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お盆。

2017-08-16 13:10:05 | タヅママについて。
昨日は一日義母の遺品整理。

何もお盆で帰ってきてる時にやらなくても。。

という声が聞こえて来そうだったので
「それは捨てないで!ってのがあったら、このベルならして。」
と遺品の中から出て来た陶器の小さなベルを遺影の前に置いて、ひたすら捨てる作業。

捨てられない義母のタンスからは頂き物と思われるタオル、手ぬぐい、風呂敷、ポーチ、少しだけ使ったと思われる財布が大量に。
なぜこんなものを?というような誰かが折ったであろう折り紙とか、誰?っていう知らない子供(多分友人の子供)の写真、誰かが書いたメモがたくさんの薄い手帳に挟まれて出てきました。手帳の中には必ず落ち葉が挟まれていて。
紅葉好きだったもんなぁ。

旦那さんが見つけた東京の病院の紹介状には「肺に影があるから精密検査必要」との診断書と、レントゲンのコピー。
「こっちに来る時には肺癌だって知ってたのかもなぁ。」


言えよ!
スパスパスパスパたばこ吸いやがって!
もっと早く手術出来たじゃないかよ!






迷惑かけたくなかったのかな。。




癌だと宣告された日の日記には、
「ガンだと言われた。あまりショックではなかった。ガンと思ってないから。幸枝ちゃんは目に涙をいっぱい溜めていた。家族は心配だろう申し訳ない。」
と書かれていて、確かに暗い患者ではなかったなと思い出しました。癌だと思ってなかったのか・・・

今でも、手術なんかしなければ・・・とか、もっと早く見つけていれば・・・とか考えますが、もう死んじゃったから仕方ない。

教えてもらう約束だった三味線の糸やバチが出て来て捨てるのをためらいましたが、捨てました。
三味線本体はタヅママが随分前に手放しちゃったと言ってたのでありませんし、タヅママいないのに私がやることはないであろ。



私も持ち物減らしていくようにしよう。今死んだら凄い迷惑かけるわ。


遺品整理。

2017-01-10 12:46:08 | タヅママについて。
昨日は、タヅママの遺品整理をしました。
タヅママはたくさんの荷物と共に福井へ越してきたので、本当にたくさんの物が残っていて主のいなくなったタヅママの部屋は物置のような状態になっていました。
遠方から親戚の方が春頃にお線香を上げにやってくるというので、重い腰を上げて整理をしようということになったのです。

整理をし始めると、入院中に買ったリハビリ用の器具などがほとんど新品の状態でたくさん残されていました。
誰かの為に取っておくのも縁起が悪いし、旦那さんは当然のようにゴミ袋に入れていくので、私もそうしました。

「これ、使ったのかな・・・」
と私が呟くと
「リハビリの為に買ったのに、悔しいな・・・」
と旦那さんが呟いたので、なんともやり切れない気持ちになって二人で泣きました。

タヅママは手術の翌日に脳梗塞を起こし、数週間後に心肺停止になりました。蘇生まで15分かかりほぼ脳死になってしまってからは意思の疎通もできない状態になってしまったので、リハビリの器具を使えた時間はほとんどありませんでした。

タヅママの荷物の多くは衣類で、和装の為の着物や帯、下着や小物、仕立て前の反物、男物の着物もありましたし、洋服やたくさんの靴下や、なぜか洗濯ネットに入れられた洗濯ネットの束(?)もありました。
洋服は、最初から捨てようと決めていたので、バンバンゴミ袋に入れましたし、帯や着物の状態の悪いものも思い切って捨てました。
写真や日記は捨てられないので、全て保留にすると最初に決めていたので、パラパラと中身を確認して保留箱に入れていきました。
クリーニングに出して綺麗にしまってあったニットを私の実家の母に貰いました。旦那さんは着ないだろうし捨てようと言いましたが、タヅママはきっと誰かの手に渡るほうが例え着なくても喜ぶと思ったので。
旦那さんはタヅママが愛用していた皮のめがねケースを手元に残したいと言い、私は貰う約束をしていたカーディガンとたくさんの着物と帯を貰いました。

数時間かけて部屋を物置状態にしていた衣装ケースは片付きましたが、まだまだ洋服や和服が入っているケースがあるので完全に片付けるには数日かかりそうです。

でも、早くすっきり片付けてお仏壇に入れてあげなければ。。

全然面白くない記事だな。。。ははは。


お正月の着物。

2016-12-14 17:15:00 | タヅママについて。
タヅママが生前私に譲ってくれた着物は2枚。
綺麗な青地の小紋と、市松柄の紬(多分)。

今年のお正月は、「二人で着物きましょうね」と言ってたのに私が寝坊して着られなかったから、来年のお正月はタヅママから貰った着物を着ようと思っています。

友人との打ち合わせの結果、紬を着ることにしたんですが、着物のコーディネートって本当に難しい。
最初から合わせて買った着物と帯なら、それを着るんですが、タヅママに貰ったのは着物だけ。
まあ、今となっては全部私のモンですけどね!ははは!

