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さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

寒行托鉢の想い出

2019-12-03 18:39:11 | お坊さんのお話

 

令和になって初めてのお正月が間もなくやってきます。
普段であれば新しい年に対する期待があって心が浮き立つような感じもするのですが、
今年も台風などの災害で被災され不自由な生活のなかで年越しされる方が多いので、あまり浮かれていられません。

一日でも早く元の生活に戻れますよう、祈念申し上げております。

今年は暖冬の予想が出ているようですが、お正月は実際には寒さの厳しい大変な時期です。
五日は寒の入り、その半月後には大寒と、日を追うごとに寒さはいっそう厳しくなっていきます。

  

この時期、柔道や剣道の寒稽古が行われるのはよく耳にする事ですが、仏教の各宗派でも「寒行」といって特別な修行の期間にあてているところが多くあります。
寒さのなかで滝に打たれたり、念仏を唱えたりする宗派もありますが、倫勝寺の属する曹洞宗の寺院、特に北陸や東北のお寺では托鉢修行をするところが多いようです。

私が生まれた山形の佛性寺でも、師匠と私は寒の入りからひと月の間、托鉢を修行していました。
茅葺の小屋のような佛性寺に、小さくてもいいからちゃんとした本堂を建てたい、という想いで師匠が始めた寒行托鉢は、
いただいた浄財と手持ちの資金で小さな本堂が建ってからも続けられ、その後は地域の方への感謝報恩の気持ちと自身の修行のために行う行事となりました。

通算すると25年ほど続けたのでしょうか。今さらながらですが、師匠はすごいと本当に思います。
私が大学や永平寺に修行に出て留守の時は師匠が一人で、また本寺(お寺の上での本家)や志を同じくする住職方と修行していましたし、
胃癌で胃を全摘出したあともしばらくは托鉢を続けていました。

  

私が小学五年生のころから始めた寒行托鉢は、日中ではなく冬の夜道を二時間かけて周辺の集落をまわるものでした。
師匠は農協に勤めていましたので夜に托鉢をすることになったのですが、
夕方六時から二時間の托鉢は、寒いし、見たいテレビ番組も見られないし、お腹は空くしで子供の私にはあまりうれしいものではありませんでした。

それでもひと月毎晩師匠の後について托鉢を続けることができたのは、
寺に戻った後に食べるラーメン、ストーブで焼くバターをたっぷり載せた食パンや磯辺焼のお餅の美味しさだけでなく、
托鉢という他人ができない修行をしているという誇らしさと自負心があったから、
そしてなにより父親でもある師匠と親しく話すことができる「父と子の時間」があったからなのかもしれません。

 

寒中の一か月間は晴れていても吹雪になっても、夕方六時になると托鉢に出かけます。
大きな網代笠をかぶってマントをはおり、右手に金剛鈴、首からお米や浄財を受ける喜捨箱を提げ、大きな声でお経を唱えながらゆっくりと村々を托鉢して廻ります。

キンと冷え込んだ夜は、あっという間に長靴のなかの足の感覚がなくなります。
冷たい雨に身体の芯まで冷えきってしまう日があったり、
吹雪に網代笠が飛ばされて雪の降りつもった田圃のまん中まで笠をとりにいかなければならなくなったりすることもあります。

いくらつらい日が続いても途中でやめるわけにはいきませんし、一瞬で30日がすぎてしまう方法などはありません。
一日一日を淡々とこなしていくより他に方法はないのです。
愚痴を並べても一日、充実していても一日。修行の一日に変わりはありません。

 

やっと三日、あと二十日、あと一週間。そんなふうに残りの日を数えながら托鉢を続け、ようやく寒行の最終日、節分の日を迎えます。

節分の日は、午後三時ころから托鉢でまわる集落の家全てに「立春大吉」「鎮防火燭」の二枚の祈祷札を三時間ほどかけて配って歩きます。
その日は師匠と私だけでは手が足りず、近所の子供たちを手伝いにお願いして祈祷札を配って歩きました。

午後のまだ陽があるうちといっても東北は山形のことですから、戸外の気温は氷点下。ときには雪まじりの天気の中を歩きます。

お盆にお札を載せて、子供たちは各家々の玄関先を訪ねます。
訪いを受けた家の人は御札を恭しく受け取ると、喜捨のお米をお盆にそっと載せてくれます。

御札を配る子供たちも、御札を受け取る大人の方も、みんな仏さまの顔をしていました。

 

子供たちにとっては、お寺のお手伝いで少し大人になったような誇らしげな気分もあったに違いありません。
それでもやはり冬空のもと、二百軒あまりの家一軒ずつ御札を配る三時間は重労働。
お札を配り終えるころには、子どもたちも手がかじかみお腹もぺこぺこです。

子どもたちと一緒に寺に帰ると、カレーライスや揚げ餃子で慰労会を行うのが佛性寺では毎年恒例の行事でした。
大人たちは餃子をつまみに熱燗やビールで一杯。子供たちはカレーをお腹いっぱい食べて、迎えに来た家族と帰っていきます。

「また来年もお手伝いにきまーす」お菓子のお土産をもらって、みんなニコニコしながら雪道を楽しそうに帰って行ったものでした。

 

翌日、集落の家々の玄関先には前日に配った「立春大吉」の御札が貼ってあります。
一か月の修行を終えての達成感、充実感はもちろん、厳しい寒さの中で托鉢修行を続けてきた心と身体には、暦の上とはいえ無事に春に巡り会えたということが何よりのよろこびでした。

「梅は寒苦を経て清き香を発す」という言葉があります。
一日一日をしっかりと生ききる努力を積み重ねることが、無上の春に巡り会えるただ一つの道である、ということでしょうか。

ともすれば易きに流されてしまうことの多い現代の生活。しっかりと足元を踏みしめてこれからの一年をおくりましょう。 

今日はここまで。



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