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定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

115回ピースボート世界一周航海記その19(アンティグア、バルボア、パナマ)

2024年01月20日 | 思い出の旅行

第30日目 パナマ、バルボア港着岸  世界文化遺産パナマ旧市街地(カスコ・アンティグア)
      グアテマラ、プエルトケツアル港出航3日目  9月20日(水)時差10時間
     
  
 夜、トイレで何回か起きる、なかなか寝付けない。カミさんの音で目が覚める、カーテンが明るくなっている。
 7時起床、8時、朝食、いつもの内容、パン、茹で卵、野菜と肉の煮物、レタス、ニンジン、タマネギ、キュウリ、コーヒー牛乳、オレンジ、スイカ。8時30分、自室に戻り、外出の準備、昼食用に、バターを塗った小さなパン4個準備する。
 集合場所に行ったがシステムの不具合で30分ほど遅れるとのこと。50分ほど待って下船したら入国審査に長蛇の列、審査がなかなか進まない。不具合が起きているようだ、私の場合はパスポートを何回もスキャンしたがエラー、結局隣のスキャナーで無事通過、日陰とは言え審査官も我々も暑くて大変だった、会場では大きな扇風機が回っていた。バスは港から「CASCO ANTIGUO」へ向かう、周辺ではターミナル施設や舗装工事をしていた。工事現場を通り、右手に新パナマの高層ビル群が見える、ニューヨークのよう、左にはパナマ運河へ通じる湾、その奥に強大なアメリカ橋が見える、明日、あの下を通過するのだ。庶民が暮らすカラフルな塗装が施されたアパート群、廃業したパチンコ屋風の建物や崩れかかった大型店舗のような建物も見える。
 12時20分、世界文化遺産「アンティグア」に到着、地図付き観光パンフレットをもらい、集合場所を確認し、一安心。今回も教会訪問を目的にする、教会はいくらでもあるとのこと、まず、歩き始める、車の交通量が多いが信号はない、一時停止をしっかり守れば目的の場所に行ける。スピードは出ないように要所要所に段差がある、歩行者がいればしっかり止まってくれる。慣れると歩きやすい。
 お巡りさんがいたので教会を聞いたら、「ワン、ツウ、スリー、レフト」と教えてくれた。3つ目の通りを左折せよと言うこと、その通りだった。それは巨大な教会「Catedral Basilica Santa Maria la Antigua」だった。聖堂内部は寒いくらい冷房が効いていた。薄暗い中で正面の祭壇が金色に輝いていた。
 教会の前は公園(Independence Plaza)があり教会の全景を撮るにはこの公園の中央まで下がる必要がある。左右ある鐘楼は別の建築物に思える程に異質。
 左手の建物の前に警備員のような制服の女性が立っていた、看板を見たら「Panama History Plaza」とあり、入ってみる、無料とのこと、入口で氏名、日付、誕生日、住所を記入すると「OK」と言って次のドアに入るように促された。中は薄暗く、写真、砦の模型、肖像画、説明パネルが展示されたいた。
 博物館を出て、細い道を進むと廃墟となった建物が見えてきた。石、レンガ、モルタルで固められた教会の巨大な壁だ。天井は抜け周囲の壁だけが残っている。正面は2段の柱飾りがあり重厚な雰囲気を持っている。
 次の十字路の向かいに教会が見えた。地図を見ると「San Jose 教会」とある。適当に冷房が効いている薄暗い聖堂だった。入口の教会用具を販売する女性の売子から「ありがとうございます!」と日本語で言われ、すぐに「有難うございます!」と返した。祭壇は黄金色で柱を使い立体的だ。真ん中に置かれている秘仏を入れるような円筒形の入れ物が気になった。開けたらキリスト像が入っているのかもしれない。それとも聖ヨセフ?。
 教会を出るときまた「ありがとうございます」と言われ、「ありがとうございます」と返した。二人の店員がいるかと思ったら一人は10歳くらいの女の子だった。その子もはにかみながら「ありがとうございます」と返してくれた。
 教会を出ると目の前が大きな木が茂る広場「Nerrera」Plaza」になっている、その下にテントを張った涼しげなカフェがあった。中央には馬に乗った銅像も。少しくたびれたのでベンチで休憩、ついでに持参したパンを食べた。飲み物は水だったがお腹が空いていたせいか美味しかった。
 集合時間も気になったので集合場所の方向を目指す。また、教会「Nuestra Senora de La Merced」を発見、外観は地道、素材の色だけ、柱が左右上下に2本づつ、これがあるので立体感と存在感が出ている。聖堂に入る、暗く足元が見えない。中央祭壇もぼんやり見える、上部にマリア、下の中央にSan Jose 教会と同様の円筒形の入れ物があった。紙で作った手作りの家の模型が大小沢山奉納されていた。子供が作ったようにも見えた。カミさんは奥にあった売り場でロザリオ(10ドル)を購入、お土産にするとのこと。
 教会を出てそのまま集合場所へ向かう。近かったので数分で着いた、集合まで1時間近くあったのでまだピースボートの人は少ない、多分、集まっている人の血液型はA型だと思った。遅れることが嫌い、早めにつかないと安心できない性格、私だ!。小さな公園「Piaza Vcentenario」には赤、黄色など何種類か綺麗な花が咲いていた。また、サイカチのような長い身をつけた木、椰子の木のような木も珍しかった。こんな小さな人が集まりそうにない公園にもインデオが露店を開いていた。カミさんはインデオのおばさんから手提げバックを購入、私が記念写真を撮ることになった。飲み物を売る移動販売も客を待っていたが誰も買う様子がなかったのは他人事ながら辛い気持ちにさせられた。
 待ちに待ったバスがようやくやってきた、エアコンは有難い。1時間ほど走って桟橋に到着、部屋に戻り、シャワーと洗濯をする。気持ちいい!今日もしっかり見てきたので満足感で一杯だ!
 7時、14階で夕食、インドカレーに挑戦、芯から辛い!それでも慣れると美味しい。ご苦労さんを兼ねて小瓶のビールを奮発!(?)
 帰室、カミさんはシャワーを浴び洗濯して先に寝る、私は記録作成と写真の整理。
 朝方早朝4時頃にパナマ運河に入るとのこと、残念ながら運河に入る様子は暗くて早くて見られないだろう。

 

 パシフィック・ワールド号

 

 子供たちが出入りしていた、学校?

 

 段差がある横断歩道、事故を防ぐ工夫、上の自動車を見ると段差が分かる。 

 

 聖マリア教会「Catedral Basilica Santa Maria la Antigua」

 

 シンプルで美しい聖堂内部

 

 独立公園(Independence Plaza)

 

 「Panama History Plaza」パナマ歴史館 左上の人形(人ではない)は展示物

 カミさんがびっくりでした。 

 廃墟になった教会の壁面が美しい *スケッチをする

 

 廃墟になった教会の鐘楼

 

 コロニアルスタイルの建物がエキゾチック 

 

 

 

 

 

 現在はホテル、レストラン、土産屋になっている

 

 「San Jose 教会」

 

 慈悲の聖母教会「Nuestra Senora de La Merced」

 

 祭壇の上にマリア像が見える、手前はクリスマス用の飾りか?

  

 祭壇の右側に模型のような飾り(クリスマス用)がいくつもあった

 

 公園「Piaza Vcentenario」から新パナマシティーが見える

 

 パナマ旧市街地(カスコ・アンティグオ)の風景

 

 自撮りにチャレンジ

 

 黄色の花が綺麗だった

 

 不思議な木

 

 よく見る花、名前は分からない

 

 パシフィック・オーシャン号から見た新パナマシティー

 

 

 

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115回ピースボート世界一周航海記その18(スケッチ、アイスランド観光説明)

2024年01月18日 | 思い出の旅行

 

 2023年ピースボート航海記 その4
    (パナマ・バルボア港 *世界文化遺産カスコ・アンティグオ散策

第28日目 グアテマラ。プエルトケツアル港出航1日目  9月18日(月)時差9時間
 8時前に目覚める、夜中に一度も目が覚めなかった。カミさんはいない、ラジオ体操か?
 帰ってきたので14階へ行き、朝食、パン、バター、茹で卵、ハム、チーズ、焼き魚、レタス、ニンジン、オリーブの実、キャベツ、コーヒー牛乳、メロン、マンゴー。部屋が掃除中なのでお茶を飲みながら雑談をする。
 10時、帰室、トイレ、歯磨きをして昨日の記録の残りを仕上げる。
 カミさんはボブマリーの孫で人権活動家のセミナーを聴きに行く、満員だったとのこ。 保管していたバナナを分け合って、13時「わくわく寄港地〜バルボア&オーチョリオス」を聞きに行く。

 バルボア港 パナマ
 首都:パナマシティー
 面積:7万平方km 北海道より少し小さい
 人口:418万人
 気温:27℃ (5月〜11月雨季 *雨傘必要)
 先住民:人口の7%
 
 港が工事中のため無料のシャトルバスで移動のこと。ビルが林立する近代的な街並みの新市街地と世界遺産に登録された旧市街地に分かれている。

 パナマ運河について
  ・全長 8km
  ・年間 14,500隻利用されている
  ・通行料金 1.39セント/Kg
    →パシフィックワールド号は77,000トン 
    →船の大きさ、種類などで異なる
  ・パナマ運河沿いを走るパナマ運河鉄道がある
 土産品など
  ・モテ 刺繍 動物(神)を表現
  ・パナマ帽
  ・酒 バルボアビール
     パナマビール
     バーボン

