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定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

横浜で姪の結婚式がありました。

2013年01月26日 | 思い出の旅行

 昨年の暮れに横浜のベイホテル東急で挙式した姪の結婚式に出席しました。

素晴らしい結婚式で私たちも幸せな時間を過ごすことができました。皆さんも雰囲気を味わって下さい。

<横浜の夜景編>

前泊したホテルの部屋からの景色、大きな観覧車が目の前に見えました。

遠くに大桟橋が見えました。2006年にここから世界一周の船旅が始まったので懐かしい場所です。

観覧車から見た夜景です。人気デートスポットのようで観覧車に乗るのに30分程待ちました。

 

 

<花嫁のドレス編>

純白のドレスが似合うきれいな花嫁さんでした。後ろ姿しか見せられなくて残念です。

祭壇に向かう花嫁の後ろ姿です。純白のドレスが輝いていました。

父親と祭壇に向かう花嫁の後ろ姿です。

式が終わり退室する花嫁、列席者は花びらで祝福しました。

 

<料理編>

料理も素晴らしかったです。温かい料理は温かく、冷たい料理はしっかり冷やして出てきました。

メインの「茸を添えた牛フィレ肉のグリエ」

オードブルは「海の幸の宝石箱」と名付けられていました。

デザートは「観覧車の思い出」となっていました。

 

<おまけ編>

披露宴会場でお色直しの時間を使って横浜の景色を堪能させてくれる粋な演出がありました。

素晴らしい披露宴が終わりました。結婚生活が幸せでありますように!どんな困難に出会っても二人で力を合わせて乗り越えて行って欲しいと思いました。

 

 

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6泊7日 関西旅行 大阪 フェアトレードショップ「Accha」

2012年12月27日 | 思い出の旅行

 今日の日程は天満宮見物とフェアトレードショップ訪問、その後東京経由で盛岡へ帰る。

  

 

 朝の天満宮

 

 立派なしめ縄が飾られている

 

 干支を表した飾り?

 

 合格祈願の絵馬が奉納されていた。無信心も困った時は神頼み?

 

 天満宮商店街を少し外れたところにフェアトレードショップ「accha」がありました。

 

 店頭の風景、左はフェルトの履き物

 

 店内は所狭しと商品が並んでいました。

 

 宝探しのようで楽しいですよ!

 

 ショップは定年後始められたとのこと、積極的にイベントを開催しフェアトレードを広めている。オーナーのお話を伺い運営のヒントと元気をいただきました。

すべての予定が終了し新大阪駅へ、お昼は亀王の油ラーメンを食べました。

 

 亀王の店舗

 

 油ラーメンはタレが少ないちょっと変わったラーメンです。

 

 東京駅で、見事な掃除ぶりを見物。

 

 夕食はこまち車内で駅弁とビールでした。

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6泊7日 関西旅行 松山~大阪

2012年12月27日 | 思い出の旅行

 松山市内に戻り、時間が余ったのでちょっとだけ観光することにする。

 

 松山城を見物するためにリフトに乗るとサンタクロースに会いました。

 

 見事な石垣にみとれています。

 

 すばらしい石組み技術だと思いました。

 

 城からは松山市内や瀬戸内海がよく見えました。

 

 城内では発掘調査をしていました。

 

 松山空港から伊丹空港へ向かう途中小さな空港が見えました。

 

 大阪市内の高層ビル群も良く見えました。

 

 ホテルにチェックイン後、天神商店街にあった居酒屋で夕食、立ち飲み屋さんがあったのでのぞいてみました。店内はサラリーマン風の客でいっぱい、私たちも空いていたテーブルを確保して地酒を注文、隣の中年の二人組につまみは何がお勧めか聞いたところ食べていた生ハムをすすめてくれ、更にお勧めの日本酒までご馳走していただきました。このブログを通じてお二人に、そして大阪人にお礼申し上げます。

このお二人はぼけと突っ込みを見事にこなし漫才としか思えないやりとりでした。ただで聞いていていいのかなと思う程でした。おもしろがるのは私たちだけかと思ったら立ち飲み屋さんのおかみさんも大笑いしていたので大阪人にも面白かったのです。この不思議な体験は今回の旅の収穫の一つになりました。

