しまったぁ こないだ ツィッターで 舞ちゃんんとお写真を
一緒に とられてで もしかしたら 次は スポ友かぁ って 言ってたら
ほんとに スポ友に きてたぁ それも 昨日 あせ
浅田 舞のスポ友!
ビューンとDFの裏に
サッカー男子 ロンドン五輪日本代表 永井謙佑さん
ロンドン五輪で4位に入る好成績を残したサッカー男子日本代表の
フォワードの永井謙佑選手(23)に、所属するサッカーJリーグ・
名古屋グランパスのクラブハウス(愛知県豊田市)でお話を聞きました。
永井選手はロンドン五輪で2得点を挙げる活躍。
充実した五輪を過ごし、次は名古屋の2年ぶりの優勝へ目標を
切り替えていました。
名古屋の次回地元戦は10月6日の大宮戦(名古屋市瑞穂陸上競技場)です。
――日本は五輪で44年ぶりの準決勝進出。大活躍でしたね。
永井 チームとして結果が出て、個人としても得点が取れた。
メンバーの仲もとても良かったし、いい五輪が過ごせましたね。
――準々決勝で足を痛め、途中交代。
皆さん、心配したと思いますが、どうだったんですか。
永井 シュートの後、無防備な状態で相手の
スライディングを受けたので、左ふともも全体が内出血しました。
(準決勝は)痛みはあったけど、「出場できる」と自分から監督に言いました。
――銅メダルをかけた3位決定戦はどんな心境でしたか。
永井 メダルを取って、日本に帰ろうと、みんなで言い合っていました。
そこに向かって、一つになれたと思います。負けた時は本当に悔しかったですよ。
――海外の監督も足の速さを評価してました。
自分でも、速いなと感じる瞬間はありますか。
永井 相手DFの裏に抜けた時ですね。ビューンと行けるので。
――ビューンですか。
永井 ビューンですね。ビューンって、行ってます。(笑い)
――昨年9月に大学の同級生と結婚して、五輪を新婚旅行にと
考えていたという話を聞きました。
永井 ずっと試合に(奥さんが)付いてきてくれて、その予定だったんですけど、
結局はそんな風になるわけありませんよね。
――また、別の機会にですか。
永井 はい。今年のオフに。
――五輪が終わって、奥さんからは何か言われましたか。
永井 普通に「お疲れ様」と声をかけられ、
「また、Jリーグで優勝を目指して頑張ろう」と言われました。
今季の名古屋はずっと調子が悪かったのですが、やっと上がってきました。
あきらめずに、頑張りたいですね。
――2014年のワールドカップに特別な思いはありますか。
永井 はい。両親が仕事で(開催国の)ブラジルにいますしね。
そこを目指して、代表に入りたいですね。
ながい・けんすけ
1989年、広島県生まれ。父親の仕事で3歳から8歳まで暮らしたブラジルが
サッカーの原点。福岡大を経て、2011年にJリーグの名古屋に入団した。
10年のワールドカップ南アフリカ大会ではサポートメンバーとして、日本代表に
帯同。同年の広州アジア大会では得点王を獲得した。
身長1メートル77、体重74キロ。趣味は釣り。
支えたのは奥さん
ロンドン五輪で大注目を浴びた永井選手。他の選手が止まって見えるほどの速さは
テレビで見ていても、驚きました。50メートルのタイムは5秒8だそうです。
陸上競技の経験はなく、別の距離でタイムを計測したことはないようですが、
サッカー選手を相手に、「『ヨーイ、ドン』なら負けない」と胸を張っていました。
その五輪への道のりは険しかったようです。自身の性格を「寂しがり屋」と語った
永井選手を支えたのは、奥さんの存在ですね。好物を尋ねると、一番に奥さんが作る
「魚の煮付け」と話してくれました。「おいしいです」と目尻が下がり、
「落ち着いて、(五輪を目指すことが)できました」と感謝していました。
その奥さんが次に願うのが、名古屋の優勝。
14年のブラジルW杯出場とともにかなえて欲しいですね。
浅田舞さん
1988年、名古屋市生まれ。24歳。7歳で妹の真央選手とスケートを始め、
現在はアイスショーのほかスポーツキャスターなどにも挑戦している。
(2012年9月26日 読売新聞)
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/supotomo/supotomo120926_1.htm
で こないだの ツイッターで あったお写真の時に
今日は永井選手と浅田舞さんの対談。
この模様は24日の読売新聞朝刊に掲載されます!
