定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

115回ピースボート世界一周航海記その8(ホノルル、アリゾナ記念館、アラモアナセンター)

2024年01月01日 | 思い出の旅行

 ピースボート世界一周航海記 その8

第11日目 9月2日 ハワイ ホノルル港10時入港
 カミさんから「光が見える」と起こされる。暗闇の中に光が点々と横に連なっている。横浜から全く何も見ることができなかった航海だったので人の気配が嬉しい、ハワイを発見した人々も陸地を見てどれだけ狂気しただろうか我々の旅とは全く違っていても想像できる。「ようやくハワイに着いた!」感が強い。
 船は少しずつ明るくなる中、湾内をゆっくり進んでいる、波も穏やか。着替えを済ませて14階の定番の朝食。入港風景を見ながらの食事は船旅の醍醐味。食後、船首のデッキに出る、すでに多くの人が集まって見物、そして写真を撮っている。私もスマホとコンデジを使って撮影する。港と高層ビル群の対比が面白い。
 部屋に戻り、外出の準備。9時15分、10階の客の入国審査のために並ぶように船内放送が流れる。指定の階に行くと既に並んでいた。行列をつくって船を降り構内ターミナルに入ると20名ほどの入国審査官が入国審査を行なっている。審査官(女性が多い)は二人並んで座っている。私たちは夫婦なので一緒に審査を受ける。パスポートを提出し指紋を取る。小さなスキャナーでまず、右手4本、親指、次に左手4本、親指と4回で指紋を採取した。これで0K、次は持ち物の審査、麻薬犬(?)が一匹係官に連れられて荷物の匂いを嗅いでいる。麻薬だけでなく食べ物も探しているかも知れない。(生ものの持ち出し禁止)予想より効率がよく、早く通過できた。
 教えられたタクシー乗り場でタクシーを拾いアリゾナ記念館まで頼む。運転手は中国系(ハワイ滞在40年)、ハイウィーが工事の為、引き返して大回りして記念館に向かう、途中、土曜日の為か渋滞していた。結局30分以上かかって到着、チップ含めて60ドル払う。記念館も多くの客が訪れていた。完全に観光施設になっているようだ、客は世界各国から来ている、アジア系(中国人、韓国人)白人、黒人(アメリカ本土?)が多い、アメリカ人は肥満した人が目立つ、他人事ながら糖尿病、心臓などの病気が心配になる。
 荷物を預け(1個7ドル+税)、1日券を購入、2人で約100ドル、予算が狂う、帰りのタクシー代と食事代が心配になってきた。もう少し持って来ればよかったか。
 まず、潜水艦(ボーフィン号)を見学、狭い艦内に魚雷室、乗組員の寝室、キッチン、休憩室、トイレ、操舵室エンジンルーム、無線室などコンパクトにぎっしり詰まっている、更に館内あらゆる所に各種配管が裸で走っている。人間も配管のように役割を果たさなければならないのだろう。この狭さでは閉所恐怖症の人はダメだろう。ドイツ映画「Uボート」を思い出す。*迂闊にも帰国してからボーフィン号は学童疎開の生徒を乗せた対馬丸を撃沈した潜水艦だと知った、複雑な思いだ!
 次はアリゾナ記念館を目指す。映像を見る人とアリゾナ記念館を目指す人の長い行列が出来ていた。我々は30分ほど待って、まず、建物の中で説明を聞いて(何を言っているのか全くわからない)からフェリーに乗り込むことが出来た。水兵の軍服を着た係官がここでも説明(全くわからない)していた。フェリーは15分ほどでアリゾナ記念館に到着、風が心地よかった。
 アリゾナ記念館は沈没したアリゾナ号の上に立っている、沈んでも浅いので大砲の砲台がハッキリ見えた。報道や写真でよく見る光景だ。今でも油が少しずつ浮かんでくると書いてあったことを思い出したが油は見えなかった。中央の建物の中には無くなった軍人軍属の名前が壁一面の大理石に刻まれていた。更に大きな文字で次のような書かれていた。

