私の再出発

再出発しなければならないのは私だけではなく、日本を始め世界だと気付きました・・・。

冷静に決意

2011-04-27 16:34:08 | 日記
私は今まで知ろうとしなかった。

時々ニュースになることがあっても、遠い場所での事故のことだった。

その事故で亡くなった方がいたけど、取り扱い方を間違えての事故だと放送していた。

そしていつも「安全です!!」と言われ続けていた。

だけど今回の震災で「安全です!!」と言われ続けてこられたものが、全く安全ではなく、

恐ろしく怖いものだと知った。

知れば知るほど恐ろしいもの。

その恐ろしいものに関わる恐ろしい人たち・・・。

これは事実なの!?

原発で働いて癌になり、亡くなる前に残された手記。

原発で働いて亡くなった、たくさんの人たち。

原発製造メーカーが何をしているのか。

原発は安全なところに建てられていない、むしろ危ないところに建てられている。

原発はコストが安くもなく、CO2の排出量が少なくないということ。

電力は本当に足りていないのか?実は余っている?


そして何よりも恐ろしいのは、こんなに危険なものなのを知っていても、それでも原発は

必要とムキになって言ってる人たち・・・。

TV局は反原発に関しては全く放送しないくせに、原発擁護は必死でする。特にフジTV。

こんな状況になっても、福島原発で働いている人たちや、その家族は、それでも原発が必要と

言い切る。

原発のお陰でそこで働くことができ、結婚することができ、家も買えたと言いながら、バスに

乗ってどこかに避難して行った家族。

お父さんが原発で働いているということがステイタス、自分も学校を卒業したら原発で働きたい、

と言ってた中学生の男の子。

原発の恩恵に預かって来た人たちは、事故を起こしてしまったけど、原発には感謝することが

できるかもしれない。

だけど、全く恩恵を受けることもなく、苦労して培ってきた牛や畑、家や仕事、全てそのままに

して、避難しなくてはならなかった人たちが大勢いる。

風評被害で野菜が売れない農家の方たち。

放射能物質が検出されてしまって出荷できなくなってしまった農家、酪農家、漁業の方たち。

空気、水、海、土、全てが汚染されてしまっている。

余震の度、余震の恐怖と、その後の原発の心配。


原発は余りにも危険すぎる。

もう、日本だけの問題ではない。地球規模の問題。

地球に住んでるからって、何をしてもいい訳じゃない。

自分たちのことだけ考えてはいけない。

今の子供たち、未来の子供たちが安心・安全に生きられる地球にしなくてはならない。


これまでの原発に感謝し、今までの生活を反省し、そしてこれからは原発反対を冷静に訴えて

いきたい。

1日も早く福島原発の収束を祈りつつ、新しいエネルギーの発明を願いつつ、日本、世界中の

原発が全てなくなりますように・・・。




コメント (16)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 強くなりたい!! | トップ | 1988年「朝まで生テレビ... »
最新の画像もっと見る

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
本当に怖いです (せり)
2011-04-28 20:08:41
もしかしたら ruさんが読んだものは 「平井憲夫さん」の手記ですか?


私も原発の事を色々と調べて読んでいた時に この方の手記を読み、今までの原発へのイメージが全て崩れ落ちました。
震災前の何も知らなかった時の私は 原発は人類が生み出した最先端技術の素晴らしいものみたいに漠然と思っていました。ハイテク技術できちんと管理され
知識と技術を持った方が安全な管理の元で働いていると…。

無知って恐ろしいな…私ってかなりマズイ人間だと思いしらされました。

この方は15年前にお亡くなりになりましたが その時にもう原発の怖さと今回の福島の原発で起きている事故があった時のコントロールや後始末の難しさ、 現場の作業員の苛酷さや悲惨な労働状況を訴えていたんですよね。現場で働いている方々は原発の怖さを教えてもらえない、知らされていない、知ってしまうと怖くて働けないから。

原発で20年間働いていたから しかも一作業員ではなく 設計から携わっていた方だから 手記の内容が恐ろしいものでした。
もし ruさんが読んだものが この方のものではなかったら ごめんなさい。
私はこれを読んで 原発反対派になりました。

今回の日本の震災で世界の反応も様々ですね。この恐ろしい原発の姿を見て 原発建設を中止にした国もあれば イタリアのように安全を強調しているくせに 国民に無料で配布しているヨウ素剤を 影でさらに生産を増やして…不安だから増やしているんだろうに!イタリア取材で 土地が安いからと原発のすぐ真横に住み、畑を耕している夫婦がいましたが

家の中にある国から支給されているヨウ素剤を見せて「これがあるから安心さ ガハハ」と笑っていましたが

恐ろしいです!

