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風地蔵徒然日記

ギャラリーカフェ風地蔵の毎日を
お届けいたします。

涙と笑いの学童ほいく どろんこ子どもクラブ

2006年09月30日 07時09分23秒 | Weblog
きのうは学校で、秋の校外学習があったので、
喜んでお弁当もって朝から出かけたりおんだったが、
どろんこ行きの車の中で、
なんだかいらいらしています。

そんなことくみ取りもせずに、
お願いがあったから、
いややと言うのに、おかまいなく
そればっかりお願いしていました。

り「つかれとるんやて!!」
と怒るりおん。

そんなことで怒るくらいだから、
今日1日、もやもやすることがあったんだと、
やっと思うのですが、
その言い方に
ムカッときて「じゃあ、どろんこだってお休みすれば!
疲れとるんなら。」
と言ってしまった。

「疲れとるから、どろんこにいくんやんか!
どろんこがなかったら
どうなるんや!!どろんこで精一杯笑いあいたいんやて。」
とりおん。

まったくそのとおりで、やっとだまったわたしです。

お迎えに行くと、なんだかいつもと様子が違い、
何かあったなあと感じます。
でも、話し合いをしてちょうど
互いに納得した直後らしく
日々の生活でトラブルはおきても、
自分たちで話し合いをしていく姿は
すごいなあと思います。

何せ、まいにちストレス爆弾を抱えているんですから。
いつ誰が、爆発したっておかしくない日々ですもの。

2年生の女の子が
「今ちっちゃいゴキブリおったよ!
水をかけたら、ひっくり返った!」
と言います。

そのことも、すべてがかわいくって、
外でカンけり?をして帰ってきたりおんに
その話をしたら、
やはり同じように感じ、微笑みながら
「Mちん、かわいいなあ。
そのMちんに、水かけられて、ひっくりかえった
ちっちゃなゴキブリも、かわいいなあ」
と、笑いあいました。

こんな素敵な出来事が
まいにちまいにち、重ねていける
どろんこ子どもクラブって、
互いを思いあえる、
顔の見える、子どもたちの関係が
つくりあげるものだと
心が、キュウンとなります。

堀切先生来垣に地域の方や風地蔵新聞読者の方たちが・・

2006年09月29日 16時45分41秒 | Weblog
布いのち.jpg
地域に根ざしたい風地蔵新聞を
発行しだして
3年目。

今回の堀切先生来垣に、
地域の方も参加してくださるという。

それだけでなく、自治会長さんや、
活動されてるサークルへ
自ら説明をし、呼びかけてくださるというのです。

その方は、以前から地域とつながったほうがいいと、
押しつけではなく、
ほんとうに自らいろんな声をかけてくださいました。

それからこの地区の廃品回収には
ずっと店長が出てくれています。

そんなことも、ちゃんと見ててくださり、
なにかしてあげようとおもってくださるのです。

その方ばかりでなく、
風地蔵新聞を毎月200部
自分の地元を配ってくださる方もいます。

無料奉仕です。
その方も、今回は風地蔵新聞の
投稿者の集まりでもあるということで、
チケットを大量に持っていってくださいました。



甘えてばかりで何の恩返しもできていませんが、
いつか、何かお返しをしたいと思っています。

今度の10月20日。
人数というより、つながりを大切にされる人たちの
集まりになると思います。

当日を迎えるためのさまざまな方の
動きが、ありがたくって
しょうがありません。

これから、堀切先生が5時に私からの
電話を、首を長くして待ってくださってますので、この辺で。

堀切先生も、私の報告を聞き、
とっても喜び、わくわくしてらっしゃいますよ。

あした、今日の会話を
紹介できればいいと思ってます。

秋の草花たち。

2006年09月29日 16時14分15秒 | Weblog
9吉兆草.jpg
秋の花たちです。

これは吉兆草だったかな?
紫の上品な花を毎年咲かせます。

株も、年々大きくなり
立派です。

9彼岸花.jpg

裏庭には彼岸花が。
私は植えた覚えがありません。
球根らしいので、以前土の中にあったものが
出てきてるのでしょう。


9芙蓉.jpg

芙蓉?
むくげ?
これも2年ほど前に
鳥が運んでくれた贈り物です。


やっと、暑さが和らぎ、
庭もゆっくり眺めたい気候になりましたね。
今年の夏は暑かったです。

こどもってすばらしい。後編。

2006年09月28日 14時22分40秒 | Weblog
おとといの夜、私が言った。
「あたしさあ。今日いいもん発見したんやて。
前、子どものことで大人たちにインタビューして
まとめた資料をみつけたんやて!!
今度はさあ、直接一番中心の子どもたちに
素直に取材してみようとおもうんやて。
それでさあ、あの、N君。みんなにも聴くけど、
1番に聞いて見たい子。
うそとわかってて、人を落しいれることを平気でいうすごい子、
そのN君に取材を申し込みたいで、
りおん、あした話しとって。」