 オーチョリオス港 ジャマイカ
 人口:293万人
 通貨:ジャマイカドル(米ドルも使える)
 気温:28℃
 歴史: 1494年 コロンブスが2回目の航海で発見
     1955年 イギリス入植、サトウキビ栽培
     1962年 独立
  土産品など
   ・酒   ビール/レッドストライブ
   ・食べ物 ジャークチキン
        カリーゴート
        オックステールシチュー

  散策例
   旧市街地〜ビーチ〜帰船

 14時、遅い昼食、パン、茹で卵、鳥の唐揚げ、パスタ、コーヒー牛乳、メロン。海を見ていたおばさんから「亀を見なかった?」と聞かれたので写真を見せた。話している間に亀を発見、「亀がいた!」と教えてあげる。そしたら食事中の人が集まってきた。「どこ?」と聞かれても小さいので探すのは難しい。
 部屋に帰り一休みして16時からの「黒人として生きるということ」に参加、シアターは大勢の人、内容はアメリカ旅行中に受けた犯罪者のように扱われた体験をきっかけに作成した映像作品の放映と差別について。残念ながら差別の本質に迫るものではなかった。世界中でおきている、自分の中にもある差別意識の本質を掘り起こすものと期待したのが間違いだったのか。ソファーで休みながらカミさんと差別について話し合う。

第29日目 グアテマラ プエルトケツアル港出航2日目 9月19日(火)
      時間時差10

 7時30分起床、8時、14階で朝食、パン、茹で卵、ベーコン、ハム、レタス、ニンジン、キャベツ、メロン、オレンジ、コーヒー牛乳。食事中のKさんと会う、カミさんは手話教室の話。掃除待ちのため、食後もゆっくりお茶をする。9時、帰室、掃除は終わっていた。
 10時30分〜11時45分「ヨーロッパの世界遺産」を聞く、早めに行って席を確保した。片岡氏は例の調子で登場、ジャマイカで下船するので今回で最後になるとのこと、話も上手だし、資料準備もきちんとしていたので好感が持てる、ただタレントのような登場、冒頭の挨拶は馴染めない。開催前に「有力者に方はいますか?」と言って名刺を配っていた。講演に読んでほしいとのこと、営業もしっかりやっている。YouTubeもやっているようだし努力家であることは確か。
 <アイスランド>
 面積:10万㎢
 人口:32万人
 気温:1月  札幌      −3,6℃
       レイキャビック −0,6℃  *暖流の影響で温かい
  ・地球の裂け目 シングリユトリル国立公園  世界文化遺産 *富士山と同じ
          年間数センチ動く
  ・世界初の民主議会 全島集会で物事を決めた
  ・1944年独立 
  ・観光名所 ・ブルーラグーン 地熱発電の再利用、温度38℃ 
        ・セリャントスフォスの滝 裏側を見ることができる
        ・ヴアトナヨークトル氷河 世界遺産、ヨーロッパ最大の氷河、下に火山がある
        ・ダイヤモンドビーチ 氷河の破片が黒い土の上でダイヤモンドのように輝く
        ・オーロラベルト地帯 
 <バルセロナ スペイン>
  ・サグラダファミリア
  ・ポブレの修道院
  ・タラゴナの考古遺跡
  ・モンセラート 暫定遺産 修道院、山並み

 12時過ぎ、4階で昼食、チラシ寿司、肉うどん、サラダ、パイナップル、コーヒー二人用テーブルだった。ラウンジで休憩して13時55分から始まるパスポート受け渡しへ、前回同様にスムースだった。
 午後は自室で休む、私は十字架の丘から見たアンティグアの街のスケッチをする、細かいので根気が必要。カミさんは「手話」講座の時間を間違える、代わりに14階でお茶と読書で過ごし、7時過ぎ帰室。14階が混んでいるので待って8時再度14階へ、和風カレー、豚肉とレタス、キャベツ、ニンジンのサラダ、カミさんが取ってきた〆さばをつまみにビールを飲む。
 食後、民俗学、宮本常一の話題で過ごす。

 

 

 ガテマラ 十字架の丘から見た古都アンティグア風景 *仲良しになったシンガポールの夫妻にプレゼントした

 

 古都アンティグア風景 壁が崩れかかった家

 

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115回ピースボート世界一周航海記その17(プエルトケツアル、グアテマラ、十字架の丘)

2024年01月18日 | 思い出の旅行


第27日目 プエルトケツアル港着岸 

     グアテマラ アンティグア 9月17日(日
      メキシコ・マンサニージョ湾出港3日目 9月17日(日)時差9時間
     *中米諸国(パナマを除いて)独立記念日後の連休
 6時、プエルトケツアル港、クルーズターミナル着岸予定、20時帰船リミット。
 参加ツアー名:プエルトケツアルL3 送迎バス 港〜アンテイグア
        8時45分集合7階後方ビスタラウンジ
        9時バスでアンティグア出発、ガルバリオ教会下車 自由行動
        16時30分ガルバリオ教会集合、18時30分港到着

  まだ暗い朝方、着岸作業で目が覚める。6時、前方のデッキに出ると港の風景が飛び込んできた。小さな桟橋の先に緑に覆われた公園があり大きな三角錐の形状の藁屋根が見える。右手はコンテナヤード、公園の左手に小さなヨットハーバーがあり、その奥に石炭の山がいくつか見える。
遠方を見ると5つの峰がそびえている。左手の山は富士山型、時折煙が上がり噴火しているようだ。その右手は頂上が尖った綺麗な三角錐の独立峰(Volcan de Agua)、その右手は山峰が連なっている。
 コンテナヤード内はゴミが分別されている様子が分かる、道路にゴミも見えない、港からの様子ではガテマラはしっかりした国のように思えた。
 6時30分、14階で朝食、食パン、茹で卵、コーヒー牛乳、サラダなど軽く摂る。自室でツアー参加の準備、7時30分集合場所に移動、9時下船開始、4階から急なタラップを降りる。
 三角錐の藁屋根の出入国管理事務所を過ぎるとお土産屋さんが並んでいる。かなりの数だ、今は買う暇はないそのまま素通り。隣接している駐車場にかなりのバスが待機している。乗り込んだベンツのバスは良いのだがガラスが色付き、サングラスで外も見ているようだ。断熱効果を狙っているのだろうが観光バスとしては問題だ。バスは一般道から片道2車線の高速道に入る、スピードを上げているのが分かる、悲鳴をあげているような音が気になる。舗装が問題なのか、ガタガタ揺れが激しい。ただ、揺れない箇所もある。道路側にゴミが目立つようになってきた。ガソリンスタンド、トラックターミナル、大きな倉庫?、牛が放たれている牧場、馬が飼われている農場、トウモロコシ畑、他にも畑はあるが何が植えられているのか分からない。椰子の木の並木は南国に来たことを実感する。街に入ってくると住宅も多くなる。車高が高いので敷地内部も見える、道路側の門が厳重な作りになっている。建築中の住宅や住宅の広告もあった。窓が大きく、シンプルな作り。
 高速から一般道に入り、11時アンティグアに到着、道路は日曜日のせいかかなり混雑していた。我々はバスのトイレを借りてから、ゆっくり出発、まず、十字架の丘を目指して、北に向かう。石畳の車道脇に申し訳程度に付けられた狭い歩道を歩く、すれ違いがやっと。写真や絵で見たことがあるカラフルな家が並んでいるのが目についた。街全体が碁盤の目のように区画されカラフルな壁、洒落た装飾金具、植木鉢が飾られている。建物も高さが制限されているのか統一感がある。車も人も多いが歩いていて楽しい。
 直ぐにEscuela de Cristo (エクスエラデキリスト)教会が目に入り早速入って見る、ハサードはヨーロッパの教会と同じ、聖堂は祭壇だけ金色を使い豪華に飾られているが他は白の壁のまま、シンプルでも美しく感じた。祭壇を見るとマリア像が中央にある、キリストよりマリア信仰が強いようだ。
 さらに北上するとSan Francisco 教会が、隣接するようにsanta Clara 修道院、San Pedro 教会と続く、修道院前でシスターがロザリオや蝋燭を販売していた、カミさんはシスターに頼んで手伝っている少女も加えて写真を撮らせてもらった。笑顔で気持ちよく対応してくれた。
 教会の前は広場になっていてお土産屋さんが店を並べている。織物、銀製品、木工品、笛、蝋燭、ロザリオ、メダイ、その他民芸品、何でも揃っている。落花生などの豆、アイス、ジュース、水、飴、パンなどの食べ物の販売だけでなく、肉を焼いて売っていた。買った人は地べたに座って食べていた。その中にこじきも混ざっている。
 中央公園に出る、ここは露店も観光客も最も多い、笛を吹きながら売り歩く人、帽子を山のように高く積み上げて売り歩く人、ぼーっとしているとあちらこちらから声がかかる。何を言っているのか分からないが手を振って断る。
 Catedral 教会に入るとちょうど昼のミサが始まったばかり、入り口で止められたが信者だと身振りで伝えると入れてくれた。カーテンのような垂れ幕が目に付く。聖堂はほぼ満員、子供もいる、インデオの男性はネクタイに黒のスーツ、女性はカラフルな民族衣裳、子供もネクタイをしていた、晴れの日、精一杯着飾っている様子。司祭の声がマイクを通して聞こえてくる、当然何を言っているのか分からないがミサの流れは同じなので今、何をしているのか見当はつく。平和の挨拶では友達には抱擁、隣に居合わせた人は握手か目礼をしていた。私たちは近くの人には握手、遠くの人には笑顔で返した。信者としての一体感を感じる場面だ。献金は1ドル、聖体拝領も受けた。神父の説教が長かったし初聖体の祝福もあったのでしっかり1時間かかった。私たちの大事な旅の目的の一つである教会訪問ができて良かった。
 ミサで元気になったので十字架の丘を目指すことにした。地図を見ても分からない、幸いピースボートの仲間が直ぐに見つかるので聞きながら歩く。ようやく登り階段が見え、ほっとしたがこの階段が急坂で大変だった。降りてきた人から二度は休まないと言われたがその通りだった。
 なんとか20分程で頂上の十字架の丘に登れた。登った方が言っていたように綺麗に区画され緑溢れる街と向かいの三角錐の火山の景色が良かった。世界遺産に登録された理由が分かった。カミさんとツーショットの記念撮影をして下山、降りは楽だった。
 次は時計の門を目指す。ピースボート仲間から聞いてたどり着くことが出来た。周辺も観光客、物売り、自動車、バイクと大変な人混み、写真を撮って直ぐ退散、カミさんからトイレの催促があったのでレストランに入り店員に聞く、直ぐ見つかった。綺麗だったので良かった、二人共用を足して一安心。ビールを飲みたくともトイレのことを考えると我慢せざるを得ない。高齢者にはトイレが観光の良し悪しを決める。
 次の目印、中央公園を目指す。また、戻ってきたが相変わらず混雑している。インデオの物売りも元気に商売に励んでいる。地べたに敷物を敷いて商品を並べ、隣に乳飲み子を寝かせている若い母親もいた。女性の生命力に驚かされる。商品は似たものが多い、自分で作っているのではなく仕入れているのではと思われる。値段がついていないので上手くすれば高く売れ利益が出る。これだけの物売りの人が食べているのだから結構利益があるのではと想像した。白人系の物売りが見られないので販売はインデオの特権になっているのかも知れない。大きな店舗からテントや木製の仮設の店舗、路上に敷物を敷いた路上店舗、手に持って売る移動店舗がある。大きな店舗には焼物、貴金属、貴石、衣類などの専門店も見られた。
 集合時間まで後1時間と少しになったので集合場所に急ぐ、バスが見え、一安心する。
 1時間ほど残っていたので、カミさんの希望で当初の集合場所だった 「El Calvario 教会」を訪れることにした。教会は黄色の建物、聖堂の中は数人現地の方が祈っていた。祭壇中央はマリア像があり、脇にリアルな十字架のキリスト像があった。胸には切り傷、足には釘の跡が生々しく表現されている。ひざまずくとこの足が目に入る。初老の男性がやってきてしばらくひざまずいて、この像の前で祈っていた。
 トイレの前の売店で蝋燭を3個買う、10ドルで支払い、40ガテマラペセタのお釣り。この売店はトイレ番も兼ねている。紙が欲しい人はお金を払い、トイレットペーパーを少しもらう仕組み。メキシコと同じだ!
 バス乗場に戻り L3(指定されたバス) を探して乗込む、行きとは違ってガラス窓が透明だった、良かった。これで車窓が楽しめる。定刻より少し遅れて出発、狭い街中を抜け、スピードも上がって行く。ちょうど火山が見える、頂上付近に雲がかかっていたが少しづつ雲が消え、ついに頂上の姿を表した。頂上に白い観測場のような建物が見える。
 バスは高速浪路に入り、時折、変な音を出しながらスピードを上げていく。坂道では後続の乗用車に抜かれて行く、情けないベンツ大丈夫か!
 高原の風景を楽しみながら、時に居眠りをしながらもバスは無事港に到着。バスを降りるとお土産やさんが待ち構えていた。先に到着した客が買い物に夢中になっている。ほとんどは女性、私たちはコーヒー2個(1個5ドル)とカミさん用のバックを購入、私は一足先に帰る。部屋について即、靴下、パンツ、シャル、ズボンの洗濯とシャワー。
 カミさんも帰ってきたので一休みして14階で夕食、昼はご聖体以外食べていないのでお腹が空いていた。まず、ビール1本を二人で分けあう。冷えていて美味しい。かなり歩いてクタクタになったが今回の寄港地も十分に見て、交流して、楽しむことが出来た。写真の整理、記録をして12時過ぎに就寝。

