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定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

115回ピースボート世界一周航海記その9(教会、アロファタワー、ホームレス)

2024年01月01日 | 思い出の旅行

第12日目 9月3日(日) ホノルル港17時出航
 8時に14階で朝食、野菜もおかずも少ししか残っていなかった(在庫が切れたか?)。お粥、茹で玉子、ハム、チーズ、野菜(オリーブの実、赤い漬物?)少々。
 部屋に帰り、外出の準備完了。手続きは構内ターミナルでの持ち物検査だけ。ターミナルの外はオプショナルツアー客がバス待ちしている。
 まず、チャイナタウンへ向かう、チャイナタウンからバスでワイキキまで行って帰ってくる計画である。歩いてもなかなかチャイナタウンに行きつかない。道路が碁盤の目状でないので方向感覚が無くなってくる。ハワイ銀行、ハワイテレコムを過ぎて行くと教会らしい建物が見えたので行って見ることにした。敷地の中に入るとテントで木製のロザリオ、十字架、イエス像など販売していた。アジア系の司祭がいたので「日本から来た信者です。」と挨拶すると「クルーズで来たのですか?」聞かれた。そして記念に司祭と一緒に写真を取ってもらった。
 お御堂に入ると立派な教会だった、外から見た教会とまったく印象が異なる。席はほぼ埋まっていたが2人分の空きがあったので座ってミサが始まるのを待つ。すると写真を撮ってくれた中年の白人男性が小さな貝でできたレイを「訪問してくれた記念のプレゼントです!」と言って渡してくれた。思いがけず嬉しかった。
 ミサは10時に始まった、初めに平和の挨拶のように皆で挨拶をする。進行はほぼ同じだが違う所もある。パンフレット見ながら何とか一緒に祈れるように頑張った。一緒に歌えたり、唱えることが出来ると同じ信者としての一体感を感じた。1時間ほどでミサが終わり教会を出る。
 海が見えたので海岸で休むことにした。海岸では釣りをしている人がいた。岩場があったので裸足になって海水に足を浸けた、暖かく気持ち良い。ハワイの海に足を入れたがハワイで泳いだことになるだろうか。
 ホノルル街の裏通りは、見たことがない花や野生の鳥に出会え楽しいが、時に、ゴミが散らかっていたり、ベンチに座っているホームレスに出会う。ハワイの裏の顔だ。垢だらけになったボロボロの服と少しの荷物を持っている。時々何かうめいている。数人見たが全員何故か白人だった。
 パシフィック・ワールド号が見えたので帰船することにする。港近くで魚に餌をあげていたので覗くと小さな魚が珊瑚の周辺に集まって餌を食べていた。港で珊瑚に出会い驚いた。停泊しているアロファタワーの周辺の店は殆ど休業、アラモアナセンターのような大型施設に客を取られているのか。

 アロハ・タワーを覗くとハワイの歴史を図を使って紹介していた。1800年代は原住民同士の激しい争いもあったようだ。平和な楽園ハワイのイメージに相応しくない歴史、ハワイの別の姿を垣間見たような気がした。
 帰船し、部屋に荷物を置き、パスポートを預けてレストランで昼食。一緒になった方々は静か、疲れた様子だったので聞いてみるとそうだとのこと。私達より若い様だが歩き疲れたようだ。
 メニューはサラダ、スープ、ハンバーグカレー、コーヒーのセット、お腹が空いていたので美味しく食べた。部屋に戻り、出来事を思い出し記録する。少し疲れたので昼寝をする。
 17時の出航時間が来てもなかなか出航しない、皆、甲板に集まって辛抱強く待っている。2時間位経って船はようやく埠頭を離れ大きく旋回し船首を港の出口に向け動き出した。ホノルルは既に美しい夜景に変わっていた。次は10日間ほどの航海を経てメキシコだ。何が見られるか楽しみだ。

 

カトリック教会で司祭と
 
聖堂内部(ミサ後)
 
聖具の販売風景 木製(オリーブ)のロザリオ、十字架、キリスト像などを販売していた。アジア系が多いので親しみを感じる。
 
貸自転車
 
日本語、ハンブル、中国語対応 
  4.5ドル→30分  12ドル→24時間、30分以内何回でも可  30ドル→300分利用可、試用期間1年間
 
土留がない街路樹
 
鮮やかな赤い花が目立つ木
 
可愛い小さな花もある
 
紫陽花のような青紫の花
 
港風景、閉鎖された観光船が放置されていた
 
小さな橋の下の景色、珊瑚と魚が見えた
 
裏道はゴミが目立つ
 
ホームレスも数人見た
 
不思議な幹の木
 
木と大きな花のバランスが悪いが花は可憐で綺麗
 
ハワイが統一されるまでの状態、イメージと全く異なる歴史を持っている。
 
ハワイ初期の入植住宅
 
屋根越しにパシフィック・ワールド号が見える
 
夕焼けのハワイ
 
ライトアップしたアロハ・タワー
 
 
 
 
 


 

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115回ピースボート世界一周航海記その8(ホノルル、アリゾナ記念館、アラモアナセンター)