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6泊7日 関西旅行 砥部町

2012年12月27日 | 思い出の旅行

 松山市内のホテルに泊まり、翌朝砥部町行きのバスに乗りました。40分程で砥部町に着き目的の梅山窯をめざしました。行き道が分からず愛媛県工業技術センターの砥部分場で聞いたところ月曜日は休みとのこと。

梅山窯の看板はありましたが…。

焼物の彫刻が町中に設置されていました。

看板も陶磁器でした。

目的の梅山窯が休み、伝統産業会館も休みと言うことで近くにあった砥部焼センターを見物しました。大きな展示販売コーナーがありました。

磁器に呉須の手描きが砥部焼の特徴です。その中で梅山窯は唐草文様が有名です。

盛岡にも梅山窯ファンがおります。私たち砥部焼の良さをもっと知って欲しいと思っています。

センターは展示販売だけではなく工場も併設されており見学もできるようになっていました。3人の若い女性が絵付け作業をしていました。同じ作業の繰り返し、大変な仕事ですね!男では勤まらないと思います。

棚にはあるのは素焼きの半製品です。手前の石膏は鋳込み用の型です。

手ロクロもやっていますが機械ロクロ、鋳込みが主です。ここの職人さんは若い人が多く、うらやましく感じました。

機械ろくろです。石膏型に粘土を入れ回転させてコテを下し余分な粘土を除いて成形します。石膏型とコテの間には隙間(製品の厚みになります)があって、その隙間に粘土を押し付けて成形するのです。均一な形のものを量産できるメリットがあります。

センター見学後、バスで松山まで引き返しました。事前に確認することが必要ですね、それにしても月曜日休みと言う会社は珍しいですよね。

 

 

 

 

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6泊7日 関西旅行 大阪~松山

2012年12月26日 | 思い出の旅行

 私たちは愛媛県の松山に行くため、伊丹空港まで送ってもらう。使用する高速道路が工事のため遠回りのルートをとるとのこと、飛行機に間に合うか不安になったが予定より30分程度の遅れですんでひと安心。

 

小さな飛行機がいるなと思っていたらそれが松山行きだった。飛行機まで歩いて行きます。

かわいいタラップを登る。

機内はまるでバスのようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6泊7日 関西旅行 春日大社

2012年12月25日 | 思い出の旅行

春日大社は日曜日でもありたくさんの観光客で溢れていました。

春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命(フツヌシノミコト)様、また枚岡神社から天児屋根命(アメノコヤネノミコト)様・比売神(ヒメガミ)様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀りしたのが始まり。(春日大社のパンフレットから)

 

 まず,鹿の歓迎を受けました。鹿は春日大社の神の使いとのことです。

 

 子供達がお祭りの練習をしていました。

 

 参道は奉納された灯籠でいっぱいでした。2月3日と8月14日,15日にはすべての灯籠に火が入るそうです。

 

 元気な若い神官に境内を案内してもらいました。

 

 家元の計らいで御本殿で正式参拝をすることができました。

 

 正式参拝の後、私たち一行は神楽を拝見することができました。

 

 

 ゲストハウスで春日大社宮司の歓迎の挨拶と家元の研修旅行終了の挨拶があり昼食会になりました。食事は愛敬祝儀膳(ういきょうしゅうぎぜん)と言い、神様に供える食事だそうです。

 食後、松山に向かう私たちは伊丹空港に送ってもらいました。

 

 

 

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6泊7日 関西旅行 奈良ホテル

2012年12月23日 | 思い出の旅行

 宿泊は楽しみにしていたあこがれの奈良ホテルです。

 奈良ホテルは明治42年創業、関西において国賓・皇族の宿泊する迎賓館に準ずる施設としての役割をになっていたそうです。現在までアインシュタイン、リンドバーグ、チャップリン、愛新覚羅溥儀、ヘレン•ケラー、オードリー•ヘップバーン、ダライ•ラマ14世等多くの著名人が宿泊しています。

