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■ オレ流“非情さい配”で悲願達成!落合竜53年ぶり日本一!(サンスポ・2007年11月2日)
■ 「最後は岩瀬さんに…」中日・山井、自ら降板願い出る(同・2007年11月2日)
落合監督が見せた、前代未聞の継投。
日本シリーズでパーフェクト自体がこれまでなかったんですから、前代未聞なのも当たり前なんですが、それにしてもこれまでの常識を覆す継投だったがために、さっそく物議を醸しているようです。
まずはファンの声から。
■ オレ流交代 読者は「賛成」多数(スポニチ・2007年11月2日)
こういうアンケートは実施する時点でバイアスがかかる(回答する人の層が偏ってしまう)ため、集計結果を鵜呑みにすることはできません。
加えて、「こんなことをしていたらファンは減る」という人がいる一方で、「きょうから中日のファンになった」という人もいるわけで、簡単に賛成が多いとか少ないとか、数字上の問題では割り切れないとも思います。
53年の重圧を振り払うのに、絶対的守護神を出すのも選択。
(仮に山井が投げられる状態だったとして)山井の勢いに賭けるのも選択。
どちらも、勝つためにはあり得る選択で、どちらがより優れているかは、それこそ結果論で言うしかないでしょう。
ただ、少なくとも言えることは、この2つ両方を選ぶことはできないということ、そして、どちらを選ぶにせよ、それは落合監督のみが権利を持つ選択であるということです。
それだけに、岩瀬を送った選択に納得行かない人がいるのも当然でしょうし、彼らの批判が落合監督に向かうのも致し方ないことです。
ですが、この2人の言い草はいただけません。
■ やくみつる氏「空気読めない采配」 日本シリーズ談話(サンスポ・2007年11月2日)
■ タマキのナンヤラカンヤラ(玉木正之氏公式WEBサイト・2007年11月1日)
前者の記事ではいろんな方のコメントが出てますが、ここで問題としたのはやく氏のみです。
まず、やく氏。おそらく「空気が読めない」という言葉を使って、流行に乗ってることでもアピールしたかったのかも知れませんが、では岩瀬が投げ始めた後のナゴドの空気はどうでしょう?
空気の流れは読んで合わせるだけのものじゃなくて、自分で作るものでもあるんです。落合監督はそれに成功したわけで、やく氏はそれを理解できないということなんでしょうね。
そして、さらに酷いのが玉木氏。確か氏はスポーツライターという肩書きのようですが、文面を見る限り、どうにも酔っ払いの愚痴にしか見えない。
しかも、交代の原因が山井のマメが潰れたことだと分かっても、その「マメ」というのに執拗にこだわる。さも、この説明がウソであると言いたいかのように。
確かに、交代した時に実際に何が起きていたかは、ドラゴンズのベンチの中でしか分からないことです。
ですが、そこまで絡むんなら、絡むだけの根拠を見せてみなさいよ、とは言いたくなります。根拠もなしにグダグダ言ってるだけなら、それこそ落合監督や山井、そしてドラゴンズに対する侮辱にほかなりません。
(ちなみにこの人、ファイターズが北海道に移転する時に「球団名を『コンサドーレ札幌にしろ』と言ってたんですよね。別にコンサが悪くはないんですが、札幌限定の名前にしてたら失敗したと思うので、言う通りにしなくて大正解だったと思います)
何より、私がカチンと来たのが、「100年に1度あるかないかの凄い興奮の瞬間よりも53年ぶりの優勝を確実にしたかったというならナント小心な夢のない野球か!」という言い草。
この人、ドラゴンズのファンでもなんでもないはずですよね。それがよくもまぁ、自分の身勝手な願望を振り回せるなぁと。
「53年ぶり」というのは、事実としての歴史の積み重ねです。暗黒阪神から弱小日ハムへと渡った私に言わせれば、「○○年ぶり」という重苦しい言葉を振り払うのは、「100年に一度」なんて比喩よりも、はるかに意味のあることなんですよ。
もちろん、ファンの中にはそうでない人もいるでしょう。ただ、大事なのはそのチームのファンの思いであって、外野が偉そうにいうことでは断じてない。
まして、選手も監督も、ライターのためにスポーツをやってるわけではないんです。その点のわきまえがない人に、スポーツを語る資格があるかどうか、大いに疑問です。
と思ったら、「自分が阿呆やった。それだけのこっちゃ。」との一言。よく分かってるじゃないですか
(ただし、同じ批判でも佐々木信也さんは割に冷静に語っていて、好感が持てます。「プロはみんなが見たいものを見せることが大事」という一文には、「53年ぶりの日本一が見たいドラファンもたくさんいるでしょう?」と反論しますけどね)
ちなみに、私自身の考えについて。
私が監督だったとしたら、あの場面で交代はしなかっただろうと思います。その理由は、ファンが見たいもの云々ではなくて、山井の勢いに賭けておいて、ランナーが一人でも出れば、岩瀬にスイッチすればいいという考え方です。
ランナーが出てからの交代では遅きに失することになるリスクはありますが、ほかならぬ岩瀬なら、そのリスクも小さいでしょうからね。
少なくとも、ハムファンとして確実に言えることは、
どっちみち打てません><
幸雄さんが出なかったのはスルーですか?
