『1011』~thee michelle's night XX

DJイベント「ミッシェルナイト」開催告知ブログ🙂
~毎年この時期になると彼らを思い出さずにはいられないあなたに捧ぐ

よろしくお願いします!!

2005-10-09 04:44:34 | 管理人から
 いよいよ今夜開催!
        TOKYOロッキンBARプロジェクトPRESENTS

  TMGE fan's NITE 『THEE PAST & NOW』

  michelle night
 has
 come!!
 2005

 日時10/09(sun) 23:00 START!

 場所三軒茶屋クローム 03-3418-1140
 世田谷区太子堂4-29-1 B1

 田園都市線三軒茶屋駅下車。
 北出口から地上に上がり、
 右手の「三茶しゃれなあど」を下り徒歩5分。
 ディスカウントショップ モリの地下。

 店長は星さんです♪


  CHARGE: 2000YEN(W1D)
    
メール事前予約でセカンドドリンクプレゼント中!
     ※その他リンク先の掲示板に載っている合言葉でもOK!

  DJS: ドクロ52号(OKAYAMA)/ 死HIGH忍(三茶メトロ)/ 他
      ※VJ参加あり

 体力電池切れは、NO!
 しっかり寝て食べて、今夜は一緒に踊り騒ぎましょう!!!
 予約もギリまでお待ちしてますよ。
 間に合わない人は、合言葉を探せ!(笑)

 スタッフ一同、心よりお待ち申し上げております。





解散後の思い出 5

2005-10-09 02:58:24 | thee michelle gun elephant
解散してからも、いろいろな場所(イベント)でメンバーをお見かけしたのを回想しています。
 印象的な思い出を少しづつつづりたいと思います。
↓(97年ごろのお姿)
 
 最終回 チバユウスケ氏


 チバさんとの思い出は・・・この2年。あまりかんばしくない思い出しかなかったかもしれません。
 例の8月のトリッピンナイト以外で、チバさんを見て笑った記憶がほとんどないという。 これは重症です(笑)

 自身も解散自体の傷がなかなか癒えなかったのもありますし、あちらもなかなか本調子に帰ってきてくれなかったこともあり、RAVEN・ROSSOと続けられていても、某U社所属に対するわだかまりがあり、素直に万歳は出来なかったのが現状です。

 解散後のチバ氏の表舞台の活動を記憶の中から整理してみると
03/10の解散→トリッピンナイトツアーでDJ→URASUJIでDJ→ 04/2 TABOOでDJ→耐久一人で5時間DJ@大阪→高円寺でDJ→RAVEN→LOFTのDJ欠席~空白の4ヶ月→ROSSOで復活,音源LIVE活動再開→ 05/2 ツアー開始→夏フェス→MIDNIGHT BANKROBBERS LIVE→トリッピンナイトでLIVE→サッカーバンドをプロデュース(は、してないか)
 ※右はROSSO再開時に物議をかもした、幻のチバ“貞”姿。これで1回はライブ見たかったです。

 こんな感じだったのではないかと思います。細かくチェックはしてないので定かではありませんが、覚えてる限りこんな感じでした。

 音源にも、参加してますね。
 ニューロティカ、勝手にしやがれ、そしてRAVEN、ROSSO。みなさん全てお聞きになられましたか? どの音源も出る度に賛否両論でしたね。

 印象的だったのは、ニューロティカでの「SHIGERU FOREVER」でのイントロの弾き語り。その後、その曲調はRAVENでもROSSOでも受け継がれ、ROSSOやバンクローバーズではついに一人でギター片手に歌うチバさんを生で見れるようになり、バンドスタイルだけではない新しいチバ音楽のあり方を見たように思っていました。

 それだけではなくバイキングスのような音楽も出現し、現在、ある程度ロッカーとして自由に動ける空間を周囲に回復できた状態になったんだと思えて、最近ようやくホッと出来ています。