 

 

 窓から見たプエルトケツタル港

  

 桟橋を渡りいよいよ上陸、藁屋根は入国管理事務所

 

 お土産屋さんが並ぶ、眺めるだけでも楽しい

 

 乗り込んだバスは色付きのガラス窓、景色が楽しめない!

 

 街並、石畳と壁の色が古都の雰囲気

 

 裏道

 

 屋根の植物が良い

 

 玄関周りの飾りが楽しい、壁のヤモリ(上部縁起もの?)が良い

 

 斜面に建つ住宅

 

 感動した建物、大まかにスケッチをする

 

 

 

 エスクエラデキリスト教会

 

 サンクララ修道院 

 

 San Francisco 教会 教会の敷地内は露店で賑やか(インデオ支援か?)

 

 シスターと若者と記念撮影

 

  San Francisco 教会前の露店、店主はインデオ

 

 中央公園は土産屋さん(テント、地べた、手持ち)でいっぱい、乳飲み子を抱えている女性の露天商もいる。

 左に帽子屋さん、こんな売り方があった!

 

 カテドラル教会 12時ミサに預かる(ミサ中は信者以外は入れない)

 

 十字架の丘から古都アンティグアの眺め

 

 ピースボートの乗客に撮ってもらう

 

 時計の門(奥)付近は観光客でいっぱい

 

 時計の門を背景にカミさんは少し疲れた様子

 

 派手なバス

 

 El Calvario 教会 手間にある門の上の鐘が突然鳴り出した、ミサ時間の合図か

 

 教会内部、ほどんどインデオだった

    

  

 頂上の雲が一瞬無くなりました。ガテマラ富士の名称はEl Monte Civdad Vieja Sacか?

 帰りのバスから撮影

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115回ピースボート世界一周航海記その16(洗濯、支倉常長、アンティグナ)

2024年01月17日 | 思い出の旅行

 2023年ピースボート航海記 その3

第25日目 メキシコ・マンサニージョ湾出港1日目 9月15日(金)時差9時間

 7時30分、カミさんに起こされる、8時過ぎ、お粥の朝食、部屋の掃除を考えてゆっくりする。
9時帰室、まだ掃除中のため5階のソファーで過ごす。


10時30分〜11時15分 「支倉常長物語」
 背景 
    1611年 慶長三陸津波(5,000人死亡)の復興のためか
    2週間後、船を作ることが決定される
    1613年(慶長18)サン・ファン・バチスタ号完成
 航海 
    1613年10月28日 常長、ソテロ以下180名乗船
    1614年1月25日メキシコ・アカプルコ着 → メキシコシティ移動
    キューバを経てスペイン、コリア・デル・リオ上陸、セビリア経由でマドリードへ
 フェリペ3世と謁見
    フェリペ3世と謁見、受洗(ドン・フェリペ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン)
    →徳川幕府の禁教令により交渉は失敗、ローマ教皇に支援を求めることに。
 ローマ教皇パウロ5世に謁見
    →パウルス5世教皇に謁見(バチカン図書館に親書が残っている)
     ローマ市民公民権証書(国宝)が仙台市博物館に保管されている
 帰国
    →交渉は失敗、背景に江戸幕府の禁教令がある
    メキシコを経てマニラへ、2年間滞在し帰国、政宗は2ヶ月後仙台藩内に禁教令を出す
    常長はしばらくして亡くなったことになっているが1654年まで生きて いた説がある。
    *亡くなったとしたのは政宗の心使いであったのでは

 11時30分、カミさんはそのまま会場のソファーで休息、私は帰室、記録作成。
 12時カミさん帰って来きて、洗濯物を乾燥させに行く、13時過ぎ「韓国人で混んでいた、何故、韓国の人はあんなに大量に洗濯するの?」と言いながら帰室。
 13時30分、14階で昼食、和風カレーライス、平たい器にご飯を盛り、カレーをかける、普通のカレーライスのように。福神漬けもあって美味しく食べられた。
 帰室して休憩。二人とも1時間ほど眠る。
 14時40分〜17時30分 「手話の練習」にカミさん出席、私は絵の続き。手話終了後、「難しかった!」と言いながら帰室。カミさんが窓を覗いていてすれ違った貨物船を発見、かなり近い、20日間も航海して初めての経験だ。
 マンサニージョで買ったビール「TECATE LIGHT アルコール3.9%」を飲む、薄いが美味しい。つまみは友人がくれたおかき、今日で無くなった。
 20時、14階で夕食、味をしめて今度はハヤシライスに挑戦、これは失敗だった。ハヤシライスの甘い味が合わない、残念。初挑戦の鳥の照り焼きは美味しかった。帰室して絵の続き(彩色)をする。22時、おおよそ、完成した。細かいので時間がかかった。カミさんは洗濯とシャワー。


