にわか日ハムファンのブログ記念館

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【北海道・東日本パスの旅】(32)吉浜から

2014-01-13 08:03:05 | さすらいブロガー旅情編
 列車は三陸駅を出て、吉浜駅に着いた。ここから釜石まではまだ工事中なので、列車はここで折り返す。釜石までは路線バスを利用するが、時間があるので駅を見てみることにする。



 大震災当時と、その後の吉浜。



 大震災の後、テレビの企画で吉浜を訪れたのが縁で名誉駅長となった志村けんのパネルと、駅長の制服。



 宮古にも木彫りがあったが、やはり漁師町といえば猫なのか。



 駅の2階に上る。三陸鉄道の復旧を願うのぼりと横断幕が掲げられている。



 駅の外に出てみた。正面は人の顔に見立てられている。この塗装も、どこかの企業とのタイアップで実現したらしい。
 先程の駅長もそうだが、大震災の被災地に有名人や企業が入って何がしかの企画を行うのは、TPOと現地のニーズに合う限り、決して否定すべきものではない。
 むしろ、その土地の人々にとって本当に助けになるのなら、どんどんやればいい。売名行為だという人がいれば、言わせておけばいい。
 ただ……大震災の被災地に限らず、日本には過疎や高齢化など、衰勢を食い止められずに悩む地域は、それこそ山ほどある。
 そういう地域の中にも、スポットが当たっていいところはあるだろうし、まして、そこで何とか地域に賑わいを取り戻そうとする人々がいるのなら、そちらも大きく取り上げられたり、協賛を受けたりするに値するとは思うのだ。
 被災地かそれ以外かのどちらか、ではない、どちらも、だ。どちらも同じ日本、同じ世界ではないか。



 駅のそばには跨線橋がある。ここから釜石方面を眺めてみる。



 企業側の奮闘と、人々の願いの甲斐あって、存続が危ぶまれた三陸鉄道は、来年春の全線復旧にめどが立ったという。
 ただ、大事なのはそこからだ。復旧された路線が、さらに長く地域の足として活躍し続けられるか。すぐには分からないが、とにもかくにも、復旧したらその時は、私がまたここを通ることになる。



 岩手県交通のバスがやってきた。このバスで釜石に向かう。
 そして、ここでデジカメの電池が完全に終了。スマホの電池も心もとないが、とにかく進むしかない。
 乗り込んだバスは外観も古めかしければ、運転席もクラッチが床まで直結している旧来のもの。車両によってはオートマすらある時代に、よくぞ生き残ったと思ってしまう代物だ。
 この車両に乗って、国道45号線を北へと向かう。峠越えの道は交通量もそこそこ多く、やはり工事用の車両を多く見かける。
 途中、まだまだ復旧工事中の唐丹駅、仮設住宅が多く並ぶ野球場を通り、さらに坂を下りて行った先に、大きな工場地帯が現れた。釜石だ。
 大津波の爪痕は、ここ釜石でも容易く見つかる。それをスマートフォンに収める、という考えがないではなかったが、ズームの効かない機械では、まともな画像が撮れたとしてもたかが知れているだろう。
 何より、バスの車内でシャッター音を響かせることには、まだ抵抗がある。そんな躊躇いを消せないうちに、バスは釜石駅に着いた。



 とはいうものの、動くバスという閉鎖空間ならとにかく、外で歩いている間なら、スマートフォンも問題にはなかろう。
 三陸鉄道の釜石駅の前にはバリアが置かれている。これが解かれるのは、2年以上待ち続けている列車が再び訪れる時だ。



 なので、今回利用するのはJR釜石駅。ここから再び内陸に入り、一関の宿へと戻る。



 花巻方面へのディーゼルカーはすでに停車中、発車まで間もない。バスが数分遅れていて、待ち時間にあまり余裕がなかったのだ。1枚だけ画像にしてから乗り込むと、列車は程なく釜石を発車した。
 実はこの後、花巻での乗り換え時間の間に、私は一縷の望みをかけていた。花巻の駅から少し離れたところに家電量販店があり、そこで充電用のケーブルが手に入るかも知れないのだ。
 花巻の駅を出ると、下り坂を走り、店へと入る。店員に事情を話して、ケーブルを探してもらうのだが、結局必要なものは見つからなかった。
 万事休す。明日はスマートフォンをフル稼働させるしか選択肢がない。
 列車どころか、BRTの中で使うというのは、普通に考えれば顰蹙ものだろうが……そこは、周りの空気を読みつつ、可能な範囲で使うか、「マナーの悪い鉄ヲタ」になるか、どちらかだ。
 すべて自分の責任、腹は括らなければなるまい。

【6日目】一ノ関→気仙沼→盛→吉浜→釜石→花巻→一ノ関


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