
先日タウン誌の編集をしていた時、バラの記述の一部をジュリア・ローレスの『バラ精油』の中から引用しました。内容は次の通り。
11世紀にはアラブの医師アヴィケンナが冷却管の蒸留技術を開発したことでローズ・オット―精油が抽出されました。
やっちまったーー!!と気づいたのは印刷された後でした。実は私がアロマを習い始めた頃は蒸留技術を開発した人はイコール アヴィケンナ=イブン・シーナだったんです。だから当然そのように思っていました。のちのち史実が解明されてくると違うと訂正されてきました。
私が勉強していたころのアロマ検定テキストには次のように書かれていました。
医者として名声も高く、精油の蒸留法を確定し、治療に応用し・・・
そして最新2011年改訂版テキストはこうなっています。
医者として名声も高く、蒸留法により芳香蒸留水を製造し医学に応用しました。
現在わかっている限りでは、アヴィケンナは芳香蒸留水を使った史実はあるけど、精油は使ったかどうかはわかっていない。そしてそれ以前のガレノスやディオスコリデスの記述の中にも芳香蒸留水があるようです。ということでアヴィケンナ自体はもともとあったものを活用しただけでアロマ史の変容に貢献した訳ではないようです。ただ、この人は医学的に重要人物である故アロマ史にも顔を出す結果になってしまったのでしょう。
最近読んだ高山林太郎氏の『誰も言わなかったアロマテラピーの本質』の中にはアロマ史に名を馳せる有名人の暴露話などがかかれていてなかなか面白かったです。その中でもガットフォセの火傷についての記述は興味深かったです。高山氏の本をこれから読もうと思っている人はネタばれになるのでここからは読まないでください。
そもそも私が勉強した頃の検定テキストには次のように書かれています。
フランス人化学者、ルネ・モーリス・ガットフォセが、化学実験中に事故で火傷を負い、とっさに目の前にあったラベンダー精油をかけたところ、みるみる回復し彼自身を驚かせたというエピソードがあります。
火傷といってもどの程度の火傷なのかはまったくわかりませんし、たちまちがどの位なのかもわかりませんでしたが、火傷によって精油の力を悟ったのは事実でしょうし、私は自分のクラスで話す時に「ガットフォセは化学者だから、その火傷がどのくらいで治るかおおかたわかっていたんだと思います。それをはるかに超える期間で治ったってことじゃないでしょうか」といった補足を勝手につけていました。世に語り伝えられる話では実験中にちょっとした小爆発が起こり、左手に火傷を負ったということでしたが。
高山氏の本によると、ガットフォセの火傷はかなり酷かったようですね。実験中に大爆発を起こし一瞬火だるまになったそうです。左手のみならず左腕、背中全体、頭部にまで火傷はおよんだということです。とっさにハーブの治療を試みましたが、そんな大火傷がハーブで直るわけもなく、病院に担ぎ込まれました。入院していたけど一向に回復する兆しが見えずにいた時、近くの農民達が傷や火傷にラベンダー精油を塗って直していることを思い出し、ようやく3カ月後に退院できたという話です。その後も火傷の跡は一生消えなかったようです。
ちなみに2011年改訂版検定テキストには次のように書かれています。
フランス人化学者、ルネ・モーリス・ガットフォセが、化学実験中に事故で火傷を負い、その治療の過程でラベンダー精油を使用し、著しい効果をあげたというエピソードがあります。
今まで気がつかなかったけど、若干ニュアンスが変わってましたね。
遠い昔のことならいざ知らず、ガットフォセがアロマテラピーとうい概念を打ちだしてからまだ1世紀も経っていないというのに、捻じ曲げられた情報が当たり前のように流通していたとこを考えると、人間のやることは結局すべて完璧なことなんてありえないんだなと痛感します。


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11世紀にはアラブの医師アヴィケンナが冷却管の蒸留技術を開発したことでローズ・オット―精油が抽出されました。
やっちまったーー!!と気づいたのは印刷された後でした。実は私がアロマを習い始めた頃は蒸留技術を開発した人はイコール アヴィケンナ=イブン・シーナだったんです。だから当然そのように思っていました。のちのち史実が解明されてくると違うと訂正されてきました。
私が勉強していたころのアロマ検定テキストには次のように書かれていました。
医者として名声も高く、精油の蒸留法を確定し、治療に応用し・・・
そして最新2011年改訂版テキストはこうなっています。
医者として名声も高く、蒸留法により芳香蒸留水を製造し医学に応用しました。
現在わかっている限りでは、アヴィケンナは芳香蒸留水を使った史実はあるけど、精油は使ったかどうかはわかっていない。そしてそれ以前のガレノスやディオスコリデスの記述の中にも芳香蒸留水があるようです。ということでアヴィケンナ自体はもともとあったものを活用しただけでアロマ史の変容に貢献した訳ではないようです。ただ、この人は医学的に重要人物である故アロマ史にも顔を出す結果になってしまったのでしょう。
最近読んだ高山林太郎氏の『誰も言わなかったアロマテラピーの本質』の中にはアロマ史に名を馳せる有名人の暴露話などがかかれていてなかなか面白かったです。その中でもガットフォセの火傷についての記述は興味深かったです。高山氏の本をこれから読もうと思っている人はネタばれになるのでここからは読まないでください。
そもそも私が勉強した頃の検定テキストには次のように書かれています。
フランス人化学者、ルネ・モーリス・ガットフォセが、化学実験中に事故で火傷を負い、とっさに目の前にあったラベンダー精油をかけたところ、みるみる回復し彼自身を驚かせたというエピソードがあります。
火傷といってもどの程度の火傷なのかはまったくわかりませんし、たちまちがどの位なのかもわかりませんでしたが、火傷によって精油の力を悟ったのは事実でしょうし、私は自分のクラスで話す時に「ガットフォセは化学者だから、その火傷がどのくらいで治るかおおかたわかっていたんだと思います。それをはるかに超える期間で治ったってことじゃないでしょうか」といった補足を勝手につけていました。世に語り伝えられる話では実験中にちょっとした小爆発が起こり、左手に火傷を負ったということでしたが。
高山氏の本によると、ガットフォセの火傷はかなり酷かったようですね。実験中に大爆発を起こし一瞬火だるまになったそうです。左手のみならず左腕、背中全体、頭部にまで火傷はおよんだということです。とっさにハーブの治療を試みましたが、そんな大火傷がハーブで直るわけもなく、病院に担ぎ込まれました。入院していたけど一向に回復する兆しが見えずにいた時、近くの農民達が傷や火傷にラベンダー精油を塗って直していることを思い出し、ようやく3カ月後に退院できたという話です。その後も火傷の跡は一生消えなかったようです。
ちなみに2011年改訂版検定テキストには次のように書かれています。
フランス人化学者、ルネ・モーリス・ガットフォセが、化学実験中に事故で火傷を負い、その治療の過程でラベンダー精油を使用し、著しい効果をあげたというエピソードがあります。
今まで気がつかなかったけど、若干ニュアンスが変わってましたね。
遠い昔のことならいざ知らず、ガットフォセがアロマテラピーとうい概念を打ちだしてからまだ1世紀も経っていないというのに、捻じ曲げられた情報が当たり前のように流通していたとこを考えると、人間のやることは結局すべて完璧なことなんてありえないんだなと痛感します。


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