第26日目 メキシコ・マンサニージョ湾出港2日目 9月16日(土)時差9時間
 7時30分、起床し8時、14階でお粥の朝食。部屋は掃除中なので9時30分までコーヒーを飲みながら過ごす。帰室するとオプショナルツアー「プエルトケッアルL-3」の案内が届いていた。8時45分集合、港に着くのは18時30分とのこと。
 12時30分、14階で昼食、ラーメンを試す、麺が不味い、うどんにも使っている麺のようだ。
 帰室し休憩、かもめ、茶色、茶色で小型の鳥が飛んでいる。時折、水に潜っている。魚を取っているのだろう。今日は初めて海亀を発見、茶色の甲羅が見えた。その後も3匹発見、写真に撮ったがアップにしないと分からない。
 14時50分、シアターで「グアテマラ・アンティグナ」説明会に参加。
 港周辺に民芸店などある。送迎バスツアーはエル・カルハリオ教会に着、発。中央公園を中心に回ると良いとのこと。十字架の丘まで徒歩30分ほど。
 ・ラ・メルセー教会
 ・サンフランシスコ教会
 ・サン・ホセ教会
 ・エル・カルハリオ教会
 ・カクチャス修道院
 ・サンタクララ修道院
 ・レコレクシオン修道院
 ・市庁舎
 ・博物館 チョコレート博物館
 ・メルカド市場
 <注意事項>
 ・民族衣装の人を撮影するとチップを要求される。→これで食べているから
 ・生モノ、水に注意
 ・WC  紙は無い、紙を使ったら流さない
 *スタッフが街にいるので困ったら声をかけて欲しい。
 帰室し休憩、スケッチの続き、亀を発見、写真に撮る、小さくて分かりにくいが保存することに。カミさんも探し、見つけた。鳥も3種類ほど飛んで水中に潜る様子が見える。夕方、カミさんがイルカのような大きな魚2〜3匹を発見、空中をジャンプしている。
 7時30分、カミさんはのど飴を買って、5階のレストランへ、8人掛けの大きなテーブル、大阪の中年のおばさんがうるさい、自分の自主企画のことを自慢げに大きな声で話す、食べながらも話しは続く。聞きたく無い人がいるとは思っていない。苦痛な1時間だった。隣のテーブルでは誕生日のお祝いがあった。
 10時、早めに寝る。明日は6時起きの予定。

 

 飛魚? 時に集団(10匹程度)で飛びます。それを海鳥が狙っています。

 

 スケッチは時間がかかるので写真を参考に描くことをお勧めします。

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115回ピースボート世界一周航海記その15(メキシコ・マンサニージョ、マーケット、教会)

2024年01月14日 | 思い出の旅行

第24日目 マンサニージョ湾埠頭着岸 ホノルル出航11日目 9月14日(木)時差9時間
 6時、遠くに灯りが点々と見えたのでデッキに出る、どんな港か不安と期待が混じり合う。日向はかなり暑い、日差しが厳しく(日本では体験できない)感じる、日陰は暑さが優しいので何とかなりそう。7時、朝食を済ませ自由行動の準備をする。9時、部屋の掃除で追い出され止むを得ず14階でお茶をする。
 川柳?部屋掃乗客は船内放浪す
 10時過ぎ船内放送があり全員に上陸許可が出たとのこと、5階へ出て4階から下船。埠頭では歓迎のダンスが迎えてくれた。ただダンスをしている高齢の女性は皆、楽しそうでない。埠頭を出るとテント張りのお土産屋さんが並んでいる。派手な模様の焼物、織物、革、銀のアクセサリー、竹細工まであった。
 厳しい(刺すような日差し)中、歩いて埠頭を抜け、有名な巨大なカジキマグロのモニュメントへ出る。当然そこで記念写真を撮り広場を抜けて教会へ向かう。暑いので聖堂で涼む。エアコンは無いが聖堂内は涼しく、ピースボートの客も見える。教会の裏から商店街の通りに出る。通りは客で賑わっている、ピースボートの客も目立つ、生活必需品や飲食店そして屋台が並ぶ下町と言った雰囲気。数人若い乞食もいた。子供の声で2階にある保育園に気づく。
 歩道は狭く歩きにくい、小さなスーパーを発見、中に入ったが土産に良い商品は見つからなかった。ただ、部屋で飲むためのビール2本はしっかり買った。左折し、商店街を進むとまた、教会を発見、早速入る。ここの教会も大きい、ハワイと違って装飾はいたってシンプル、壁に大きな十字架とイエス像、上部に小さなステンドグラス。小聖堂(告解室?)もあり時折地元の信者が祈りに来る。カミさんものぞいていた。入口の上に「El maestro esta a qui y te Uama 」[jn.11.28] *主はおられ,あなたを愛しています。ヨハネ11.28  と書いてあった。
 別棟にあるトイレを発見したので入る。小便器1個と大便器2個、片方には便座が無い。教えられたようにトイレットペーパーは無く、拭いた紙はゴミ箱に入っていた。水洗で水はちゃんと出る。カミさんにも教える、なかなか出てこないので様子を伺ったら消毒綿で便器を拭いていたとのこと。外の机の上に小分けしたトイレットパーパーと洗面器が置いてあり、紙にスペイン語で何か書いてあったが読めなかったが5ペソは分かった。お金を入れようとしたらおばさんが来て「いらない」と素振りで示した。おばさんは教会の前で教会グッズと花を売っていた。もしかしたら教会のトイレも担当しているのかも知れない。トイレットペーパー代が5ペソだったようだ。
 教会を出ると大きな建物が見えたので入ってみると3階建の市場だった。屋上は駐車場、と飲食店などの店舗、1階には野菜、果物、肉、魚、雑貨、衣類、食品(豆、スパイス)、パンなど小さな店がぎっしり詰め込まれている。見るだけでも楽しい、店員は愛想が良く、買わない観光客の我々にも「よく来た!」とばかりにっこりしてくれているように思えた。魚やでは巨大な魚を持ち上げて見せてくれたし肉屋では「何だろう?」と見ていた私のために牛の頭だと分かりようにしてくれた。カミさんはピースボートのパンはまずいのでパンを4種類買う。 
 市場の前に探していたスーパーがあったので入って土産用のチコレート、テキーラを探す、スペイン語なので確証が得られない。カミさんは洗剤も探す、幸運にもスペイン語が分かる台湾のおばさん(ピースボートのお客)に助けられ洗剤は見つかったが量が多いので「私のを分けて上げる」と言われ購入を止めた。チョコレートは小さいサイズがないことと外気温が気になるので諦めることになった。テキーラもサイズが大きく、割れる心配もあって辞めた。結局、買ったのはアイス2個。
 帰りも教会に寄って涼む、何とか波止場までたどり着き、お土産用に小さな焼物3点10ドルを購入して船内に入る、冷房が効いていて嬉しい。15時、部屋に戻り、大汗をかいたのでシャワーを浴び、洗濯をする。気持ちいい!お腹がすいたので14階で買ったパンを持参し、遅い昼食をとる、パンが美味しい、ピースボートのとは全く違う。
 16時、部屋に帰り、買った「JACK DANIEL`S Jennessee WHISKEY GINGER」を氷に注いで飲む、冷えて炭酸も効いて美味い、ジンジャーの味も気にならない、全く異なる飲み物。
記録とマンサニージョ湾の風景をスケッチ。
 20時、お腹が空いたので14階で夕食、私はラーメンとサラダ、果物。
 21時、出港風景を眺める、もう来ることはないと思う。社会インフラも不十分で、お粗末な住宅が多いし、歩道も狭く歩き難い、ゴミゴミした汚い街だが人は多く活気がある。
 パシフィック・ワールド号は予定通りマンサニージョ港を出港しガテマラ、プエルトケッツアル港目指して快調に運航中である。


 

配布される寄港地情報(表裏)
 

マンサニージョ港(メキシコ)
 
パシフィック・ワールド号
 
歓迎の踊り
 
カジキマグロのモニュメント、大きい!
 
奥左にパシフィック・ワールド号が見える
 
 
港近くの教会、風通りが良く涼しい。
 
教会を裏から出ると裏通りに出る
 
街中の教会、明るく涼しい。
 
小聖堂(告解室?)
 
教会のトイレ、意外と綺麗だった、使ったペーパーは左の箱に入れる。
 
小便器
 
1メキシコペソ=8.2円   41円 
 
洋服屋さん、  179メキシコペソ=1467.8円
 
市場風景
 
愛想のいい魚屋さん
 
八百屋さん
 
八百屋さん
 
愛想が良い肉屋さん。
 
牛の首をわざわざ見せてくれた(もっと恐ろしい写真は掲載を遠慮しました)
 
果物屋
 
スパイス屋
 
 
2階から見た市場、2階にも食堂やショップがある。
 
市場前の廃墟になった店舗?
 
