『遠藤たばこ店』

「たばこ」には「休憩」の意味もあります。

「休憩する」という感じで見て頂ければ
喜びます。

#02_【原稿】

2012-01-02 15:24:44 | 原稿
『卒業大学<出身高校』

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【参考】
AO入試(アドミッションズ・オフィス入試)
出願者自身の人物像を学校側の求める学生像(アドミッション・ポリシー)
と照らし合わせて合否を決める入試方法である。
A.O.(Admissions Office)とは「入学管理局」の意。
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 「出身高校はどこか?」

これは、今密かに、採用側で遠まわしに見られている事柄。
昨今の、”AO入試”の弊害なのか、有名大学を卒業しているにも拘らず、
入社後に、”使えない人”と判明し、後悔する。
そんな事が、ママあるという。

対策として採用側が考えた事は、「出身高校はどこなのか?」という事。
採用側の考えは、”出身高校”はその人を判断する、目安になり得るという事。
”AO入試”がアマリ無かった時代には、”出身大学”は、その人の”集大成”として見る事が出来た。
しかし、これだけ、”AO入試”が横行している昨今、
”出身大学”は”集大成”としての信憑性には著しく欠けるモノと採用側は考え始めている。

そこで一躍脚光を浴びてくるのが、”出身高校”。
「○○大学付属幼稚園」などからの所謂、”エスカレーター式 進級制度”などが端的に示しているが、
「○○大学付属幼稚園」などからの”エスカレーター式 進級制度”で○○大学を卒業しても、
入社後に使える人材には程遠いとの事。
何だったら「○○大学付属幼稚園」は、その当時の”親の年収”で合否が決まるったりするとか…
幼稚園から”エスカレーター式 進級制度”で順当に○○大学を卒業しても、
結局は、競争を勝ち上がって来ていない訳で、
温温と温室で純粋培養された植物よろしく、良く言えば、”ノビノビとお育ちになられた”、
端的に言えば”使えない仕上がり具合”となり、
採用側が望む、”人材像”とはアマリに乖離してしまう。

一方、地方のそれこそ、”伝統と実績のある高校”を卒業している事は、
それとは真逆な、”判断材料”となり得るとのこと。
少なくとも、高校を受験して、難関をくぐり抜けて晴れて合格しているのだから、そこまでの道程で、
”エスカレーター式 進級制度”とは違う、”競争”を勝ち抜いて此処に至っている訳で。
更に、”中学受験”なんてモノを勝ち抜いて来ていたりすると、
親が教育熱心である事は、それなりの環境があり、其処で揉まれてきている。
これには、かなり”根性”が必要となってくる。
必然的に、その子には、”根性がある”と見る事が出来る。
採用側としては、非常に有用な、”判断材料”となり得るとのこと。

#01_【原稿】

2011-12-24 19:43:26 | 原稿
『戦争が遺すもの』


 戦争が何を遺すのか。

敗戦国には、”屈辱感”、”喪失感”…

では、戦勝国には何を遺すのだろう…

どちらの国でも、まともな神経の持ち主ならば、きっと

”後悔”が遺るはず。

戦勝国なら”懺悔”かな…

戦勝国が敗戦国を蹂躙するのは、”懺悔”の気持ちを払拭させる謂わば、

”スケープゴート(贖罪のヤギ)”的な何か…

自分の心を守る為に、敗戦国を”蹂躙”することで、

”スケープゴート(贖罪のヤギ)”的に肯定させているんじゃないかな?


先の大戦後、戦勝国の人達の中の心ある人達は、死が近づくと、こぞって、あの頃を語りだしたりする。

それは、

浄土に行けなくてもいい、だけど死ぬ前に、贖罪を、心を誰かに救って欲しいと、助けを求める…

それが独白という形で表出したのが、あの頃の事を吐露することに繋がっていくんじゃないかな?


二度と、絶対に、戦争は起こしてはならない。

人が人を殺す事はいけない事。そんな事、幼稚園児でも知っている。

それを、大の大人が国を挙げて推奨する。

そんな事がまかり通っていい訳がない。

戦争は、人が人を殺す事は、

”屈辱感”
”喪失感”
”後悔”
”懺悔”

そんなものしか遺さない。

二度と、絶対に、戦争は起こしてはならない。