市松柄が紺×グレーで、ちょっとグラデーション。
持ってる名古屋帯を色々当てた結果、紺地に打ち出の小槌のお太鼓柄にしようかなと思うんですが、そうなると、全体的に超、地味な感じ。。。
半襟とか帯揚げとかでちょっと軽さを出したいところですが、色選びが難しい。
紺×グレーなんでカラシ色とかいいなーと思いましたが、帯が紺に朱色。それでも、カラシ色ってありなのかしら。。
ここはもう、白に刺繡の半襟とかが良いのかしら?
つーか、カラシ色の半襟も、カラシ色の帯揚げも、カラシ色の帯締めもねーわ。

あーーーー。友達がウールにすると言ってたので、ここで裏切って小紋にする訳にもいかず。。
タヅママがいてくれたらなー相談できたのになー。
化けて出てくれないかな。ほんで、さくっと私の着物のコーデ考えてくれないかな・・・。

今年の正月、ちゃんと早起きすれば良かったな・・・。ちょっと怒ってたな・・・。

すまん、タヅママ!

なんか、3色使うのが粋だって言ってた気がするなぁ・・・

緑!?緑とかどうでしょう!??
まあ、緑の半襟も、緑の帯揚げも、みd(以下略




トーキングブルース

2016-09-23 17:18:24 | タヅママについて。
先日、タヅママについて書いたブログを読んでくださった方が、
「これ見てください」
と1枚のDVDを貸してくれました。

古舘伊知郎氏のトーキングブルース(2014年)が民放で放送された際の番組を録画したものでした。

トーキングブルースというのは古舘伊知郎氏のトークライブで、2時間ひたすら喋り続けるというもの。
番組は1時間に編集されたものでした。

見始めてしばらくは、「ブログを見て」と言っていたのでてっきりタヅママの記事だと思っていたけれど、もしかして違う記事を見てこれを貸してくれたんだろうか?と、なんだなんだ、どれだどれだ?という気持ちで探り探り見ていましたけれども、ライブ後半。

古舘伊知郎氏の周りで近しい3人の方が癌で亡くなった話が始まります。
そして、その方達の言葉にちゃんと応えられず、もう会えないことが分かっているのに、
「また来るよ」
と逃げるように病室を後にしたと語っていました。
喋りを生業にしている自分が何の言葉も出てこなかった。
と。

「また来るよ」

この言葉を私は何度タヅママに言ったか分かりません。
平日、仕事のお昼休みに毎日通っていた病室。
帰る際に寂しがるタヅママに、何の反応も示さなくなったタヅママに、
「また明日来るからね。」「また来週月曜に来るよ。」「日曜には旦那と来られるかも知れないから。」
「また来るよ。」「また来るよ。」「今日は帰るね。」

私は、タヅママに何か伝えられただろうか。
毎日、色んなことを話したけれど、届いていただろうか。


喉の奥が熱いです。






タヅママ。

2016-09-15 12:54:12 | タヅママについて。
タヅママというのは私の義母(夫の母)のことです。

タヅママは先月17日に亡くなりました。

肺癌でした。
タヅママの人生はドラマチックなものでしたが、福井に越してきてから亡くなるまでの1年3ヶ月もやっぱりドラマチックでした。
そんなタヅママの福井でのことを少しづつ書いていきたいと思います。

4年前の9月に結婚して家を建てた時から、東京に住むタヅママに福井においでーと声をかけていましたが、日舞の発表会があったり、風水的に時期が悪いと言って結局福井に越してきたのは昨年の5月でした。

一人暮らしが長かったタヅママと二人暮らしにすっかり慣れた私達夫婦はたまにぶつかりました。

タヅママが私達にしきりに構うことを旦那は少し面倒がったし、タズママが家のことをやってくれると思っていた私は、実は料理嫌いだったタズママにちょっぴり不満だったし、長時間家に一人きりのタヅママは寂しかったと思います。
それでも、たまに休みの日に一緒に出かけたり、タヅママと二人で外食したり、実家の両親がタズママを遊びに誘ってくれたりして、仲良く楽しくやっていました。

タヅママはよく、
実の息子よりロビちゃんの方が本当の娘みたい!
と笑っていましたけども、きっと本心は息子にだけ話してたんじゃないかな。。。
後、やっぱり当たり前だけど、息子の方が可愛かったと思うw