港前の土産屋さん、マグロ、猫、たつのおとしご、インデオなどをモチーフにした置物
 
港前の土産屋さん、カラフルなマグネット
 
織物
 
 
 
 
 
 
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115回ピースボート世界一周航海記その14(夏祭、ウルガイ元大統領ムヒカ氏演説)

2024年01月08日 | 思い出の旅行

 第22日目 ホノルル出航9日目 9月12日(火)時差9時間 夏祭り
 8時、カミさんに起こされる、8時30分、朝食14階で茹卵、ハム、チーズ、肉と野菜の煮物、サラダ、ご飯無し。同じテーブルに座った3人(78歳、65歳、60歳の女性)とピースボートの事、寄港地観光のことなど話し合う。私たちは前回乗った経験を披露する。女性は皆バラバラ、78歳と65歳は同室、乗船して知り合い、毎日、笑って過ごしているとのこと。
 9時50分、帰室、カミさんは「保育園卒VSケンブリッジVol2」を聞きに行く。
 11時40分、カミさん帰室、外を見ると潮の様子が変わった、所々色や波が違う、はっきり違いが分かる。飛魚もよく見かける一匹だったり数十匹の集団だったり、それを潜ったり空中で捕食する鳥も頻繁に見られるようになった。写真撮影を試みたが小さく動きが早いので難しい。鳥だけなんとか撮ったが飛魚を捕食しているところはまだ。
 12時30分、14階で昼食、サラダは少なめ、パン、バター、ローストビーフ、カレー、デザート(小さなケーキ2個とゼリー1個を半分ずつ)コーヒー牛乳、13時、帰室、カミさんは昼寝。
 15時過ぎ「洋上夏祭り」会場の12階へ、観客が大勢集まっている、中で若い人の浴衣姿が目立ち、お祭りの雰囲気が出ていた。会場は中央にプールやジャグジーがあってイベントがやりにくい場所。暑いので13階の日陰からファッションショー、大声大会、博多祇園太鼓、じゃんけん大会を見物する。若者中心の手作りイベントはピースボートらしさを感じた。祇園太鼓を叩いたヨガのインストラクターけやきさんに出会い、カミさんはピースボートで太鼓を叩いたこと、ニューヨークやバンクーバーで披露したことを話す、私は撮った動画を見せたら喜んでくれた。14階でアイスコーヒー、スイカを食べて帰室。休憩して「政治経済」の勉強をする。
 20時、5階で夕食、タコスサラダ、具沢山のスープ、ビーフシチュー、果物、コーヒー。イベントを仕事にしている若者(静岡県藤枝市、篤人と同じ年齢)と一緒になる。CDを渡すと、快く受け取ってくれた。
 21時、夏祭り会場へ、第三部「DJ Night」開催中、若者と大音響に溢れていた。早々に帰室して、リンゴを食べ、届いた船内新聞で明日の日程を調べる。
 22時30分、洗濯をして、シャワーを浴びる。

第23日目 ホノルル出航10日目 9月13日(水)時差9時間 
 8時30分起床、9時14階で朝食。
 10時〜11時「薬剤師と学ぶ腸活、良い菌の集める編」
  ・出生から3〜4歳で人生が決まる 糖尿病、花粉症、アトピー
  ・3歳まで腸内細菌叢安定 →一生を決定
  ・獲得の流れ →触る、舐める、口に入れる →色々な菌を獲得するチャンス
  ・種類は4種類
  ・善玉菌 20%    悪玉菌 10%    日和菌 70% 
  ・帝王切開リスク
    アレルギー 5倍   ADHD 3倍   自閉症 2倍
 12時 昼食を済ませ 7階へ行く途中Kさんと出会い手話講座について意見交換する。
 12時45分〜14時00分「世界一貧しい大統領のスピーチから幸せ地球の将来を考える」
 SDGSの説明から入り、ウルガイの元大統領ムヒカ氏の国連での演説やピースボートでのスピーチの動画が流された。
 <演説の内容>
 水問題や環境の危機がこのことの本質ではない、見直すべきは我々が築いてきた文明の在り方であり我々の生き方です。発展は幸せの邪魔をしてはならない、発展は「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達を持つこと」そして必要最小限のもので満足するためにあるべきものなのです。なぜなら、それらが一番大切な宝物なのだから、環境のために闘うなら一番大切なものは「人類の幸せ」であることを忘れてはなりません。
 14時15分〜15時 アモイの絆〜イースター島からの贈り物〜チリ地震、東日本大震災が結んだイースター島と宮城県三陸町の交流の話。
 15時帰室して休む。
 17時頃、6階でKさんと会う、色々話が出て話たりず、19時30分一緒に食事をすることになった。19時30分、5階のレストランで3人で食事、Kさんがビールを奢ってくれた。亡くなった夫に「最高の妻だった」と言われその言葉を大事に生きてきたとのこと。私達はどのようにして今に至ったかカミさんが分かち合う。食後はKさんがWiFiを繋いで「手話の十二支」を調べる。私たちも一緒に教わった。今度「手話」の自主企画をやるとのこと。
 21時、帰室、明日があるのでシャワーを浴びて早めに寝る。

 

 夏祭り

 

 

 プール、ジャグジーなどがあってやりにくい環境でもスタッフ達は見事にイベントを開催した。

 

 元ウルガイ大統領ムヒカの演説とピースボートを訪れた際の動画を紹介


かってはゲリラだったぺぺの経歴 *ピースボート・セミナーの資料から

 1935年にモンテビデオの貧困家庭に生まれた。モンテビデオ大学卒業後は家畜の世話や花売りなどで家計を助けながらも、1960年代に入って極左都市ゲリラ組織ツパマロスに加入、ゲリラ活動に従事する。ツパマロスと治安組織との抗争の激化、労働組合や職人組合の政治経済への反発といった時代のもと数々の襲撃、誘拐に携さわる中でムシカは6発の銃弾を受け。4度の逮捕(そのうち2回は脱獄)を経験する。
 1972年に逮捕された際には軍事政権が終わるまで13年近く収監されており、軍事政権側の人質として扱われていた。ムヒカは出所後、ゲリラ仲間と左翼政治団体を結成し1995年の下院議員選挙で初当選を果たす。2005年に農牧水産相として初入閣、そして2009年度の大統領選で決戦投票で勝利した。2016年4月5日から12日にかけて日本を訪問。

 

元ウルガイ大統領ムヒカの演説

 2012年6月から22日まで3日間、ブラジル・リオデジャネイロで開催された地球サミット2012(国連持続可能な開発会議)で「世界一貧乏な大統領」といわれていたウルガイのホセ・ムヒカ大統領によるスピーチを紹介します。*ピースボートの船内で開催されたセミナーで紹介されました。

 この場に出席されている世界各国の代表の皆さん。ありがとうございます。お招きいただいたブラジル国民、そして大統領閣下に感謝します。これまでに発言された全ての方々が表明された誠意にも大いに感謝いたします。
 いち国家指導者として、貧しい人々のための取り決めづくりに仲間として共に参加することを表明いたします。
 しかし私たちにもいくつか声高らかに質問することをお許し願いたい。今日の午後ずっと、私たちは「持続可能な発展」と「膨大な数の貧困者対策」を話し合ってきました。けれど、私たちの本音は何でしょう?

 この発展を続けることが本当に豊かなのでしょうか?質問させてください。もし、ドイツ人がひと家族ごとに持っているほどの車を、インド人もまた持つとしたら、この地球はどうなってしまうでしょうか。もっとはっきり言いましょう。
 例えば、最も裕福な西側諸国と同じようなレベルで、それを支えるだけの資源が今の世界にあるのでしょうか?それは可能なのでしょうか?それとの別の議論が必要ですか?

 今のこの文明をつくったのは私たちです。私たちは市場と競争社会から文明という落とし子を生み出し、物質面での脅威的な進歩をもたらしました。そして市場経済は市場社会をつくりだし、それを世界規模に拡大してしまいました。いわゆるグローバリズムです。そのグローバリズムを私たちはコントロールできていますか?逆にコントロールされてはいないでしょうか?

 こんな残酷な競争で成り立つ社会で、「みんなで世界を良くしていこう」なんて議論が、本当にできるのでしょうか?私たちは本当に仲間なのでしょうか?私は今回の会議を否定するために言っているのではありません、違います、逆です。我々が今挑戦しようとする目の前の巨大な困難は、決して環境問題ではなく、明らかに政治の問題なのです。人類は今、消費社会をコントロールできていない。逆に人類のほうがその強力な力に支配されているのです。

 我々は、発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。幸せになるためにやってきたのです。人生は短く、あっという間です。しかし、その人生こそが何より価値あるものなのです。余計なものを買うために、もっともっとと働いて人生をすり減らしているのは、消費が「社会のモーター」となっているからです。なぜなら消費が止まれば経済がマヒしてしまい、経済がマヒすれば不況というお化けが我々の前に姿を現します。しかし今この行き過ぎた消費主義こそが地球を傷つけ、さらなる消費を促しています。

 商品の寿命を縮め、できるだけ多く売ろうとする。今の社会は1000時間もつような電球はつくってはいけないのです。本当は10万時間、20万時間ももつ電球はあるのに、そんなものはつくらない。なぜなら我々は、もっと働き、もっと売るために、「使い捨て文明」を支える悪循環の中にいるからです。これは政治問題です。我々は今までと違う文化のために戦い始めなければなりません。

石器時代に戻ろうとは言っていません。このままずるずると消費主義に支配されるわけにはいかない。私たちが消費主義をコントロールしなければならないと言っているのです。ですから私は、これが政治問題だと言いました。とても謙虚な思いからです。かっての賢人たち、エピクロスやセネカ、そしてマイマラ人たちは次のように言っています。
「貧しい人とは少ししか、ものを持っていない人ではなく、もっともっとと、いくらあっても満足しない人のことだ」と、大切なのは考え方です。だからこそ、みなさんと共にこの会議に参加し、国家指導者として皆さんと共に努力したいのです。私の発言はみなさんを怒らせるかもしれません。しかし気づかなくてはいけません。水問題や環境の危機がことの本質ではないということです。
見直すべきは我々が築いてきた文明の在り方であり、我々の生き方です。なぜそうそう思うのか?


