詳細は以下のエントリーを読んでいただくとして。
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50330522.html
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50271087.html
まあ確かに、平和を望んだり叫んだりする事自体に異論はありません。平和あってこその今の生活ですから。
しかし、いざそれを実行している彼らに違和感を感じる人は、私だけではないはずです。
その理由について考えてみました。そして「
彼らの目的と手段が一致していない」という結論にたどり着きました。
前提条件として、彼らは「活動家」を名乗っています。つまり彼らは、自分の意見を周囲に呼びかけ、
その意見に同調する「味方」を増やす事で社会全体に影響力を与えようとしています。
その行為自体になんら問題点はありません。選挙期間中の立候補者の街頭演説や、駅前での現職議員の「辻説法」と同種のものですから。
問題は手段です。上記URLで問題を起こした人々というのは、立ち入りを禁じられているはずの場所に立ち入ったり、公園のトイレに落書きをするなど、
他人にとって迷惑な(法に触れる)手段をとるという困った共通点があります。多くの人が感じる違和感の正体はそこにあるように思えます。
諺の中に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という物があります。
はたして、
違法行為をしでかすような人の言葉を、一体誰が聞いてくれるのでしょうか?
確かに、その人と主張の内容自体は切り離して考えるべきかもしれません。しかし、現実にはそういう高尚な人が少数派なのは明らかです。
反戦活動家を自認するのであれば、「不法侵入」や「落書き」による反戦のメッセージが、大勢の人々に共感を得られるかどうか、行動を起こす前に予測するはずですが、上記URLの人々というのはそれが出来ていないように思えます。私にはこの点が非常に不可解です。
さらに、立川で逮捕された活動家は高裁判決を不服として上告しましたが、これはつまり最高裁で無罪を勝ち取るという意思表示でもあります。という事は、自衛隊官舎の住民に以下のように宣言していると言い換えることも可能です。
最高裁で無罪になったら、これからも何度もビラを投函してやるぞ。ビラ投函禁止の張り紙など全て無視してやるぞ。お前達の迷惑など知った事か。
官舎の住民が、果たしてこういう人たちの言葉に耳を傾けるのでしょうか?
落書き犯も、後日の機関紙のインタビュー記事では落書きの正当性を主張する事に終始しており、その具体的な「実効性」については殆ど語っていません。あのような落書きを見て「戦争はいけない」と感じる人が果たしてどれほどいるのか、または
落書きそのものを不快に感じる人には逆効果ではないのかを常識に則って想像している様子も見えません。
こういったケースでわざわざ警察が動く事の不自然さは、実効性に乏しい手段に固執する彼らの不自然さから生まれたもののように感じます。
当事者ご本人の見解を伺いたいところです。