今年は鶴見の本山、總持寺様を開かれた瑩山禅師様の七百回大遠忌の年に当たります。
住職もこの勝縁に随喜するため、四月、五月と總持寺様にお手伝いに行ってきました。
台所で調理のお手伝い「典座てんぞ」という役です。
禅師様や副禅師様の食事を作ったり、全国から団体で参拝にくる寺院、檀信徒の皆さんの御膳を調えたりするのが主な仕事になります。
住職は若いころに東京西麻布にある永平寺東京別院という修行道場で、5年半ほど台所の指導係をしていました。
そんなご縁でこれまでも總持寺様に典座でお手伝いしたことがあったのですが、今回もお役をいただき總持寺様に詰めることになりました。
恥ずかしい話ですが、別院のころの私は文字通り血気盛んな若僧でした。
また一本気で面倒な性格でしたので、上役はもちろん、一緒に修行しているひと回り下の若い方達とはあちこちで衝突ばかりしていました。
特に後輩には、自分が何度も失敗してきたので、同じ思いをさせたくないという気持ちから強く叱責したこともあります。
怒りの感情に任せて吠えたこともありましたから、今思うと冷や汗です。
「怒り」はお釈迦様の教えの「貪り「愚かさ」と並ぶ「三毒」の一つでもありますから、僧侶としての基本が疑われる行為でもあります。
人に教えられるほど立派な修行をしているわけでもないのに・・想い出すだに恥ずかしい、穴があったら入りたい。
当時のことはさておき、先日、總持寺様で調理していたときのことです。
厨房の掲示板に懐かしい僧侶の名前が張り出されていました。
私が別院にいたころに雲水だった方が、大遠忌に際し禅師様に代わってご開山様にお茶やご飯をお供えしご供養申し上げる
焼香師の大役を担って上山されたのでした。
歳が一緒ということもあり、彼とは親しく話をさせてもらう間柄でした。
久しぶりに会う彼は所作や言葉使いに落ち着いた雰囲気が漂い、充実した修行の年月を過ごしてきたことがわかりました。
聞けば地方でも重要な役職に就いているということで、すっかり貫禄も付いています。
近況を報告しあい、一生に一度の大事なお役である焼香師のお勤めが無事できるよう言葉をかけさせてもらいました。
翌日、無事にお勤めも円成し、お祝いの御膳となりました。
台所の白衣のままでお祝いに伺うと、彼が祝宴に同席していた人を数人呼んでくれました。
それぞれ、東京別院にいたころに台所で一緒に修行した後輩であり、仲間たちです。
皆さん立派になって、見違えるようです。
「典座さんにはよく怒られたっけなあ!」
言いながらアハハと笑う彼もまた、いまは地方の重鎮になっています。
周りもそうだ、そうだったと囃し立てます。
「いつも本気で怒ってましたもんね、典座さん」と言われて頭を掻いていると、焼香師を勤めた彼が
「前回の慶弔会の時に大祖堂で赤い衣を着ているのをお見かけして、ああ、もう典座はやめてしまったんだと残念に思っていました。
でも、こうして白衣の典座さんを見ると、あの頃と全然変わりなくて、なんだか嬉しくなってしまいます」
あの頃は怒ってばかりですまなかったねえというと
「いやいや、あの頃があっての今ですから。高校出たばかりのやんちゃだった私らによく付き合っていただきましたよ。」
と有り難い言葉をいただきました。
「叱られた恩を忘れず墓参り」
という川柳がありますが、どちらかといえば私は
「叱られた恨み積もってお礼参り」
の方と思っていましたから、うれしいような気まずいような、そして、あの頃の後悔が少し消えて軽くなったような気がしたのでした。
歳をとったからでしょうか、最近は本気で叱るということが少なくなりました。
上手に叱るということは難しい、ということに気が付いたからでもあります。
ただ、怒りからの暴力的な行為やパワハラ、カスハラなどと呼ばれるハラスメントはもちろん許されませんが、
世間一般が叱るということに臆病になっているような気もします。
おでんに添えられた練りガラシが具材の味わいを深めるように、然るべき時に然るべく頂く適量の叱咤激励は、
人生の味わいを一層深めると思います。
もちろん、叱る方も叱られる方もそれを真剣に授受できる状況になければ、つまらないお説教にしかならなくなってしまうのですが。
振り返れば、長岡の方丈様、袋井や芝の御前様、たくさんの先輩後輩同輩の方々、お檀家さんやそしてそのご家族。
これまでたくさんの方々とご縁を結ばせていただき、本気で叱られ、ほめられ、見放され、背中を押してもらい、今の自分がここにあることに気づきました。
叱られるのも褒めてもらえるのもみな善いご縁と受けとめて、
負の感情に振り回されることなく上手に叱れる和尚になりたいものです。
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園内はアジサイが良い感じで咲いております。
このところ、ペンタックスの一眼レフを持ち出すことが多くなりました。
電気処理のされたモニターで見る絵ではない、レンズ越しの花や風景の姿が非常に好ましく、
また、シャッターが走り、ミラーが上下する音がとても気持ちよく感じます。
最新のミラーレスには見たまま撮れるメリットがありますし、目が悪くなってきている私にはピントを拡大する機能はとても便利なのですが、
一眼レフでピントを外したり色味が予想と違っていたりしても、またそれが楽しくて撮影を続けてしまうのですね。
くっきりきっちり写っていなくても、またそこが私にとっては愉しい、楽しい時間なのです。
今回の写真は、ほぼペンタックスの小型一眼レフカメラで撮りました。
今日はここまで。
別院はとてもよい雰囲気がありますし、こじんまりしていますから、同安居や先輩後輩、それぞれが深い交流があるように見受けられます。
倫勝寺さんのような典座和尚さんは、たぶんいらっしゃらないと思います。当時の安居者の皆様にとって、懐かしい方と思います。この頃は叱ることを怖がる傾向があるでしょう。
私は、叱ることはありません。安居の皆さんを孫のように大事に接している優しい講師です。
そうですね、この話で私が東京別院にいたのはもう40年近く前のことです。
今回は当時を思い出し、懺悔の気持ちで書きました。
当時は駒沢の夜間に通う学生雲水がほとんどで、なかなか大所帯で賑やかでした。
今はあの頃と同じような指導というわけにはいきません。
風月さんの優しい講義を受けてみたいです。