私は環境に恵まれた小さな国の代表です。人口は320万人ほどしかいません。けれど世界で最もおいしい牛が1300万頭、また素晴らしい羊が800〜1000万頭。食べ物、乳製品、そして肉の輸出国です。だからかって私の仲間たちは8時間労働のために闘い、ついには6時間労働を勝ち取った人もいます。

しかし、そうなったら今度は仕事を二つ持つようになりまいした。なぜか?たくさんの支払いがあるからです。バイクやマイカーのローンを次から次へと支払っているうちに、私のようなリウマチ持ちの老人になって人生は終わってしまう。そして自分に問いかけるのです。これが私の一生だったのかと。

私が言っているのは基本的なことです。発展は幸せの邪魔をしてはならない。発展は「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達を持つこと」そして「必要最低限のもので満足する」ためにあるべきものなんです。なぜなら、それらこそ一番大事な宝物なのだから。環境のために闘うなら一番大切なのは、人類の幸せ出ることを忘れてはなりません。ありがとう

 

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115回ピースボート世界一周航海記その13(旅の情報、セミナー)

2024年01月08日 | 思い出の旅行

第20日目 ホノルル出航7日目 9月10日(日)
8時30分、14階で朝食、お粥、卵、肉と野菜の煮物、チーズ、ハム、レタス、キャベツ、ミニトマト、ヨーグルト。梨1個を持ち帰る。
9時30分、20分ほど待って整理券をもらい、10時から始まる「わくわく寄港地〜マンサニージョ、プエルトケツアル」を聞きに行く。会場はほぼ満席。
 <マンサニージョ>
  メキシコ 人口 13,000万人
       平均気温 30度前後
       通貨 米ドルでもOK、ただしお釣りはペソになる
  お土産 ・チョコレート
      ・サルサ 香辛料
      ・アガペシロップ
      ・テキーラ
      ・メスカル
      ・コロナビール
      ・ビクトリアビール
      ・ドスエクスビール
   食べ物・タコス
      ・セビッチョ
      ・カルニータス
      ・タマレス
      ・ボソレ
      ・エンチラーダス
      ・コンソメ・デ・ポシュ
      ・カルネ・アサダ
   ケーキ・フラン

     スパーマーケット、市場、海水浴場がある、価格も安いのでお土産を買うには最適
 <プエルトケッツアル>
  名所 ・廃墟になっている教会(地震で崩壊)
     ・十字架の丘
     ・時計塔
     ・ラ・メルセー教会
     ・サンフランシスコ教会
     ・サン・ホセ大聖堂
     ・市庁舎
     ・メルカド(市場)
  土産品・織物
     ・コーヒー
     ・ラム酒
     ・ビール Gallo
     料理・ぺピアン
     ・ホコン
 我々はメキシコ人の暮らしが見たいので自由行動でスパーマーケット、市場、教会などを見る予定。
 11時、ツアーデスクで「バルボア送迎バス」5,000円を申し込む
 12時、5階で昼食、豚丼、ラーメン、温泉卵、サラダ、パイナップル。太極拳のおじさん(サクさん)と同席、Uber、太極拳の話題。
 部屋で日記とムサビ通信用記事を書く。スマホの写真が使えないので写真集ができない。
 19時30分、14階で夕食、ご飯無し、肉と野菜の煮物、豚の煮物、春雨、焼きそば、レタス、キャベツ。久しぶりにアサヒスーパードライ小瓶1本を二人で飲む、美味しい。量ではないことが分かる。最後にデザート、ゼリー半分とミニケーキ2個半分づつ。
 帰室して、洗濯しシャワーを浴びる。明日は6時30分からヨガがあるので早く寝る。
 1時間早める。時差9時間

第21日目 ホノルル出航8日目 9月11日(月)時差9時間
 6時起床、6時30分ヨガに参加7時30分終了、厳しいけど気持ちいい。8時14階でいつもの朝食、帰室し、歯磨きして10時〜11時「わくわくメキシコ」に参加、メキシコ人水先案内人夫妻が講師。
 メキシコは68の民族で構成され日本、韓国、中国などからの移民の国でもある。そのため多様な文化を持っている。
 <食材>
 ・トウモロコシ 種類多い、メキシコ料理の基本の食材
 ・タコス Los tacos
 ・タマレス Tamales
 ・アトレ Atole
 ・テキーラ Tequila 35〜45度 レモン、塩で飲む
 ・メスカル Mazcal 50度 オレンジ、芋虫、塩
 ・チョコレート メソアメリカ地方の植物 →ヨーロッパで甘いものになる
 ・チリ Chile 
 ・カカオ Cacao チョコレート
 ・フリジョル(豆)Frijol 種類多い
 ・アボガド Aguacate Avocado
 ・マゲイ Maguey
 ・ノパル(サボテン)Nopal Cactus
 <花>
 ・ノチュブエナ(クリスマスツリー)
 ・マリーゴ Cempoat 
 ・ダリア Dalia
 <動物>
 ・ウーパールーパー(メキシコサラマンダー)Ocelot
 ・バキタマリナ Vaquita Marina
 ・ケッツアール Quetzal
 ・ショロ Xoloitzcuintle
 ・コアティ Coati
 <お祭り>
 ・死者の日
 ・独立記念日 9月15、16日
 <音楽>
 ・マリンバ
 ・マリアッチ
 ・ギター
 <ダレス 民間伝承>
 ・チセロス Charnos
 ・ロデオ
 <ダンス>
 ・バロックダンス
 ・バレーダンス
 ・モダンダンス
 ・パフォーマンス
 <フェスタ>
 ・Lo Fiesto 祝いの意味 歓喜

 12時45分、5階で和食(稲荷寿司、肉うどん、サラダ、おしんこ、りんご、コーヒー)
 8人席、皆同年代の夫婦、水道、下水の不具合が話題になった。
 13時40分、帰室、カミさんは14時50分〜15時55分セミナー「四国遍路の旅1」に出る。私は部屋でネット作業。発表者はコンポステーラ巡礼も経験、四国巡礼+前巡礼含め車を使って1年掛けたとのこと。
 16時、二人で「政治・経済」の勉強。
 18時〜18時30分、14階で夕食、野菜カレー、ご飯少々、サンマ、肉と野菜の煮物、スイカ、コーヒー牛乳
 帰室し、カミさんは18時45分〜20時「保育園卒vsケンブリッジVol2」を聞きに行く。私は記録。

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115回ピースボート世界一周航海記その12(セミナー、乗船客、映画)

2024年01月07日 | 思い出の旅行

第18日目 ホノルル出航5日目 9月8日(金)*1時間進める、時差8時間
 カミさんはラジオ体操に参加、私は8時起床、いつもと変わらない曇り空、洗顔して14階で朝食(お粥、茹で卵、ベーコン、焼き魚、野菜と豚肉の煮もの、レタス、キュウリ、セロリ、玉ねぎ、キャベツ、梅干し、ヨーグルト、鰹節のふりかけ)、梨を持って自室に戻り休憩。

 10時〜11時15分「夢とロマンの世界遺産講座〜ラテンアメリカの世界遺産〜」
に参加、少し鼻につく片岡さんの説明が始まる。
<魅力>
 ・自然の多様性
 ・マヤ遺跡
 ・コロニアルスタイルの都市
 ・先住民が多い
<メキシコ マンサニージョ>
 ・船舶の補給基地
 ・メキシコ料理  材料/ 唐辛子 豆 トウモロコシ 
          →トルティーヤ パルサ(辛いソース)をかけて食べる
 ・酒       テキーラ *竜舌蘭が原料
          ラム
<ガアテマラ共和国 プエルトケツアル>
 ・人口 1634万人
 ・面積 10万Km2
 ・観光地 アティトラン湖 アンティグア(意味/古い) ティカル遺跡(マヤの遺跡)
      ティカル国立公園 1979年登録 文化遺産と自然遺産の複合遺跡として登録
       マヤ文明
        前11世紀 前10年 3〜6世紀 7世紀独自に発展
        平地で川がないため雨水利用技術(漆喰など)が発達
        9世紀衰退期 原因は環境問題?
        1696年スペイン人によって再発見される

 


13時〜14時15分 自分で考える人間を増やそう〜真の民主主義と平和のために〜
 
 
   頭の自立

   心の自立

   モノの自立


<モノの自立> 
自立の環境を作る どうしたらいいのかな?迷うことが自立につながる
 
物的環境ー自然/家具/光音/匂い/音楽/絵画/植物
人的環境ー家族/気持ち/動き/言葉かけ/癖/偏見/差別
体の自立のために
 ・重いものを運ぶ →子供の食器を用意する、同じ場所に置く、収納する
 ・こぼしても平気 →こぼしたら拭く、自分のハンカチを持つ 責任を持たせる
           *鉛筆削りに肥後守を使わせる
           *プロセスを見せる 洗濯、鉛筆削り
           *興味点をゆっくり見せる
まとめ
 ・ちょっと不便で楽しい生活 自分の力で作りたい
 ・子供をお客さんにしない、家族の一員にする
   運ぶ、切る、洗う。。。

<心の自立>
 泣いたら誰か来てくれる →信頼の獲得
              話しかけながら(おむつ替え、授乳、、)する
 赤ちゃんは秩序が大好き →コロコロ変わらない生活
           着替え、授乳、寝る、遊ぶ →変えない、何が起こるかわかる安心感
 元に戻す習慣      →ダメを減らす
 没頭する対象を見つける
 言葉系 運動系 子供によって好きは多様
 時間のプレゼント(モノではなく)
 何でも誉めない