■ 「最後は岩瀬さんに…」中日・山井、自ら降板願い出る(同・2007年11月2日)
落合監督が見せた、前代未聞の継投。
日本シリーズでパーフェクト自体がこれまでなかったんですから、前代未聞なのも当たり前なんですが、それにしてもこれまでの常識を覆す継投だったがために、さっそく物議を醸しているようです。
まずはファンの声から。
■ オレ流交代 読者は「賛成」多数(スポニチ・2007年11月2日)
こういうアンケートは実施する時点でバイアスがかかる(回答する人の層が偏ってしまう)ため、集計結果を鵜呑みにすることはできません。
加えて、「こんなことをしていたらファンは減る」という人がいる一方で、「きょうから中日のファンになった」という人もいるわけで、簡単に賛成が多いとか少ないとか、数字上の問題では割り切れないとも思います。
53年の重圧を振り払うのに、絶対的守護神を出すのも選択。
(仮に山井が投げられる状態だったとして)山井の勢いに賭けるのも選択。
どちらも、勝つためにはあり得る選択で、どちらがより優れているかは、それこそ結果論で言うしかないでしょう。
ただ、少なくとも言えることは、この2つ両方を選ぶことはできないということ、そして、どちらを選ぶにせよ、それは落合監督のみが権利を持つ選択であるということです。
それだけに、岩瀬を送った選択に納得行かない人がいるのも当然でしょうし、彼らの批判が落合監督に向かうのも致し方ないことです。
ですが、この2人の言い草はいただけません。
■ やくみつる氏「空気読めない采配」 日本シリーズ談話(サンスポ・2007年11月2日)
■ タマキのナンヤラカンヤラ(玉木正之氏公式WEBサイト・2007年11月1日)
前者の記事ではいろんな方のコメントが出てますが、ここで問題としたのはやく氏のみです。
まず、やく氏。おそらく「空気が読めない」という言葉を使って、流行に乗ってることでもアピールしたかったのかも知れませんが、では岩瀬が投げ始めた後のナゴドの空気はどうでしょう?