 TO THE MEMORY OF THE GALLANT MEN HERE ENTOMBED AND THEIR SHIPMATES
WHO GAVE THEIR LIVE IN ACTION ON DECEMBER 7,1942 ON THE USS ARIZONA

1942年12月7日、アリゾナに埋葬された勇敢な男たちとその船員の記念として。

 二人でしばらく黙祷を捧げる。良かった、これでハワイに来た甲斐があった。
 フェリーで戻るとピースボートのお客らしい3人組を見つけたので声をかけ、バス乗り場を教えてもらう。3人組の一人が携帯WiFiを使ってスマホで地図アプリを駆使してバス停の位置、行き先など確認している。バス停は近くにあってバスも直ぐに来たので我々も乗り込んだ。一人3ドル、アラモアナセンターまで行くとのことだったので我々も行くことにした。車内は日本語で声をかけたくなるアジア系ばかり、途中、中国人街やカメハメハ大王像前を通り観光も出来た。
 40分ほどでセンターに着き、我々は一行と別れ、センター内のパンケーキ(ピースボートで美味しいと教わった)を出すレストランを目指す。センターは巨大で歩くのも探すのも大変、途中で諦め、フードコートでパンケーキの代わりにサンドイッチ(ハム&エッグ 6.75ドル ストロベリー、バナナ&オレオクリーム 5.75ドルとマンゴカスタードダニッシュ 4ドル、レモネード 2.6ドル)を食べる。なぜかアメリカの味を感じる、美味しい。フードコートの客はアジア系、中東系?黒人系など金持ちではなさそうな人々で一杯、隣に白人青年が一人小さくなってサンドイッチを食べていた。
 食後、元気になったのでハワイを肌で感じるために船まで歩くことにする。日差しを避けるため日陰を探して歩く、日陰は涼しく気持ち良い。ブーゲンビリアなど綺麗な花を見たり、頭が赤い可愛い小鳥や白い鳩を見たり、巨大な根っこの木を見たり、元気なアジア系の電動車椅子に乗ったおばさんに「HOW ARE YOU!」と声をかかられたり、面白い体験ができた。地図で場所を確認して周囲を見渡すとパシフィックワールド号の頭部が見え一安心。
 船に戻り、シャワーを浴び、洗濯をしてから14階で夕食、よく歩いたご褒美にビール1本を二人で飲む。隣のテーブルでも夫婦が1本のビールを分かち合っていた。
 部屋に帰り、今日の出来事をまとめる。明日はどうするか寝ながら考えよう。

タクシー代 港から真珠湾 60ドル  
入場料 二人で192.56ドル 
荷物預かり代7.33ドル 
昼食 サンドイッチ 20ドル
船内でビール 426円 

 

ハワイ・ホノルル入港風景 10日ぶりの陸地に感動、長かった、太平洋は広い!

左に見えるアロハ・タワー前に着岸

アロハ・タワー前に着岸、クルーズ船が入港してくる

パールハーバー国立記念館

潜水艦見学、魚雷発射管 *対馬丸を撃沈した魚雷もこの発射管を使ったのだろう。

内部

3段ベット、狭い!

食堂

トイレ

潜水艦の大砲

戦艦ミズーリ(降伏文書調印式が行われた)とアリゾナ記念館

アリゾナ記念館に向かうフェリー

アリゾナ記念館、沈没したアリゾナ号の上に建っている、墓地でもある

アリゾナ号が見える

大砲の台座

 

記念館の内部、亡くなった兵士、船員の名前が大理石に刻まれている。

 

1942年12月7日、アリゾナに埋葬された勇敢な男たちとその船員の記念として。

フードコートでサンドイッチを食べる、美味しかった!!

おむすび屋さん!並んでいる様子を見ると結構人気があるようです。

ハワイのシンボルツリー

 

 

 


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