 私の自由はどこまで?
 ・安心、安全な家づくり
 ・モノの場所を決める
 ・危険物、壊れ物を事前に除いて「ダメ」を減らす


<頭の自立>
 ・豊かな五感を使った体験
 ・比較をする 違いを知る(成長、変化、違い)
 ・本物に触れる
 ・絵本の選び方 →子供に考えるチャンスを与える
 ・悩んだり、困ったりすることも大事
 ・本を読む姿を見せよう
 ・体験できる機会を増やそう 
     投票も6歳であれば同行できる →同行した経験がある子は投票率が20%高い

            『自分で考える人間を増やそう』  

  

 ツアーデスクで「トルコ イスタンブール」送迎バス〜イスタンブール旧市街 
 G-2 9:30 港発 14:30 イスタンブール旧市街発 7,000円 申し込む

 部屋に帰り、梨を食べる。16時〜17時、私だけ「行くなら知ろう!世界遺産の旅2」メキシコ編を聞きに行く。次の寄港地「マンサニージョ」の参考になればと思ったがメキシコの世界遺産中心の話で終わった。
 17時30分14階で夕食、ハヤシライス少々、豚肉、焼魚、パスタ、サラダ(レタス、セロリ、キャベツ、ニンジン)、カミさんはパン食。
 一旦、部屋に戻り、歯磨きして19時前にシアターへ映画「ノドマランド」を見る。ほぼ満員。現代の遊牧民(ノドマ)として車上生活を送る60代ファーンの厳しい生き方を見せつけられる。ファーンは夫に死に別れ、家を失ない、夫探しの旅に出たのだ。他のノマドのように亡くなった人(息子、夫)にいつか会えるかも知れないと言うかなわぬ希望を持って。それがこの世にいる唯一の希望なのかも知れない。
 21時30分、自室に帰り、りんごを食べ、シャワーを浴びて寝る。


第19日目 ホノルル出航6日目 9月9日(土) 時差8時間
 8時、14階で朝食、ほとんど変わらない内容、9時、部屋は掃除中のため5階でトイレと休憩
  豪華ロビー 掃除難民 貯まり場所  
  *豪華ロビーは掃除でやむを待機している老人(自分達も含め)の貯まり場所になっている。
 帰室しカミさんと「政治経済」2回目の勉強をする
  ・基本的人権 ・自由権から社会権へ ・民主主義 ・議会制民主主義
   多数者の支配と少数者の権利 ・三権分立(抑制と均衡)
 12時、5階で昼食、うどん、炊き込みご飯、サラダ、オレンジ、コーヒー。炊き込みご飯、うどんはイマイチだった。私の左側は老人男性(74歳)、港区在住の夫(80歳)婦、カミさんの右は老人男性(94歳)、向かいは中年男性(60歳)の七人で食べる。私は、食後のコーヒータイムで港区在住の方に港区の青中出身ですと伝える。カミさんは中年男性に話しかけていた。投資で食べていると言う、何と1%(10億円以上の資産)の富裕層に入るとのこと、普通のおじさんにしか見えない、自分の投資経験を若者に話をする計画とのこと。カミさんの隣の老人は一言も喋らず、黙々と食べ、コーヒーを飲んでいた。カミさんが話しかけずすみませんでしたと謝ると「話を聞いていて参考になりました」と言っていた。不思議な組み合わせと会話内容だった。
 6階のショップでWiFi100分 2,100円、のど飴2個 308円、綿棒 209円、消毒綿 364円
購入し14階で口直しのアイスコーヒー、ケーキ2種類、ジュース、大学芋少々。真珠湾でお世話になった方(バスでアラモアナセンターまで同行させてくれた)がいたのでお礼の挨拶をする。
帰室して部屋で休む。
 17時20分、5階レストランで夕食、中華風サラダ(豚肉、レタス、トマト *赤い実はスパイスか?)、タイ風スープ(牛肉、シーフード(アサリ))、メイン(鶏肉のソテー、クスクス)
美味しかった!大きなテーブルに私たちと離れたところに一人、遠くて話もできなかった。
 18時40分、帰室、歯磨きしてシアターへ、19時から映画「ジュディー〜虹の彼方〜」を見る。2歳から舞台に出て苦労して掴んだミュジカル女優の地位、離婚して頑張ったけど結局二人の子供は父親のもとに、子供と一緒に暮らすことが望みのジュディーは子供に電話すると父親の許で暮らしたいと言われる。夢は叶うと信じていたジュディーは47歳で急逝する。最後の舞台で途中から感極まって歌えなくなった「オーバザレインボー」を観客が歌うシーンは泣かせる。最後に「たくさん愛するより、たくさん愛される方が良い。(オズの魔法使い)」の字幕が流れる。

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115回ピースボート世界一周航海記その11(船について、船の揺れ、緊急搬送、ヒロ島)

2024年01月07日 | 思い出の旅行

第16日目 ホノルル出航3日目 9月6日(水)
 6時起床、6時30分のヨガに参加、体をほぐす良い機会、如何に動きが悪くなっているか実感させられる、気持ち良い40分を過ごして14階で朝食、いつものメニュー、食後は部屋と部屋の前のデッキに椅子を運んで一休み、暫くするとクルーが掃除に来たので5階ロビーに移動する。
 10時30分〜11時30分 「航海の雑学〜太平洋・中米編」に参加
 船内放送で緊急搬送のため現在、ハワイ、ヒロ島に向かっている、夕方6時頃着岸予定とのこと。
 <船について>
 ・建造:1995年#
 ・造船所:(イタリア)フィンカンティエリ
 ・船籍:パナマ
 ・総トン数:77,491トン
 ・大きさ:261.3m✖️32.25m *幅はパナマ運河航行のギリギリの幅 *長さは余裕ある 
 ・エンジン:スルーザー162AV LN4
 ・プロペラ:双スクリュー6枚 直径5.79m
 ・スラスター:船首部2、船尾部2(小型スクリュー) *旋回を助ける
 ・スタビライザー:左右両舷に1基づつ
 ・球場船首(バルバスバウ):速度、燃費 *どんな船でもついている
 ・速力と距離: 1ノット    1,852m  *  最高19ノット 通常17ノット
         1マイル(海里)1,852m

<船体の動瑶>
 ・ピッチング    前後の揺れ
 ・ローリング    左右  →抑える役割 スラビライザー
               *横揺れは一番安定している状態
 ・パンティング   波の衝撃が船首を強く叩くことで起きる揺れ
 ・スラミング      同   船尾   同
 ・ヨーイング    大きな船の場合のみ起こる 左右の揺れ 
 ・ツイスティング  前の波と後ろの波で船がよじれる揺れ
<グリーンフラッシュ *緑閃光>
 ・太陽が緑色に見える、滅多に見られない。
  *日の出、日の入りの瞬間 条件:雲がない、なぎの時
<ポリネシア・トライアングル>
 ・ハワイ島、イースター島、ニュージランド島を結んだ三角形
  →同じ芸術、宗教、言語を共有している。
<パナマックス> ( )は同船舶
 ・長さ:294.1m(261.3m) 幅:32.25m(32.25m) 喫水:12.0m(8m)
<パナマ運河の構造>
 ・閘門式 
  カリブ海→ガツン閘門→ガツン湖→ケーラードカット→ペドロミゲル閘門→ミラクローレス湖→ミラフローレス閘門→太平洋 
 ・26メートルの高低差を閘門を使って通過する
 ・ロックセラーが乗り込んで作業全部行う
 ・エンジンはかけないで牽引車で引っ張る
 ・導灯 二本の導灯が一直線になるように航行する

現在:・17ノットで航行
   ・横浜から4,425マイル航行
   ・現在の温度28度(寒流の影響)
   *死んだ鳥に決して触らないように(病気で死んだ可能性が高い)

 12時、4階で和食(筍ごはん、うどん、サラダ、オレンジ、コーヒー)口直しに14階でデザート(2種類のケーキ半分づつ、パイナップル、ジュース)を食べ帰室、カミさんは昼寝、私は今日の出来事をまとめる。
 4時、ふと外を見るとかすかに島影が見えたので部屋の前のデッキへ椅子を持って出る。ヒロ港着岸まで2〜3時間以上かかりそう。5時頃、大きな山が雲から姿を現す。調べるとヘラウエア火山4200mのようだ。6時頃になると人が増え始める。ハワイ島に近づくと住宅やホテルかマンションか大きな建物が見える。船は港に入りゆっくり進んでいく。今日、説明で聞いた導灯らしき緑の灯りが2つ見えた。やがて岩壁に着岸、救急車らしい車も待機している。救急車に患者を搬送したのか船は離陸を始めた。港を抜け、また、メキシコ、マンサニージョ向け航行。
 7時50分、5階で夕食、84歳男性(Kさん)とその妹と一緒になる。旅が趣味とのこと、兄は転勤で日本全国をまわったとのこと。妹は口が悪く話したくない相手、カミさんは一生懸命話を合わせていた。
 9時帰室、りんごを食べる。カミさんは一休み。私は忘れないうちに記録を書く。


