『遠藤たばこ店』

「たばこ」には「休憩」の意味もあります。

「休憩する」という感じで見て頂ければ
喜びます。

#04_【妄想劇場】

2011-12-24 21:20:05 | 妄想劇場
#04_【妄想劇場】

『クリスマスって、ヤッテます?』

※しつこいようですが、これはアクマデ私の妄想の中でのフィクションです。


ちょうど去年の今頃、ヒネクレ者の小生は、”クリスマスなんて、所詮、男には普通に、12月の下旬”

的な事を一人ゴチておりました。

その時、たまたま(セレンディピティ的偶然に)目に止まった文章にイタク共感しました。

その事を思い出しつつ書いてみました。(筆者の方、解釈間違っておりましたら、介錯お願いします。)


 結局のところ、”クリスマス”ってのは、”性なる夜”な訳でしょ?(筆者の方の受け売りです。すみません…)

バブル期の頃は、

(1991年を、”バブル”の終焉とすれば、1996年 卒業の小生は、何らその恩恵を享受してオリマセン)

高級ホテルをリザーブして、併設されているレストランで高級ディナーを堪能し、

その夜はムフフフッ…的な事を誰もが一度は憧れる…

そんなソラ寒い事を、さもステータス的に大人の男女は求め求められ、ヤッテいた訳です。

本家の米国では、大抵の家庭では、粛々とイエスの生誕を祝い、

今年も一年、大過無く過ごせた事を感謝する…

そんな日ですわな。きっと。

一方、日本では。

妙齢の男女が、この日が近づくにツレ、師走の忙しさもアイマッテ、

何だか”この日にパートナーが居ない奴は負け犬”

的な僻み根性を発動し、

誰しもが、何とかこの日迄に相手を確保しようと躍起になる…

正に、イエスの生誕を祝うなどと静謐な事はソッチノケで、血眼になる御仁もいたりイナカッタリ…


提案!!

パートナーが居ない人は、この日を、ドコの地域にもある”特定の場所に集まる日”にしません?

例えば、公民館とか、デパートの催し物会場とか。

そこで、クリスマスパーチー的なイベントを開催し、独身男女を結びつける、謂わば”婚活”の場にすれば…

日本の出生率の改善も見込め、国の少子化問題の改善に一役買ったりして!?

(これは、筆者の方の持論から勝手に展開した小生のコリクツです。)


「YOU やっちゃいな!」

どこぞの事務所の社長が言いそうな台詞ですが。(特許申請はしてないですよね?)

ヤッチャイましょうよ!!

もう、ヤッチャイましょ。クリスマスなんだし。

来年は違うことを言ってそうですが、そんな事を今から気にしていたら、

鬼様に笑われちまうので、今日はこの辺で…

読んで下さった方、「多謝」(サンキューです)

#01_【原稿】

2011-12-24 19:43:26 | 原稿
『戦争が遺すもの』


 戦争が何を遺すのか。

敗戦国には、”屈辱感”、”喪失感”…

では、戦勝国には何を遺すのだろう…

どちらの国でも、まともな神経の持ち主ならば、きっと

”後悔”が遺るはず。

戦勝国なら”懺悔”かな…

戦勝国が敗戦国を蹂躙するのは、”懺悔”の気持ちを払拭させる謂わば、

”スケープゴート(贖罪のヤギ)”的な何か…

自分の心を守る為に、敗戦国を”蹂躙”することで、

”スケープゴート(贖罪のヤギ)”的に肯定させているんじゃないかな?


先の大戦後、戦勝国の人達の中の心ある人達は、死が近づくと、こぞって、あの頃を語りだしたりする。

それは、

浄土に行けなくてもいい、だけど死ぬ前に、贖罪を、心を誰かに救って欲しいと、助けを求める…

それが独白という形で表出したのが、あの頃の事を吐露することに繋がっていくんじゃないかな?


二度と、絶対に、戦争は起こしてはならない。

人が人を殺す事はいけない事。そんな事、幼稚園児でも知っている。

それを、大の大人が国を挙げて推奨する。

そんな事がまかり通っていい訳がない。

戦争は、人が人を殺す事は、

”屈辱感”
”喪失感”
”後悔”
”懺悔”

そんなものしか遺さない。

二度と、絶対に、戦争は起こしてはならない。