私達の声ってどうしたら届くのでしょうか? 今、原発を仮にやめたとしても 後処理や冷却に70年間っていう資料も見ました。

地球の終りは 自然災害などではなく 人間自らが破壊するのでしょうね。
返信する
ご無沙汰してました! (沙漫)
2011-04-29 23:06:00
 必ず海べたに建設するようですね。温度があがった水(本当にただの水なのかは知りませんが…)を垂れ流すために。

 山口県の豊北町というところでは70年代にやはり原発建設計画がもちあがり、県と町と中国電力がグルになって強行しようとしたそうですが、漁民の反対が火をつけ、町民全体が団結して町に白紙撤回をさせたという素晴らしい事実が残っています。
 わたしはその漁師の婦人の役をすることになり、役作りのために2002年(だったかな?)に豊北へ赴きました。
 当時の漁協婦人部長さんはすでにお年を召して、すこし痴呆をかかえておられましたが、当時の記憶は昨日のことのようにはっきりと覚えておられました。
 町あげての大運動だったんだと、まだその当時生まれてもいなかった私にも分かるほど、町中の誰にあってもその当時のことをみんな誇らしげに語るのです!

 「あんときはわたしらみな手弁当で、すでに原発の建った北陸の方にも署名とりにいったいね」
 「必死だったいね。とにかく一日中かっけり回るけぇ、みんなジャージとヤッケでね。女捨てちょったそいね。ははは!」
 「原発の建った地域の漁師の奥さんの話きくと、昆布やらわかめやらがこねぇに大きくなっちょったて。垂れ流しよる水のせいで海水の温度があがったっちゅうて…」
 「現地で何が起こったかっちゅう話したらみんな署名してくれたよ」

 …こんな話をたくさん聞きました。人民大衆が勝った話です!お上の連中が一番怖いのは、人民大衆の団結です。私達が勝つためには、何とかして団結しなきゃなりませんね!!
返信する
せりさんへ (ru)
2011-04-30 00:38:11
そうです、平井憲夫さんの「原発がどんなものか知ってほしい」です。
私もあんなに「安全、安全」と言うから、最先端の技術の中で作業がされていると思ってました。
だけど、放射線量が高く、そういう環境の中で作業させられている人たちは、全くの素人で、ボルトを対角線に締めなければ漏れてしまうのに、作業される方たちも放射線が怖いから、どうしてもいい加減になってしまう・・・なんて書かれていましたよね。

結局、どんなに頭が良くても、人間である限り、放射線に近寄ることができないってことなんですよね。

声高々に「原発反対!!」と叫ぶのではなく、自分の周りの人たちに原発がどんなに危険なのかを冷静に伝えていくことが大事なんだと思います。

私もそうだったけど、真実を知らない人が多いと思うから、それを何人かに伝えていけば、それを知った人がまた誰かに伝えて、どんどん真実が伝わっていくと思います。

福島から遠方に住んでいる無関心の人たちだって、浜岡原発が再開して、地震が起きたら、もう日本はおしまいです。

浜岡原発は福島と同じくらい古い上に、活断層の上に建てられているそうです。

今はネットとかでも署名できるので、私はしました。

誰かのために生きる、私は今の子供たち、未来の子供たちのため、美しい地球を守るため、微力だろうけど、その微力がたくさん集まれば変わると信じてます。
返信する
沙漫さんへ (ru)
2011-04-30 00:54:43
町民全体が団結して白紙に戻した、素晴らしい実例があるんですね。
何か勇気が出てきました!!