第17日目 ホノルル出航4日目 9月7日(木)*1時間進める 時差8時間
 カミさんはラジオ体操へ行くものの終わっていたとのこと、8時起床眠い、洗顔して14階へ朝食、お粥、ゆで卵、さんま、野菜の煮物、サラダ、コーヒーとあまり変わらず。帰室して、トイレを済ませアメリカ産リンゴを食べる。酸っぱいがりんご本来の味を感じる。高校の教科書「政治経済」を読む、人間は社会的動物である(アリストテレス)と国家とは何か議論する。
 12時30分、14階で昼食、豚肉料理、サラダ、パン、コーヒー牛乳、メロン。帰室して休息、少しスケッチ(雲)の修正、
 15時40分「薬剤師と学ぶ腸活。調味料編」を聞く。調味料の種類と成分の話、実際に塩と酢を味見する。普通の塩(塩気がきつく後まで残る、沖縄の天然塩はまろやかな塩気)、普通の酢(酸味がきつい)とリンゴ酢(甘く酸味少ない)。これからは値段だけでなく中身を吟味して購入しよう。
 船内放送で緊急搬送で変更になったスケジュールが発表された。メキシコ マンサニージョ着岸予定が9月14日10時となったとのこと。
 16時ショップでのど飴を買って帰室、青りんごを食べ、一休み。
 18時45分「スタッフトーク なぜ、また船に乗るのか」を聞く、ピースボートの現状と課題についてスタッフとしてどのように感じ考えているのか知りたかったが全く抽象的で個人的な内容で終始した。ディレクターなら問題意識を持っているはず、残念でした。
 終了後、5階で夕食、若者二人(男性は26歳仕事を辞めて乗った、女性もポスター貼りをやったとのこと)と同席になる。食事中はほとんど話す機会が無かったがデザートが出てからカミさんが「このフルーツ何?」と質問してから会話が始まった。
 カミさんがビールを飲みたいと言い出したので14階へ行ってアサヒスーパードライ330ccを飲む、二人で丁度良い量だった。しっかり気持ち良く酔えた。
 20時帰室。

ヒロ島、雲に隠れていたヘラウエア火山(右手)が瞬間見えた。

食事が終わり楽しい団らんが始まる。二人とも一人で参加 *記事と関係ありません。

ご夫婦と団らん、何を話しても許される雰囲気が良い。

部屋の窓、見えるのは海ばかり、気が向いた時はスケッチをしていました。

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115回ピースボート世界一周航海記その10(世界遺産、モンテッソーリ、ポスター貼り)

2024年01月06日 | 思い出の旅行

  2023年ピースボート航海記 (ハワイ出航〜メキシコ・マンサニージョ)

第14日目 ホノルル出航1日目 9月4日(月)
 昨日は疲れのため良く寝られた、トイレも1回ですんだ。ハワイ出航1日目、天気は良いが雲はいつののように水平線上に浮かんでいる。
 7時30分、洗顔して14階へ、朝食は定番のお粥、レタス、ニンジン、タマネギ、オリーブの実、ゆで卵、スクランブルエッグ、サバ、ベーコン、パイナップル、コーヒー。カミさんはパン食。
8時30分帰室、トイレ(二人とも順調)、歯ブラシして休息。私は9時30分、ツアーデスクへ30分待って番号札44番をもらい自室へ戻る、11時30分、カミさんのIDカードを受け取り再びツアーデスクへ行く、まだ23番が処理中、ソファーに座って待つことにする。暇だったので川柳を考える。
・ピースボート老人の船に成り果てた
・見渡せぞ海と雲のみクルーズ船
・毎日が海と雲のクルーズ船
・クルーズ船のんびりできず忙しい
・手紙、電話、ネットなしがクルーズ船
・ドラえもんどこでもドアがクルーズ船
・待つことに慣らさせるクルーズ船
 1時間ほど待ってツアー(レイキャビックG(ブルーラグーンとレイキャネス半島観光 45,000円))の申し込みをする。
 昼食も14階、カミさんがお粥を食べたいとのこと。私はタイ風麺と色々なオカズを4種類少々、サラダ。さらにデザート(ケーキ2種類、ゼリー)とアイスコーヒーでお腹一杯になる。部屋に戻り一休み。夕焼けのアロハ・タワーを写真を見ながら描く。
 7時30分、5階のレストランへ行くがカミさんは咳が出るので14階が良いと言うので変更する。朝昼と代わり映えのしないメニュー、タイ飯、白身魚のフライ、豚肉料理、サラダ、お粥、美味しそうだったのでうどんも取る。カミさんも結構とってきた、結局、ビザはギブアップ、私もお粥を手伝ってもらい何とか完食。14階の屋外スペースにあるベットで大型モニターの映像を見ながら一休みする。結構有料の飲屋さん「波平」が賑わっている。風が強く、部屋に戻る。
 お腹いっぱいのはずなのに小さな青りんごを食べる、酸っぱいが美味しい。
 カミさんは横になっている、私は洗濯、歯ブラシそしてシャワーを浴びる。カミさんも目覚めてシャワー。


第15日目 ホノルル出航2日目 9月5日(火)
 8時、カミさんに起こされる、まだ眠いが洗顔し14階へ、今日はお粥抜き、カミさんはパン食の朝食。部屋に帰ると掃除中だったので5階へ行き、トイレを済ませロビーで休む。ロビーにはよく見る車椅子(奥さん)の夫婦、夫は甲斐甲斐しく奥さんの面倒を見ている。奥さんは寝て、夫は水彩を描いていた。ロビーはほとんど老人でマスクをして目を閉じている。居場所がないのか部屋に戻りたくないのか?
  ・ロビーは行き場がない老人用
 自分も含めて日本人(アジア系)は服装が地味でまるで老人施設にいるような感覚、アメリカ人の様に服装で楽しくする演出が必要かも。

 部屋で一休みして10時〜11時15分「世界遺産の不思議と魅力」片岡英夫
 ユネスコは第二次世界大戦後に設立された国際機関(国際連盟に無かった)
 戦争の原因は心の中に生まれるのだから人の心の中に平和を築かなければならない。世界遺産=異文化 異文化を理解することで平和の砦を築く。世界遺産を知り守ることは世界中の民族や文化自然を理解し大切にすること。

 文化遺産 900
 自然遺産 218
 複合遺産  39    計1157件

 1 イタリア 58件
 2 中国   56件
 3 ドイツ  51件
 4 フランス・スペイン 

 日本 文化遺産 20  自然遺産 5  計 25件

世界遺産とは顕著で普遍的な価値を有すること  ( OUV )

11時30分、5階レストランで和食(稲荷寿司、カレーうどん、サラダ、パイナップル、コーヒー)
元気な沖縄のおばさんと同席になる。

部屋で休んで13時「モンテッソーリってなに?」深津高子
コンテンツ
 1 モンテッソーリって誰
 2 子供をどう見るか
 3 モンテッソーリクラス  A子供 B物 C大人
 4 モンテッソーリ教育の広がり

次回以降
 9月8日  13:00〜 自立とは
 9月9日  13:00〜 手の平利用
 9月10日  16:00〜 感覚の

モンテッソーリって何ですか?
 aid to life 生命がより良く生き生きられる環境のこと
 自然な成長を促すタイムリーな援助
  →蔓植物(朝顔、キュウリ)→土や支柱の様に
*aid to life  ウェブサイト 

マリア・モンテッソーリ(1870年明治3年〜1952年昭和27年)
 ・ローマ大学医学部卒 イタリア最初の女医
 ・小児精神科医    ・観察で診断 →共通の法則を発見 
                 2歳の「イヤイヤ」自己肯定
                 「秩序」へのこだわり
 ・子育ては愛だけでは出来ない知識が必要
 
 1907年 37歳 ローマのスラムで「子どもの家」が開園
 2007年 世界6大陸 103カ国で普及
 2022年 日本 2000以上保育園、幼稚園、子どもの家がある。
      *「なんちゃってモンテッソーリ」が多い
 モンテッソーリの教育を受けた著名人
  ・Google  セルゲイ・プリン ラリー・ペーブ
   Amazon ジョブ・ベソス

適切な環境が必要
   0歳〜  6歳 乳幼児期      赤 人生で一番学ぶ時期 植物で言えば根っ子
   6歳〜12歳 児童期       青
   12歳〜18歳 思春期       赤
   18歳〜24歳 青年期       青
  *赤 心が激しく働く時期
  *青 心が落ち着いている時期

 子どもには内なる教師がいる 言わば球根の様、いつ咲くか、何色か 外からコントロール出来ない。ただ土をかけることはできる。
 
  成果
  ・手が器用
  ・集中力がある
  ・マイペース
  
  注意
  ・子どもサイズの道具を用意する
  ・写実的な絵本
  ・褒めすぎない(認める言葉のレパートリーを増やす)

 同階で一人文字を書いている人がいたので見せてもらう。カミさんは「夢」、私は「花」を頂く。文字の話から始まってピースボート、生い立ち、仕事、価値観、プラス思考等々色々な話題で盛り上がった。

 7時30分5階で夕食、休学している女子学生二人、シンガポール人夫婦と同席になった。学生はまだ二十歳、朗らかで笑いが絶えずテーブルが明るくなった。学生はピースボートのポスター貼り1000枚(6000枚で無料で乗れる)やったとのこと。シンガポールの夫婦はヘリコプターでホノルルを一周してきたとのこと。シンガポール人の奥さんは一生懸命話しかけてくれる、名前(夫:コンピュータ技師 JIT、奥さん:CAROL)の交換もした。学生一人は「彩七あやな」と言う、長女が「彩子」と教えると驚いていた。
  部屋に戻り、りんごを食べながら1日を振り返る。セミナーも出会いも豊富な一日だった。

 

  

  毎日、この様な景色が続く

  

  皆さん、特技を披露している

  

  自分用の記録として夕焼けのホノルル港を描く

 

 

 

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