ハレルヤ 3年前の2013年にアメリカのカンザスシティで24-7prayerのvision courseという学びに参加しました。
今日はその時の仲間たちと、リーダー達が日本ツアーをしていて最後の夜に集まる事が出来ました。
カンザスシティで3ヶ月同じ学びをして家族のように過ごした仲間達。
まさかの地元の中央林間に集結。笑
明日には、また別々の場所に別れて旅立つ。
カンザスシティ、カナダのトロント、香港、ポートランド、日本。
3年前にカンザスシティに行けた事も奇跡の旅で夢のようだったけど、3年後に日本で少しだけだけど、また一緒に過ごせることも奇跡でした。
改めて振り返るとカンザスシティでの3ヶ月は自分の音楽活動のターニングポイントだったなと思う。
福島でのボランティア活動に行き詰まり、音楽活動にも行き詰まり、情熱がなくなり、燃え尽きていた時期。
ただただ休むため。
実際は、休むどころか、バイブルの授業もたくさん英語で学んでいたので、脳みそスパークして頭は疲れていたかな。
けど、大切な事を学び、心に新たな種が蒔かれていった。
新しいCDのNoahの一曲目。
「ノアのはこぶね」は、このカンザスシティの旅で生まれた。
はこぶねの中、何も出来ないノアと自分の状況がかぶった。
日本という忙しい国では、休む事が何か悪い事のように思われがちだ。
ただカンザスシティでは、僕には休む事しか出来なかった。
食べる、寝る、祈る。
何かをする事で、人は存在意義を表現しようとする。
しかし、何も出来なくなった時に問われる。
その存在に価値があるのか。
神は、私たちが何か出来るから愛するんじゃない。
あなたの存在そのものを愛している。
親が、赤ちゃんの存在を愛しているように。
その事に、天の父の愛に気付かされたカンザスシティでの三ヶ月の休みと学びの時だった。
その事を共に学び、教えてくれた仲間たち。マイヒーロー達。
彼らがいなければ、今回の「Noah」という作品は生まれる事はなかったと言っても過言ではない。
そして、今はカンザスシティでの三ヶ月の学びの種が3年かけて成長して、実となり、僕はまたそのNoahというCDになった種を47都道府県に種蒔きに出かけている。
与えられている命に、存在そのものに価値がある。
イザヤ書43:4
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
そんな風に、語りかける天の父の存在を意識して過ごせるように少しづつなってきた。
頑張らなくても、あるがままの自分でいい。
スーパーナチュラルリラックス。
失敗してもいい。
俺愛されてるし。
ぐらいのゆとりがライブにも出てきた。
いろいろ、振り返るきっかけになった1日だった。
サンキュージーザス。
あと、カンザスシティのチームの24-7 prayerという名前も不思議だった。
僕のソロの一枚目のCDのタイトルは「247」だったんだけど
意味は、24時間7日間。
いつも神様に愛されている。
というメッセージを込めた。
そして、もう一つは
To 47都道府県のみなさんへ
という意味を込めた手紙だった。
もちろんカンザスシティの24-7 prayerの仲間たちとは出会う前の話。
そんな不思議な出会いから、発展して、最近はNoahと共にまたもう一度47都道府県のツアーをビジョンを持って自分なりにコツコツ休みながら全国に種蒔きしていてる。
時には、手紙で、CDを一つ一つ発送しながら、種蒔きの日々。
たまに感想が返ってきたりして嬉しい。^_^
47都道府県ツアーをしようと思ったのも、なんか改めて意味がありそうだ。
あと改めて、果樹園みたいだなと思った。日本という農園にCDを通して福音の種を蒔く。
いつ芽が出るかはわからない。
けど、蒔き続ける。
いつか、芽が出て、花を咲かせて、また種が出来ていく。
ジーザスも聖書の中で、種蒔きのたとえをたくさん使っている。
マルコ4:26
また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
27
夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
5年前の震災の日、町田deリバイボーの時にたかちゃんがメッセージしてくれた箇所だ。
https://vimeo.com/21246027
種を蒔き続けよう。
祈りの種。
愛の種。
祝福の種。
自分に与えられた場所で。
そんなこんなで、朝6時の便で香港へ旅立つメンバーを空港へ送るという愛の奉仕を今からしてきます。笑
Thank you Jesus
Philemon1:7
Your love has given me great joy and encouragement, because you, brother, have refreshed the hearts of the Lord’s people.