り「いやや。」

み「そうやあ。いややよなあ。
あんなこというんやで、また取材なんていったら、
なに言われるか・・・。」

り「違うって!!!!!
(大きくため息をつき)
おかあさん、何にもわかっとらんやろう。
あのね、N君もいまがんばっとるんやて。
ハッピークラスのビデオをしっかりみとったもん。
すごい真剣な顔して。
何も、おもっとらんと思う?
いま、みんなでハッピークラス観て
変わろうとしとるんやて。

だから、やめて。」

子どもってすばらしい!!
子どもってなんてすばらしい生き物なんだろう。

自分の愚かさをすっごく恥じた。

2週間前に、担任のK先生も言っていた。
そうだった。
この子達の中には、憎しみが消えずに
あるんじゃない。
つながりたいんだ。
みんながハッピーになるために。

へんな子、自分と違う子を
排除しようなんて気持ちはさらさら持ち合わせていない。
ましてや、そこへ心を寄せて、
ビデオを観てるときに、
そんな子ども(クラスメート)の表情を
みていたんだ!!

バカみたいなことを考え、
心からみんなを信頼していない、しようともしない
軽い私が、聴いたことに答えれないくらいの、
深い深い愛をもって、
あの道徳の時間を過ごしてたんだ。

クラスの子たちとひとつになれてるって
感じてたんだ・・・きっと。

今、ニュースでは毎日子どもが子どもを親を、
殺し、傷つけるニュースが流れている。
つながれずに爆発するまで気がつかない、
親と教師とまわりのおとなたち。

でも、こうして
自分の力でつながりたい気持ちを
勇気を出して、行動に移したり、
やさしく見守ったり、目先の、口汚くののしる友達に
憎しみではなく、やさしさと、ともに苦しむ
本当の愛を
この子は知ってる。

私では、想像のできない世界をしっかり持っているのだ。
こんなことがあるのだろうか。

それこそ、感じ取れないばかな私は
おとといの夜、しばらくして
「りおん、マザーテレサになりたい。
でも、結婚できへんなあ。そりゃあこまる。」
といって笑った。

「宗教の道にいかんくても、
平和は願えるし、おんなじことやれるやろう!」
と答えてたばかな私がいた。

もう、なれとるて、りーちゃん。
クラスという戦場に放り出された
もののいえない、心優しい子どもたちが
人を傷つけ、自分を傷つけなきゃいけない
生活を、必死で生きてることを知って、
11歳のあなたが、「個人の尊厳」を一番理解し、
大事にして、そんなこと思えるなんて、
あなたは、あなたでいて、
いったいどこからやってきたの?とまでおもってしまうほどです。

友達を信じ、先生を信じ、
とことん人を信じられるからこそ、
愛が深くなるのでしょう。


去年、おととし、中のよかった友達が、
道であっても、知らん振りして通り過ぎることに
一瞬悲しい顔はしても
目先のことだ、心の中は違うんだと
思い続けられるあなただから、
その友達が深くきづついた時に、
あなたのところへやってきて、泣く。
「誰が泣かした!泣くな!わかっとるで」
とはげまして、
次の日は、その子、別の友達と笑いあい、
まるでりおんを知らないかのように
目の前を通り過ぎるというのに。
私は、悔しくて仕方ないけれど、ほんとは
あなたが一番、悔しくて悲しいだろうけど、
どうして、そんな気持ちになれるの?

