Real-One blog

退却系駄目人間的電子網記録

民主の疑惑メールの正体が判明?

2006年02月27日 00時46分41秒 | 駄文
http://www.sanspo.com/sokuho/0226sokuho149.html

党調査チームはメールの信ぴょう性を再検証するため、永田氏の入手当初から黒塗りされていたというヘッダーの送受信者欄の解明に取り組んだ。その結果、いずれも「フリー記者」のメールアドレスが記されていたことが分かったという。

パソコン上の編集文書をメールの体裁に整えてプリントアウトするために、自分で自分に送信したと考えられる。


…ダメだこりゃ。

「社会民主主義」だ、そうですよ

2006年02月15日 07時16分56秒 | 駄文
http://www.iwate-np.co.jp/newspack/cgi-bin/newspack.cgi?detail+CN2006021101001757_1
【基本理念】社会民主主義の理念と政策の実現を目指す。社会のあらゆる領域で民主主義を拡大し、「平和・自由・平等・共生」の理念を具体化する改革運動を社会民主主義と位置付ける。
ふーん。

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BC%D2%B2%F1%CC%B1%BC%E7%BC%E7%B5%C1&kind=jn&from=Mozilla/Firefox
しゃかい-みんしゅしゅぎ ―くわい― 7 【社会民主主義】

(1)第一次大戦以前の、マルクス主義を含む社会主義的潮流の総称。
(2)暴力革命を否定し、議会を通じて漸進的に改良を重ねて社会主義を実現しようとする立場。狭義には、ベルンシュタインの修正主義を初めとする非マルクス主義的社会主義の総称。


三省堂提供「大辞林 第二版」より
…。

まあ、好きにしたら?としか…

見も蓋もない但し書き

2006年02月14日 23時44分20秒 | 駄文
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20060214k0000e030038000c.html
 ただし、社説は、南京事件の市民の犠牲者を中国側が主張している「数十万人」としたり、中国潜水艦の領海侵犯事件などがありながら「中国が最近、日本に脅威を与えたような記録はない」と指摘するなど、中国寄りの論評となっている
見も蓋もありゃしない(苦笑)。

手段と目的が一致していないこの国の「反戦活動」

2006年02月03日 01時14分03秒 | 駄文
詳細は以下のエントリーを読んでいただくとして。

http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50330522.html
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50271087.html

まあ確かに、平和を望んだり叫んだりする事自体に異論はありません。平和あってこその今の生活ですから。
しかし、いざそれを実行している彼らに違和感を感じる人は、私だけではないはずです。
その理由について考えてみました。そして「彼らの目的と手段が一致していない」という結論にたどり着きました。

前提条件として、彼らは「活動家」を名乗っています。つまり彼らは、自分の意見を周囲に呼びかけ、
その意見に同調する「味方」を増やす事で社会全体に影響力を与えようとしています。
その行為自体になんら問題点はありません。選挙期間中の立候補者の街頭演説や、駅前での現職議員の「辻説法」と同種のものですから。

問題は手段です。上記URLで問題を起こした人々というのは、立ち入りを禁じられているはずの場所に立ち入ったり、公園のトイレに落書きをするなど、他人にとって迷惑な(法に触れる)手段をとるという困った共通点があります。多くの人が感じる違和感の正体はそこにあるように思えます。

諺の中に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という物があります。
はたして、違法行為をしでかすような人の言葉を、一体誰が聞いてくれるのでしょうか?
確かに、その人と主張の内容自体は切り離して考えるべきかもしれません。しかし、現実にはそういう高尚な人が少数派なのは明らかです。
反戦活動家を自認するのであれば、「不法侵入」や「落書き」による反戦のメッセージが、大勢の人々に共感を得られるかどうか、行動を起こす前に予測するはずですが、上記URLの人々というのはそれが出来ていないように思えます。私にはこの点が非常に不可解です。
さらに、立川で逮捕された活動家は高裁判決を不服として上告しましたが、これはつまり最高裁で無罪を勝ち取るという意思表示でもあります。という事は、自衛隊官舎の住民に以下のように宣言していると言い換えることも可能です。
最高裁で無罪になったら、これからも何度もビラを投函してやるぞ。ビラ投函禁止の張り紙など全て無視してやるぞ。お前達の迷惑など知った事か。
官舎の住民が、果たしてこういう人たちの言葉に耳を傾けるのでしょうか?
落書き犯も、後日の機関紙のインタビュー記事では落書きの正当性を主張する事に終始しており、その具体的な「実効性」については殆ど語っていません。あのような落書きを見て「戦争はいけない」と感じる人が果たしてどれほどいるのか、または落書きそのものを不快に感じる人には逆効果ではないのかを常識に則って想像している様子も見えません。

こういったケースでわざわざ警察が動く事の不自然さは、実効性に乏しい手段に固執する彼らの不自然さから生まれたもののように感じます。

当事者ご本人の見解を伺いたいところです。

「言論弾圧ビジネス」という言葉が頭を通り過ぎた(立川反戦ビラ訴訟)

2006年02月01日 07時24分58秒 | 駄文
今更な感じも否めない「立川反戦ビラ訴訟」ですが、実は高裁判決直後から色々と観察していたりします。
事のあらましをご存じない方は適当なキーワードで検索してもらうなどしていただくとして…。

年末辺りに帰省して、実家で色々と多忙だったため、しばらく忘れていたのですが、
ふと思い出したので改めて検索をかけてみると、まだまだ色々と議論は続いているようです。
特に、この事件で逮捕されたという女性活動家の方、テレビに出演したり講演会に呼ばれたりと、
その手のイベントに引く手数多だそうですね。きっと、もうしばらくすれば本も出版したりするんでしょうか。


私が何を言いたいのかは、エントリーのタイトルと太字部分からお察しください。
この手の「反戦活動」に感じる違和感については次回以降にでも。