原発はもう福島だけの問題ではないですよね。
あれもこれも補償すると言ってるけど、本当に補償できるのかも怪しいし、お金で解決できることじゃないのに、どこかお金で解決できると思ってるところが許せない。
地球を破壊してしまったことに気が付いてないんですよね。

浜岡原発が福島の二の舞にならないように、日本中だけではなく、世界中で阻止しないと!!
返信する
私も早速! (せり)
2011-05-01 02:08:40
ruさんの読んだもの、
同じものでしたね!なんだか嬉しいです!私もボルトの所を読み、腰をぬかしました。
原子力発電を発明した方々やつくりあげた方々は天才かもしれませんが 偉人かもしれませんが 怨みたい気持ちです。


私もruさんのように微力でも出来る事をしたいと強く思いました!続けて行こうと誓いました!
原発の本当の姿を知れば 皆さん驚いて殆どの方が反対派になると思います。


私の周りの方々も原発に対して 疑問の声やこのままじゃいけないと言っている方が多いです。
今回の震災が 世界全体に原発を考える問題提議をしたのは確実です。 日本を見て原発建設を中止したり 白紙に戻した国に感謝です。

外国の報道では
地震のない国は安全だと勘違いしている記事もあります。 地震とそれによる想像を超えた巨大津波で 福島の原発は 停電したり 破壊されたので それが無ければ…って。


違いますよね。私は今回の地震と原発問題は 全く別物だと思います。
津波で福島原発が壊滅された事が問題ではなく。

最初私は
今回のような緊急事態になった時に 東電が何も出来ず 一番最初に命懸けの緊急処置をしたのが 消防士と警察官、自衛隊だった事に驚きました。これはたまたま危機管理体制が甘かったからなのか?そんな事を考えているうちに

次々にニュースで原発の問題を流していたけれど難しくて??慣れないパソコンで悪戦苦闘しながら 原発を検索していたら…。

馬鹿な私にはびっくりする事だらけを通り越して 恐怖感と吐き気に襲われてしまいました。
途中で読むのを止めた記事や写真もあったけれど
原発の本当の事を知ってよかったと思いました。

東海村の事故もきちんと指導、管理されていれば起きなかったんですよね。臨界の恐ろしさ、あの事故で犠牲になった方の死までの一週間 人の死に方じゃないです。被曝は人間を人間で無くしてしまいます。
返信する
せりさんへ (ru)
2011-05-01 04:15:17
金曜の夜中、「朝まで生テレビ」を最後まで観ました。

原発推進派と反対派の討論(ってほどでもないかな?)があったけど、推進派のじぃさんは、福島原発は津波のせい、だから浜岡原発は全く大丈夫!!100年使っても大丈夫!!だと言い切ってました


司会の田原のじぃさんは、「あえて悪者になるけど」と前置きしながら原発は必要だと言ってました。

本当、自分たちのことし考えられない、人の命や地球のことよりもお金の人たちで、観ていて悲しくなります。

私もせりさんと同じ、全く原発のことなんて知りもしなかったし、知ろうとも思ってなかったです。

昔、反原発の歌が問題になった時、「へぇ、反原発はタブーなんだ」と思ったくらいで、深く考えることもなかったです。

東海村で被曝されて犠牲になった方、次から次へといろんな症状が出たと、写真が残っているようで、その写真を見た人が、かなりショックを受けたと書いてました。

被曝すると、どんな経過をたどることになるのかしっているのに、どんなに原発が危険かわかっているのに、自分たちは被曝する恐れもないところで、金、金、金・・・。

今回の地震は、いろんなことを教えてくれてますよね。
どんなに科学が発達したって、自然には逆らえない、一番大切なものはお金じゃない、愛だってこと、水、食べ物、電気、あって当たり前で粗末にしてきたことを震災後、初めて気がついて、放射能は感染しないのに、福島から来たというだけで差別・・・。

今は福島原発の収束を祈りつつ、浜岡原発がどんなに危険なのかを冷静に伝え、知ってもらい、みんなで再開を阻止できるようにしていきたいですね。

せりさん、一緒に頑張りましょう!!


