことは、大量の情報を得られるだけでなく、
得たくない情報は徹底的にフィルタリングできるという事でもあるのではないかと思います。
よって、受け手個人は、面白いと思う情報のみの摂取に特化されていき、
無数の小規模なコミュニティ(同好の志の集まり)が点在しているような状態なのではないか、と。
なので、仮にその中でも最大級に規模の大きなコミュニティ一つに脚光を浴びせても、
全体からしてみれば僅かな影響力しか持ち合わせていないので、
それをテレビや雑誌と言った全国区な規模のメディアが取り上げても、
大多数には何の関心も得られないどころか、取り上げられたコミュニティにとっても
はた迷惑な事態を引き起こしているのではないかな、と思うわけで。
報道番組やワイドショーなどで取り上げられる「萌え」特集に感じる違和感も、
そんなところから由来しているのではないかなぁ。
何ゆえにテレビは、秋葉原の住人を面白おかしく映したがるんでしょうね。
まさか、ネットとの親和性が高く、テレビや新聞が制御できない彼らに対する牽制なのでは…
と言うのは
CIAの陰謀並みに陳腐な考え方でしょうけれど。