空気の流れは読んで合わせるだけのものじゃなくて、自分で作るものでもあるんです。落合監督はそれに成功したわけで、やく氏はそれを理解できないということなんでしょうね。
そして、さらに酷いのが玉木氏。確か氏はスポーツライターという肩書きのようですが、文面を見る限り、どうにも酔っ払いの愚痴にしか見えない。
しかも、交代の原因が山井のマメが潰れたことだと分かっても、その「マメ」というのに執拗にこだわる。さも、この説明がウソであると言いたいかのように。
確かに、交代した時に実際に何が起きていたかは、ドラゴンズのベンチの中でしか分からないことです。
ですが、そこまで絡むんなら、絡むだけの根拠を見せてみなさいよ、とは言いたくなります。根拠もなしにグダグダ言ってるだけなら、それこそ落合監督や山井、そしてドラゴンズに対する侮辱にほかなりません。
(ちなみにこの人、ファイターズが北海道に移転する時に「球団名を『コンサドーレ札幌にしろ』と言ってたんですよね。別にコンサが悪くはないんですが、札幌限定の名前にしてたら失敗したと思うので、言う通りにしなくて大正解だったと思います)
何より、私がカチンと来たのが、「100年に1度あるかないかの凄い興奮の瞬間よりも53年ぶりの優勝を確実にしたかったというならナント小心な夢のない野球か!」という言い草。
この人、ドラゴンズのファンでもなんでもないはずですよね。それがよくもまぁ、自分の身勝手な願望を振り回せるなぁと。
「53年ぶり」というのは、事実としての歴史の積み重ねです。暗黒阪神から弱小日ハムへと渡った私に言わせれば、「○○年ぶり」という重苦しい言葉を振り払うのは、「100年に一度」なんて比喩よりも、はるかに意味のあることなんですよ。
もちろん、ファンの中にはそうでない人もいるでしょう。ただ、大事なのはそのチームのファンの思いであって、外野が偉そうにいうことでは断じてない。
まして、選手も監督も、ライターのためにスポーツをやってるわけではないんです。その点のわきまえがない人に、スポーツを語る資格があるかどうか、大いに疑問です。
と思ったら、「自分が阿呆やった。それだけのこっちゃ。」との一言。
(ただし、同じ批判でも佐々木信也さんは割に冷静に語っていて、好感が持てます。「プロはみんなが見たいものを見せることが大事」という一文には、「53年ぶりの日本一が見たいドラファンもたくさんいるでしょう?」と反論しますけどね)
ちなみに、私自身の考えについて。
私が監督だったとしたら、あの場面で交代はしなかっただろうと思います。その理由は、ファンが見たいもの云々ではなくて、山井の勢いに賭けておいて、ランナーが一人でも出れば、岩瀬にスイッチすればいいという考え方です。
ランナーが出てからの交代では遅きに失することになるリスクはありますが、ほかならぬ岩瀬なら、そのリスクも小さいでしょうからね。
少なくとも、ハムファンとして確実に言えることは、
どっちみち打てません><
だから、落合采配は「正」だったということになると思います。
ただ一つ、希望を言うと、最後はユキオさんを出してみてほしかったです。
ただ、落合監督も打者出身なだけに、そういう打者心理は分かっていたでしょうし、
その心理まで天秤にかけた上での采配だったと思います。
ただ、これで幸雄さんが出なかったことが忘れられてしまっているのが寂しいですよね。
そりゃあ落合さんなら代えるだろうなと思いました。
彼が「大丈夫です、行きます!」と言えば、そのまま投げさせていたような気がしますけれども。
意地悪な見方をすれば、山井君、もしかしたら「おじけづいた」という側面がありはしないかと感じるのです。マメがつぶれた時に、無意識にでも一瞬でも、「降りる理由ができた」と思ってしまわなかったかどうか。
ただ、続投を主張していた場合はどうだったでしょうね?
去年の落合監督なら、間違いなくそのまま投げさせたでしょうが、
今年に関しては、CSを見ていても、代えてもおかしくないだろうな、とは思います。
もっとも、すべては「たら・れば」の話になってしまいますけどね。
「新庄は北海道が似合う。北海道で討ち死にした、あれ誰だったかな?そう、『土方巽』ですよ『土方巽』っているやないですか。あんな感じですよ。北海道で戦死した『土方巽』みたいでカッコいいですよ」
と言うのを目撃したんですが、
土方巽とは現代舞踏の重鎮です。
恥ずかし過ぎて周りが誰も突っ込みも訂正も入れませんでした。
つまり玉木氏とはそういう人です。
非情采配ってなんだよ。空気読めってなんだよ。
こちら寄ったら言いたい事言ってくれてたので(笑)
自分がガッカリしたのはこっち→代打田中幸。
むぅ~ん、最後まで出さんかったか。
には全米が泣いた。
ファイターズが史上初の日本シリーズ完全試合をドラゴンズ5番手の投手にくらうという屈辱を味あわなくてよかった、という意味で山井を代えた落合采配を支持してます。
まあ継投完全には変わりありませんが(涙)。
はい、おっしゃるとおりです(涙)
世間ではいろいろと騒がしいようですが、あそこで山井を交代させることができる落合監督と、最後にコユキさんを出場させなかったヒルマンの差が出たということじゃないですかね・・
私でもやらないような間違いですけどねぇ。
それに土方歳三は函館で戦死したわけで、そんな縁起でもない名前をよくぞ出してくれたと。
どうせならクラーク博士……って、どっちかというとヒルマン監督のイメージですが(^^;;)