朝の奈良ホテル玄関

スタンダードツインの部屋

暖炉は飾りです。(開業時のスタイルを大切にしているとのこと)

バルコニーから見える裏庭、ホテルは奈良公園に隣接しています。

館内見学ツアーに参加しました。

アインシュタインが大正11年に滞在した時に演奏したピアノです。行方不明になってのを見つけ、調律も施し演奏できる状態になったとのことです。ピアノの上に演奏しているアインシュタインの写真が掛けられています。よく見ると楽譜がありません、ホテルのガイドによるとかなり巧かったとのこと。

参考品も展示されていました。大倉陶園製の食器です。

創業当時の和風の照明器具がモダンに感じる。

フロアスタンド照明もいい感じでした。

アールデコのようなシャンデリアです。

夕食はフランス料理のフルコースでした。

メインはフォアグラが乗ったステーキでした。コース料理のすべて美味しかった!!

翌日の朝食はお粥でした。

奈良ホテルの食事は期待以上でした、ホテルマンの対応も良かったです。部屋は好き嫌いがあるかもしれませんが一度は泊まることをお勧めします。

 

 

 

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6泊7日の関西旅行 中宮寺

2012年12月22日 | 思い出の旅行

昼食は平安神宮の近くにある六盛(京料理店)名物「手をけ弁当」をいただく。京都は 演出が巧い、料理はもちろん食器からインテリア、建築まで京都らしさを醸し出している。

「六盛」の入口です。

既に昼食の準備が整っていました

覆いを取ると桶に盛られた美しく盛られた料理が現れる、幕が開いて役者が登場する歌舞伎を思わせる演出でした。

季節に合わせた紅葉の皿にも注目、中央の小吸椀には赤味噌仕立てのみそ汁が入っていました。これで3150円は安い!


昼食後、バスで奈良に向かう。疲れと満腹と適度な揺れに瞼が重くなるままに身を任せたらあっと言う間に奈良に着いていました。奈良の最初の訪問は中宮寺です。隣の法隆寺は日程に入っていません。

中宮寺

 中宮寺は聖徳太子が用明天皇の皇后である御母后のため建立した宮殿を寺に改め母后を開祖として中宮寺と称されたのに始まると伝えられている。またの名を鵤(いかるが)尼寺と言う。寺伝によると、移転するまでは斑鳩町にあって南大門、中門回廊のなかには金堂、南に宝塔、北に大講堂を建て鐘楼、経蔵、尼房など七堂伽藍を誇っていた。金堂には如意輪観音像を本尊として安置し,大講堂には薬師三尊像を安置し,後壁には天寿国曼荼羅を掲げた伝承している。中宮寺は当初から宮廷と縁が深く皇室よりの御参拝がしばしばに及び中宮寺宮、中宮寺御所、斑鳩御所などと呼ばれている、明治22年より中宮寺門跡と号する。

 吉田五十八が設計した金堂で門主の講話と、公開していない如意輪観音像の後姿やお寺の内部を拝観さてていただいた。講話の中で天寿国曼荼羅繍帳に刺繍されていた400文字の中の一節「世間虚仮、唯仏是真。」が響いた。この世は虚、過去は過ぎ去り未来はあてにならない、ただ仏だけが真実であるーの意味。

裏庭の風景

裏庭の風景

 

お菓子と抹茶の接待を受けました。

 


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6泊7日 関西旅行 宝鏡寺と大聖寺

2012年12月21日 | 思い出の旅行

今日の予定はエクシブ八瀬離宮ホテルを出発して京都市内の宝鏡寺と大聖寺を拝観、昼食後に奈良に向かい、中宮寺の拝観となる。

 宝鏡寺 

 光巌天皇の皇女が開山し後光巌天皇より宝鏡寺の号を賜った。その後も皇女が歴代となるところから百々御所や門跡と称され現在臨済宗単立寺院となっている。宝鏡寺に隣接していた後円融天皇の母、崇賢門院(日野富子の親族)を開基とする大慈院が明治時代に宝鏡寺に受け継がれた縁で日野富子(出家して大慈院に入った)の御木造も祀られている。