2024年01月01日 | 思い出の旅行

 ピースボート世界一周航海記 その8

第11日目 9月2日 ハワイ ホノルル港10時入港
 カミさんから「光が見える」と起こされる。暗闇の中に光が点々と横に連なっている。横浜から全く何も見ることができなかった航海だったので人の気配が嬉しい、ハワイを発見した人々も陸地を見てどれだけ狂気しただろうか我々の旅とは全く違っていても想像できる。「ようやくハワイに着いた!」感が強い。
 船は少しずつ明るくなる中、湾内をゆっくり進んでいる、波も穏やか。着替えを済ませて14階の定番の朝食。入港風景を見ながらの食事は船旅の醍醐味。食後、船首のデッキに出る、すでに多くの人が集まって見物、そして写真を撮っている。私もスマホとコンデジを使って撮影する。港と高層ビル群の対比が面白い。
 部屋に戻り、外出の準備。9時15分、10階の客の入国審査のために並ぶように船内放送が流れる。指定の階に行くと既に並んでいた。行列をつくって船を降り構内ターミナルに入ると20名ほどの入国審査官が入国審査を行なっている。審査官(女性が多い)は二人並んで座っている。私たちは夫婦なので一緒に審査を受ける。パスポートを提出し指紋を取る。小さなスキャナーでまず、右手4本、親指、次に左手4本、親指と4回で指紋を採取した。これで0K、次は持ち物の審査、麻薬犬(?)が一匹係官に連れられて荷物の匂いを嗅いでいる。麻薬だけでなく食べ物も探しているかも知れない。(生ものの持ち出し禁止)予想より効率がよく、早く通過できた。
 教えられたタクシー乗り場でタクシーを拾いアリゾナ記念館まで頼む。運転手は中国系(ハワイ滞在40年)、ハイウィーが工事の為、引き返して大回りして記念館に向かう、途中、土曜日の為か渋滞していた。結局30分以上かかって到着、チップ含めて60ドル払う。記念館も多くの客が訪れていた。完全に観光施設になっているようだ、客は世界各国から来ている、アジア系(中国人、韓国人)白人、黒人(アメリカ本土?)が多い、アメリカ人は肥満した人が目立つ、他人事ながら糖尿病、心臓などの病気が心配になる。
 荷物を預け(1個7ドル+税)、1日券を購入、2人で約100ドル、予算が狂う、帰りのタクシー代と食事代が心配になってきた。もう少し持って来ればよかったか。
 まず、潜水艦(ボーフィン号)を見学、狭い艦内に魚雷室、乗組員の寝室、キッチン、休憩室、トイレ、操舵室エンジンルーム、無線室などコンパクトにぎっしり詰まっている、更に館内あらゆる所に各種配管が裸で走っている。人間も配管のように役割を果たさなければならないのだろう。この狭さでは閉所恐怖症の人はダメだろう。ドイツ映画「Uボート」を思い出す。*迂闊にも帰国してからボーフィン号は学童疎開の生徒を乗せた対馬丸を撃沈した潜水艦だと知った、複雑な思いだ!
 次はアリゾナ記念館を目指す。映像を見る人とアリゾナ記念館を目指す人の長い行列が出来ていた。我々は30分ほど待って、まず、建物の中で説明を聞いて(何を言っているのか全くわからない)からフェリーに乗り込むことが出来た。水兵の軍服を着た係官がここでも説明(全くわからない)していた。フェリーは15分ほどでアリゾナ記念館に到着、風が心地よかった。
 アリゾナ記念館は沈没したアリゾナ号の上に立っている、沈んでも浅いので大砲の砲台がハッキリ見えた。報道や写真でよく見る光景だ。今でも油が少しずつ浮かんでくると書いてあったことを思い出したが油は見えなかった。中央の建物の中には無くなった軍人軍属の名前が壁一面の大理石に刻まれていた。更に大きな文字で次のような書かれていた。

 TO THE MEMORY OF THE GALLANT MEN HERE ENTOMBED AND THEIR SHIPMATES
WHO GAVE THEIR LIVE IN ACTION ON DECEMBER 7,1942 ON THE USS ARIZONA

1942年12月7日、アリゾナに埋葬された勇敢な男たちとその船員の記念として。

 二人でしばらく黙祷を捧げる。良かった、これでハワイに来た甲斐があった。
 フェリーで戻るとピースボートのお客らしい3人組を見つけたので声をかけ、バス乗り場を教えてもらう。3人組の一人が携帯WiFiを使ってスマホで地図アプリを駆使してバス停の位置、行き先など確認している。バス停は近くにあってバスも直ぐに来たので我々も乗り込んだ。一人3ドル、アラモアナセンターまで行くとのことだったので我々も行くことにした。車内は日本語で声をかけたくなるアジア系ばかり、途中、中国人街やカメハメハ大王像前を通り観光も出来た。
 40分ほどでセンターに着き、我々は一行と別れ、センター内のパンケーキ(ピースボートで美味しいと教わった)を出すレストランを目指す。センターは巨大で歩くのも探すのも大変、途中で諦め、フードコートでパンケーキの代わりにサンドイッチ(ハム&エッグ 6.75ドル ストロベリー、バナナ&オレオクリーム 5.75ドルとマンゴカスタードダニッシュ 4ドル、レモネード 2.6ドル)を食べる。なぜかアメリカの味を感じる、美味しい。フードコートの客はアジア系、中東系?黒人系など金持ちではなさそうな人々で一杯、隣に白人青年が一人小さくなってサンドイッチを食べていた。
 食後、元気になったのでハワイを肌で感じるために船まで歩くことにする。日差しを避けるため日陰を探して歩く、日陰は涼しく気持ち良い。ブーゲンビリアなど綺麗な花を見たり、頭が赤い可愛い小鳥や白い鳩を見たり、巨大な根っこの木を見たり、元気なアジア系の電動車椅子に乗ったおばさんに「HOW ARE YOU!」と声をかかられたり、面白い体験ができた。地図で場所を確認して周囲を見渡すとパシフィックワールド号の頭部が見え一安心。
 船に戻り、シャワーを浴び、洗濯をしてから14階で夕食、よく歩いたご褒美にビール1本を二人で飲む。隣のテーブルでも夫婦が1本のビールを分かち合っていた。
 部屋に帰り、今日の出来事をまとめる。明日はどうするか寝ながら考えよう。

タクシー代 港から真珠湾 60ドル  
入場料 二人で192.56ドル 
荷物預かり代7.33ドル 
昼食 サンドイッチ 20ドル
船内でビール 426円 

 

ハワイ・ホノルル入港風景 10日ぶりの陸地に感動、長かった、太平洋は広い!

左に見えるアロハ・タワー前に着岸

アロハ・タワー前に着岸、クルーズ船が入港してくる

パールハーバー国立記念館

潜水艦見学、魚雷発射管 *対馬丸を撃沈した魚雷もこの発射管を使ったのだろう。

内部

3段ベット、狭い!

食堂

トイレ

潜水艦の大砲

戦艦ミズーリ(降伏文書調印式が行われた)とアリゾナ記念館

アリゾナ記念館に向かうフェリー

アリゾナ記念館、沈没したアリゾナ号の上に建っている、墓地でもある

アリゾナ号が見える

大砲の台座

 

記念館の内部、亡くなった兵士、船員の名前が大理石に刻まれている。

 

1942年12月7日、アリゾナに埋葬された勇敢な男たちとその船員の記念として。

フードコートでサンドイッチを食べる、美味しかった!!

おむすび屋さん!並んでいる様子を見ると結構人気があるようです。

ハワイのシンボルツリー

 

 

 

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115回ピースボート世界一周航海記その7(ピースボートの歴史、ノーベル平和賞)

2023年12月26日 | 思い出の旅行

第7日目 8月30日(水)(1)日付変更線通過 *明日も30日となるとのこと?
 8時起床、洗面をして14階で朝食、窓際の4人掛けテーブルを確保、お粥、サラダ、茹で卵、スクランブルエッグ、焼き魚、ベーコン、りんご、グレープフルーツ、スイカ、メロン
波穏やか、雲少なくカモメ飛ぶ(陸が近い?)部屋に戻り歯ブラシとトイレを済ます。
 10時「私の愛するハワイ〜フラを育んだ自然と文化」を聞くつもりで7階「ビスタラウンジ」へ行ったつもりが「プリンセスシアター」だった。「夢とロマンの世界遺産〜ハワイの世界遺産」をそのまま聞くことにする。初めの30分はクルーの避難訓練のため待機、ハワイの地理、歴史から始まり名所を1時間ほどかけて紹介してくれた。
・ダイヤモンドヘッド *休火山
・ファーマーズマーケット *お土産
・ワイキキビーチ *3キロメートル、サンセットがお勧め
・パールハーバー *戦争記念館
・ワイアナの滝
・パナウマ湾 *かって火口だった
・イオラニ宮殿
・ビショップ博物館
・アラモアナセンター
・モアナルアガーデン
・タンタラスの丘

 スッタフの避難訓練で終わりが30分遅れたのでカミさんと待ち合わせを諦め自室に戻る、1時間後、カミさんが戻って来た。「ロビーのソファで待っていた」とのこと。
 昼食は14階でお粥、焼き魚、厚切りのハム、ちくわの天ぷら、野菜サラダ、グレープフルーツそして抹茶ゼリーのデザートとコーヒーをいただく。シアターの放映中の「寅さん」を覗いたが満員、諦めて自室で休息、気がついたら寝ていた。
 5時起きて、5階の食堂に向かう。メニューは同じ、サラダ、スープ(ニンジン)、メイン(ビーフシチュー)、デザート(ナタデココ)、コーヒー。同席した方が2人、一人はスマホとワープロをいじっていて話をしない。もう一人の方は徳島から来られた同じ年(20年生まれ)、2回目(1回目は10年前)の参加とのこと、気難しそうだったが話しかけたら気さくな方だった。翻訳ソフトを持っているけどハワイ観光はどうするか迷っている様子。
 夕食後、ジャグジーとプールがある船尾に向かう、ジャグジーに入っている人も見えた。気持ち良さそう。大きなデッキチェアがあったので寝転んで航跡と雄大な夕焼け風景を楽しむ。「最高の贅沢」とカミさん。深い赤から赤黒く変化する夕焼けが美しい、星も見える。
 8時、自室に戻り歯ブラシをする、記録を書いて風呂に入る予定。明日も30日(今日は30日1、明日は30日2として区別するとのこと)貴重な体験?1日(30日2)はどうなるの(日本時間は?)か分からない。


8日目 8月30日(2) *2回目の30日 スパームーン
 8時14階で朝食、お粥、卵、焼魚、サラダ、ヨーグルト、スイカ。騒がしい、中国人?韓国人?日本人? 食後、部屋に戻り歯磨きとトイレ(硬、軟の2回出る)カミさんは映画「ファーザー」主演アンソニー・ホプキンスを見に行く。私は自室で海と空と雲のスケッチ、カミさん11時に帰ってくる。日本語表示が無かったので帰ってきたとのこと。
 12時、昼食、5階で和食(五目寿司、天麩羅うどん、サラダ、梨、コーヒー)、ラガーマン(元三菱重工)と一緒になった、年代別にパンツの色は決まっているとのこと(90代はゴールド)、ルール、ラクビー誕生のキッカケなど話題になる。 
 13時、自室で休む、14時、8階で「気象」の話を聞く、食事で一緒になった方が企画、大勢の方が参加、天気図を使って解説するのは日本だけとのこと、天気図に使われるマーク、雲の種類など30分程解説。
 売店でIDカード入れを買う。観光地では貴重品入れに使えそう。
    ホルダー   150円 ×2=300円
    ストラップ  420円 ×2=840円
       計         1,140円
5〜6階の中央ホールを使ってピースボートの写真パネル、吉永小百合のメッセージ、ノーベル平和賞メダル(レプリカ)等展示されていた。3時30分自室に帰る、カミさんは昼寝。
 16時15分、ビスタラウンジで「ピースボート40周年記念企画 トークショー ピースボート40年の歩み」に参加。1982年、国が中国侵略から進出へ変更したことをキッカケに早稲田大学の学生が集まり結成。最初は国内、アジア周遊を行い現地のカウンターパートナーと支援活動を開始。自転車、車椅子、楽器、サッカーボール、大きなものでは救急車も持って行った。KOREAリレークルーズでは韓国と北朝鮮訪問も実現させた。東日本大震災では石巻に拠点を置き数万人のボランティアを送り出した。「脱原発世界会議」を横浜で開催6,000人が参加した。「平和憲法9条世界会議」、ウクライナ支援、カンボジアの地雷被害救済支援を行なってきた。コロナでは船が出せず、存亡の危機にあったが皆さんの支援で乗り越えられた。クラウドファンデイングで3500万円集めることができた。*運行中止になってもリピーターが返還を求めなかったことも幸いしたようだ

 終了後、5階のレストランへ卵料理の前菜、ほうれん草のスープ、ハンバーグ、抹茶ケーキ、コーヒーを食べる。同席は3人(男2名、女性1名)リピーターと初めての夫婦(夫は建築士)だった。リピーターの方は当然にピースボートや海外に詳しい。建築士の方は現役、奥さんに言われて乗ったとのこと。

第9日目 8月31日(木)
 6時起床し、洗顔して「ヨガ」Mクラスへ、会場は12階のジム、サウナなどがある一角。初めての体験、ほとんど、中年以上の女性、男は自分を入れても3人。インストラクターに習い一生懸命真似をするが体が硬く思うように動かない。周囲の女性(経験者か?)は良く動いている。それでも見よう見まねで何とかやり遂げた。腰も伸びるかも、ちょっと期待する。要所要所で水を飲むように教わる。(我々は忘れた。)
 終了後、14階の「ホライゾンコート」で朝食、いつもの内容。食後、帰室しトイレ、と歯磨きを済ませ、「わくわく寄港地〜ホノルル」を聞くために7階プリンスシアターへ、すでに沢山の人が集まっている。
 <注意事項> 100ドル以上の罰金
 ・信号が点滅したら横断禁止
 ・横断歩道がない道路での横断禁止
 ・歩きスマホ、デジカメなど禁止
4人に一人が日本人観光客、物価はニューヨークに次いで高いとのこと。
 <名所>
 ・ワイキキビーチ
 ・カラカウア アベニュー 名店街
 ・カメハメハ大王像 実はレプリカ
 ・カメアコ
 ・モアナルマ・ガーデン
 ・ワイレケアウトレット
 ・パールハーバー
 ・ダイヤモンドヘッド
 ・ノース。ショア
 ・カイルアタウン
 終了後、眠かったので1時間ほど一人休む。カミさんは14階でお茶。

 昼食も14階で取る、メニューはほぼ同じ。帰り、ピースボートセンターでハワイの山火事支援寄付10ドルをする。また、フタッフに
 ・パールハーバーまで歩いてどの位か聞いたが分からないとのこと。
 ・ピースボートから送られてきた翻訳ソフトの使い方を聞く(新聞に掲載されているマークJの黒丸が翻訳ソフトが使える時とのことであった)
 部屋で休息後、5時過ぎ5階「マーキスダイニング」で夕食、ギリシャチーズ入りサラダ、オニオンスープ、グラタン、抹茶ケーキ、コーヒー。同室の北海道と千葉県柏市から来た二人連れ(知り合いではない)と一緒になる。後期高齢者と言っていたが老けてはいない、若く見える。私たちの年齢を知って若いとビックリしていた。カミさんは夫婦の在り方を分かち合った、少し驚いていた様子。ハワイの情報を知りたかったが初めてとのことだった。パールハーバーまでタクシーもバスも使えなければ歩きで行くことにした。多分1時間程度か、、。
 部屋に帰り、一休み、お腹が一杯で動けない。カミさんは風呂に入る。

アクシデント
 ハワイ火事見舞いの支援をするため米ドルを出そうとしたがセイフティーボックスが開かない、カミさんが5階のレセプションへ行って申し出すると直ぐスタッフが来て対応してくれた。


第10日目 9月1日  
 カミさんは6時30分のラジオ体操へ、私は8時起床、洗面をして14階で朝食、同じメニュー、おかずを減らす。帰室しトイレと歯ブラシを済まし「先住民が銃を置く日〜ミ民族解放と平和」に出席のため7階ビスタラウンジへ、会場はまだ「えいちゃんの洋風盆踊り」の最中、高齢の女性が楽しそうに踊っていた。
 9時45分、講座開始。
<紛争解決のための8つの要素>
・紛争の原因の話し合い 
 原因を理解するために文脈を知ることが重要、ウクライナ戦争やアフリカの紛争のように原因
 が異なる。
・経済的再構築 分析→改善→対応
・物理的構築 人々の力が必要
・政治的構築 被害者が立ち直れるような対応が必要
・国家機関の構築 インフラ、関係が必要
・移行期の正義と司法へのアクセス
・治安部門の改革
・元戦闘員の統合
<1994年に学んだこと>
 メキシコにおける平和構築
 アメリカ、カナダ、メキシコによる経済同盟
  国民の同意を求めなかった、多くの人々が取り残されていると感じた。先住民も同様だっ
  た。先住民が立ち上がった。

 レジリエンス(回復する力)
  レギル クスルジャル *マヤの言葉、心と体の健康の意味
  ラ マードレ ティエラ *母なる大地 自然を破壊しない意味。原住民は木を切る時、住
  宅に使うの切ることを許して欲しいと願う。
  *皆で決断(踊り、話し合う)する、老人から若者まで力を合わせる大事さを知っている。

 サバティスタの抵抗
  基本理念による反抗、心は強かったが力は弱かった。
 マスク(顔全体覆う)
  なぜ、マスクをするか、マスクをしないと無視されるがしているとあなたは誰ですかと
  問われる。
 仲介者
  先住民に親しまれている司教が政府とサバティスタの仲介者となった。
  先住民は戦争志向の政府はあてにならない。 
  ドンサミュエル ルイス ガルシアとそのチーム
  平和は一人で考えることではない皆の力で平和の構築を行なってきた。
 
<結論>
「平和構築はいつでも可能、一般の人々も関与できる、一人ひとり平和の為にできることがある。そのことが平和実現に必要」

12時過ぎ、14階でお粥の昼食、カミさんはお粥が気に入っている様子。
自室で休んで13時過ぎに7階ビスタラウンジへパスポートを受け取りに行く、階毎(我々は10階)に時間調整し、更に会場で1、2、3のグループに分け受け取る、待たずに受け取れた。
自室に戻り昼寝する。船内放送で気がつけば3時30分になっていた。

 


 エレベータで熱を出した人がいるのでマスクをした方が良いと忠告された。

日付変更線の表示

 

12階のデッキチェア *外気温が快適な時は意外と少ない。

 

ノーベル平和賞

 

ノーベル平和賞メダル(レプリカ)

ピースボート共同代表であり核兵器廃絶国際キャンペーン国際運営委員(ICAN 2017年ノーベル平和賞受賞)の川崎哲氏

と吉永小百合の対談風景。

 川崎氏は2006年に我々が乗船した時はPBコーディネータとして活動していました。

リビアのカダフィ大佐の自宅(アメリカ軍に爆撃を受ける)や外交官養成所などの訪問ツアー(もしかしたらカダフィ大佐に会えるかもしれない)では通訳として同行してくれました。私のブログを参照して下さい。

吉永小百合のメッセージ
 
 

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115回ピースボート世界一周航海記その6(アートダンス、モンテッソーリ)

2023年12月26日 | 思い出の旅行

第6日目 8月29日(火)時差1時間 

朝食は14階「ビスタラウンジ」でいつもの内容。部屋は掃除中のため5階へ行きトイレを済ます。掃除のタイミングが悪い。同階のツアーデスクへ行き受付番号をもらう。1時間15分程の待ち時間を利用して「アートダンスとわたしの人生」を聞きに行く。カミさんはベンチで読書。

