私の再出発

再出発しなければならないのは私だけではなく、日本を始め世界だと気付きました・・・。

子供が生まれるまで③

2006-05-07 23:53:42 | 日記
GW最終日、天気がでちょっと残念でしたね。

私は結局この5日間、どこにも行かずうちの中に籠ってました

明日次男は学校側の都合で休みだから、明日も出かける予定なし。

ガソリンが減らなくてよかったけど、なんかとっても悲しいGW


気を取り直して昨日の続きを・・・。


妊娠検査薬の結果を見て、取りあえず医院に行ってみた。

尿検査、内診、超音波で検査。超音波ではまだ確認できなかったけど

妊娠確定1週間すれば超音波でも確認ができるだろうとのことで

1週間後の予約を入れて帰った。

とにかく赤ちゃんができた嬉しさに、浮かれてはいたんだけど、ふと

あることを思い出した・・・。

胸のレントゲンを撮ってしまったこと、薬を数回使ってたこと。

いつでも赤ちゃんができてもいいように、レントゲンとか薬はずっ~と

気を付けて来た。

レントゲンを撮るときに、技師が妊娠の確認をしてくれたのに、私は

ちょっと考えてから、「大丈夫です!!」と答えてしまった。

私の中で、どこかしら赤ちゃんのこと諦めてたのかもしれない・・・。

予約の日、まず、超音波で赤ちゃんの確認。本当にまだ小さくて、これが

心臓ですよ、と言われてもピンとこなかったけど、一生懸命動いてるのが

わかった。物凄く感動しながら、先生にレントゲを撮ってしまったこと、

薬を使ってしまったこと、を言った。私は「大丈夫ですよ」と言う言葉を

物凄く期待していたし、実際に今まで読んできた妊婦の雑誌には、

私みたいなケースでも医師は「問題ありません」と返答していたから。

でもその医師は私の話を聞き終えると、顔色一つ変えずに、その

薄い唇を動かし、「今回は中絶しましょう。まだ若いから又すぐに妊娠

しますよ」「中絶するのなら早い方がいいので、日にちを看護婦と相談

してください」

今超音波で心臓の確認をしたばかりなのに

会計で看護婦が、中絶する日を指定してきた。私は頭の中が真っ白になり、

何か看護婦に聞いてたと思う。その看護婦は医師の奥さんなのかな?

年齢的にはバランスも取れてるし、他に看護婦もいなかったし・・・。

言葉はとても丁寧で優しいんだけど、何の薬だったか覚えていないけど、

何故か受付の小さい小窓なのに、薬を渡す時に、薬の袋をぽんっと投げて

渡すのが、物凄くイヤだった。いくら笑顔で優しい言葉を使ってても、

それが表面上だけと言うのが、その態度でよく分かったから。



大体すぐに妊娠できる保証がどこにあるって言うのだろう?

やっぱり妊婦さんがいない産婦人科は行かない方がいいってことが

よ~く分かった。



その医院を出て、すぐに公衆電話からレントゲンを撮った病院に電話を

して、今回のことを聞いたら、「2、3枚程度のレントゲンですから

全く心配ないですよ」と、返事を貰い、家に帰ってから、薬を買った

薬局に電話を入れて、そこでも「大丈夫だと思いますよ」の言葉で、

やっと安心した。もちろん、その後、あの産婦人科には行かなかった

今度こそ、ちゃんとした産婦人科を探さなくてはと思いながら、妊娠

する前からの愛読書「わたしはラマーズ方で赤ちゃんを産みました」の本の

中から2つピックアップ。1つは都下の個人病院・・・我家から車で30分位。

もう1つは同じ県内の助産所・・・車で20分位かな?

最初に個人病院に行って見学させて貰い、もうその時点で助産所の方を

見学することもなく、個人病院に決めてしまった。

妊婦さんも沢山いて、医院の中も明るいし、何よりも本の中でこの医院で

出産した方で、お母様が既に亡くなっている方だったんだけど、パジャマ

など看護婦さんが洗濯してくれて、不自由しなかったと書かれていたので

私も安心して入院できると思ったから。



長男の時も、次男の時もそうだったんだけど、私はどう言う訳か妊娠中は

精神的にとても強くなる。どんなことがあっても死なないと思っている。

「死」と言うものが無縁のような気がしてしまう。

それとは関係ないことかもしれないけど、やたらと恐い物見たさ・・・になる。

その頃よく読んでたマンガ「うしろの百太郎」「恐怖新聞」わざわざ古本屋で

買って来て読んでた。後はサスペンスドラマ。結構血みどろ全く平気だった。

ダメだったのが、「妖怪人間ベロ」・・・当時再放送をしていてよく観てた。

そのせいで、何回か夢で、赤ちゃんの指が少なかったり、多かったり、

夫にそんなマンガ観てるから、観るんじゃないと言われた。

不思議と赤ちゃんがお腹から出てしまうと、↑こう言ったマンガやドラマが

恐くて観られない産後しばらくの間はダメだった。本当極端だったな。




出産予定日を過ぎて数日、長男は無事生まれてきた

3472gの元気な赤ちゃん元気な赤ちゃんを見ながら、無事生まれて

きてくれたことに感謝した。それと同時にあの時の言葉が頭を掠めた。

もしあの時の医師の言う通り、中絶していたら、私は赤ちゃんを抱くことが

できなかったし、こんな元気な赤ちゃんを・・・と思ったら、涙が出てきた

長男の時は、とにかくお腹に宿った時から、生まれてきた時も、

もちろん、今も・・・いろいろあるけど、かわいい息子です


次回は次男の出産の時のことを書きます。



人気blogランキングへ



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする