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九州の紹介で~す

2009年03月10日 14時10分19秒 | 地元九州のお話
福岡で全国的に有名なものといえばやはり太宰府天満宮。
全国から受験生が殺到することで有名な神社です。

おっと、その前に神社とお寺の違いご存知ですか?
意外と知らないんですよね!
神社が「自然界の神を祭る日本古来の宗教」お寺が「仏様を祭る仏教」でございます。
明日職場の小話にでも使ってくださいね!

さてさて太宰府天満宮、受験生が殺到するわけですから「学問の神様」がお祭りされています。
実は元は人間、時は平安、「菅原道真(すがわらのみちざね)」という実在された方を神様として祭られてます。
今では「天神様」と呼ばれ厚く信仰されています。

ではでは菅原道真氏とはいかなる人物なのか。
実は学生の時歴史や古典でならってるはずなんですね!
平安時代に10代前半から「天才」と称され時の天皇後醍醐天皇から特権をいただくほど愛され、また重要な地位におられた方です。
その出世ぶりはまさに異例も異例、あっという間に右大臣にまでなりました。
しかし時は謀略と権力が渦巻く時代の宮中、もう一人の特権を持った「藤原時平」の陰謀により全ての地位を剥奪され大宰府まで島流しにされてしまいました。
その扱いは非常に厳しく「途中でいかなる物資も受け取ってはならぬ」とまで条件を付けられました。
長年住んだ家を出る際
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れぞ」
という歌を詠んだのはあまりにも有名です。
そして大宰府に到着からわずか2年、冤罪を背負ったまま亡くなられました。
没後、遺体を運ぶ途中に牛車の牛が座り込み動かなくなりました。
その時「道真公はここに眠りたいに違いない」と判断され祭られました。
その場所が今の太宰府天満宮です。

さてさてなぜ菅原道真公が天満様と呼ばれたのか、また死後のお話は最後にしましょう。
太宰府天満宮のお話ですからね! 興味があれば最後の補足まで読んでくださいね!
場所はもちろん福岡県大宰府市、アクセスはローカル線「西鉄大宰府線」が便利です。JR博多駅から市営地下鉄で天神駅まで行き、西鉄天神駅まで歩くのが一番かと思います。
名物は梅が枝餅、天満宮への通りには多数のお店が軒を連ねています。
また道真公が修行したとされる霊山も天満宮のすぐ近くにあり、ある程度ならば登る事もできます。
大変ですけどね! 私はもうしんどくて無理そうです(笑)
もちろん学問の神をお祭りしており、お正月には120万人が訪れるため想像を絶する混雑ぶりです。
お食事処が少ないため、また食事時はこみやすいため混雑時は時間をはずし別の場所でお食事することをお勧めします。
おそらくそんな時は福岡市内でも混みごみですが!

また大宰府天満宮にお越しの際ぜひ立ち寄っていただきたいのが「九州国立博物館」。
ここは日韓3首脳会議で使われたりさまざまな歴史の展示会を行っています。
料金もそこそこで展示物が多くアクセスもよし、二重丸です。

決して大宰府の回し者ではありませんが九州の回し者ではあります(笑)
この後天満様の由来を書きますが紹介はここまでとさせていただきます。
ぜひ生涯一度はお越しくださいませ!


歴史に強い方はご存知でしょうが道真公が亡くなられてから京都では天災が頻発、道真公を謀略によって追放されたとされる藤原清貫も雷による火災で焼死しました。
これは道真公が雷の神になり天罰を加えたとされ、雷の神と同一視されるようになりました。
天満とは「道真の怨霊が雷神になり、天に満ちた」という由来からきています。
つまり「学問の神」と「怨霊の雷神」の二面性を道真公がもっているとされています。
そのため学問の神を祭る大宰府とともに怨霊を鎮める天満宮が京都府北野に存在します。
大阪の天満宮もあわせ「日本三大天神」と呼ばれています。
そう、大宰府への旅路の途中立ち寄ったとされる場所を含め数多くの「天満宮」「天満神社」が存在します。

もし、天罰を受ける心当たりがあったり学問に関してお祈りしようと思ったならば、地元に天満宮を探し見つかったならお参りされてはいかがでしょうか。
信仰とは道徳心を成長させると私は思っています。
今の日本、道徳心が足りなく感じるのは共通する信仰がないためではないかな、そんな気がします。


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