「アートダンスとわたしの人生」

<内容>
芸術、ダンスと心身の健康
・体を動かす、息をする、他の人と共有すると幸福感を感じる、それは生きている証そのもの。 
・命があると言うことは動くこと
・人は芸術に感銘を受ける
・動きは一人ひとりの特有な表現
・芸術は人の心身、健康に大きな影響を与える
 感情を探す
 考えを伝える
 充実感
 心身、心、魂に働きかける
 心身や感情の健康を促す
 ストレスの軽減
 自己肯定感の上昇
 自分と他人との絆を深める
芸術は私たちのウェルビーイングを更に深める
芸術やダンスで得られるものとは
 ・健康
 ・筋肉と骨を強くする
 ・カロリーの燃焼を助ける
 ・美的感覚と体調を向上させる
 ・心臓の容積が増える
 ・心臓血管系を強くする
 ・心臓の効率を上げる
芸術活動は自分と内なる感情や想い経験をつなげる
やりたいことができる
ドーパミン
ダンスは心と身体に働きかける
 ・精神的な集中力と調整力 
 ・ストレス解消、感情表現の向上
 ・エンドルフィンの分泌
脳と体、どちらが船長?
芸術とダンスと心と身体の健康は私たちを幸せにする
村理学や精神科学は芸術、ダンスは不安や鬱、さらにトラウマまで調和する
バランスの取れた充実した健康的な人生
ダンスは脳の能力を上げる
 プロピオセプション
 健康と身体認識、空間における身体の位置とその動きの両方を理解する能力
インテロセプション
 自分の身体に対する感覚を深め身体の中の感覚に基づき感じること、感情と反応能力
ミラーニューロン 共感の神経
 ダンスは一種のコミュニティーを作り他の人と団結して繋がって一体感を生み出す。
 ・儀式、宗教の祭りのダンス
 ・お祝い事と祭典
 ・周りと繋がりを作って
私たちをつなげてダンスという共有体験
ダンスは私たちのウエルビーイング(心の健康)を違う視点から支えてくれる要素である
 ・コミュニティーをつくることができる
 ・時間空間を共有できる幸せ
 ・ウエルビーイングは違う視点から支えてくれる
 ・体を動かすことは私たちの人生に欠かせない、人生は動き

終了後ツアーデスクでジャマイカとマイアミのツアーを申し込む。

昼食は5階マーキスダイニングで和食(カレーうどん、五目ご飯、サラダ、コーヒー)
東京上野のSさん(76歳二度ガンに罹った、妻が突然亡くなり立ち直るのが大変だった)とMさん
(80歳、趣味社交ダンス、興味地球環境と名刺に書かれていた)と同席、ピースボートのこと、環境のこと、戦争のことなど話題になった。記念に写真を撮った。

13時「平和は子供たちから始まる」深津高子
 子供が集中している時声をかけない。
 手は何の為に使うか、手は知性の道具です。   藤原房子「手の知恵」

「平和な手は平和なコミュニティーから生まれる」
「男は剃刀で髭を剃り、女は包丁で野菜を切る、二人は刃物を使って1日が始まる」
  *高田敏子
深津氏のカンボジアでの体験
 ポルポト時代
  ・急速な農業国家作り
  ・家族破壊
  ・子供をスパイにする密告社会
  ・知識層の処刑
  →200万人が亡くなった
ポルポト時代の子供たち 大石芳野写真集 
 地雷 設計者はつま先だけか足首まで怪我させるか考えて設計している
子供が初めて描いた絵
 ・強制労働
 ・処刑
 ・家族の死
  *事例 小さな手で家族を埋めている絵
難民キャンプで保育園を作った
 ・カオイダン難民キャンプ
 ・子供がいい大人に出会った場
「幼い難民を考える会」が保育園を作った
  *機織り、手作りおもちゃ
 佐藤幸江 希望の家 2700人の子供を世界に
 →平和は子供たちから始まる、人の心の中で始まるもの
ジェームズ・ヘックマン 社会経済学者 ノーベル経済賞
 貧しい家庭を支援することが一番効果的
   1ドル→6ドルになる
 学ぶ喜びは幼い頃から始めるべき

マリア・モンテッソーリ
 20世紀初めにイタリアの女性医学博士であり平和運動家マリア・モンテッソーリ(1870〜1952)が、観察を通して発見した生命が育つ法則を科学的に系統だてたもの。
「一人でするのを手伝ってください」に代表されるように、子どもには自らを育てる力があり、大人はそれを邪魔せずに援助しなければならないと訴えた。現在、モンテッソーリ教育は世界の6大陸に広がり、誕生から100年経った現在も世界中の親、教育者、そして子どもたちに支持されている。

 戦争回避は政治家の仕事
 平和の構築は教育の仕事です

「デチタ でチた できた」 (1,430円込み)購入する

14階「ホライゾンコート」でおやつ(ケーキ、ゼリー、コーヒー)
自室に戻り休む。
購入した本「デチタ でチた できた」を読む、実践的な子育て法が書いてある。
6階「リージェンシーダイニング」の夕食(締切5時30分)に遅刻したらダメとのこと、部屋で待つ(次は7時30分)ことにする。カミさんは一眠り、私は本の続きを読む。
7時30分「リージェンシーダイニング」で夕食、韓国人のM、Kさんと入口で会い、同じテーブルで食事をする、Mさんからビールをご馳走してもらい、四人で乾杯する。Mさんは英語の勉強のため海外留学の計画を持っているとのこと、平凡より困難が好きとのこと。Kさんは夫の骨をネックレスに入れていつも一緒と言う。前向きで明るい性格は韓国人の国民性か。楽しい一時を過ごせた。ビールのお礼に卓鈴桜をプレゼントすることを約束した。9時自室に戻る。
洗濯してシャワー浴びて寝る。

 

講演「アートダンスとわたしの人生」

 