 和宮がご幼少の頃、百々御所(宝鏡寺)へお成りになって若い上臈達と貝合わせなどに興じられ、また鶴亀の庭で遊ばれたとのこと。

皇族や天皇の勅使のための専用の玄関だったそうです。我々一行はここから入らせていただきました。

瓦には菊の紋章が入っていました。

人形塚 この塚の前で毎年10月14日に人形供養祭が行われるそうです。

下の石碑には「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こと 汝が成仏の誠なれ 実篤」と刻まれていました。

黄色っぽい淡い赤と濃い赤が織りなす紅葉がきれいでした。

和宮が遊んだと言う鶴亀の庭、中央に亀が見えます。 


 

大聖寺

ウィキペディアでは次の様に書かれています。

「天皇家ゆかりの尼門跡寺院である。非公開のため拝観不可。開基は無相定円禅尼。無相定円は俗名を日野宣子といい、足利義満正室・日野業子の叔母であり、光厳天皇の妃である。同人は貞治7年(1368年)、光厳天皇の法事が天龍寺で行われた際、落飾(出家)した。足利義満は花の御所(足利将軍邸)内の岡松殿に無相定円を住まわせた。無相定円が永徳2年(1382年)に没した後、岡松殿を寺にしたのが大聖寺である。

寺はその後、長谷(ながたに、現・左京区岩倉長谷町)に移転し、さらに文明11年(1479年)には毘沙門町(現・上京区上立売通寺町西入る)に移転した。寺は延宝元年(1673年)に焼失し、元禄10年(1697年)に現在地に再興された。現在地はもと聖護院のあったところで、同院が延宝3年(1675年)に焼失し、現在の左京区に移転した跡地に大聖院が再興されたものである。

正親町天皇の皇女が入寺した際、天皇から尼寺第一位の綸旨を得、御寺御所と称される尼門跡寺院となっている。」

公開していないお寺でが家元の計らいで参拝できることになりました。門主自ら我々一行を出迎え、寺の由緒を説明してくれました。ベテランのバスガイドも初めて拝観すると言っていました。

庭を拝見する一行、庭の奥には同志社大学の校舎が見えますが借景にはなりそうにありませんでした。

皇族や華族の子弟が遊んだという人形、人形も着物も見事なものでした。

皇族の遺品、すばらしい刺繍が施された着物でした。



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6泊7日関西旅行 エクシブ京都八瀬離宮

2012年12月19日 | 思い出の旅行

今日のスケジュールは圓通寺と上賀茂神社の参拝で終了、比叡山の麓にある会員制の高級感溢れるエクシブ京都八瀬離宮ホテルへ向かう。

ホテルではコロンビア大学中世日本研究所の研究員による「尼門跡が残した文化」についての講演があり、講演後に夕食会となりました。

ガラス張りのバスルームは豪華でした

ダブルベットのような大きなベット

リビングにあった家具も皆大きい、貧乏性の私にはちょっと落ち着かない。

ロビーラウンジ、窓からすばらしい景色が広がっていました。

ホテルの建物は見た目3階建て、高さ制限のため地下に伸びる6階建て、慣れないと迷います。

車寄せ、水に囲まれた廊下を通ってロビーラウンジへ繋がっている。

講演会風景、尼門跡文化をテーマに講演したのは何とコロンビア大学中世日本研究所のアメリカ人女性研究員でした。

もう一人の講師もアメリカ人女性でした。講演後、講師になぜあなたの研究テーマが尼門跡なのですかと質問したら「しっかり説明すると長くなる、簡単に説明すると面白いから」との返事でした。日本人が忘れていた文化に注目して研究しているアメリカ人がいることを知ってうれしくなりました。尼門跡とキリスト教の修道院との比較をしたらと思いついて翌日、日本人の研究員に質問したら、英文の論文は出ているとのことでした。

家元主催の夕食会は尼門跡の門主も参加してなごやかな雰囲気でした。

朝食の風景です。エクシブ八瀬離宮ホテルでの滞在は食事もおいしく、スパ(入浴後、しばらく体がほかほかしていました)も良かったので大満足でした。


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