返信する
覚悟が必要です (せり)
2011-05-01 17:40:15
ruさんと気持ちがつながっていて嬉しいです。


東海村の犠牲者の方の資料は かなりの覚悟がないと見れないです。
被爆直後は 見た目は全然普通だったそうです。しかしながら 青い光を本人が見てしまった位の被曝ですから

もう確実に死んでしまう事は病院関係の方々は分かっていたそうです。でも治療をしなくては。何をしたら…という始まりだったそうです。患者本人が普通に元気に過ごしていたから 医師も最初は戸惑ったようです。

患者本人もこれから自分の体がどうなっていくのか 全くわからなかったから 不安だったと思います。

事故後駆け付けた救急隊員も 何も知らされずに患者を搬送したために 被曝してしまっています。

それから患者さんに色々な症状が現れてきます。 最後の方は もう残酷です。 患者さんは 「俺はモルモットじゃない」と…
家族は 「もう死なせてあげて下さい」と…

医師は初めて『尊厳死』の意味を本当に理解したと…
五臓六腑が全て溶けてしまうのです。 考えられないです。 最後は心臓周りの筋肉だけが 溶けずに残っていたそうです。 意識はずっとあったそうで 全身の痛みとずっと闘っていたそうです。
看護士さんは
「こんなに苦しんでいるのに死ねないなんて はやくはやく」と思ったそうで看護士として失格な考えをしてしまったと 大泣きしたそうです。
それぐらい残酷な最期です。 若々しい男性だったのに 髪も皮膚もないんです。ひど過ぎます。
返信する
せりさんへ (ru)
2011-05-02 05:01:56
知れば知るほど気持ちがどん底に落ち込みますね・・・。

政治はどうしようもない状態だったけど、それでも安全で平和な日本だと思ってたのに、震災があって、原発事故があって、日本という国が闇の中にいたことに初めて気が付きました。

闇の中にいたことに気付いた今、闇から脱出して光の中に軌道修正していきましょう!!

私もせりさんと気持ちが繋がって嬉しいし、とっても心強いです。

これからもいろいろと教えてくださいね。
私も一生懸命、勉強していきます。
返信する
被爆に関しては・・・ (eko)
2011-05-03 14:48:25
長崎で生まれ育ったので、小さいときから
被爆の恐ろしさはずっと教えられていて
その後の原爆症に苦しみ、そして差別などで
辛い体験を抱えながら懸命に生きてこられた方々がこの地、長崎にはたくさんいらっっしゃいます。
原爆資料館にはとても悲しい残酷な現実が
写真や遺構で残してあります。

今までも県外から来た修学旅行生に被爆者の
方の体験談を聴かせるということをずっと行っているのですが、あるところからの修学旅行生がそのお話の間に野次をとばしたり、立ち上がってうろうろしたり語りべの方の話を妨害するということがありました。
長崎人にとってとても悲しいことでした。

確かに生まれるずっと前のことですし、
原爆が投下されてない地の方たちにとって
関係ないことのように思われてることでしょう。

しかし今回、原発のことで皆さんにも
被爆というものが無関係とはいえなくなってしまいました。

怖い現実から目を背けず、そして政府やマスコミはちゃんと真実を発表、報道してほしいですね。偏りなく。


返信する
皆さんと同じく (るんるん)
2011-05-03 15:18:53
私が住む新潟県にも柏崎刈羽原子力発電所があります。
中越大震災の時、火災が発生し、「あわや!」
という事態になりましたが、大事には至らずでも、震災後の運転再開が早すぎるのではないか。という非難の声が多く聞かれました。
私自身、同じ新潟県でも原発がある場所からかなり離れたところに住んでいるので、正直、当時あまり緊迫感もなく、被曝に関しても恐ろしさを実感していませんでした。
近隣住民の方々の不安や恐ろしさは大変なものだったと思います。

今回の福島県の原発の事故。
100%事故がなく、安全だと保障されない限りそれがどんなに素晴らしいものでもやはり、無くすべきです。

福島県は新潟県のお隣の県で、小学校の修学旅行も福島県でしたし、近県なのでよく遊びに行く場所でもあります。
自然が豊かで、暮らす人たちも人情味あふれ、
とても大好きな土地です。
そんな福島県が原発の事故によって消滅してしまうのではないか…。
哀しくて、悔しくて残念でなりません。

東海村の原発事故の事は私自身、忘れ去っていた出来事でした。
ruさんの記事、せりさんのコメントで私も検索し、いろいろ読んでみました。
知れば知るほど恐ろしい。
今まで当然のものだと思っていたものが、こんなにも恐ろしいものだったなんて…。

私も思いは皆さんと同じです。
日本を、地球を、自分たちの手で壊してはいけませんよね。


返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事