「平和は子供たちから始まる」表現方法について

「平和は子供たちから始まる」講師は子どもの行動を注意深く観察することの重要性を説く。

会場の風景 参加者は多く、皆さん(特に高齢者)勉強熱心です。

水先案内人(セミナーの講師)の紹介

講師は寄港地に合わせたテーマを基に選ばれ途中から乗船し、講演が終わると下船する。そして新たな水先案内人が乗ってくる。このようにして常に寄港地に合ったテーマの講演が聞ける。

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115回ピースボート世界一周航海記その5(セミナー、交流)

2023年12月24日 | 思い出の旅行
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115回ピースボート世界一周航海記その3(船内生活)

2023年12月20日 | 思い出の旅行

第2日目 8月25日(金)


 6時前にカミさんのたてる音で起こされる。朝食の為14階に行くとラジオ体操をしていたので途中から参加する、良い運動になった。

 ホライゾンコート(14階にあるカフェテリア方式のレストラン)で朝食、卵焼き、フレンチトースト、野菜サラダ、牛乳、バナナ、アボガドを食べる。

部屋に戻り少し休んで船内を散策、カミさんは奥さんを亡くした男性と話し込んでいる。建築士で男の子供一人、全く冷たいとのこと。息子に色々プレゼントしてもお礼を言われる程度、父の日などのプレゼントは無しとのこと。ピースボートではしがらみが無いせいか踏み込んだ話が出来る。

 私は「インターネットの使い方」に出席、スマホやパソコンでのWi-Fiの繋ぎ方を教わる。レセプションで携帯Wi-Fiの申し込みの確認をすると申し込まれていないとのことだった。ピースボートに乗るにあたって寄港地で使うための携帯Wi-Fi、寄港地毎のツアー申込、旅行保険など事前に色々な申し込みが必要だったが突如、相続問題が起きて対応に時間を取られ、しっかり確認できなかったことが原因だ。

 昼食はレストラン「マーキスダイニングルーム」でうどん、五目寿司、野菜サラダ、果物セットを食べる。新潟から来られた同席の夫婦に挨拶、60代か。食後カミさんは一人旅の同年輩の女性に話かける。ヨガをやるとのことカミさんは「私も参加したい」と大いに興味を惹かれていた。

 レセプションでウォシュレットが動かないので確認して欲しいと申し出ると間も無く担当者が来て点検、「すぐにまた来る」と言い残して出て行ったが20〜30分後、修理を開始、結局1時間ほどかけて終了、対応は良かった。

 4時30分、船内デッキ1周の散歩に出かける、ストックを持って散歩する高齢者が多い。5時、5階にあるレストラン「マーキスダイニング」に入る。中高齢者が既に座っていた。挨拶すると右隣は北海道から来た中年の女性でピースボートは3回目、カミさんの隣はシンガポール人夫婦、奥さんから英語で話しかけられ対応に苦戦している。

 夕食は背の高いガラスの器に入っている野菜サラダの前菜、美味しいけど食べ難い。次はカレー風味のスープ、美味しい。メインはチキンのソテー、デザートはケーキとコーヒー。ピースボートの裏側まで知っている同年代のオジさんが色々蘊蓄を傾けている。家を売ってピースボートに乗り続けている人の話など、話題豊富。7時、14階のレストラン「ホライゾンコート」で水を補給(部屋の水は美味しくない)し、ついでに果物を食べる。

  <支出>*アルコール類、コインランドリー、売店での買物などはピースボートに事前に預けたお金から引かれる仕組みになっている。

   ・キリンラガー       770円 

        ・コインランドリー 350円

      ホライゾンコート(14階にあるカフェテリア方式のレストラン)海が見える                          レストラン「マーキスダイニングルーム」で夕食、食後の会話が楽しい
                                                       *別の日の食事風景です。

 

  

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115回ピースボート世界一周航海記その1(日程、船内)

2023年12月14日 | 思い出の旅行

 115回 ピースボート世界一周航海記  その1
 ピースボート「地球一周の船旅」115回 2023年8月24日〜12月6日 横浜発着

 78歳夫婦の旅の日記を公開します。興味のある方は参考にしていただければ幸いです。
 私たち夫婦は18年前、2006年春、夫の定年退職を機に初めて参加しました。その時の体験はgooブログで配信しております。

 今回も前回の体験も踏まえてどのような旅になったのか報告します。


              <今回の船旅について>
 日程
   2023年8月24日(土)横浜港 〜12月6日(水)横浜港 105日間
 寄港地
   1 9月2日(土)10時入港ホノルル(アメリカ)〜     3日(日)17時出航
   2 9月14日(土)10時入港マンサニージョ(メキシコ)〜       19時出航
   3 9月17日(火)  6時入港プエルトケツタル(ガテマラ)〜      20時出航
   4    9月20日(金) 8時入港バルボア(パナマ)〜           22時出航
   5 9月23日(月) 9時入港オーチョリオス(ジャマイカ)〜       22時出航
   6 9月26日(木) 7時入港マイアミ(アメリカ)〜     27日(金) 14時出航
   7 9月30日(月) 6時入港ニューヨーク(アメリカ)〜         23時出航
   8 10月5日(土)  7時入港モントリオール(カナダ)〜         21時出航