ピレモンへの手紙1:7
私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。
今日はその時の仲間たちと、リーダー達が日本ツアーをしていて最後の夜に集まる事が出来ました。
カンザスシティで3ヶ月同じ学びをして家族のように過ごした仲間達。
まさかの地元の中央林間に集結。笑
明日には、また別々の場所に別れて旅立つ。
カンザスシティ、カナダのトロント、香港、ポートランド、日本。
3年前にカンザスシティに行けた事も奇跡の旅で夢のようだったけど、3年後に日本で少しだけだけど、また一緒に過ごせることも奇跡でした。
改めて振り返るとカンザスシティでの3ヶ月は自分の音楽活動のターニングポイントだったなと思う。
福島でのボランティア活動に行き詰まり、音楽活動にも行き詰まり、情熱がなくなり、燃え尽きていた時期。
ただただ休むため。
実際は、休むどころか、バイブルの授業もたくさん英語で学んでいたので、脳みそスパークして頭は疲れていたかな。
けど、大切な事を学び、心に新たな種が蒔かれていった。
新しいCDのNoahの一曲目。
「ノアのはこぶね」は、このカンザスシティの旅で生まれた。
はこぶねの中、何も出来ないノアと自分の状況がかぶった。
日本という忙しい国では、休む事が何か悪い事のように思われがちだ。
ただカンザスシティでは、僕には休む事しか出来なかった。
食べる、寝る、祈る。
何かをする事で、人は存在意義を表現しようとする。
しかし、何も出来なくなった時に問われる。
その存在に価値があるのか。
神は、私たちが何か出来るから愛するんじゃない。
あなたの存在そのものを愛している。
親が、赤ちゃんの存在を愛しているように。
その事に、天の父の愛に気付かされたカンザスシティでの三ヶ月の休みと学びの時だった。
その事を共に学び、教えてくれた仲間たち。マイヒーロー達。
彼らがいなければ、今回の「Noah」という作品は生まれる事はなかったと言っても過言ではない。
そして、今はカンザスシティでの三ヶ月の学びの種が3年かけて成長して、実となり、僕はまたそのNoahというCDになった種を47都道府県に種蒔きに出かけている。
与えられている命に、存在そのものに価値がある。
イザヤ書43:4
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
そんな風に、語りかける天の父の存在を意識して過ごせるように少しづつなってきた。
頑張らなくても、あるがままの自分でいい。
スーパーナチュラルリラックス。
失敗してもいい。
俺愛されてるし。
ぐらいのゆとりがライブにも出てきた。
いろいろ、振り返るきっかけになった1日だった。
サンキュージーザス。
あと、カンザスシティのチームの24-7 prayerという名前も不思議だった。
僕のソロの一枚目のCDのタイトルは「247」だったんだけど
意味は、24時間7日間。
いつも神様に愛されている。
というメッセージを込めた。
そして、もう一つは
To 47都道府県のみなさんへ
という意味を込めた手紙だった。
もちろんカンザスシティの24-7 prayerの仲間たちとは出会う前の話。
そんな不思議な出会いから、発展して、最近はNoahと共にまたもう一度47都道府県のツアーをビジョンを持って自分なりにコツコツ休みながら全国に種蒔きしていてる。
時には、手紙で、CDを一つ一つ発送しながら、種蒔きの日々。
たまに感想が返ってきたりして嬉しい。^_^
47都道府県ツアーをしようと思ったのも、なんか改めて意味がありそうだ。
あと改めて、果樹園みたいだなと思った。日本という農園にCDを通して福音の種を蒔く。
いつ芽が出るかはわからない。
けど、蒔き続ける。
いつか、芽が出て、花を咲かせて、また種が出来ていく。
ジーザスも聖書の中で、種蒔きのたとえをたくさん使っている。
マルコ4:26
また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
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夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
5年前の震災の日、町田deリバイボーの時にたかちゃんがメッセージしてくれた箇所だ。
https://vimeo.com/21246027
種を蒔き続けよう。
祈りの種。
愛の種。
祝福の種。
自分に与えられた場所で。
そんなこんなで、朝6時の便で香港へ旅立つメンバーを空港へ送るという愛の奉仕を今からしてきます。笑
Thank you Jesus
Philemon1:7
Your love has given me great joy and encouragement, because you, brother, have refreshed the hearts of the Lord’s people.
ピレモンへの手紙1:7
私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。