って 言うのが 昨日投稿に だったんだね
一緒に とられてで もしかしたら 次は スポ友かぁ って 言ってたら
ほんとに スポ友に きてたぁ それも 昨日 あせ
浅田 舞のスポ友!
ビューンとDFの裏に
サッカー男子 ロンドン五輪日本代表 永井謙佑さん
ロンドン五輪で4位に入る好成績を残したサッカー男子日本代表の
フォワードの永井謙佑選手(23)に、所属するサッカーJリーグ・
名古屋グランパスのクラブハウス(愛知県豊田市)でお話を聞きました。
永井選手はロンドン五輪で2得点を挙げる活躍。
充実した五輪を過ごし、次は名古屋の2年ぶりの優勝へ目標を
切り替えていました。
名古屋の次回地元戦は10月6日の大宮戦(名古屋市瑞穂陸上競技場)です。
――日本は五輪で44年ぶりの準決勝進出。大活躍でしたね。
永井 チームとして結果が出て、個人としても得点が取れた。
メンバーの仲もとても良かったし、いい五輪が過ごせましたね。
――準々決勝で足を痛め、途中交代。
皆さん、心配したと思いますが、どうだったんですか。
永井 シュートの後、無防備な状態で相手の
スライディングを受けたので、左ふともも全体が内出血しました。
(準決勝は)痛みはあったけど、「出場できる」と自分から監督に言いました。
――銅メダルをかけた3位決定戦はどんな心境でしたか。
永井 メダルを取って、日本に帰ろうと、みんなで言い合っていました。
そこに向かって、一つになれたと思います。負けた時は本当に悔しかったですよ。
――海外の監督も足の速さを評価してました。
自分でも、速いなと感じる瞬間はありますか。
永井 相手DFの裏に抜けた時ですね。ビューンと行けるので。
――ビューンですか。
永井 ビューンですね。ビューンって、行ってます。(笑い)
――昨年9月に大学の同級生と結婚して、五輪を新婚旅行にと
考えていたという話を聞きました。
永井 ずっと試合に(奥さんが)付いてきてくれて、その予定だったんですけど、
結局はそんな風になるわけありませんよね。
――また、別の機会にですか。
永井 はい。今年のオフに。
――五輪が終わって、奥さんからは何か言われましたか。
永井 普通に「お疲れ様」と声をかけられ、
「また、Jリーグで優勝を目指して頑張ろう」と言われました。
今季の名古屋はずっと調子が悪かったのですが、やっと上がってきました。
あきらめずに、頑張りたいですね。
――2014年のワールドカップに特別な思いはありますか。
永井 はい。両親が仕事で(開催国の)ブラジルにいますしね。
そこを目指して、代表に入りたいですね。
ながい・けんすけ
1989年、広島県生まれ。父親の仕事で3歳から8歳まで暮らしたブラジルが
サッカーの原点。福岡大を経て、2011年にJリーグの名古屋に入団した。
10年のワールドカップ南アフリカ大会ではサポートメンバーとして、日本代表に
帯同。同年の広州アジア大会では得点王を獲得した。
身長1メートル77、体重74キロ。趣味は釣り。
支えたのは奥さん
ロンドン五輪で大注目を浴びた永井選手。他の選手が止まって見えるほどの速さは
テレビで見ていても、驚きました。50メートルのタイムは5秒8だそうです。
陸上競技の経験はなく、別の距離でタイムを計測したことはないようですが、
サッカー選手を相手に、「『ヨーイ、ドン』なら負けない」と胸を張っていました。
その五輪への道のりは険しかったようです。自身の性格を「寂しがり屋」と語った
永井選手を支えたのは、奥さんの存在ですね。好物を尋ねると、一番に奥さんが作る
「魚の煮付け」と話してくれました。「おいしいです」と目尻が下がり、
「落ち着いて、(五輪を目指すことが)できました」と感謝していました。
その奥さんが次に願うのが、名古屋の優勝。
14年のブラジルW杯出場とともにかなえて欲しいですね。
浅田舞さん
1988年、名古屋市生まれ。24歳。7歳で妹の真央選手とスケートを始め、
現在はアイスショーのほかスポーツキャスターなどにも挑戦している。
(2012年9月26日 読売新聞)
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/supotomo/supotomo120926_1.htm
で こないだの ツイッターで あったお写真の時に
今日は永井選手と浅田舞さんの対談。
この模様は24日の読売新聞朝刊に掲載されます!
って 言うのが 昨日投稿に だったんだね