   9 10月6日(日)10時入港ケベック・シティ(カナダ)〜        22時出航
  10 10月13日(日)6時入港レイキャビック(アイスランド)〜14日(月)  8時出航
  11 10月17日(火)6時入港グラスゴー(イギリス)〜          20時出航
  12 10月18日(水) 12時入港リバプール(イギリス)〜    19日(木)20時出航
  13 10月21日(日) 13時入港ル・アーブル(フランス)〜   22日(月)16時出航
  14 10月25日(水)7時入港リスボン(ポルトガル)〜          21時出航
  15 10月28日(土)7時入港バルセロナ(スペイン)〜         23時出航
  16 10月30日(月)7時入港チビタベッキア(イタリア)〜  31日(火)23時出航

  17 11月   3日(金)7時入港ピレウス(ギリシャ)〜          24時出航
  18 11月   5日(日)6時入港イスタンブール(トルコ)〜        22時出航
  19 11月   8日(水)3時入港ポートサイド(エジプト)〜    9日(木)4時出航
  20 11月 20日(月)6時入港コロンボ(スリランカ)〜         22時出航
  22 11月 24日(月)7時入港ランカウイ(マレーシア)〜        22時出航
  23 11月 26日(日)7時入港シンガポール〜              23時出航
  24 11月 30日(木)15時入港香港〜            12月1日(金)16時出航
  25 12月   5日(火)7時入港神戸〜                                                                   13時出航
  26 12月   6日(水)14時入港横浜 

  *私たちは5泊6日のオーバランドツアー(5泊6日ポーランド、アウシュビッツ)に参加したため、バルセロナには行っていません。 

 船について

  船名:パシフック ワールド号
  造船会社:フィンカンテェリ(イタリア)
  船籍:パナマ
  総トン数:77,491トン
  定員:2,419人
  大きさ:261.3×32.25m
  エンジン:スルーザー162AV LN4
  プロペラ:双スクリュー6枚羽 直径5.79m
  
 乗客数:1,800人
   欧米 :1%
   アジア:17%
   日本 :82%

 年齢構成
   10〜50代:26%
   60〜70代:64%
   80〜90代:10%     
                 
 部屋と設備
 10階 B206室 *左舷先頭にある部屋、窓ガラス(密閉)付き

 ・バスルーム シャワー ウオシュレット便器
 ・ツインベット
 ・洋服ダンス 金庫
 ・取付テーブル(引出し付き)
 ・ベットサイド小物入れ 2台
 ・椅子、小テーブル 各1脚
 ・テレビ テレビ台
 ・冷蔵庫
 ・電気湯沸器

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東京散策(その2)

2015年03月30日 | 思い出の旅行

 友人との待ち合わせまで時間があったので飯田橋駅から靖国神社を散策しました。

 

 

 列車の写真を撮るポイントなのかアマチュアカメラマンが集まっていました。

 

 

 白百合学園、建物も上品でした。

 

 靖国神社の遊就館(旧招魂社)では大東亜戦争70年展が開催中でした。

 

 ポスターの一部に遺書が使われていました。

 

 遊就館1階にはカフェとミュージアムショップがあり零戦、大砲、機関車が展示されていました。

 なお、1階は入場無料です。

 

 零式艦上戦闘機

 

 大砲に見入る外国人来場者。

 

 大砲をよく見ると被弾の痕が残っています。

 

 ミュージアムショップのDVDコーナー

 

 ミュージアムショップの全景、日本刀の模型や軍旗等も売られていました。

 

 中央はパール判事(東京裁判で全員無罪を主張したインド代表判事)の顕彰碑

 

 桜が1、2輪咲いていました。

 

 靖国神社の本殿

 

 境内にあった記念植樹

 

 飯田橋駅に戻る途中にアーネスト・サトウの記念碑がありました。武田兼夫人のために購入した旗本屋敷跡と書いてあります。

日本人の妻を娶っていたとは知りませんでした。こんな発見が楽しいですね!

 

 

 

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東京散策(その1)

2015年03月30日 | 思い出の旅行

23日から26日まで3泊4日の日程で久しぶりに夫婦で上京しました。

同じホテルに3連泊し仕事抜きの友人と旧交をあたためる気楽な旅でした。


 

 盛岡駅のドトールで朝食、サンドイッチが思いがけず美味しかった。

 

 新幹線は仙台までは空いていました。

 

 東京駅の鋳物製柱、記念のために保存されています。

 

 鋳物ならではの飾り付きの柱です。



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小鹿公園の花情報

2014年04月20日 | 思い出の旅行

 小鹿公園を散歩しました。

 最新の花情報です。

 

 周囲の梅の木がまだ花を咲かせる気配がないのになぜか、この紅梅が7分咲きになっていました。

 

 クローズアップした紅梅に花びらです。枯れ木に花が咲いたような感じでした。

 

 公園の中央にあるベンチのそばで発見したかれんな野の花(名前は分かりません)

 

 先端の芽が少し膨らんでいました。

 小鹿公園はけっこうタラボの木があります。狙っている人が多く私たちはほとんど採る事が出来ません。

 

 これは我が家の庭の桜です。少し芽がほころんできました。梅の花も1輪咲いていました。

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