『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

ダンマパダ(法句経)⑤

2008年03月22日 | お経の紹介 『ダンマパダ(法句経)』


『たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。牛飼いが他人の牛を数えているように。彼は修行者の部類には入らない。
 たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法に従って実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することのない人は、修行者の部類に入る。』 19・20
(ブッダの真理の言葉感興の言葉 中村元訳 岩波書店)

修行者のために説かれたお経ですが、そこに留まらず様々な分野においても共通して言え
ることだと思います
一つの道に対して学びが進んでいくと、できなかった自分がいた事を忘れてしまい、つい
つい口を出しすぎてしまう事はよくあることだと思います
さらに煩悩の悪魔に心を捕らわれてしまうと、出来て当たり前という自分の基準だけで物
事を観てしまいます

自分の基準で物事を観てしまう煩悩を『慢(まん)』と言います
そこに『怒り』という『自分に都合の悪い物事の対象を避けようとする欲望』煩悩が加わると、他人に対して『いやみ』としか感じることができないことを言ってしまうのです
そこから他人の恨みを買ってしまい、自らを不幸に陥れてしまうのです
親子・嫁姑・夫婦・職場など人間関係が悪くなる場合、原因がその辺にあることが少なくありません
人間関係が貧しくなると、人生はまことに寂しいものになってしまいます

一方で、煩悩に支配されず、思いやりの心で持って他人と相対すれば、相手には『慈悲』の心が伝わります
慈悲の心は煩悩に支配された心をひるがえすこともしばしばです
そうすれば自他ともに思いやりの心が膨らみ、幸福を引き寄せていくでしょう

自分の心を見つめ
悪意・煩悩に気付き自覚し
その心を捨て去って
相手の立場に立って
善意・思いやりを持った行い・言葉で他人と接する

それができない私であり続けるからこそ釈迦如来・阿弥陀如来は私に仏法を与えたのだと思います
真の仏教徒の生き方を教えてくれる有り難いお経です

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