きのう、H君がT君をなぐった。
「Hは、委員会(長)をかってでてくれたやんか、
それをTがずっと、ヒューヒューって
ひやかしとったんやて。
Hは、絶えられず泣き出してまった。
そして、殴ったんやて。」

「グーで??」

「うん。グーで。
りおんはその瞬間は見とらんけど、
Tのほっぺたが赤くなっとったし、
いつもは、Hを待って帰るのに
しゅんとして、そのまま帰ってまったで。
Tにだいじょうぶ?って言ったら、
うん。っていっとった。
Hも、それからもないとったで、
だいじょうぶか?って声かけたら、
だいじょうぶって言った。」

ふたりの友達の心の動きがわかるだけに、
そこへ、そっと心を寄せている。

そのこたちの会話の中に、
どうしたの?なんでなの?なんていらない。
心が通じ合ってるのだから。
その会話からしてとれる。

自分にぶつけられる心ない言葉は
彼らの、心の中の不満や悲鳴だと
よくわかっている彼女。

彼らだって、そんなことはわかっているだろう。
「おかあさん!今日友達できた!」
これが、六年生のことばだろうか?
6年生になって、しかも運動会の練習中など、
2学期になって、初めての新しい友達ができたという。

5クラスあるマンモス校だからなのか?
いやそうではない。
6年間いてやっと、本音が言える関係作りを
自らやり始めたからだ。

クラスが、金森先生のようなハッピークラスになるといいね。
子どもたち本人が、
やっと、アクションを起こし始めた。
殴られた子も、殴った子も
心が痛いだろう。

でもだいじょうぶ。
ちゃんとわかってる人がすぐそばにいるんだから。
むずかしいけど、つながりあうって
素敵なことだよね。

あなたたちの勇気には
頭が下がります。

今日もまた、静かな愛をエネルギーに変え、
どんな今日を送っているのでしょう。


最後に、元に戻りますが、
教育基本法の話をされた方がはっきりいったのです。

じかに問題に直面している子どもの悲鳴じゃなければ、
教師も親も、受け止められない、変わらないと。

悲鳴の形が、殺人や傷害となって現れた時、
直面する大人は真剣に考えることになるということである。

事実だろうが、その人にではなくて、その現状にすごく怒れた。
子どもが犠牲にならなきゃ、気がつかないなんて。
本当に、それが現実だということを
私が身を持って体験しているだけに
他に手だてはないのかと、怒り震えるのである。

子どもが犠牲にならなきゃわからないなんて・・・・。

どこに、クラスを良くしていこう!!なんて考えられる余裕のある
小学生がいるだろうか。
あの陰湿で、ぼろぼろになりそうな、傷つけ合いの中で
次は自分ではありませんようにと、
ただただ祈るおもいで、通う学校に、
クラスの友達とつながろう!!
なんて思える子どもがいるだろうか?

その答えが、毎日、テレビの電源を入れさえすれば、
時と場所を変えて、次々に起きていますよ。
子どもの悲鳴が形になってね。

それを見た、子どもを知らない大人たちが、
昔はこんなんじゃなかったとか、
教育が悪いだとか、家庭のしつけが悪いだとか、
何も考えもしないで、知りもせずに一般的な
ことをいい、まるで悪魔の落とし子か何かみたいに
ましくあげる。

こんなにも純粋で、大人たちには想像をはるかに越えた
広い心を持つ子どもという生き物を
苦しめているのは、
いうまでもない、
私たち大人の、曲がった人格からなのだから。


でも、子どもの悲鳴が上がる前に、なんとかしたい。
それをまつなんて到底できない。

それよりも、
子どもが自信で言える環境にしていきたい。
子どもの声を、本音を言ってもいいんだよという場を
まずは作ろうとおもう。

高校生の地域を考えたフォーラムはあるようだけど、
小学生が、いま抱えてる問題をこそ、
出し合うべきだ。

昨年、習熟度別で子どもが言った、考えた意見を、
しっかり、大人が聴く場を作りそこで
現実のものになるように
声に出していきたいと心から願った。

少し、前に次回の教育フェスティバルの分科会に
子どもの分科会を作る案を、考えだしたけれど
具体的には、決まってなかった。
子どもの意見表明が大事だよねと
どろんこの先生が言ってくれた。

初めてのことで
どうなるやも、わからなかったけれど、
今はっきり、わかった。
そんな抽象的なことではなく、
向き合いたいと願ってる学級についての
いやなこと、変えたいことを
いう場にするということを。

みかちゃんにも話をした。
それいいね!!
すっごくいいっていってくれた。

同じように今まで苦しんできた仲間だから
3はなせば10わかってくれる。

もう名前まで決めだした。
みか「フォーラムって言うのは硬いからさあ、
子どもしゃべり場がいいんじゃない」

そうやなあ。

わくわくしてきた。
はっきり希望が見えてきた。

業務に戻ったみかちゃんからメールが入る。
「今思いついた!サブタイトル
「聞け!大人!僕らの声を!」」
ですって。

大人が舞台をセッティングして、やらせなんてまっぴらごめん。
子どもが自発的に声が上がること。

それは長いこと直面してる、何とかしたい問題。
逃げられないんだから。
こどもたちは。

ふ~~。書いた。疲れた。
意味わかるかなあ?