 それというのも、解散後数回お見かけしたチバさんが。ミッシェルから解き放たれたはずなのに、まだまだ「ミッシェル」の影に追われて、縛られて苦しんでいるようなお姿に見えていたからなのです。

 下に、ミッシェル初期のラジオのパーソナリティ時代のチバさんを並べてみました(笑)

 チバさんは、よく喋りよく笑うミッシェルガンエレファントの破壊王として各所で恐れられながら、みんなに愛されている印象が強い人でしたので、解散あたりの「無言」の「孤高」チバさんばかりをクローズアップされた空気にはちょっと辛いなって思っていました。

 解散2ヵ月後、見かけたチバさん。下北でキューちゃんも出ていたライブに遊びに来ていたようで、たまたま帰り際に見かけたら二人が話している声がかすかに聞こえて。「じゃ、頑張って!…お互いになっ!!(爆)」と。二人で声をそろえて言い合っているのを聞いて「仲良いじゃないか!」と突っ込み入れたくなりました。

 チバさんは解散後は、とにかくDJばかりをやっていて、それもギリギリまで出演を明かさない形式にこだわっていたようでしたね。 自身もイシカワさん(タイガーホール)などとクラブイベントを持っていたくらいの人でしたから「自分目当てに踊らずに、見られている」事に非常に厳しかった人でした。その名残だったんでしょうかね。ただの恥ずかしがりやなのでしょうか?

 大阪の「独りDJ」の時も、あまり顔は上げずにただ黙々と盤面を眺めて、たまに酔いどれた声で「ナニ聞きたい?」という位でした。・・・あの5時間はどういう経緯でチャレンジしたのか分からなかったですが、へんちくりんな選曲で、たまにドン引きさせたりしていて「さすがだ、チバさん(泣)」と思いました。

 あれだけレコードマニアを主張していたチバさんにしては、DJになるとぱったり王道ミーハー選曲なんですよね。なぜか(笑)

うるさいくらいにレコードの素晴らしさを語っていた97年ごろ。

 当時はフロアで踊っていたりもしたもんでしたが、いつからかミッシェルがBIGになると、周囲を数え切れないくらいのファンに取り囲まれて動けなくなり、次第にフロアに出てくるときは他に誰かスタッフの護衛を付けなければ出てこれないくらいになっていました。 それは、解散してからも同じでした。

 それはきっと、その昔。都内某クラブイベントで、チバさんとウエノさんが二人でローディーの熊さんのライブを盛り上げようと酔ってフロアに乱入してきたときに、周囲にいたお客さんがわっと押しかけて皆が将棋倒しになった事があって。 他にも色々なトラブルがあって、けが人が出て。

 チバさんとウエノさんはその時それに巻き込まれたわけで、きっとそれで懲りたんじゃないかと思います。 気持ちとは裏腹に、隠れていなければいけない自分の立場に自覚も持つようになったのではないかと思ってます。 二人とも、本当はフロア好きっぽいですしね。ある意味、地位を得ると共に失った「自由」をチバさんはどう思っていたのでしょうか?

 憶測でモノを判断するのは良くないことなのかもしれませんが、去年のある日に、その答えとも思える姿を解散後に一度遭遇してしまった自分は、そのボロボロの姿に・・・。 正直、その後何度思い出して泣いたか分かりません。 なにがあったかはいえませんが。 人には「理由」があるんだって事を教えられました。

 あの空白の時間。あれからから這い上がってきた最近のチバさんの元気の源が、あのBANDの音楽ならば。心から「よかった」と思えます。 そうであって欲しいと思います。

 そんなになるまで我々にミッシェルを与え続けてくれたチバさんの気持ち。 これからもその思いには絶対に裏切らないで応えて行きたいと思っています。 ミッシェルは解散したけれども、そんなこと関係なく。

 我々は、誰がなんと言おうと“ミッシェル・フォーエバー”なのです。
 いつまでも、この音楽と精神を信じて生きたいと思います。