こどもってすばらしい。中編。

2006年09月28日 13時52分01秒 | Weblog
りおんの中では、この日のことは、なんでそうなったかと、
今後のことが整理できたらしく、
その日のどろんこを休んだだけで
、正確に言うと本人はどろんこへは行く気満々だったのに、
わたしが今日は話をしようよ。と止めたので
どろんこに行くために学校いっとるようなもんやのに、
こんなんでどろんこに行けんのだったら、
もう、けんかは絶対しーへん。
何を感じても黙っとく。といって、さっきよりも激しく泣いたのだった。

本人も、頭では違うとわかってるのか、
しばらく泣いたら、すっきりして
養老の温泉に行こうか?と夕方からゆっくりお風呂に行き、
いろんなことを二人で話をした。

おかげで、次の日には何も引きずることもなく
元気に学校へ行った。

帰ってきたりおんが、
「Tが、お前きのう帰ったくせにいばっとんなて」
と言っていた。
それらしきことを、数人の男子が言ったけど、
いっとれと思って、知らん振りした。
○○ちゃんがだいじょうぶ?って言ってくれた。と話してくれた。

それが、今のクラスの現状だなってわかった。
りおんがなぜ帰ったかよりも、帰ることそのものが
悪である。

そんな状況を知ってて、二人はばればれの保健室作戦を
とったのだった。

でも、そんなことは何のことはない、
ますます強くなるりおんがいた。

夜、私にいきなり言った。
「あした、りおん、校長先生に
金森先生のハッピークラス(ビデオ)を
もって行くわ。
そして、学校でそれを流してもらうで。」

「えっーー。そんなことができるの?
そんな時間あるの?」と聴いた。
ほんとバカ親である。

「給食の時、よくビデオをみるんやて、
ビタミンとかの。あんなんみても
なんもならんやろう。
それよりも、その時間でハッピークラスを見たほうが
どんだけいいか。
ちょっとづつ毎日見ていけばいいんやて。
そして、クラスごと、いやだった思いを1マスノートに書いて
みんなで考えるんやて!」

こんなことを考えるんだと、
深く考えもせずに、「いいこと考えたなあ」といって寝た。

次の朝、「お母さんが、連絡ノートに
きのう言ったこと書いて。」と言い出した。

「いやや。
お母さんが書いたら、おかあさんが
いっとるってまた思われる。
お母さんが、こうして欲しい!って言ったって
先生たちには響かんのやて。
自分で考えて、言うことが人をうごかすんやで。」

あっさり、「じゃあ、いいわ。
もっていかへん」というりおんだった。

所詮そんなもんかあ・・・。
と思いながら、深く考えてもいなかった私は、
それならそれでいいやん。といった。

出かけざまに
「ああん!!ビデオとって!!
もってくで」
といいながら、さっさとでてった時にも
あまり気にならなかった。


どろんこへ行く車中、
「今日K先生(担任)に
ビデオをみてくださいってわたした。
見てよかったら、クラスで見たいっていった。」

そうかあ。
校長に言って、全校で見ることはやめたんやなあ。
クラスで見たいっていったんや。


それが、今週の月曜日、つまり3日前、
またまたどろんこ行きの車中で
「今日、ハッピークラス見たわ!!」と言う。
あまり話さない。

み「えっ??すっごいやんか。
いきさつは?突然?いつ?どこで?何時何分?」

り「子どもみたいなこと言うなって、
道徳の時間!!みんなで観たの!!
途中までやったけど、そこまでの感想を
みんなかいたの!!」

気持ちがどろんこへ言ってるのか、
嬉しいはずなのに、それ以上は話さないりおん。
なんでーー??もっと聴きたい!!

いっぱい聞いて、答えてくれたぶつ切り単語が、
「みんな真剣な顔して見とった。」
「休み時間今日見るよ!って先生が言ったで
えっ?えっ?ってびっくりした。とつぜんやったで、
先生が話をしてもいい?っていうで
りおんがもってきたって言わないでくださいって言った。」
「続きを見るかどうかはしらん。多分見るやろう」

それだけ聴くのが精一杯だった。


なんで、自分が考えてやってほしかったことなのに、
その願いが叶った、
それが今日だったと言うのに
何でこれだけなの??

りおんの頭の中の仕組みがわからなかった。